『--石原都知事「首都高より橋の移転を」 日本橋の景観問題--

 東京の名所「日本橋」を覆い隠している首都高速道路について、東京都の石原慎太郎知事は20日の記者会見で、「つまらん金かけるより、日本橋をどこか近くの川に移したらいい」と語り、首都高移設を唱えた小泉首相の提案をひっくり返すアイデアを披露した。

 現在の日本橋の景観については「ナンセンスで非常に野蛮な街の造形」としながら、「首都高を造り直すとか、ビルの中を通すとかは大変。あの場所になくても、あの橋そのものがあればいい」と断言。東海道などの起点として栄えた橋の移転を大胆に主張し、「こういう発想をするのが小説家なんだよ」と小泉首相との違いを強調した。

 日本橋を覆う高速道路の高架は、64年の東京五輪開催を控えて整備されたもので、小泉首相は昨年末、景観を損ねているとして「日本橋の上を思い切って空に向かって広げてみよう」と主張。発言を受けた国土交通省は、都が五輪招致を目指す2016年をめどに、首都高移設の検討を進めている。 』

 首都高を移転すると5000ー6000億円かかるらしいが,こういうお金は無駄使いにならないらしい.4月からの診療報酬改定ではマスコミも加担して大騒ぎしたが,その減額分はおそらく全部で8000億円程度である.医療より日本橋の景観が大事なのだろうか.

 医学部の教授(最近は助教授や関連病院の部長も?)も退官が近くなると業績集という自費出版本を出したり退官記念講演会やパーティーまでやってもらったりするものだ.きっと小泉首相も行政改革をこれだけやったんだから名前が残る事業を企画したかったのだろう.でも,福祉をこれだけ後退させてあげくにまた公共事業とはやっぱり懐古趣味なのだろうか.

 だが,東京で歴史的な景観が守れるのは皇居の中くらいだろうに,日本橋の上の空を広げることになんの意味があるのだろうか.むしろ日本中で自然や景観を損ねた高度経済成長の歴史的象徴としてそのままの形で残すほうが意味があると思うのは私だけだろうか.

 見栄えをよくするだけなら一種の偽装である.財政再建も聞こえはいいが,骨太とはいいながらも首相が体裁にこだわり国民からは見えない骨格には手をつけていなかったとしたら大地震がこなくともいずれ潰れるものは潰れるだけだろう.
 
外来で疲れた一週間
 やっと週末.今週の外来は疲れた.画像診断では異常なし.かといって精神科の病気と言うのでもない.だから正常ですよと説明するしかないのだが,自分の頭には悪いところがあるに違いないと思っているようなのでまともな説明をしても話が噛み合わない.こういう外来が続くと人間嫌いになりそうだ.でも,よく考えるとあの人たちは病気になって現実から逃避したいだけなのかも...やっぱり精神科かなあ.
『--「犯行ごとに計画性」最高裁指摘 宮崎被告の判決理由で--

 17日、連続幼女誘拐殺人事件で殺人などの罪に問われた宮崎勤被告(43)の死刑を支持する判決を言い渡した最高裁第三小法廷(藤田宙靖(ときやす)裁判長)は、判決理由で「被告は犯行を重ねるたびに計画性を強めた」と指摘した。殺害態様の冷酷さや残忍さに触れ、「遺族らの被害感情が非常に厳しいのも当然で、刑事責任は極めて重い」と述べた。

 事件そのものは小児性愛や猟奇的行動、家族のあり方など今日の同種事件にもつながるさまざまな問題をはらんでいたが、宮崎被告の行動の根底に何があったのかなど、再発防止につながる事実の解明は16年にわたった裁判でも進まなかった。

 この間、最大の争点となった宮崎被告の責任能力については、精神鑑定が3通りに分かれ、最高裁の判断が注目された。しかし、第三小法廷は下級審の判断を「正当として是認できる」と述べただけで、判断理由についての具体的な説明はなかった。

 他方、判決理由で第三小法廷は、宮崎被告の犯行について「主たる動機は性的欲求と、死体などを撮影して自分だけのビデオテープを持ちたいという収集欲に基づく自己中心的なものだ」と位置づけた。殺害の態様については「人を疑うことを知らない被害者を巧妙に誘い、抵抗するすべもない幼い女児の首を力いっぱい絞め続けるなど冷酷で残忍」と述べた。被害者宅に遺骨や犯行声明を送りつけたことに触れ、「社会に与えた衝撃は甚大」と指摘した。

 死刑選択という結論については「被告が先天性の腕の障害に悩んでいたことや、母親が遺族に慰謝の一部として送金していることなど被告のために酌むことができる情状を十分考慮しても、一、二審判決が死刑としたことは是認せざるをえない」と説明した。

 判決は藤田裁判長と浜田邦夫、上田豊三、堀籠幸男の各裁判官全員一致の意見だった。』

 反省の無いあるいはする能力のない被告にとって責任能力を議論することになんの意味があるのだろうか.正しい判断ができる能力が責任能力とイコールだとしたら,犯罪者はすべて責任能力がないことになるし,計画性があることが責任能力であるなら自分より弱いものを狙った犯罪者すべてに責任能力を求めることができることになるのではないだろうか.

 犯罪心理学は人間の異常な心理を解き明かす方法として興味深いものかも知れないが,最近の事件を見ても犯罪の抑止力としての有効性には疑問が残る.この被告の精神鑑定でも意見が3通りに別れたとあるように精神鑑定というものの普遍性にも疑問が残っただけで,科学的に妥当な意見を根拠とするのでなければ被害者の遺族が納得できないだろう.

 死刑の判決を下すのに16年もの歳月を要したのは精神鑑定にこだわったからなのだろうが,私には無駄な時間のように思えてならない.結局,被告の人権に考慮するあまり費やしたということなのだろうが,これだけ拘束時間があれば正常な人間でも精神に異常を来したり健康を害するのに十分だろう.

 オウム真理教の教祖も精神に異常があってこれ以上裁判を続けることはできないと弁護側が言っているようだが,精神に異常を来せば罪が許されるというものではないだろうし,それが裁判に時間をかけすぎたことによるものであれば,被害者の遺族の怒りは持って行き場のないものになり,結局は救済されるのは加害者だけということになるのではないだろうか.
『--舞鶴市民病院、民間委託へ 内科医集団辞職の影響で--

 京都府舞鶴市は15日までに、内科医が集団辞職し混乱が続いていた市立舞鶴市民病院(田中明(たなか・あきら)院長)の運営を、京都市下京区の医療法人社団「恵心会」に委託することを決めた。

 集団辞職の影響などで累積赤字は約30億円に膨らみ、舞鶴市は「医師の確保が難しく、病院経営は困難」と判断したという。

 委託開始は4月ごろの予定で、一部の診療科をほかの病院に移管、廃止するなどし、リハビリ医療などを中心とした療養型病院に機能を縮小する。

 同病院では、運営や人事をめぐる対立から2003年9月から04年3月末にかけ、常勤の内科医14人のうち13人が辞職。市は内科医の補充のため関西地方の医大などに医師の派遣を要請してきたが見通しがつかず、05年5月に内科の入院病棟を休止した。

 同病院は1947年11月開設。病床数は198で、内科、外科など19診療科と8つの専門外来がある。』

 昨日書いたばかりのことがもうすでに現実となっているようだ.やはり原因は赤字そして医師の確保ができないということらしい.今後は国公立病院から僻地の診療所への出張をさせる権限が知事に与えられるそうだから,そんなことに院長が同意すれば嫌気がさして辞める医師は増えることはあっても減ることはないだろう.

 地方の医療は一部の採算のとれる医療機関に託されることになる.診療報酬の改定と医師不足で自治体病院の行く末は悲観的である.きっと全国で自治体病院の委託や売却が進むことだろう.
『--自治体病院、自力で黒字はわずか8% 政投銀調査--

 全国の自治体病院のうち、補助金などに頼らず実質的な営業黒字を確保しているのは、全体の8%程度しかないことが、日本政策投資銀行の分析でわかった。補助金を含めて経常黒字を確保している病院は4割近くまで増えるが、累積赤字は増加傾向だ。自治体病院は「へき地医療など民間ではできない分野を担っている」(総務省)だけに、経営の効率化が求められそうだ。

 政策投資銀が03年度に1000あった自治体病院について、地方公営企業決算をもとに分析したところ、実質的に営業黒字なのは82病院しかなかった。大半が診療報酬など本業の収入では、必要経費をまかなえない状況だ。

 03年度の地方公営企業決算によると、自治体や国からの補助金で経常黒字の病院は389と4割近くまで増えるが、6割はなお赤字。病院事業全体の経常赤字額は合計で1400億円近くに達する。補助金に当たる病院事業会計への他会計からの繰入金は、全体で5451億円だった。

 政投銀は、自治体ごとの一般財源の規模を表す「標準財政規模」に対する繰入金の比率も分析した。平均では3.4%になり、高い自治体では15%に達するところもあった。公共事業や福祉など全体の行政活動に必要な財源のうち、病院事業支援のためだけに15%を割いていることになり、財政負担が大きいことを示している。

 診療報酬の引き下げや地方財政改革による補助金の削減が進めば、「自治体病院の経営はさらに厳しさを増す」(政策投資銀政策企画部)と見ている。 』

 「自治体病院は「へき地医療など民間ではできない分野を担っている」(総務省)だけに、経営の効率化が求められそうだ。」という記事にひっかかってしまった.僻地での救急医療などは本来コスト面からはやらないほうがいいはずだし,僻地からの医師の引き上げが相次ぐ中で総合病院の看板を自治体病院が上げることすら不可能になりつつあるのが現実だ.

 以前お世話になった自治体病院の副院長は「医師がいなくて大変です.」と年賀状に書いてあったし,看護部長たちからも「病院はいつも大変な状態です.」とあった.以前,私のところで働いていた看護師長も有能な部下と共に個人病院へ転職するとメールが来ていた.

 自治体本体が今や病院の赤字とともに沈んでいくかもしれない状態である.効率化といっても診療報酬の引き下げや地方財政改革による補助金の削減で自治体病院の収益は今後下がる一方であろう.人件費の節約で経営の効率化をはかるにも限度があるだろうし,その限度に達する前に医師も看護師も確保できなくなることは見えている.

 医療に限らず福祉に関して言えば,僻地に住んでいること自体が悪いこととされているかのようだ.その一方で地方で高収益を上げ続ける開業医もたくさんいる.これが現実だから自治体病院の勤務医はますます地域医療に貢献しているという誇りとともに勤労意欲を失って開業に走ることになるのだろうか.

 本来は僻地医療などは奉仕活動みたいなものなのだからそこに効率化などということを言い出せば成立しなくなるのではないかと疑問に感じるのは私だけだろうか.
『-- 里谷 満場一致で代表決定 --

 今季のW杯で結果が出ないままだった女子モーグルの里谷多英(29=フジテレビ)のトリノ五輪出場が9日、正式に決まった。昨年2月に暴行事件を起こし、ナショナルチームを外れてからは、個人参加として五輪出場を狙ってきたが、最後はその勝負強さが高く評価された。SAJの“苦渋の決断”に本人が報いるためには、94年リレハンメルから4大会連続となる大舞台で、日本の冬季五輪史上初の3大会連続メダル獲得しかない。

 里谷の五輪出場へ苦言を呈してきたSAJの伊藤会長は、理事会終了後の会見で、自ら“里谷選出”の理由を説明した。「社会的な問題を起こしたが、社会人としての大きな成長を見せた。ペナルティーに対し謙虚に対応した」。会議では高野弥寸ヘッドコーチから提出された里谷の推薦が、満場一致で承認された。

 里谷のこの2年は激動のシーズンだった。一昨年W杯に復帰すると、いきなり表彰台に登り、世界選手権代表の座を獲得。ところが、昨年2月8日、東京・六本木のクラブで泥酔して従業員に暴行。麻布署に保護される不祥事を起こした。連盟から世界選手権の出場権をはく奪され、所属先のフジテレビからも5日間の謹慎処分を受けた。その後、8月31日に起訴猶予処分となるまで、ほとんど公の場に姿を現すことはなかった。

 SAJ内部から里谷の五輪挑戦に疑問の声が上がったのも事実。10月には本人から強化指定などを辞退する申し出があり、ナショナルチームのメンバーから外れると、トリノへの道は文字通り“ゼロから”となった。先月8日には米国内の合宿中にエアの着地に失敗し、左肋軟骨を負傷。今月6日にもW杯の前日練習で転倒し、今季は1度も決勝の舞台に上がれないまま、選考期日を迎えていた。

 それでも、現場サイドが里谷の推薦を決めた背景には、無類の勝負強さがある。長野五輪、ソルトレークシティー五輪で日本女子初の連続メダル獲得。エアでは劣るが、滑りの技術は今も世界一と言われるだけに、たぐいまれな集中力と合わせ本番での期待は大きい。里谷は「これから1つ1つの大会をステップにして五輪で一番大きな力を発揮したい。後悔しない五輪にしたい」とコメントを発表。再び輝きを取り戻すためにも、3大会連続メダルを獲りにいく。』

 苦言を呈していた伊藤義郎氏がなんと言うのかに私は注目していた.札幌市出身の里谷であるが,事件を起した里谷をきっと暖かい目で見守っていてくれたのであろうと思う.里谷も今度の件で精神的に成長して3大会連続メダルを獲ってもらいたい.チャンスをくれた人たちのためにもここ一番での道産子の爆発力をみせてもらいたいものだ.

 スキーを教えてもらった父を亡くした里谷とスキーを教えた息子を亡くした伊藤義郎氏という2人が私の中で過去の思い出とともに強いコントラストを持って浮かび上がっている.詳細はひみつに書くが,このニュースのおかげで冬季オリンピックのモーグルは私にとって目が離せないものとなったことは確かである.

 

再犯

2006年1月8日 社会の問題
 姉妹刺殺事件で逮捕された山地悠紀夫容疑者(22)とJR下関駅に放火した福田九右衛門容疑者(77)の共通点は無職と再犯であることである.

 犯罪者の精神構造を病気と定義するならば再犯は病気が治っていないということになるのだろうか.これを治すためにまた刑務所に入れるのであれば犠牲者は犯罪者の病気を治すために犠牲になったということにならないだろうか.

 犯罪者と犠牲者の人権に差はないのだろうが,死んでしまった犠牲者にはもう人権はないのである.殺人鬼や放火魔を更生させようと使う社会的資源と再犯による犠牲者の命は私には無駄に思えるが,そこまでして犯罪者の人権は守らなければならないものなのだろうか.

 お金がなくて健康保険も使えない人が増えているそうだから,そのうち医療費が払えないから罪を犯して刑務所で治療を受けようという者が現れるような気がしてならない.外国人の犯罪者も増えている.それでもまだパリの暴動よりはましだと言っていられるのはいつまでだろうか.
寒いですね
インフルエンザが例年より早く流行しているそうだ.
予防接種は受けたがやはり鼻かぜには効かないようだ.
この風邪はちょっと治ったかと思うとぶり返す.
この連休はしっかり治すことに専念するとしよう.
 
 
『--著者全員が論文撤回に同意 ES細胞、決定来週以降に--

 ソウル大が完全な捏造(ねつぞう)と判定した黄禹錫(ファン・ウソク)教授らの胚(はい)性幹細胞(ES細胞)論文について、掲載した米科学誌サイエンスは4日、25人の著者全員が論文の撤回に同意したと明らかにした。

 同誌は来週にも発表されるソウル大調査委員会の最終報告の内容を反映させる形で正式決定するとしている。同誌スポークスマンは「著者による撤回か、編集部判断とするかなど撤回の形式についても、調査結果を受けての判断になる」と述べた。

 論文は、患者の皮膚細胞を基にしたクローン胚から、患者とDNAが同じ計11個のES細胞をつくったとする内容。昨年5月にサイエンス誌に掲載され、拒絶反応のない再生医療が現実味を増したと高く評価された。

 しかし共同研究者が疑惑を暴露。ソウル大調査委は昨年末、同論文を完全な捏造と結論付けた。同教授は「写真の誤り」を理由に論文撤回を申し出たが、ES細胞の作成技術はあるとし、証拠となる細胞が何者かに「すり替えられた」と主張している。』

 わが国が耐震データの捏造事件で大騒ぎしている頃にお隣の韓国では国辱だと大騒ぎになったデータの捏造事件である.コンピュータソフトと科学雑誌の差はあるが,どちらも信憑性の高い(と思われている)ものだっただけに騙されたと気づくのが遅かったということだろう.これも一種の権威主義なのだろうが,自分で検証できなければ権威を信用するしかないから一般人にはどちらもまったく理解できなくとも仕方がない.

 最近は成果主義とかでインパクトの高い論文とならねば研究費ももらえないのであるから研究者も大変である.つまり研究を続けるためにはいい論文を書かねばならない.とは言ってもそれには都合のいいデータが必要である.では,いいデータが出なければどうするのか.研究を続けるためあるいは生活のためになんとかいいデータにしようとするあまり捏造になってしまうのだろうか.これではどこかの元建築士と同じであろう.

 私は科学的真実とか倫理とか安全とかが重要な問題に関してコストという圧力をかければ今後も同じような問題が起きるだろうと思う.優秀な人が十分に時間とコストをかければ必ずしもいい結果が出るわけでもないだろうが,コストを圧縮して結果を急ぐあまり間違ったものが世の中に流れるようではリスクは増大するばかりで結果的に安全のためのコストは増大してしまうと思うのだがどうだろうか.

 
新年あけまして...
『--所得500万円未満の世帯増加 厚労省調査--

 厚生労働省の国民生活基礎調査によると、低所得世帯の割合が年々増加している。500万円未満の世帯が増える一方、500万円以上の世帯は減少。データからは「富める人は一部だけ」という方向へ向かいつつあるように見える。

 OECD(経済協力開発機構)が発表する加盟各国の貧困率(所得が全国民の所得の中央値の半分以下の人の割合)で見ると、日本は80年代半ばの11.9%から00年には15.3%に上昇。メキシコやアメリカなどに次いで5番目の高さで、世界でも格差の大きな国ということになる。

 「貯蓄ゼロ」の世帯も増えている。87年には3.3%だったが、その後は上昇を続けた。03年には21.8%に達し、4世帯に1世帯近くになった。05年版生活白書は、若年層で貯蓄ゼロが増えているとして「増大する無業者はとても貯蓄まで手が回らない姿がうかがえる」と分析している。』

 2006年はどんな1年になるのであろうか.景気は回復してきているというが,低所得者層が増え国民健康保険料が払えず患者になることもできない人たちがいるそうだ.

『--「無保険者」30万世帯以上--

 国民健康保険料の長期滞納を理由に、医療費の全額自己負担を求められる資格証明書を市町村から交付され、保険証を使えない「無保険者」が04年度、全国で30万世帯以上に達したことが、毎日新聞の全国調査で分かった。資格証明書は滞納対策とされ、交付数は00年度の3倍に増えたが、滞納世帯数は逆に上昇。どの自治体も同じように国保財政が悪化する中、交付数に大きな格差も出ている。国民皆保険制度の根幹が揺らいでいる。

 調査は47都道府県と14政令市を対象に実施。保険料滞納世帯数や、資格証明書交付世帯数などを尋ねた。

 04年度は全国で計30万6020世帯に資格証明書が交付され、00年度の9万6849世帯から3倍以上に増えた。05年度も数字を回答した33都道府県で比較すると、04年度より5%増えている。

 自治体間の格差も大きい。政令市で最も交付数が多い横浜市は04年度、70万世帯中3万1592世帯に交付しており、「国保料の減額申請などの相談に来ない限り、生活困窮などの特別な事情はないとみなす」と説明する。一方、名古屋市は43万世帯中15世帯にしか交付していない。両市とも医療給付費の11%程度を一般会計からの繰り入れでまかなっているが、対応は分かれている。

 国は00年度から、自治体に対して資格証明書の交付を義務づけた。しかし、全国の加入世帯に占める滞納世帯の割合は、00年度の17.5%から04年度には18.8%と増加。滞納対策としての効果を尋ねたところ、36都府県と13政令市が「ある」と答えたが、10道県1政令市が「効果が分からない」と疑問を示した。「収納率(徴収できた保険料の割合)が低下した自治体もある」(香川県)、「納付意欲の減退、態度の硬化を招く」(鳥取県)などの理由だった。

 厚生労働省国民健康保険課は「資格証明書の交付は滞納を抑制するという一定の効果は得られている。(交付基準の自治体間格差は)自治体が個々の事情に応じて対応しているだけで問題はない」と話している。』

 さらに年金生活者にとってもこれからは大変な未来が待っているかもしれない.生活費の安い海外で年金生活をする「年金移民」という人たちがいるそうだ.

 医師にとっても今年はさらに厳しい年になりそうだ.ITや株式という虚業で勝った人たちが勝ち続けるような社会がいいとは私にはとても思えないのだが,これからどうなっていくのだろうか.

 何年ぶりかの4連休で気力も体力も回復し,ついでに体重まで回復してしまったのが情けないが,明日からまた毎日を充実したものにするべく頑張りたいと思います.

 今年もよろしくお願いします.
よく生きるということ
 病院の御用納めも終わり午後からお正月休みモードになった.私は今年最後の当直で夕食後に医局で新聞をみた.そこには今年あった多くの事件や災害が載っていた.今年最後の大きなニュースはJRの脱線事故だろうか,それとも泥湯温泉のガス中毒事故であろうか.いずれにしても犠牲者の方々はまさか自分の名前がこんなことで世間に出るとは思ってもいなかっただろう.

 医療の世界も医療事故のニュースが今年も非常に多かった.そして相変わらずのイラクの自爆テロ.そして地震や台風といった自然災害.さらに最悪だった年末の児童殺害事件.見たくもないような暗いニュースが毎日のように報道され,他人事なのに気が滅入る日が多かったような気がする.

 だが,本当に他人事なのだろうか.自分にもいつか起きるのではないだろうか.偽装マンション問題などは実はすでに自分の問題かも知れないのに知らないだけなのではないだろうか.そう考えると生きていること自体に懐疑的になってしまうのは私だけだろうか.

 そう,生きている証は実は今のこの一瞬だけに過ぎないということを人間は意識できないのではないだろうか.この次の一瞬にはもうこの世にいないかも知れない存在であることを理解出来る人がどれほどいるのであろうか.そう考えると夜寝るときに今日一日をよく生きただろうかと思わずにはいられないのである.夜寝ている間に意識がある人はいない.つまり意識は死んだ状態であり,そのまま目が覚めなければそれはすなわち死なのである.

 これをどう考えるかによって生き方も変わるのであろう.よく生きるとはどういうことなのであろうか.私にはこのように人生に疑問が生じると読み返す本がある.トルストイの民話集『人はなんで生きるか』という本である.大学に入学する前に読み,何度も読み返しているが未だに人生の意味を見いだせないでいる.というより読む度に意味が違うように感じるのである.それが精神的な成長なのか,単に齢をとって考えが変わっただけなのか.

 世の中いろんな人がいるのだから人生の意味も色々なのであろう.それはそれでいいのだが,私はやはり自分は毎日をよく生きたいのである.来年も毎日をよく生きることを人生の目的として年を重ねていきたいものである.

 今年も私の拙文を読んでくださってありがとうございました.来年の皆さまの毎日が実り多いものであることをお祈りさせていただきます.では,よいお年をお迎えください.
『--手術ミスで70代患者死亡 鳥取大病院--

 鳥取大病院(鳥取県米子市)は26日、人工呼吸器をつける際の気管切開ミスによる出血で米子市の70代男性患者が死亡したと発表した。

 男性は16日、同大病院に意識不明の状態で救急搬送され、小脳出血のため手術を受けた。男性の意識は戻らず、21日、気管を切開し人工呼吸器を取り付けたが、約1時間後に口や気管に挿入したチューブ内に出血が見つかった。再び切開したが出血場所が見つからず、男性は間もなく死亡した。

 届けを受けた米子署が司法解剖した結果、死因は気管に血がたまったことによる窒息死だった。のどの横の静脈が2カ所切れており、詳しい原因を調べている。

 石部裕一(いしべ・ゆういち)病院長は「患者に申し訳ない。調査委員会を開き防止策を検討したい」としている。』

 大学病院が自らミスと言っているのだったら手術ミスということでいいのだろうが,死因が血液による窒息であったのだとしたら私にはちょっと疑問が残る.

 気管切開による手術ミスで私の記憶にある最も悲惨なものは小樽市の病院であった頚動脈を切断したというものである.さすがに頚動脈切断ではそれ自体手術ミスといえるのだろう.しかし,のどの横の静脈が2カ所切れて出血してもそれが気管内に流れこまなければ窒息はしないはずである.気管カニューレにはカフが付いているので,正常に機能していればたとえ出血があっても気管内には流入しないはずである.

 再び切開したとあるが,出血点を探す前に経口挿管してまず気道が確保できていれば気管内に流入した血液も吸引できて窒息は回避できた可能性はある.とは言えこれを一人で落ち着いてできる医師はベテランで研修医レベルでは困難であろう.

 気管切開術やその後の処置をした医師に関する情報はないが,小脳出血のため手術を受けたとあるのでおそらくは脳外科医またはその指導で研修医が行ったのであろう.血だらけになり焦りながら出血点を夢中で探しているうちに呼吸停止そして心停止となったであろう現場を想像すると冷や汗が出る思いだ.

 患者さんは小脳出血のため意識不明であり,おそらくは救命のために手術を受けたのであろうからこんなことで亡くなったのではなんのために救命したのかわからない.かといって気管切開をしなければおそらく長期の生存は不可能であったのだろう.亡くなった患者さんや家族もお気の毒だが,患者を失ってしまった医師の精神的なダメージは計り知れないものがあるはずである.

 きっとまた業務上過失致死で刑事告訴されるのだろう.診療報酬引き下げや給与がまた下がるなんて話はこれに比べればどうでもいい話である.でも人のために働いてもミスしたら刑事処分されるというのだけは勘弁してもらえないものなのだろうか.リピーターは困るがなんとか立ち直って脳外科医として頑張って欲しいような気がするのは私だけだろうか.
メリークリスマス
今夜は難しい話は無し.
一人でも二人でもみんなでも
メリークリスマス!!
『--「手術の事前説明不足」 遺族が済生会に賠償請求--

 山口市の済生会山口総合病院で心臓手術を受け死亡した山口県萩市の男性=当時(62)=の遺族が、病院側が事前に手術の危険性を十分に説明しなかったとして、20日までに病院を経営する恩賜財団済生会(東京)に約5570万円の損害賠償を求める訴訟を山口地裁に起こした。

 訴状によると、男性は今年2月、胸の痛みなどを訴えて入院。病院から「手術の危険性(死亡率)は3-5%」などと説明を受け、3月に大動脈弁を人工弁にする手術を受けたが、手術中の出血が原因で重症心不全となり、翌日死亡した。

 遺族側は「危険で困難な手術になるという説明を事前に受けていれば、手術は見合わせた」と主張。同病院は「弁護士と相談して対応を考えたい」としている。』

 例によってこの記事の内容がどの程度まで事実を反映しているのかはわからないが,手術の危険性(死亡率)が3−5%と説明を受けていてながら遺族側が「危険で困難な手術になるという説明を事前に受けていれば、手術は見合わせた」と主張したのが事実ならば術前の説明はほとんど無意味だろう.遺族にとっては結果がすべてということなのだろうから.

 この判決がどのようになるのか非常に興味があるところだが,一般的に死亡率が3−5%というのが危険で困難な手術かどうかは意見が分かれるところであろう.私としては十分危険で困難であると考えられるのだが,一般の人の感覚としてはどうなのであろうか.飛行機に百回乗ったら3−5回は墜落しますよと言われたら乗る人はいるのだろうか.

 さらに考えてもらいたいのは飛行機なら乗らなければ墜落しないが,病気では治療しないことによるリスクもあるということだ.治療するリスクとしない場合のリスクを比較するのでなければ病気の場合は意味がない.結果が悪くなる可能性があるのだったら治療しないというのもひとつの選択肢かもしれないが,それにしても最終的な選択は本人の問題であって遺族が決めるべきことでもない.

 本人が治療の結果死亡したことに対する結果責任で遺族が損害賠償を病院に求めるというのが当たり前になるのであれば,病院は賠償責任保険を増額しなければならないが,その余分な経費はどこから捻出できるであろうか.少なくとも診療報酬にはそんなものは含まれてはいない.大動脈弁の置換術など技術料は100万円にも満たないのだ.

 100例やって1億円の技術料が入っても3例死亡して訴訟で3X5000万円=1億5000万円払ったら5000万円の赤字である.こんな手術はやめたほうがいいということにならないだろうか.死亡したら「危険で困難な手術になるという説明を事前に受けていれば、手術は見合わせた」というなら死亡率が0%でない手術はすべて危険で困難と説明しなければいけないということになる.これでは手術で助かる95−97%の患者を手術から遠ざけることにはならないだろうか.

 私は死亡も含めすべての合併症の発生率の合計が5%以下なら十分手術を受ける価値があると思っているし,死亡率だけなら2%以下ならまあ安全と言えるのではないだろうか.そもそも死亡や寝たきりになった場合のことを考えるなら本人が死亡・高度傷害の場合の保険に加入しておくべきであろう.病院が損害賠償するにしても(手術による死亡率-治療しない場合の死亡率)×技術料くらいが採算性から言って妥当だと思うのだがどうだろうか.
『--自分に麻酔剤注射し死亡 福井大病院の女性医師--

 福井大病院(福井県松岡町)の医師当直室で、麻酔科の女性医師(29)が腕に注射針を刺した状態で死亡していたことが14日、分かった。

 福井県警や同病院によると、死亡推定時刻は5日午後11時ごろで、6日朝に出勤してきた男性医師が発見した。遺体脇には手術用麻酔剤「プロポフォール」の容器と注射器が落ちていた。同病院では、疲れなどを紛らわすために麻酔剤を使い、量を誤って死亡したとみている。

 女性医師は同僚や両親に「個人的な悩みがある」などと打ち明け、不眠に悩んでいた様子もあったという。自宅からは空になった麻酔剤の容器8本が見つかった。

 この女性医師は勤務先の神奈川県こども医療センター(横浜市南区)で今年春、向精神薬を無断で自分に注射したとして、8月に戒告処分を受けて同医療センターを辞め、9月16日付で福井大病院に採用されていた。

 福井大病院の上田孝典(うえだ・たかのり)院長は「福井医科大(現福井大)出身の医師で、反省していると思って採用した。麻酔剤の管理は適切だったと思うが残念だ」と話した。』

 このニュースを単に麻酔科医の薬物乱用事件としたり妙齢の女医だから好奇心で見た人も多いのではないだろうか.今年春の向精神薬を無断で自分に注射した件もニュースになったような気もするが麻酔科医の薬物乱用は昔からあることなのであまり気にも留めなかったのではっきりした記憶がない.

 だが,麻酔科医は鎮静剤や麻酔薬が手に入りやすく使用法も心得ているから心に問題があるとこういう落とし穴にはまってしまいニュースになりやすいと考えられはしないだろうか.いい医者でいるためにはストレスの自己コントロールは重要であると思うが,それが自分でできないような状況になったらどうすればいいのだろうか.

 今でも臨床では徒弟制度のような上下関係が医師の間に残っているところが多いと思うが,上司との関係がよければ部下が上司に相談する昔ながらのことも可能であろう.だが,最近の医師の人間関係はそうあるのは難しいと思う.大学からの派遣によるにせよ自分で就職するにせよ医師の流動性が高まった結果,昔のような家庭的な人間関係は形成しにくくなったと思われる.

 その一方で,病院の経営上の問題から医療事故そして患者や家族との関係において仕事のストレスは増える一方であるから,ストレスを溜め込んでしまうような医師は一人で悩むことになるであろう.それがまた仕事の集中力をなくすという悪循環におちいる可能性もある.これは本人のみならず患者にとっても危険なことではないだろうか.

 上司にしても責任の増大と人手不足によるストレスがあっても誰にも相談できない孤独な状態にある場合が多いであろう.特に自分のこれからのことを考えて明るい気持ちになる医師はほとんどいないのではないだろうか.

 もちろん医師がすべてそういう状態にあると言うつもりはないが,医師には病院にかかる暇もないことが多いから自分の病院にちょっと話や悩みを聞いてくれるセラピストがいてくれればどんなに救われることだろうか.私は,このような人がいてくれる病院は聞いたことがないが,医療事故や患者や家族との無用なトラブルを避けるためにもこれからは必要だと思うのだがどうだろうか.できれば病院機能評価の中にも入れてもらえれば最も望ましいのだが..
『 --子供たちのランドセルから「痛みの元」を取り除くべき 荷物を軽くするよう研究者らが提言--

Miranda Hitti
WebMD Medical News
Reviewed by Louise Chang, MD

-子供たちのランドセルを軽くする必要がある。

10名の健康な小児が様々な重量のランドセルを背負うのを観察した研究者らが、こう提言している。

最も重いものでも、多くの小児が通常背負っているものと比べてそれほど重くなかった。それでも、その重量によって肩の筋肉への血流が低下するような圧力がかかっていることが、センサーで明らかになった。

「快適性と安全性を高めるために、ランドセルの重さをできるだけ軽くすることを推奨する」と、カリフォルニア大学サンディエゴ校のBrandon Macias, PhDとAlan Hargens, PhDは論文で述べている。

報告は『Archives of Pediatrics and Adolescent Medicine』12月号に掲載されている。

-どのくらいの重さが限度か

子供たちのランドセルの重量制限を正確に定めるのは難しい。小児の体型や体格はそれぞれ異なるので、他の小児よりも重い荷物を背負うことのできる小児もいると、研究者らは述べている。

研究によると、平均的なランドセルの重さは小児の体重の22%に等しいと報告されている。したがって、体重が100ポンド(約45kg)の小児なら、ランドセルの重量は22ポンド(約10kg)ということになる。

それではおそらく重過ぎるだろうと、Macias博士らは述べている。世界中のほとんどの生徒がランドセルを背負っており、子供たちが肩や背中の痛みを訴えるのは珍しいことではないと、同博士らは述べている。

-ランドセルは重荷

研究は、ランドセルを日常的に背負っている、約13歳の男児5名と女児5名を対象に行われた。

まず、生徒たちが空のランドセルを背負った。ランドセルの肩ストラップにとりつけたセンサーによると、何も問題は起きなかった。それぞれのランドセルが肩および鎖骨の両方の同じ位置にあたるように背負わせた。

次に、子供たちが、自分の体重の10%、20%、および30%に等しい重量のランドセルを背負った。重量が増すにつれ、肩にかかる圧力も増大した。

同じく、子供たちは自分が感じた痛みを、全く痛みがない状態を0点とし、考えられる限りの最悪の痛みを10点とする10点スケールで評価した。

小児による痛みの評価スコアはランドセルの重量と共に上昇し、ピークは4点を少し下回った。

-圧力と姿勢

3種類の重量のすべてについて、肩にかかる圧力は肩の筋肉への血流を制限できるレベルに達したことを、研究は示している。

右肩には特に大きな圧力がかかっていた。それはおそらく姿勢が原因だと考えられたが、その点については検討しなかったと、研究者らは述べている。

子供たちにはランドセルを30秒間しか背負わせなかった。それ以上、重さに耐えられなかった小児もいた。小児は通常、1日に30-60分間、ランドセルを背負っていると、Macias博士らは述べている。

小児のランドセルについて今まで懸念がなかったわけではないが、センサーを用いることによって、重量の軽いランドセルを支持する客観的情報が追加されると、研究者らは述べている。
Macias, B. Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine, December 2005; vol 159: pp 1186-1187. News release, University of California, San Diego.』

 来春に新1年生になる子供たちもピカピカのランドセルを背負うのを夢見ているのだろうが,そのランドセルにも弊害があるということだ.小学1年生であれば体重18−20kgだろうからその20%で約4kg.それでもまだ重いということなのだろうか.

 給食アレルギーや花粉症の子供も増え続けているようだし,先日は喘息の子がトイレで低酸素で倒れたのに教師が見守っていなかったことが訴訟になっていた.殺人事件や児童虐待も日常的な問題になるとは思ってもみなかったが,それ以外にもいろいろな危険が子供たちを取り巻いている.

 少子化問題は今のままではおそらく解決不能だろうから,少ない子供をいかに良い環境で優秀な人間に育てるかの工夫をしなければ日本丸は老朽化し沈没するのだろう.中国や韓国そしてインドなどの教育はすさまじいらしいが,まだ学力中心のようだ.日本は学力偏重を避けようとしたまではよかったが『ゆとり』の意味を履き違えたようで,最近の若者の学力やモラルの低下には驚くべきものがある.

 ランドセルを軽くすることは教師達のちょっとした配慮で可能だろうが,子供たちが今後背負うものの重さを考えると大人としてなんとなく申し訳ない気持ちになってしまうのは私だけだろうか.
『--「夫婦げんか」は傷の治りを悪くする 米オハイオ州立大研究--

 夫婦げんかは傷の治りを悪くする、という研究結果を、米オハイオ州立大の精神医学、心理学者らが5日、発表した。心理的ストレスが人の免疫にどのように作用するかをみる研究。夫婦円満を勧めるだけでなく「手術時に患者のストレスを減らすことで術後の回復を速めることができる」とも指摘している。

 22〜77歳の42組の夫婦を対象に、2カ月の間隔を空けて1日ずつ実験した。夫婦それぞれの腕に水ぶくれをつくって表の皮をとり、この傷から採血できるようにした。

 最初の訪問時には、直したい性格について互いに前向きに語ってもらった。2度目は、見解の違う事柄について30分間言い争ってもらった。夫婦げんかの激しさの度合いをみるため、様子はビデオに収めた。

 その結果、けんかをしたときの傷の治りは、前向きな語らいの時より1日長く、激しいけんかの場合はさらに時間がかかったという。

 また、血液のサンプル調査では、前向きの時よりけんかの時の方が、免疫細胞の間で情報伝達を担うたんぱく質の発生が少なく、それだけ治癒が遅れるとの結果が出た。 』

 22〜77歳の42組の夫婦とあるが年齢層による差があったかどうか気になるところだ.また夫婦と恋人では何か違いがあるのかもわかれば面白い.長いこと付き合っていた恋人同士がゴールインしてすぐに成田離婚なんていう話があるからおそらく夫婦の方がストレスが高いような気がする.人間関係として最もストレスが高いということから夫婦を選んだのだろうか.

 ストレスが創傷治癒を遅らせるということだが,それだけでなくストレスが風邪などの感染症や癌などの腫瘍性疾患,そして脳卒中や心筋梗塞などの血管障害などいろいろな原因になっているということは今や広く知られているところである.性格傾向と病気という話では怒りっぽい人は血管障害,くよくよする人は癌になりやすいという話を聞いたこともある.

 ところで平常心という言葉を知っているだろうか.「平常心是道 (びょうじょうしんこれどう)」というのが語源で,我々が日々生きていく上において、どのような心で居ればよいのかという禅の問いに対しての答えだそうだ.本来の平常心とは冷静な心の意味では無くて,善悪とか上手下手を逸脱したどんな状況でも常に心がカラリと晴れ渡ってイキイキしていることだそうだ.

 私も仕事柄ストレスが多いほうだと思うので普段からストレスを避けたり,うまく消化する方法を考えている.そのときにこの平常心を心がけている.なんでも上手くやろうとか速く解決しようと無理をしないこととでも言ったらよいのだろうか.時間の流れに逆らわないのが結局一番楽なような気がする.よく自分で自分にプレッシャーをかけるというが,長い時間安定した仕事をするにはそういうことはやめたほうがいいと最近思っている.

 心や体にストレスをかけないように日常心がけていれば健康で楽しい毎日になるに違いない.予防医学の点で今話題のメタボリックシンドロームも実は色々な現代人のストレスによる過食が原因のような気がしてくる.こんな世の中であればこそストレスをうまくセルフコントロールできるということが重要だと思うのだがどうだろうか.
殺伐とした一週間だった
少女殺人事件が続くまさに殺伐とした一週間だった.
小学生といえばまだ子供.勉強なんかしないで毎日楽しく遊べればどんなに楽しいだろう.こんなおじさんになってもネバーランドにずっといたいと思ったりすることだってあるんだから.そういえば大人になったピーターパンの映画ありましたよね.

世の中への怒りや悲しみを乗り越えてまた一週間頑張って生きてゆきましょう.
亡くなった子供たちのご冥福を心からお祈りいたします.
『--「過去に例ない」同志社大が陳謝 京都女児殺害--

 「大学130年の歴史として過去に例がない事件。一人一人を大切にしてきた同志社として大変重く受け止めており、慚愧(ざんき)の念に堪えない」

 京都の小6女児殺害事件で、10日夕、同志社大で会見した八田英二学長は沈痛な表情で陳謝した。

 03年6月の事件後、萩野容疑者が所属する法学部教授会は「反省しており、警備員のけがも軽傷だった。再び教育の機会を与えるべきだ」と退学処分は見送り、10月1日付で1年半の停学処分とした。

 ところが停学中、大学側が萩野容疑者と接触したのは、停学が解ける直前の05年3月25日、学生主任の法学部教授2人が萩野容疑者と父親に20分間面会した一度きりだった。「反省の態度を示し、今後の勉学への意欲もあり、特に異常な様子はなかった」(佐藤鉄男法学部長)として復学を認めていた。

 佐藤部長は「個人的には今思うと、本人の心の相談をすることがあってもよかった」と語った。 』

 最高学府たる大学も今では誰でもといっていいくらい入学できるようになった.それだけ大学の価値も下がっている.さらに少子化で学生集めに躍起になっている私立大学も多い.東大が地方の優秀な学生を集めるために地方で入学試験を受けられるようにするというニュースも聞いた.今や強盗致傷でも学生を退学にしたくないということなのだろうか.

 「反省しており、警備員のけがも軽傷だった。再び教育の機会を与えるべきだ」という話を好意的にとれないでもないが,反省しているという判断がどのようになされたかに現実的な問題があるのではないだろうか.泣いて誤ったから反省していると判断したという程度だったとしたら学問ばかりやっている大学の先生方は世の中のことがわかっていないといわれても仕方がないだろう.中途半端な理解や同情など何の役にも立たないのである.悪い意味での加害者への偏重が生んだ悲劇とも言えるだろう.

 そう,現代の人間の心とか価値観というものはこれほどまでに多様化し病んでいるということにもっと早く気付くべきであっただろう.私は医師という職業のため好むと好まざるにかかわらず実に色々な人間をみてきたが,最近の患者や家族のものの考え方には驚かされることが多い.そこではもはや私の常識や良識というものは通じない.ただ自分の幸福のみを追求する姿を恥ずかしげもなく晒す人々が思いのほか多いのにはあきれるばかりである.

 その人のために良かれと思って配慮してあげたつもりが『恩を仇で返す』ような目に遭って後悔するような経験を何度かすれば人間というものがいくらかはわかるだろう.同志社大学の先生達は130年の歴史で初めてこのようなことに遭って驚きと同時に落胆を経験したに違いない.だが,臨床医であれば年に数回は信じられないような人たちを経験し,このような人間がいることは驚くにはあたらないと思う.

 外から見てわからない以上,他人を信頼するかどうするかはその人が何を言ったかでなく何をやってきたかで判断するしかないと思うのだがどうだろうか.
『--塾講師、小6女児刺殺の疑い 包丁とハンマー用意 京都--

 10日午前9時ごろ、京都府宇治市神明石塚の学習塾「京進宇治神明(しんめい)校」から「生徒を刺した」と110番通報があった。宇治署員が駆けつけると、同市開町、京都府職員の堀本恒秀さん(42)の長女で、同市立神明小学校6年、紗也乃(さやの)さん(12)が首や胸を数カ所刺されて倒れており、病院に運ばれたが間もなく死亡が確認された。府警は現場にいた同塾アルバイト講師の同志社大学生、同市寺山台3丁目、萩野裕(はぎの・ゆう)容疑者(23)が刺したことを認めたため、殺人未遂容疑で現行犯逮捕し、殺人容疑に切り替えて調べている。萩野容疑者は包丁2本とハンマーを用意していたといい、紗也乃さんに対して以前から快く思っていなかったという趣旨の供述をしていることから、府警は計画的な犯行とみている。

 調べによると、同塾はビルの2階にあり、紗也乃さんは塾の教室内で刺された。他の塾職員が異常に気付いて教室に行くと内側から施錠されており、ドアをたたくと手を血まみれにした萩野容疑者が出てきたという。府警は萩野容疑者が紗也乃さんを教室に閉じこめ、逃げまどうところを刺したとみている。

 教室内は机が散乱し、床に血が落ちていた。萩野容疑者が使った出刃包丁(刃渡り17センチ)などが教室にあり、押収した。

 各教室には防犯カメラが設置され、事務室でモニターが見られるようになっていたが、紗也乃さんが刺された教室だけモニターの配線が切断されていたといい、府警は萩野容疑者が事件の発覚を遅らせようと細工した疑いがあるとみている。

 調べに対し、萩野容疑者は「口論になって刺した」と供述しているといい、詳しい動機を調べている。萩野容疑者は自分の携帯電話で自ら110番通報したという。

 「京進」(本社・京都市下京区)によると、萩野容疑者を03年11月にアルバイト講師として採用。小学生に国語を、中学生に英語を教えていた。紗也乃さんは塾に対し萩野容疑者の授業を受けたくないと伝え、今月から国語の授業を受けていなかった。

 宇治神明校ではこの日午前9時から塾生を対象にテストを予定。児童十数人が集まっていた教室に萩野容疑者が姿を現し、「国語に関するアンケートを取りたい」と言って児童を別の教室に移動させた。国語をとっていなかったため教室に1人だけ残った紗也乃さんを刺したらしい。

 京都府警によると、萩野容疑者は01年4月に同志社大に入学。03年6月、同大図書館で女子学生のかばんから財布を盗み、見とがめた警備員を殴って負傷させたとして強盗致傷容疑で現行犯逮捕された。

 同大によると、この事件で同年10月から今年3月末まで停学にしていた。現在は法学部に在籍しているという。

 京進の立木貞昭社長は「信じられないことが起こり、たいへん申し訳ない。講師の倫理教育に取り組んできた矢先なのに。親御さんに何と言っていいかわからない」と声を落とした。 』

 こんな男を雇った塾に責任はないのだろうか.京進の立木貞昭社長は「信じられないことが起こり、たいへん申し訳ない。」といっているが,もとが強盗傷害事件を起こしている男だけに再犯の可能性はあっただろう.それを子供相手の塾講師として雇用していたことに私は驚いた.

 同志社大学を今年3月末まで停学になり現在は法学部に在籍しているというが,こんな男を法学部に未だに在籍させていた大学にもあきれる.停学中に更生したというつもりかもしれないが,更生したという根拠はどこに求めればよいのだろうか.事件を起こした時点で退学にすべきだったのではないだろうか.塾にしても大学にしても危機管理という面では見通しが甘すぎたのではないだろうか.

 傷害とか殺人というものは普通の人間にはなかなかできないものであると私は思っている.医学生時代の解剖学実習のときでさえご遺体と頭ではわかっていても最初はメスで皮膚を切開することをためらった覚えがある.外科医を長いことやっていても包丁で人を刺すなんてできそうもないことだ.こういうことが計画的に出来る人間というのはやはりそれだけで異常であると思う.

 最近の一連の事件で学校もその通学路もそして塾も安全でないことがよくわかった.可能性のあることはすべて起きるというだけのことだろうが,これからは『ひとを見たら泥棒と思え』どころか殺人犯と思えという考え方でないと自分の身を守れないということだ.なんともいやな時代になったものだが,被害者になった子供たちの世代はこれからさらにひどい時代に生きていかなければならないのかと思うとなんとも暗い気持ちになってしまう.

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