『--除細動器使用で書類送検 救命士、医師しか使えず--
秋田県警大館署は4日、医師しか使用してはいけない除細動器を使ったとして、医師法違反の疑いで同市消防署勤務の30代の男性救急救命士を書類送検した。
調べによると、救命士は3月25日、心室細動を起こした男性患者を同市の病院へ搬送した際、独断で手動式の除細動器を男性に使用した疑い。
手動式除細動器の使用は医療行為に当たり、医師以外は使用できないが、病院の当直医が別の患者の救命措置中だったため、救命士は違法行為と知っていて使用した。
その後、当直医も使い、男性は一時心拍を再開したが、間もなく死亡した。』
AED(自動体外式除細動器)機能がついていてそれを使用していれば独断で使用しても問題なかったということになっていたかも知れない.たとえ手動式であっても医師の指示のもとで適切に使用されたのであれば問題ないのだろうが,違法行為と知っていながらやったということであれば書類送検もやむをえないだろう.
最近では空港などの公共施設に自動体外式除細動器が置かれているようで職員が研修を受けているらしい.これだけで救命できるとは限らないが,準備されているだけでも救命の確率は上がるし医師がいなくてもいいわけだから大歓迎である.ついでに人工呼吸法や心臓マッサージの方法などももっと広めてもらいたいものだ.消防署などで救命救急士が市民対象の講習会をやっているはずである.スクーバダイビングの講習でもレスキューでやったことがある人もいるだろう.
もっともこういうニュースを見ると救命がうまくいかなかった時になにか責任を問われるのではないかと感じて腰が引けてしまう人もいるだろう.実際それは大部分の医師もおそらくそう思っているはずである.飛行機や船で旅行中に「どなたかお医者様はいらっしゃいませんか.」なんていう放送が聞こえると脈が速くなってしまうのは私だけではないだろう.
市立病院で行われている救命救急士の研修での出来事だったのであろうが,病院側の研修体制にも問題はなかったのであろうか.救命救急士の医療行為についてはもっと規制を緩和すべきだと思う.法的な問題を含めこんなことで救命救急士のやる気をそがないように是非配慮してもらいたいと思う.
秋田県警大館署は4日、医師しか使用してはいけない除細動器を使ったとして、医師法違反の疑いで同市消防署勤務の30代の男性救急救命士を書類送検した。
調べによると、救命士は3月25日、心室細動を起こした男性患者を同市の病院へ搬送した際、独断で手動式の除細動器を男性に使用した疑い。
手動式除細動器の使用は医療行為に当たり、医師以外は使用できないが、病院の当直医が別の患者の救命措置中だったため、救命士は違法行為と知っていて使用した。
その後、当直医も使い、男性は一時心拍を再開したが、間もなく死亡した。』
AED(自動体外式除細動器)機能がついていてそれを使用していれば独断で使用しても問題なかったということになっていたかも知れない.たとえ手動式であっても医師の指示のもとで適切に使用されたのであれば問題ないのだろうが,違法行為と知っていながらやったということであれば書類送検もやむをえないだろう.
最近では空港などの公共施設に自動体外式除細動器が置かれているようで職員が研修を受けているらしい.これだけで救命できるとは限らないが,準備されているだけでも救命の確率は上がるし医師がいなくてもいいわけだから大歓迎である.ついでに人工呼吸法や心臓マッサージの方法などももっと広めてもらいたいものだ.消防署などで救命救急士が市民対象の講習会をやっているはずである.スクーバダイビングの講習でもレスキューでやったことがある人もいるだろう.
もっともこういうニュースを見ると救命がうまくいかなかった時になにか責任を問われるのではないかと感じて腰が引けてしまう人もいるだろう.実際それは大部分の医師もおそらくそう思っているはずである.飛行機や船で旅行中に「どなたかお医者様はいらっしゃいませんか.」なんていう放送が聞こえると脈が速くなってしまうのは私だけではないだろう.
市立病院で行われている救命救急士の研修での出来事だったのであろうが,病院側の研修体制にも問題はなかったのであろうか.救命救急士の医療行為についてはもっと規制を緩和すべきだと思う.法的な問題を含めこんなことで救命救急士のやる気をそがないように是非配慮してもらいたいと思う.
『 --自衛隊医官をへき地に派遣 臨床経験積ませる狙いも--
へき地の医師不足対策を話し合う厚生労働省の検討会は1日、自衛隊の医官を一般病院に派遣するという提案を盛り込んだ報告書をまとめた。
医官が診療するのは基本的に自衛官だけで「自衛官は元気なため、症例が足りない」(防衛庁の担当者)のが実情。臨床経験不足が指摘される医官の診療技術を向上させたい防衛庁も提案に前向きで、早ければ来年度にも実施される見通し。
地方の病院では、救急医療のような過重労働を伴う医療分野で医師が減少したり、大学病院が派遣していた医師を引き揚げたりして、医師不足が深刻化している。
報告書などによると、医官の派遣先は、専門的な研修を受けられる地域の中核病院などが対象で、病院の地域医療支援などを通じ、へき地の医師不足解消に貢献できるという。具体的な派遣方法は今後検討する。
防衛庁によると、自衛隊の医官は906人(昨年11月末現在)で、全国16の自衛隊病院、防衛医大病院、各部隊に勤務。一部は一般人も診療しているが、臨床経験が少ないことを理由に早期退職する医官が増加し、2001年度ごろから退官者が任官者を上回る傾向が続いている。』
命令されれば戦地にも赴く医官であれば地方の中核病院にも赴任させることは可能だろう.だが,906人中何人を回せるのであろうか.自衛隊の医官で卒後数年の医師であれば経験症例数を増やすため喜んで働く可能性もあるからいいのかも知れない.だが,一方で収入のためにアルバイトをしている医官がいるのも現実である.
実際にやってみればわかることであるが,同じ医師免許でありながら症例数も収入も少ないことに我慢をしていた医官が一般病院での勤務に慣れてしまえばよほど自衛隊の階級制度が好きなものでもなければ自衛隊には残らないだろう.「臨床経験が少ないことを理由に早期退職する医官が増加し、2001年度ごろから退官者が任官者を上回る傾向が続いている。」とあるが,それだけが理由とは思えないのは私だけだろうか.
へき地の医師不足対策を話し合う厚生労働省の検討会は1日、自衛隊の医官を一般病院に派遣するという提案を盛り込んだ報告書をまとめた。
医官が診療するのは基本的に自衛官だけで「自衛官は元気なため、症例が足りない」(防衛庁の担当者)のが実情。臨床経験不足が指摘される医官の診療技術を向上させたい防衛庁も提案に前向きで、早ければ来年度にも実施される見通し。
地方の病院では、救急医療のような過重労働を伴う医療分野で医師が減少したり、大学病院が派遣していた医師を引き揚げたりして、医師不足が深刻化している。
報告書などによると、医官の派遣先は、専門的な研修を受けられる地域の中核病院などが対象で、病院の地域医療支援などを通じ、へき地の医師不足解消に貢献できるという。具体的な派遣方法は今後検討する。
防衛庁によると、自衛隊の医官は906人(昨年11月末現在)で、全国16の自衛隊病院、防衛医大病院、各部隊に勤務。一部は一般人も診療しているが、臨床経験が少ないことを理由に早期退職する医官が増加し、2001年度ごろから退官者が任官者を上回る傾向が続いている。』
命令されれば戦地にも赴く医官であれば地方の中核病院にも赴任させることは可能だろう.だが,906人中何人を回せるのであろうか.自衛隊の医官で卒後数年の医師であれば経験症例数を増やすため喜んで働く可能性もあるからいいのかも知れない.だが,一方で収入のためにアルバイトをしている医官がいるのも現実である.
実際にやってみればわかることであるが,同じ医師免許でありながら症例数も収入も少ないことに我慢をしていた医官が一般病院での勤務に慣れてしまえばよほど自衛隊の階級制度が好きなものでもなければ自衛隊には残らないだろう.「臨床経験が少ないことを理由に早期退職する医官が増加し、2001年度ごろから退官者が任官者を上回る傾向が続いている。」とあるが,それだけが理由とは思えないのは私だけだろうか.
『--終末期の医療も自宅で 厚労省が中間まとめ--
厚生労働省は29日、社会保障審議会医療部会を開き、患者が終末期を含めて住み慣れた自宅や地域で治療を受けることを可能にする在宅医療の推進など、新たな医療提供体制に関する中間まとめ案を提示した。年内に部会の意見として集約。医療制度改革の一環として、来年の通常国会に関連法案を提出する見通し。
中間まとめ案では在宅医療について、介護保険制度と役割分担しながら「患者・家族が希望する場合の選択肢となり得る体制を、地域において整備することが重要」と指摘。主治医に加え訪問看護によるサービスの充実、薬局・薬剤師の積極的な関与など、医療関係者の協力体制を整備すべきだとした。
さらに終末期の検討課題として、(1)かかりつけの医師と容体が急変した際の受け入れ病院の確保(2)主治医以外がみとった場合の死亡診断書の扱いや自宅での麻薬の取り扱い?などを挙げた。
同省は今回の制度改革で、都道府県が策定する医療計画の内容を見直し、地域の医療機関の役割分担・連携を強化する。入院から在宅療養まで「切れ目のない医療の流れを作り、患者が早く自宅に戻れるようにする」方針で、在宅医療は新たな医療提供体制の中で重要な役割を担う。
患者の生活の質(QOL)を高め、同時に不必要な入院日数を減らすことにより医療費の適正化も狙う。』
いい話のように聞こえるのだが,在宅医療はすでに病院にとっては不採算部門になっている.診療報酬改定で在宅診療自体の単価が引き下げられたこともあるが,ただでさえ足りない医師を在宅に回すよりは病院で外来でもやったほうが効率がいいということもあるだろう.
在宅医療専門医なんていうのを作ったらいいのではないだろうか.ついでに僻地診療専門医なんていうのもいいかも知れない.もちろん在宅診療や僻地診療に限定した医師免許という意味である.そんな医師を希望する人には是非なってもらいたいものだ.
自分自身でも在宅診療に関わっていたこともあるし,神経難病の患者さんを自宅で療養できるようにしてみたこともあるが,はっきり言って開業内科医の在宅診療に嫌気がさしたので患者さんの家族に最近は在宅診療を勧める気がしないのである.
終末期に限っていうと家族の方の簡単なお世話だけで在宅療養ができる患者さんがそれほど多くないということもある.仮に可能そうであっても実際には常時付き添いが必要で労力もそれなりに必要なので共働きの家庭にはほとんど無理な話であることが多い.
保育の問題もそうであるが,何かあると妻が仕事を辞めて家庭の面倒を引き受けなければならないというのでは誰も患者を退院させようなどとは思わない.制度をつくるのは勝手だが社会的なインフラを整備してからでないと絵にかいた餅が増えるだけである.そもそも家で面倒みきれない患者(老人?)が病院に集まるようになったのもそこが始まりだったのではないだろうか.まさに社会的対応の不備による入院と言う意味での社会的入院である.
厚生労働省は29日、社会保障審議会医療部会を開き、患者が終末期を含めて住み慣れた自宅や地域で治療を受けることを可能にする在宅医療の推進など、新たな医療提供体制に関する中間まとめ案を提示した。年内に部会の意見として集約。医療制度改革の一環として、来年の通常国会に関連法案を提出する見通し。
中間まとめ案では在宅医療について、介護保険制度と役割分担しながら「患者・家族が希望する場合の選択肢となり得る体制を、地域において整備することが重要」と指摘。主治医に加え訪問看護によるサービスの充実、薬局・薬剤師の積極的な関与など、医療関係者の協力体制を整備すべきだとした。
さらに終末期の検討課題として、(1)かかりつけの医師と容体が急変した際の受け入れ病院の確保(2)主治医以外がみとった場合の死亡診断書の扱いや自宅での麻薬の取り扱い?などを挙げた。
同省は今回の制度改革で、都道府県が策定する医療計画の内容を見直し、地域の医療機関の役割分担・連携を強化する。入院から在宅療養まで「切れ目のない医療の流れを作り、患者が早く自宅に戻れるようにする」方針で、在宅医療は新たな医療提供体制の中で重要な役割を担う。
患者の生活の質(QOL)を高め、同時に不必要な入院日数を減らすことにより医療費の適正化も狙う。』
いい話のように聞こえるのだが,在宅医療はすでに病院にとっては不採算部門になっている.診療報酬改定で在宅診療自体の単価が引き下げられたこともあるが,ただでさえ足りない医師を在宅に回すよりは病院で外来でもやったほうが効率がいいということもあるだろう.
在宅医療専門医なんていうのを作ったらいいのではないだろうか.ついでに僻地診療専門医なんていうのもいいかも知れない.もちろん在宅診療や僻地診療に限定した医師免許という意味である.そんな医師を希望する人には是非なってもらいたいものだ.
自分自身でも在宅診療に関わっていたこともあるし,神経難病の患者さんを自宅で療養できるようにしてみたこともあるが,はっきり言って開業内科医の在宅診療に嫌気がさしたので患者さんの家族に最近は在宅診療を勧める気がしないのである.
終末期に限っていうと家族の方の簡単なお世話だけで在宅療養ができる患者さんがそれほど多くないということもある.仮に可能そうであっても実際には常時付き添いが必要で労力もそれなりに必要なので共働きの家庭にはほとんど無理な話であることが多い.
保育の問題もそうであるが,何かあると妻が仕事を辞めて家庭の面倒を引き受けなければならないというのでは誰も患者を退院させようなどとは思わない.制度をつくるのは勝手だが社会的なインフラを整備してからでないと絵にかいた餅が増えるだけである.そもそも家で面倒みきれない患者(老人?)が病院に集まるようになったのもそこが始まりだったのではないだろうか.まさに社会的対応の不備による入院と言う意味での社会的入院である.
『 --医師定員の一律規制緩和へ へき地で知事裁量認める 48年の法施行以来初 厚労省、地域事情を考慮--
厚生労働省は25日までに、医療機関の患者数に応じて必要な医師や看護師などの人数を示す全国一律の「配置標準」を一部緩和し、人員確保が難しいへき地などでは都道府県知事が地域の実情に合わせて決めることができるよう制度を見直す方針を固めた。
全国一律の原則を変えるのは1948年の医療法施行以来初めて。来年の医療制度改革の一環として、29日の社会保障審議会医療部会に示す中間まとめ案に方向性を盛り込む。
一律の規制は、大学病院の医師らが実際に勤務していない病院から報酬を受ける「名義貸し」の背景とされている。
厚労省によると、国は引き続き目安として配置標準を示すが、都道府県が策定する医療計画の中で、必要な医療提供体制が整備されている地域は知事の裁量で緩和を認めることを検討する。
緩和条件として、病院間の支援体制充実やテレビ電話を使う遠隔医療導入などが考えられる。医療機関には人員配置数の情報公開を促し、患者が十分な情報から施設を選択できる体制が整えば、将来的に配置標準の廃止も検討するという。
現行制度では、医師や看護師の配置数が標準を大幅に下回る医療機関は診療報酬の支払いが減額されたりする。
規制を免れるため北海道や東北では大学病院の医師の「名義貸し」が問題化。医療部会でも「必要な医師数は地域で違うのに一律規制は難しい」との意見があった。
厚労省の集計では、2003年度に立ち入り検査した全国の病院のうち、医師配置が標準に満たない病院は約5分の1。04年度に始まった医師臨床研修制度の影響で、大学病院が医師を派遣先の病院から引き揚げるケースも相次ぎ、医師不足は深刻化している。』
名義貸しが北海道から発覚したせいか道内の病院に対する監査は非常に厳しく全国と比べて北海道は特に処分が多かったような印象がある.さらに問題と思われるのは北海道医師会と社会保険庁が情報交換をして医師会にとって都合の悪い病院をこの機に乗じて処分したと思われることである.単なる噂というのは簡単だが,あとで問題になることがないように監督官庁である厚生労働省には道内の病院に対する監査と処分が公平かつ適正に行われたかどうかを再確認してもらいたいものだ.
以前に道知事が要望していた医師定数に関する知事の権限を認められたという点では評価できると思う.ただ,これで僻地の病院の医師の定数は減少することはあっても増加することはないであろう.そうなると医師の労働量という点からはあまり歓迎すべき事態ではない.過労死するほど忙しいというのを私はまだ経験したことはないが,拘束時間が多いことは医師になった時からであるし2日間くらい家に帰れないことはざらにある.こんな状況が続くのも医師が足りないからなのであるが,問題はただ医師数が少ないからだけではない.
医師の世界も年功序列である.中には大学教授や大病院の院長でありながら月に数回は当直もするなどという人格者もいるが99%そんなことはない.ところが,地方の小さな病院では院長が週に1回当直してもまったく当直要員が足りなくて困っているところが多いのが実情だ.労働基準法では医師の週当りの労働時間は44時間でそれによると当直業務は週1回のはずであるがそんなことが守られている病院はおそらくほとんどないのではないだろうか.
知事が地域の実情に合わせて決めることができるよう制度を見直した結果,さらに僻地の医師数が減れば当直や急患の対応などで個々の医師の負担はさらに増加することを私は危惧している.その結果として医療事故などもきっと増加するだろう.これでは意味がないだろう.そこで私は厚生労働省が医師の定数を管理するのではなく医師の勤務実態をよく把握して医師の過労を防ぐことで適正な医師の配置数を確保するように求めたい.
勤務医というのは病院経営者からみれば単なる労働者にすぎないのである.最近は医療事故を起したら医師個人がその責任を自分で負うという念書みたいなものを書かせる病院まであるようだ.不当に長い勤務による過労から判断力が低下して事故を起した揚げ句に責任をとらされたり,責任感で働き続けて過労死するというのではあんまりではないだろうか.こう考えると医師という職業は今やハイリスクな職業になったと言えるだろう.
今回の規制緩和で医療行政に関する権限が増大した知事にはこの際よりよい医療サービスを提供するのには医師の必要数をどう決定するのかよく考えていただきたいものだ.
厚生労働省は25日までに、医療機関の患者数に応じて必要な医師や看護師などの人数を示す全国一律の「配置標準」を一部緩和し、人員確保が難しいへき地などでは都道府県知事が地域の実情に合わせて決めることができるよう制度を見直す方針を固めた。
全国一律の原則を変えるのは1948年の医療法施行以来初めて。来年の医療制度改革の一環として、29日の社会保障審議会医療部会に示す中間まとめ案に方向性を盛り込む。
一律の規制は、大学病院の医師らが実際に勤務していない病院から報酬を受ける「名義貸し」の背景とされている。
厚労省によると、国は引き続き目安として配置標準を示すが、都道府県が策定する医療計画の中で、必要な医療提供体制が整備されている地域は知事の裁量で緩和を認めることを検討する。
緩和条件として、病院間の支援体制充実やテレビ電話を使う遠隔医療導入などが考えられる。医療機関には人員配置数の情報公開を促し、患者が十分な情報から施設を選択できる体制が整えば、将来的に配置標準の廃止も検討するという。
現行制度では、医師や看護師の配置数が標準を大幅に下回る医療機関は診療報酬の支払いが減額されたりする。
規制を免れるため北海道や東北では大学病院の医師の「名義貸し」が問題化。医療部会でも「必要な医師数は地域で違うのに一律規制は難しい」との意見があった。
厚労省の集計では、2003年度に立ち入り検査した全国の病院のうち、医師配置が標準に満たない病院は約5分の1。04年度に始まった医師臨床研修制度の影響で、大学病院が医師を派遣先の病院から引き揚げるケースも相次ぎ、医師不足は深刻化している。』
名義貸しが北海道から発覚したせいか道内の病院に対する監査は非常に厳しく全国と比べて北海道は特に処分が多かったような印象がある.さらに問題と思われるのは北海道医師会と社会保険庁が情報交換をして医師会にとって都合の悪い病院をこの機に乗じて処分したと思われることである.単なる噂というのは簡単だが,あとで問題になることがないように監督官庁である厚生労働省には道内の病院に対する監査と処分が公平かつ適正に行われたかどうかを再確認してもらいたいものだ.
以前に道知事が要望していた医師定数に関する知事の権限を認められたという点では評価できると思う.ただ,これで僻地の病院の医師の定数は減少することはあっても増加することはないであろう.そうなると医師の労働量という点からはあまり歓迎すべき事態ではない.過労死するほど忙しいというのを私はまだ経験したことはないが,拘束時間が多いことは医師になった時からであるし2日間くらい家に帰れないことはざらにある.こんな状況が続くのも医師が足りないからなのであるが,問題はただ医師数が少ないからだけではない.
医師の世界も年功序列である.中には大学教授や大病院の院長でありながら月に数回は当直もするなどという人格者もいるが99%そんなことはない.ところが,地方の小さな病院では院長が週に1回当直してもまったく当直要員が足りなくて困っているところが多いのが実情だ.労働基準法では医師の週当りの労働時間は44時間でそれによると当直業務は週1回のはずであるがそんなことが守られている病院はおそらくほとんどないのではないだろうか.
知事が地域の実情に合わせて決めることができるよう制度を見直した結果,さらに僻地の医師数が減れば当直や急患の対応などで個々の医師の負担はさらに増加することを私は危惧している.その結果として医療事故などもきっと増加するだろう.これでは意味がないだろう.そこで私は厚生労働省が医師の定数を管理するのではなく医師の勤務実態をよく把握して医師の過労を防ぐことで適正な医師の配置数を確保するように求めたい.
勤務医というのは病院経営者からみれば単なる労働者にすぎないのである.最近は医療事故を起したら医師個人がその責任を自分で負うという念書みたいなものを書かせる病院まであるようだ.不当に長い勤務による過労から判断力が低下して事故を起した揚げ句に責任をとらされたり,責任感で働き続けて過労死するというのではあんまりではないだろうか.こう考えると医師という職業は今やハイリスクな職業になったと言えるだろう.
今回の規制緩和で医療行政に関する権限が増大した知事にはこの際よりよい医療サービスを提供するのには医師の必要数をどう決定するのかよく考えていただきたいものだ.
やったほうがましとは限らない
2005年6月24日 医療の問題『--痴呆症薬服用後1人死亡 エーザイの「アリセプト」--
アルツハイマー型痴呆症の薬としては国内で唯一承認されているアリセプト(成分名塩酸ドネペジル)を服用後、8人が筋肉痛や急性腎不全が出る横紋筋融解症を起こし、うち1人が死亡したことが、厚生労働省のまとめで分かった。
厚労省は、同症が出たときは投与を中止し適切な処置を取ることを添付文書に追記するよう、製造・販売元のエーザイに通知。23日発行の「医薬品・医療機器等安全性情報」で注意を呼び掛けた。
死亡したのは70代男性。昨年、アリセプト服薬開始後に歩行困難になるなどして投与を中止したが、腎不全を起こし、中止の約50日後に多臓器不全で死亡した。
他の6人は回復、1人は経過観察中という。
アリセプトは1999年11月から発売され、2004年度の推定使用患者は約30万人。』
ほとんど効果があるような気がしないのに血管性痴呆と思われる患者さんにまで投与されているのが気になっていたアリセプトであるが,こういう副作用が報告されると投与も少しは適正になるのだろうか.
そのむかし先輩の医師たちがまだ駆け出しの私に言った言葉でその後ずっと引っかかっていることがある.それは「やらないよりはやった方がましだろう.」というのと「やっても悪いことはないのだから」という2つの言葉だ.だが医療の現場では良かれと思ってやっても効果がないどころか副作用で死亡することは誰しも経験しているはずである.
ところが痴呆症(認知症という言葉は科学的に適切とは思えないので敢えて使わないが..)の治療となると決め手がないのでとりあえずアリセプトを投与してみるなどという安易な使われ方がされているのではないだろうか.
今まではあまり大きな副作用が報告されていなかったので投与しても悪いことがないなら投与したほうがいいような気がしていたのかも知れないが,今後は投与しても効果がないどころか有害なこともあるという認識で処方するかしないかを決定する必要があるのだろう.
MRIでアルツハイマー病が診断できるようになれば適応はいまよりも狭くなりより適正な使用が期待されるのであろう.だが,本当のところ私があまりこの薬を使いたくないのは値段の割りに効果が低い(無い?)と言うのが一番の理由である.
アルツハイマー型痴呆症の薬としては国内で唯一承認されているアリセプト(成分名塩酸ドネペジル)を服用後、8人が筋肉痛や急性腎不全が出る横紋筋融解症を起こし、うち1人が死亡したことが、厚生労働省のまとめで分かった。
厚労省は、同症が出たときは投与を中止し適切な処置を取ることを添付文書に追記するよう、製造・販売元のエーザイに通知。23日発行の「医薬品・医療機器等安全性情報」で注意を呼び掛けた。
死亡したのは70代男性。昨年、アリセプト服薬開始後に歩行困難になるなどして投与を中止したが、腎不全を起こし、中止の約50日後に多臓器不全で死亡した。
他の6人は回復、1人は経過観察中という。
アリセプトは1999年11月から発売され、2004年度の推定使用患者は約30万人。』
ほとんど効果があるような気がしないのに血管性痴呆と思われる患者さんにまで投与されているのが気になっていたアリセプトであるが,こういう副作用が報告されると投与も少しは適正になるのだろうか.
そのむかし先輩の医師たちがまだ駆け出しの私に言った言葉でその後ずっと引っかかっていることがある.それは「やらないよりはやった方がましだろう.」というのと「やっても悪いことはないのだから」という2つの言葉だ.だが医療の現場では良かれと思ってやっても効果がないどころか副作用で死亡することは誰しも経験しているはずである.
ところが痴呆症(認知症という言葉は科学的に適切とは思えないので敢えて使わないが..)の治療となると決め手がないのでとりあえずアリセプトを投与してみるなどという安易な使われ方がされているのではないだろうか.
今まではあまり大きな副作用が報告されていなかったので投与しても悪いことがないなら投与したほうがいいような気がしていたのかも知れないが,今後は投与しても効果がないどころか有害なこともあるという認識で処方するかしないかを決定する必要があるのだろう.
MRIでアルツハイマー病が診断できるようになれば適応はいまよりも狭くなりより適正な使用が期待されるのであろう.だが,本当のところ私があまりこの薬を使いたくないのは値段の割りに効果が低い(無い?)と言うのが一番の理由である.
『--脳は暴力ゲームを現実として認識--
独大学での実験によれば、暴力ゲームの戦闘中、脳は現実世界でと同じような反応を示し、感情部分が閉ざされるという。暴力的なテレビゲームをプレイしている人の脳は、その暴力が本物であるかのように反応することが、研究で示された。
独アーヘン大学のクラウス・マシアック氏は、1日平均2時間テレビゲームをしている18歳から26歳の男性13人の脳のパターンについて調べた。被験者はスキャナに接続された状態で、窮地をくぐり抜けて攻撃者を殺し、人質を救出するゲームをプレイした。暴力が差し迫ってくると脳の認識部分が活性化し、戦闘中は脳の感情部分が閉ざされることが、マシアック氏の研究で分かった。このパターンは、ほかの形で暴力シミュレーション中の脳をスキャンした場合に見られるものと同じだった。
これは、テレビゲームが「このパターンに反応するよう脳を訓練している」ことを示すものだとマシアック氏。この研究はカナダの会合で発表され、New Scientist誌に掲載された。
ただ、暴力的なビデオが人を攻撃的にするかどうかを証明するのは難しいと同誌は指摘。実際、暴力ゲームをプレイする人の方が攻撃的であることは研究で示されているが、ゲームのせいでそうなったのかどうかという疑問は解けていない。』
ネットワークゲームで自分のキャラを殺された人が相手の人間を本当に殺してしまったというニュースを最近どこかで読んだ.そういうのはオタクなゲーマー(共にすでに死語?)の仕業と思い込んで読み流してしまったが,冒頭のような研究結果があるとなるとネットワークの世界に没頭している人たちには注意が必要だろう.
特に最近では中国でのネットワークゲームの開発がすごい勢いで進んでいるらしい.中国人というとニュースで最近過激な行動が目立つような気がするのだが,中国のネットワークゲーム人口は韓国の総人口の半分に匹敵するというから,その多数が暴力ゲームをやってるなんていうのを想像すると薄気味悪くなる.
中国に限らず日本も最近では子供が親を計画的に殺したりするようで,これももしかしてテレビゲームの影響だったりと考えたたりすると殺人や戦闘シミュレーション型のゲームは成人指定あるいは販売禁止なんていうことになるかもしれない.
かく言う私もファミコン以前からテレビゲームをやっていたし,シューティング型のものも好きだった.最近はパソコンで眼が疲れてしまいゲームはほとんどやっていなかった.ところが,つい先日PSPを手に入れてIntelligent LicenceというPQ測定ゲームをやってみたらなかなか面白くてマイブーム(これも死語?)になっている.
独大学での実験によれば、暴力ゲームの戦闘中、脳は現実世界でと同じような反応を示し、感情部分が閉ざされるという。暴力的なテレビゲームをプレイしている人の脳は、その暴力が本物であるかのように反応することが、研究で示された。
独アーヘン大学のクラウス・マシアック氏は、1日平均2時間テレビゲームをしている18歳から26歳の男性13人の脳のパターンについて調べた。被験者はスキャナに接続された状態で、窮地をくぐり抜けて攻撃者を殺し、人質を救出するゲームをプレイした。暴力が差し迫ってくると脳の認識部分が活性化し、戦闘中は脳の感情部分が閉ざされることが、マシアック氏の研究で分かった。このパターンは、ほかの形で暴力シミュレーション中の脳をスキャンした場合に見られるものと同じだった。
これは、テレビゲームが「このパターンに反応するよう脳を訓練している」ことを示すものだとマシアック氏。この研究はカナダの会合で発表され、New Scientist誌に掲載された。
ただ、暴力的なビデオが人を攻撃的にするかどうかを証明するのは難しいと同誌は指摘。実際、暴力ゲームをプレイする人の方が攻撃的であることは研究で示されているが、ゲームのせいでそうなったのかどうかという疑問は解けていない。』
ネットワークゲームで自分のキャラを殺された人が相手の人間を本当に殺してしまったというニュースを最近どこかで読んだ.そういうのはオタクなゲーマー(共にすでに死語?)の仕業と思い込んで読み流してしまったが,冒頭のような研究結果があるとなるとネットワークの世界に没頭している人たちには注意が必要だろう.
特に最近では中国でのネットワークゲームの開発がすごい勢いで進んでいるらしい.中国人というとニュースで最近過激な行動が目立つような気がするのだが,中国のネットワークゲーム人口は韓国の総人口の半分に匹敵するというから,その多数が暴力ゲームをやってるなんていうのを想像すると薄気味悪くなる.
中国に限らず日本も最近では子供が親を計画的に殺したりするようで,これももしかしてテレビゲームの影響だったりと考えたたりすると殺人や戦闘シミュレーション型のゲームは成人指定あるいは販売禁止なんていうことになるかもしれない.
かく言う私もファミコン以前からテレビゲームをやっていたし,シューティング型のものも好きだった.最近はパソコンで眼が疲れてしまいゲームはほとんどやっていなかった.ところが,つい先日PSPを手に入れてIntelligent LicenceというPQ測定ゲームをやってみたらなかなか面白くてマイブーム(これも死語?)になっている.
月がとってもきれい?
2005年6月21日 私の写真集『--「君が代」不起立で停職の中学教諭、正門前で連日の抗議--
今春の入学式で「君が代」斉唱時に起立しなかったとして、5月末に停職1カ月の処分を受けた東京都立川市の中学教諭が連日、朝から夕方まで学校の正門前で、処分の不当性を訴えている。約120人の研究者も21日、「処分は憲法などに違反する」とする抗議声明を発表した。
抗議しているのは、立川市立立川二中の家庭科教諭、根津公子さん(54)。都教委が教職員に君が代斉唱時の起立を義務づけた03年秋以降、停職処分を受けた初めてのケース。根津さんを含めて公立学校教職員10人が懲戒処分を受けた。
根津さんはこれまで、校長による国旗・国歌の指導を「マインドコントロール」で判断力を失ったオウム真理教信徒になぞらえたプリント教材を使って授業したとして、八王子市教委から訓告処分を受け、同市を相手に損害賠償を求める裁判を起こすなどしている。
今回の停職処分後、根津さんは5月31日からほぼ毎日、「私が起立しなかったことで迷惑を受けた人はいますか?」「私はまちがっていると思うことには、命令でもしたがえないのです」と書いたプラカードを置いて、朝の通学時から夕方の下校時まで正門前で座り込みを続けている。
こうした根津さんの行動への反応も様々だ。「子どもがおびえている」という親からの批判的な反応がある一方、下校時には次々に生徒が駆け寄り、「先生、頑張って」「うちのおやじも応援しているよ」と励ます姿があった。
根津さんは話しかけてきた生徒たちに「時代によって常識は変わる。あと何十年かしたら、この処分もおかしいということになっているかもしれないわよ」と話す。
根津さんらの処分に対し、堀尾輝久・東大名誉教授(教育学)や西原博史・早稲田大教授(憲法学)ら研究者122人が抗議声明を発表。「個々の職員に起立・斉唱するよう職務命令を発し、その違反を理由に処分することは憲法と教育基本法に違反する」とする声明を発表。22日にも都教委を訪ね、手渡すという。』
思想と言論の自由を教える場で憲法に反するようなことが平然と行われている.この調子で行くとそのうち朝礼で天皇陛下万歳を唱えない教員は処分されるのかもしれない.だが,私は校長による国旗・国歌の指導を「マインドコントロール」で判断力を失ったオウム真理教信徒になぞらえたプリント教材を使って授業することの是非を問う気はない.
私が言いたいのは君が代を国歌として認めたくないという意志を教師が態度で表明する自由は認めるべきだし,それを見て生徒が考えることも教育だということである.国会で決めようが校長が命令しようが思想や信教はそれこそオウム真理教のように社会に害を及ぼすのでなければ自由を保障するべきであろう.いくら職務命令であっても直接に業務を妨害するのでなければ必ずしも実行する必要はないだろう.
ついでに言わせてもらえば中学校や高校の制服なんかもいいかげんやめるべきだろう.日本人のファッションセンスや色彩感覚がいつまでも育たないのどうも黒や紺の制服のせいのような気がしているのは私だけではないだろう.みんなと同じ服を着て同じ歌を歌うなんていうのは気持ちが悪いと思えるようでないと本当の民主主義の感覚は育たないだろう.
こんなところからみんなでやれば怖くないというような官僚や警察官などの公務員による不正や建設業者の談合なんていうのも生まれてくるような気がする.本当の自由とは他人と安易に迎合しないところから生まれてくるのではないだろうか.
今春の入学式で「君が代」斉唱時に起立しなかったとして、5月末に停職1カ月の処分を受けた東京都立川市の中学教諭が連日、朝から夕方まで学校の正門前で、処分の不当性を訴えている。約120人の研究者も21日、「処分は憲法などに違反する」とする抗議声明を発表した。
抗議しているのは、立川市立立川二中の家庭科教諭、根津公子さん(54)。都教委が教職員に君が代斉唱時の起立を義務づけた03年秋以降、停職処分を受けた初めてのケース。根津さんを含めて公立学校教職員10人が懲戒処分を受けた。
根津さんはこれまで、校長による国旗・国歌の指導を「マインドコントロール」で判断力を失ったオウム真理教信徒になぞらえたプリント教材を使って授業したとして、八王子市教委から訓告処分を受け、同市を相手に損害賠償を求める裁判を起こすなどしている。
今回の停職処分後、根津さんは5月31日からほぼ毎日、「私が起立しなかったことで迷惑を受けた人はいますか?」「私はまちがっていると思うことには、命令でもしたがえないのです」と書いたプラカードを置いて、朝の通学時から夕方の下校時まで正門前で座り込みを続けている。
こうした根津さんの行動への反応も様々だ。「子どもがおびえている」という親からの批判的な反応がある一方、下校時には次々に生徒が駆け寄り、「先生、頑張って」「うちのおやじも応援しているよ」と励ます姿があった。
根津さんは話しかけてきた生徒たちに「時代によって常識は変わる。あと何十年かしたら、この処分もおかしいということになっているかもしれないわよ」と話す。
根津さんらの処分に対し、堀尾輝久・東大名誉教授(教育学)や西原博史・早稲田大教授(憲法学)ら研究者122人が抗議声明を発表。「個々の職員に起立・斉唱するよう職務命令を発し、その違反を理由に処分することは憲法と教育基本法に違反する」とする声明を発表。22日にも都教委を訪ね、手渡すという。』
思想と言論の自由を教える場で憲法に反するようなことが平然と行われている.この調子で行くとそのうち朝礼で天皇陛下万歳を唱えない教員は処分されるのかもしれない.だが,私は校長による国旗・国歌の指導を「マインドコントロール」で判断力を失ったオウム真理教信徒になぞらえたプリント教材を使って授業することの是非を問う気はない.
私が言いたいのは君が代を国歌として認めたくないという意志を教師が態度で表明する自由は認めるべきだし,それを見て生徒が考えることも教育だということである.国会で決めようが校長が命令しようが思想や信教はそれこそオウム真理教のように社会に害を及ぼすのでなければ自由を保障するべきであろう.いくら職務命令であっても直接に業務を妨害するのでなければ必ずしも実行する必要はないだろう.
ついでに言わせてもらえば中学校や高校の制服なんかもいいかげんやめるべきだろう.日本人のファッションセンスや色彩感覚がいつまでも育たないのどうも黒や紺の制服のせいのような気がしているのは私だけではないだろう.みんなと同じ服を着て同じ歌を歌うなんていうのは気持ちが悪いと思えるようでないと本当の民主主義の感覚は育たないだろう.
こんなところからみんなでやれば怖くないというような官僚や警察官などの公務員による不正や建設業者の談合なんていうのも生まれてくるような気がする.本当の自由とは他人と安易に迎合しないところから生まれてくるのではないだろうか.
『--臨床研修制度の見直し要望 医学部長病院長会議--
2004年度から始まった医師の臨床研修制度の影響で、大学での人材不足やへき地の医師不足が起きているとして、全国の大学でつくる「全国医学部長病院長会議」(吉村博邦(よしむら・ひろくに)会長)は17日、厚生労働省や文部科学省に対し、研修制度の見直しなどを要望した。
また、全国自治体病院協議会も同日、厚労省などに医師不足や偏在の解消を要望した。同会議によると、臨床研修医の大学病院への在籍率は、03年度の72・6%から05年度の49・2%と大幅に低下した。研修できる医療機関の基準が大幅に緩和され、特に大都市の病院に研修医が集中。地方の大学病院離れが深刻化した結果、大学病院から中堅クラスの医師をへき地へ派遣できなくなった。
同会議は(1)研修医を適切に配置する仕組みをつくるなど、臨床研修制度を見直す(2)卒業以前の学生も実習で一定の医療行為ができるよう、環境を整える(3)卒業前後で国の指導が文科省と厚労省に分かれているが、一貫した医師教育を推進できる行政システムを望む-ことなどを要望した。
吉村会長らは「研修修了後も地域や大学に医師が戻らなければ、地域医療は壊滅し、日本の医療の研究力も落ちる」と語った。
研修医はこれまで、十分な研修プログラムもなく、大学病院で安価な労働力として使われていると批判があった。昨年度から始まった制度では、幅広い分野で基礎的な診療能力を身に付けることに主眼が置かれた。』
残念ながら大都市の病院に研修医が集中したことが多くの地方で働く臨床医の気持ちを代弁していると思わざるを得ない.もちろん研修医が同じ研修を受けるならネームバリューのある大都市の病院でという気持ちからで彼らが研修後に地方医療に目覚める可能性はあるだろう.だが,地方で働く医師にもどうせ働くなら症例数も情報も多い大都市の病院でという気持ちがあってもなんの不思議もないだろう.
大学病院と自治体病院の思惑はまったく異なるが本音は自分のところの医師確保である.大学病院こそが医療レベルが高いなどという神話はすでに研修医の間では崩壊しているし,自治体病院は研修体制以前に経済的に崩壊しかかっているところが多いということも今どきの研修医はお見通しなのだろう.これもインターネットのおかげ(弊害?)か.
結局のところ研修医制度は医師の流動化をもたらしただけのようである.結果として医局制度が崩壊し地方医療が崩壊したとすればその代償としては果たして高かったのか安かったのか.少なくとも地方の医療コストは上昇しないわけにはいかないだろう.大学病院も人材不足がさらに進んで現在のレベルの維持も困難になるのだろうか.先のことはわからないが,いずれにしてもこれらが元にもどることはないような気がする臨床医は私だけだろうか.
2004年度から始まった医師の臨床研修制度の影響で、大学での人材不足やへき地の医師不足が起きているとして、全国の大学でつくる「全国医学部長病院長会議」(吉村博邦(よしむら・ひろくに)会長)は17日、厚生労働省や文部科学省に対し、研修制度の見直しなどを要望した。
また、全国自治体病院協議会も同日、厚労省などに医師不足や偏在の解消を要望した。同会議によると、臨床研修医の大学病院への在籍率は、03年度の72・6%から05年度の49・2%と大幅に低下した。研修できる医療機関の基準が大幅に緩和され、特に大都市の病院に研修医が集中。地方の大学病院離れが深刻化した結果、大学病院から中堅クラスの医師をへき地へ派遣できなくなった。
同会議は(1)研修医を適切に配置する仕組みをつくるなど、臨床研修制度を見直す(2)卒業以前の学生も実習で一定の医療行為ができるよう、環境を整える(3)卒業前後で国の指導が文科省と厚労省に分かれているが、一貫した医師教育を推進できる行政システムを望む-ことなどを要望した。
吉村会長らは「研修修了後も地域や大学に医師が戻らなければ、地域医療は壊滅し、日本の医療の研究力も落ちる」と語った。
研修医はこれまで、十分な研修プログラムもなく、大学病院で安価な労働力として使われていると批判があった。昨年度から始まった制度では、幅広い分野で基礎的な診療能力を身に付けることに主眼が置かれた。』
残念ながら大都市の病院に研修医が集中したことが多くの地方で働く臨床医の気持ちを代弁していると思わざるを得ない.もちろん研修医が同じ研修を受けるならネームバリューのある大都市の病院でという気持ちからで彼らが研修後に地方医療に目覚める可能性はあるだろう.だが,地方で働く医師にもどうせ働くなら症例数も情報も多い大都市の病院でという気持ちがあってもなんの不思議もないだろう.
大学病院と自治体病院の思惑はまったく異なるが本音は自分のところの医師確保である.大学病院こそが医療レベルが高いなどという神話はすでに研修医の間では崩壊しているし,自治体病院は研修体制以前に経済的に崩壊しかかっているところが多いということも今どきの研修医はお見通しなのだろう.これもインターネットのおかげ(弊害?)か.
結局のところ研修医制度は医師の流動化をもたらしただけのようである.結果として医局制度が崩壊し地方医療が崩壊したとすればその代償としては果たして高かったのか安かったのか.少なくとも地方の医療コストは上昇しないわけにはいかないだろう.大学病院も人材不足がさらに進んで現在のレベルの維持も困難になるのだろうか.先のことはわからないが,いずれにしてもこれらが元にもどることはないような気がする臨床医は私だけだろうか.
タバコはダメだがコーヒーはいい
2005年6月20日 医食同源『--たばこで老化、DNAまで 1日1箱40年で7・4年分--
喫煙者はたばこを吸わない人に比べ、細胞のDNAレベルでも老化が早い-。ロンドンのセントトーマス病院など英米チームがこんな研究結果を19日までにまとめ、英医学誌ランセットに発表した。
試算では、1日1箱を40年間吸い続けると、吸わない人に比べ細胞が7.4年分、余計に歳をとることになるという。
研究対象は18-72歳の女性1100人余り。白血球の核DNAにある「テロメア」と呼ばれる部分に着目した。テロメアは、ひも状になったDNAの両端でほつれを防ぐ「キャップ」役を果たしている。細胞分裂の度に少しずつ短くなり、若者より高齢者の方がこの部分が短いため、老化の1つの目安にもされている。
「喫煙者」「元喫煙者」「非喫煙者」の3グループでテロメアの長さを比べたところ、非喫煙者が最も長く、元喫煙者はやや短縮、喫煙者はさらに短かった。
全体に、年齢とほぼ比例して短縮していたが、喫煙者は同年齢の平均より余分に短くなっており、喫煙が老化を加速する形になっていた。これを基に、喫煙本数や期間がテロメアに与える影響を試算したところ、1日1箱、40年で7.4年分の老化という数字がはじき出された。』
『--コーヒーの目覚めを解明 睡眠障害治療にも--
コーヒーや紅茶に含まれるカフェインは、脳の細胞膜上にある特定のタンパク質と結び付いて目覚め作用を起こすことを、大阪バイオサイエンス研究所の裏出良博(うらで・よしひろ)研究部長らが確認、米科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス(電子版)に20日、発表した。
睡眠障害の治療や、眠気を防ぐ方法の開発につながるのではないかという。
裏出部長らはマウス実験で、人間のコーヒー1、2、3杯分に相当するカフェインを注射器で投与、睡眠時間を比べた。普通のマウスは投与量が増えるにつれ睡眠時間が短くなったが、遺伝子操作でアデノシンA2A受容体というタンパク質を欠損させたマウスは、投与量による変化はなかった。同様の可能性を指摘されていたアデノシンA1受容体というタンパク質を欠損させたマウスは、普通のマウスと変わりなかった。』
喫煙者は同世代の人よりも脳の血管の老化が10歳分くらい進んでいるような印象があることに気づいてはいたが,40年で7.4年分というのは興味深い数字だ.だが,20年でも5年分以上は進んでいるような印象がある.実際に早い人では40歳前後で脳梗塞になるのだから脳血管の動脈硬化はDNAの老化よりも早いという感じがする.
動脈硬化は非可逆的であると考えられるので禁煙により改善するとは考えにくいが,それでも癌や肺気腫などの予防には有効であろうから禁煙は早ければ早いほどいいだろう.
ところで最近はレストランなどでも禁煙席があるのだが,禁煙席の方が入り口に近くてなんとなく騒々しかったりして厭な思いをすることもある.禁煙社会を目指すなら非喫煙者のほうが優遇されてしかるべきだと思うのだがどうだろうか.喫煙者と非喫煙者の健康保険料が同じなのも喫煙者が優遇されているように思う.喫煙者の煙に厭な思いをした人ならわかってもらえるだろう.
ところで,煙草は百害あって一利なしだがコーヒーのほうはいろいろ薬理的に有効な作用があるようで面白い.コーヒーとビールの好きな私にとってはうれしい限りである.
喫煙者はたばこを吸わない人に比べ、細胞のDNAレベルでも老化が早い-。ロンドンのセントトーマス病院など英米チームがこんな研究結果を19日までにまとめ、英医学誌ランセットに発表した。
試算では、1日1箱を40年間吸い続けると、吸わない人に比べ細胞が7.4年分、余計に歳をとることになるという。
研究対象は18-72歳の女性1100人余り。白血球の核DNAにある「テロメア」と呼ばれる部分に着目した。テロメアは、ひも状になったDNAの両端でほつれを防ぐ「キャップ」役を果たしている。細胞分裂の度に少しずつ短くなり、若者より高齢者の方がこの部分が短いため、老化の1つの目安にもされている。
「喫煙者」「元喫煙者」「非喫煙者」の3グループでテロメアの長さを比べたところ、非喫煙者が最も長く、元喫煙者はやや短縮、喫煙者はさらに短かった。
全体に、年齢とほぼ比例して短縮していたが、喫煙者は同年齢の平均より余分に短くなっており、喫煙が老化を加速する形になっていた。これを基に、喫煙本数や期間がテロメアに与える影響を試算したところ、1日1箱、40年で7.4年分の老化という数字がはじき出された。』
『--コーヒーの目覚めを解明 睡眠障害治療にも--
コーヒーや紅茶に含まれるカフェインは、脳の細胞膜上にある特定のタンパク質と結び付いて目覚め作用を起こすことを、大阪バイオサイエンス研究所の裏出良博(うらで・よしひろ)研究部長らが確認、米科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス(電子版)に20日、発表した。
睡眠障害の治療や、眠気を防ぐ方法の開発につながるのではないかという。
裏出部長らはマウス実験で、人間のコーヒー1、2、3杯分に相当するカフェインを注射器で投与、睡眠時間を比べた。普通のマウスは投与量が増えるにつれ睡眠時間が短くなったが、遺伝子操作でアデノシンA2A受容体というタンパク質を欠損させたマウスは、投与量による変化はなかった。同様の可能性を指摘されていたアデノシンA1受容体というタンパク質を欠損させたマウスは、普通のマウスと変わりなかった。』
喫煙者は同世代の人よりも脳の血管の老化が10歳分くらい進んでいるような印象があることに気づいてはいたが,40年で7.4年分というのは興味深い数字だ.だが,20年でも5年分以上は進んでいるような印象がある.実際に早い人では40歳前後で脳梗塞になるのだから脳血管の動脈硬化はDNAの老化よりも早いという感じがする.
動脈硬化は非可逆的であると考えられるので禁煙により改善するとは考えにくいが,それでも癌や肺気腫などの予防には有効であろうから禁煙は早ければ早いほどいいだろう.
ところで最近はレストランなどでも禁煙席があるのだが,禁煙席の方が入り口に近くてなんとなく騒々しかったりして厭な思いをすることもある.禁煙社会を目指すなら非喫煙者のほうが優遇されてしかるべきだと思うのだがどうだろうか.喫煙者と非喫煙者の健康保険料が同じなのも喫煙者が優遇されているように思う.喫煙者の煙に厭な思いをした人ならわかってもらえるだろう.
ところで,煙草は百害あって一利なしだがコーヒーのほうはいろいろ薬理的に有効な作用があるようで面白い.コーヒーとビールの好きな私にとってはうれしい限りである.
『--医師として生きる 独自リハビリ、教壇に--
「医師であり続ける」。佐藤正純(さとう・まさずみ)さん(47)=東京都=の思いだ。臨床はあきらめたが指導はできる-。横浜市大病院の脳外科医で37歳だった1996年2月、初めて滑ったスノーボードで転倒した。医局の北海道旅行。頭を強く打ち意識不明の重体に陥った。
1カ月たつころ、いつも身に着けていたポケットベルを看護師が鳴らし、呼びかけてみた。「先生、急患です」。「はい」。目を開き、意識を取り戻した。手術の執刀のほか、研修医や救急救命士の教育に当たったころには「鬼軍曹」と言われるほど、仕事がすべてだった。
眼球に届いた映像を確認する大脳の一部が損傷し、目の前の人影もぼんやりとしか見えない。記憶と認知の障害も自覚するようになった。「将来、どうなるのだろうか」。5月3日が憲法記念日だと思い出せない。太陽が昇るのも「西」だった。
社会復帰を目指し、病院でのリハビリに続いて独自の取り組みを続けることにした。記憶力や失った知識を取り戻そうと点字図書館のテープをいくつも聴き、文章を読み上げるソフトが付いたパソコンを使いキー操作を練習した。
「障害が残り退院したかつての患者を思い起こすと、途中で投げ出すわけにいかなかった」。歩行訓練も恐怖感はあったが、趣味の鉄道に代わり楽しくなった。
ようやく1人でJR山手線に乗った時、思わず涙が出た。経路は高校時代の通学と同じだった。しかし将来が見えてこない。「努力は報われないのか、家族にも社会にも迷惑を掛けなければならないのか」
苦しむようになったころ、医局から話があり、2002年から横浜市の医療福祉の専門学校で非常勤講師として働き始めた。医師と患者の2つの立場。「若い人たちに臨床医学や医の倫理などを教えることはうれしいし、生きがいです」』
スノーボードで急性硬膜下血腫になった脳外科医の話は脳低体温療法の話と関連して知っている脳外科医も多いだろう.私もこの脳外科医の話を聞いたときは人ごととは思えなかった.想像を絶する苦労の中から社会復帰する姿はきっと周りの人に感動を与えたことだろう.医局旅行中の事故だったからなのかもしれないが,医局が社会復帰の機会を与えてくれたというのも今時の医局にしては素晴らしい話である.頑張って医療従事者を目指す若者を指導し続けてほしい.
ところで,医療従事者が脳卒中で倒れて後遺症で苦しむことも珍しくはない世の中であるが,病院でこれらの後遺症などで身体障害をもった人が働いている姿をほとんど見たことがないのだがなぜだろうか.確かに肉体労働が多く身体的ハンディキャップがあってはできない仕事が多いのは事実である.だが健常者にはわからない患者の苦しみというのもあるはずであり,そういう苦しみを身をもって理解している医療従事者が患者さんの傍らで元気に働いていれば十分存在価値があるのではないだろうか.
病院で患者を看る人は健常でないといけないという考えがどこかにあるのであろうか.またしても社会保険庁の決めた規則なのだろうか.本当の理由は今の私にはわからないのだが,病院というところはそういう意味でもいまだに閉鎖的な職場なのかもしれない.
「医師であり続ける」。佐藤正純(さとう・まさずみ)さん(47)=東京都=の思いだ。臨床はあきらめたが指導はできる-。横浜市大病院の脳外科医で37歳だった1996年2月、初めて滑ったスノーボードで転倒した。医局の北海道旅行。頭を強く打ち意識不明の重体に陥った。
1カ月たつころ、いつも身に着けていたポケットベルを看護師が鳴らし、呼びかけてみた。「先生、急患です」。「はい」。目を開き、意識を取り戻した。手術の執刀のほか、研修医や救急救命士の教育に当たったころには「鬼軍曹」と言われるほど、仕事がすべてだった。
眼球に届いた映像を確認する大脳の一部が損傷し、目の前の人影もぼんやりとしか見えない。記憶と認知の障害も自覚するようになった。「将来、どうなるのだろうか」。5月3日が憲法記念日だと思い出せない。太陽が昇るのも「西」だった。
社会復帰を目指し、病院でのリハビリに続いて独自の取り組みを続けることにした。記憶力や失った知識を取り戻そうと点字図書館のテープをいくつも聴き、文章を読み上げるソフトが付いたパソコンを使いキー操作を練習した。
「障害が残り退院したかつての患者を思い起こすと、途中で投げ出すわけにいかなかった」。歩行訓練も恐怖感はあったが、趣味の鉄道に代わり楽しくなった。
ようやく1人でJR山手線に乗った時、思わず涙が出た。経路は高校時代の通学と同じだった。しかし将来が見えてこない。「努力は報われないのか、家族にも社会にも迷惑を掛けなければならないのか」
苦しむようになったころ、医局から話があり、2002年から横浜市の医療福祉の専門学校で非常勤講師として働き始めた。医師と患者の2つの立場。「若い人たちに臨床医学や医の倫理などを教えることはうれしいし、生きがいです」』
スノーボードで急性硬膜下血腫になった脳外科医の話は脳低体温療法の話と関連して知っている脳外科医も多いだろう.私もこの脳外科医の話を聞いたときは人ごととは思えなかった.想像を絶する苦労の中から社会復帰する姿はきっと周りの人に感動を与えたことだろう.医局旅行中の事故だったからなのかもしれないが,医局が社会復帰の機会を与えてくれたというのも今時の医局にしては素晴らしい話である.頑張って医療従事者を目指す若者を指導し続けてほしい.
ところで,医療従事者が脳卒中で倒れて後遺症で苦しむことも珍しくはない世の中であるが,病院でこれらの後遺症などで身体障害をもった人が働いている姿をほとんど見たことがないのだがなぜだろうか.確かに肉体労働が多く身体的ハンディキャップがあってはできない仕事が多いのは事実である.だが健常者にはわからない患者の苦しみというのもあるはずであり,そういう苦しみを身をもって理解している医療従事者が患者さんの傍らで元気に働いていれば十分存在価値があるのではないだろうか.
病院で患者を看る人は健常でないといけないという考えがどこかにあるのであろうか.またしても社会保険庁の決めた規則なのだろうか.本当の理由は今の私にはわからないのだが,病院というところはそういう意味でもいまだに閉鎖的な職場なのかもしれない.
『--患者放置の医師に禁固1年 薬剤間違え注射で京都地裁--
京都府宇治市の宇治川病院で2001年、同府城陽市の加藤美嘉(かとう・みか)さん(11)がじんましんの治療中に薬剤を間違えて注射され、寝たきり状態になった事件で、業務上過失傷害の罪に問われた医師堀道輝(ほり・みちてる)被告(72)に対し京都地裁は13日、禁固1年(求刑禁固1年6月)の判決を言い渡した。
氷室真(ひむろ・まこと)裁判長は判決理由で「被告のあいまいな指示が薬剤の取り違えを誘発した面も否定できない」と指摘。「適切な救急蘇生(そせい)措置をせず無為に時間を浪費し、医師として基本的な注意義務を怠った」と述べた。
判決によると、01年1月15日、元准看護師の南千代子(みなみ・ちよこ)被告(64)=1審禁固10月、控訴=が、治療薬の塩化カルシウム液と間違えて塩化カリウム液を美嘉さんに注射し、心停止状態に陥らせた。堀被告は蘇生措置をしないまま美嘉さんを約20分間放置し、低酸素脳症による全身まひなどの傷害を負わせた。』
レスタミンカルシウムと塩化カルシウムを医師が間違えて,さらに看護師がそれを塩化カリウムと間違えて静脈注射し当時6歳の女の子が寝たきりになったということらしい.親の気持ちを考えるとあまりに悲しく残酷な結末である.
現在では心肺蘇生は研修医の必修科目かもしれないが,72歳の医師と64歳の看護師が2人でCPRをやっている姿は私にはちょっと想像できない.もっと言わせてもらえば診療科によってはそんなこと1回もやったことがなくても立派に医師として通用しているわけである.
今回は蕁麻疹ということだったが,では皮膚科の医師だったら看護師がまちがえて塩化カリウムを静脈注射したことにすぐ気づいて患者を救えたのであろうか.正直言ってこんな事態になったら私でも救命できるかどうか確信は持てない.普段からこんなミスを想定していることなどあり得ない.看護師の誤薬に毎回注意をはらえと言われたら実際のところまったく仕事にならないだろう.
だが,蕁麻疹で病院にかかった子供が寝たきりになってしまうという現実はあまりに悲惨である.事故を起した医師や看護師を罰するのは簡単だが,これだけでは何の予防にもならないことは明らかだ.夜間の救急外来でよくありそうなちょっとした静脈注射でこうした事故が起こるのである.子供がちょっと熱を出したくらいで病院にかかり注射や点滴を要求する親はこういうリスクを理解しているのであろうか.
京都府宇治市の宇治川病院で2001年、同府城陽市の加藤美嘉(かとう・みか)さん(11)がじんましんの治療中に薬剤を間違えて注射され、寝たきり状態になった事件で、業務上過失傷害の罪に問われた医師堀道輝(ほり・みちてる)被告(72)に対し京都地裁は13日、禁固1年(求刑禁固1年6月)の判決を言い渡した。
氷室真(ひむろ・まこと)裁判長は判決理由で「被告のあいまいな指示が薬剤の取り違えを誘発した面も否定できない」と指摘。「適切な救急蘇生(そせい)措置をせず無為に時間を浪費し、医師として基本的な注意義務を怠った」と述べた。
判決によると、01年1月15日、元准看護師の南千代子(みなみ・ちよこ)被告(64)=1審禁固10月、控訴=が、治療薬の塩化カルシウム液と間違えて塩化カリウム液を美嘉さんに注射し、心停止状態に陥らせた。堀被告は蘇生措置をしないまま美嘉さんを約20分間放置し、低酸素脳症による全身まひなどの傷害を負わせた。』
レスタミンカルシウムと塩化カルシウムを医師が間違えて,さらに看護師がそれを塩化カリウムと間違えて静脈注射し当時6歳の女の子が寝たきりになったということらしい.親の気持ちを考えるとあまりに悲しく残酷な結末である.
現在では心肺蘇生は研修医の必修科目かもしれないが,72歳の医師と64歳の看護師が2人でCPRをやっている姿は私にはちょっと想像できない.もっと言わせてもらえば診療科によってはそんなこと1回もやったことがなくても立派に医師として通用しているわけである.
今回は蕁麻疹ということだったが,では皮膚科の医師だったら看護師がまちがえて塩化カリウムを静脈注射したことにすぐ気づいて患者を救えたのであろうか.正直言ってこんな事態になったら私でも救命できるかどうか確信は持てない.普段からこんなミスを想定していることなどあり得ない.看護師の誤薬に毎回注意をはらえと言われたら実際のところまったく仕事にならないだろう.
だが,蕁麻疹で病院にかかった子供が寝たきりになってしまうという現実はあまりに悲惨である.事故を起した医師や看護師を罰するのは簡単だが,これだけでは何の予防にもならないことは明らかだ.夜間の救急外来でよくありそうなちょっとした静脈注射でこうした事故が起こるのである.子供がちょっと熱を出したくらいで病院にかかり注射や点滴を要求する親はこういうリスクを理解しているのであろうか.
A.『--カテーテル交換後患者死亡 山口大病院、医療事故か--
山口大病院(山口県宇部市)は13日、入院中の80代の女性患者が静脈カテーテルを交換し血液透析を受けた後、死亡したと発表した。同大は同日までに宇部署に届け、遺族に謝罪したという。
同大は遺体を解剖、医療事故調査委員会を開いたが死因は特定できなかったといい、今後、第三者を含む調査委員会を開き、原因を究明するとしている。
同大によると、女性は3年前から腎不全のため透析を始め、今年4月から同病院に入院。今月8日に右鎖骨下静脈のカテーテルを交換し透析を始めると容体が悪化、心臓と外側の膜のすき間に液がたまり、救命治療をしたが死亡したという。
山口県医務課は「調査の状況を見守りたい」としている。』
B.『--医療ミスで医師を書類送検 点滴用カテーテルを誤挿入--
三重県警津署は7日、点滴の際にカテーテルの操作を誤って患者を死亡させたとして、業務上過失致死の疑いで三重大病院(津市)の山際健太郎(やまぎわ・けんたろう)医師(44)=津市大谷町=を書類送検した。
調べでは、山際医師は2003年6月、女性患者=津市、当時(45)=の血管に点滴用カテーテルを挿入した際、誤って心臓内まで差し込み死亡させた疑い。
流れ込んだ点滴液で女性の心臓の機能が低下し、低酸素脳症となった。
山際医師はカテーテル挿入後も、エックス線などで先端位置を確認する作業を怠っていた。
女性は生体肝移植手術を受け、入院中だった。
三重大病院は同日、「再発防止に努めたい」とのコメントを出した。』
これらは鎖骨下静脈穿刺による中心静脈カテーテル法の合併症でカテーテルが心嚢(心臓とそれを包んでいる外膜の間の空間)に迷入することによって起きる合併症である.放置して輸液を続けると心タンポナーデという状態になり死亡する.
これはカテーテルの先端位置を確認しておけば避けられる事故であるので確認していないと過失を問われても仕方ないだろう.だが,鎖骨下穿刺を選択する必然性があったのであろうか.最近では末梢静脈栄養が進歩して中心静脈栄養の必然性もかなり少なくなっている.
いずれにしても必然性が無ければリスクの高い処置は避けるのが賢明ということだろう.
山口大病院(山口県宇部市)は13日、入院中の80代の女性患者が静脈カテーテルを交換し血液透析を受けた後、死亡したと発表した。同大は同日までに宇部署に届け、遺族に謝罪したという。
同大は遺体を解剖、医療事故調査委員会を開いたが死因は特定できなかったといい、今後、第三者を含む調査委員会を開き、原因を究明するとしている。
同大によると、女性は3年前から腎不全のため透析を始め、今年4月から同病院に入院。今月8日に右鎖骨下静脈のカテーテルを交換し透析を始めると容体が悪化、心臓と外側の膜のすき間に液がたまり、救命治療をしたが死亡したという。
山口県医務課は「調査の状況を見守りたい」としている。』
B.『--医療ミスで医師を書類送検 点滴用カテーテルを誤挿入--
三重県警津署は7日、点滴の際にカテーテルの操作を誤って患者を死亡させたとして、業務上過失致死の疑いで三重大病院(津市)の山際健太郎(やまぎわ・けんたろう)医師(44)=津市大谷町=を書類送検した。
調べでは、山際医師は2003年6月、女性患者=津市、当時(45)=の血管に点滴用カテーテルを挿入した際、誤って心臓内まで差し込み死亡させた疑い。
流れ込んだ点滴液で女性の心臓の機能が低下し、低酸素脳症となった。
山際医師はカテーテル挿入後も、エックス線などで先端位置を確認する作業を怠っていた。
女性は生体肝移植手術を受け、入院中だった。
三重大病院は同日、「再発防止に努めたい」とのコメントを出した。』
これらは鎖骨下静脈穿刺による中心静脈カテーテル法の合併症でカテーテルが心嚢(心臓とそれを包んでいる外膜の間の空間)に迷入することによって起きる合併症である.放置して輸液を続けると心タンポナーデという状態になり死亡する.
これはカテーテルの先端位置を確認しておけば避けられる事故であるので確認していないと過失を問われても仕方ないだろう.だが,鎖骨下穿刺を選択する必然性があったのであろうか.最近では末梢静脈栄養が進歩して中心静脈栄養の必然性もかなり少なくなっている.
いずれにしても必然性が無ければリスクの高い処置は避けるのが賢明ということだろう.
医療ミスという言葉のミスマッチ
2005年6月12日 医療の問題A.『--呼吸器交換後に心肺停止 杏林大病院、看護師ミスか--
東京都三鷹市の杏林大病院で今月3日に人工呼吸器の交換後に男性患者(76)が心肺停止状態となり、その2日後に無酸素脳症で死亡していたことが10日、分かった。警視庁三鷹署は業務上過失致死容疑で捜査を始めた。
調べでは、男性患者は慢性腎不全で3月に入院して人工呼吸器をつけていたが3日、呼吸器を交換した直後に呼吸できなくなった。担当の女性看護師(23)が排気用のキャップを外し忘れた可能性があるという。
病院側は3日、三鷹署に「医療ミスがあった」と届けた。』
人工呼吸器の取り扱いに問題があったのが事実であれば医療ミスであるということに異存はない.業務上過失致死罪となるのだろう.
だが,次のケースは疑問の余地があると思う.
B.『--医療ミスで600万賠償--
神奈川県厚木市は、同市立病院で受けた手術の麻酔ミスが原因で左脚に障害が残った30代の女性に対し、600万円の損害賠償を支払う方針を決め、承認を求める議案を9日、市議会に提出した。
市によると、女性は2003年10月28日に手術を受けた後、左脚に知覚過敏の症状を訴え、検査の結果、硬膜外麻酔のミスで脊髄(せきずい)神経を損傷していたことが判明。現在も症状はあるが、日常生活に支障はないという。
岡部武史(おかべ・たけし)院長は「医療事故には十分注意してきたが、今後も医療安全の向上を図り、再発防止に努めたい」としている。』
硬膜外麻酔であればこのようなことは麻酔の合併症として知られていることであって術前に説明が十分になされているのであれば事故と言うには根拠が薄いと思われる.最近の医療訴訟の傾向として説明が不十分であることを指摘されることもあるが,患者側にも自分の身を守るという意味で医師まかせにせず自分で治療の合併症について説明を求める権利と義務があると思う.
結果だけで補償を求めるのであれば現在の健康保険の診療報酬体系ではまったくもって不完全で,考えられる合併症の頻度に応じた保険料を上乗せしなければ外科医は手術をできなくなるだろう.そのようなことになれば結果として手術を必要とする患者さんに望ましい医療を提供することは不可能となるだろう.
結果が思わしくなかったものをすべて医療事故と呼ぶのはそれでも結構だが,医療ミスというのは明らかな過失が証明されるものだけにしてもらいたいものだ.どんなに経験を積んだ医師がやっても技術的な点から起こり得るものについてまでミスといわれるのはまじめにやっている現場の医師のやる気を失わせ,訴訟対策に防衛医療の傾向をより強めるものだろう.
現場の医師がやる気を失うということは患者にとっては治療の機会を失うということと同義だということにマスメディアもそろそろ気づくべきであろう.
東京都三鷹市の杏林大病院で今月3日に人工呼吸器の交換後に男性患者(76)が心肺停止状態となり、その2日後に無酸素脳症で死亡していたことが10日、分かった。警視庁三鷹署は業務上過失致死容疑で捜査を始めた。
調べでは、男性患者は慢性腎不全で3月に入院して人工呼吸器をつけていたが3日、呼吸器を交換した直後に呼吸できなくなった。担当の女性看護師(23)が排気用のキャップを外し忘れた可能性があるという。
病院側は3日、三鷹署に「医療ミスがあった」と届けた。』
人工呼吸器の取り扱いに問題があったのが事実であれば医療ミスであるということに異存はない.業務上過失致死罪となるのだろう.
だが,次のケースは疑問の余地があると思う.
B.『--医療ミスで600万賠償--
神奈川県厚木市は、同市立病院で受けた手術の麻酔ミスが原因で左脚に障害が残った30代の女性に対し、600万円の損害賠償を支払う方針を決め、承認を求める議案を9日、市議会に提出した。
市によると、女性は2003年10月28日に手術を受けた後、左脚に知覚過敏の症状を訴え、検査の結果、硬膜外麻酔のミスで脊髄(せきずい)神経を損傷していたことが判明。現在も症状はあるが、日常生活に支障はないという。
岡部武史(おかべ・たけし)院長は「医療事故には十分注意してきたが、今後も医療安全の向上を図り、再発防止に努めたい」としている。』
硬膜外麻酔であればこのようなことは麻酔の合併症として知られていることであって術前に説明が十分になされているのであれば事故と言うには根拠が薄いと思われる.最近の医療訴訟の傾向として説明が不十分であることを指摘されることもあるが,患者側にも自分の身を守るという意味で医師まかせにせず自分で治療の合併症について説明を求める権利と義務があると思う.
結果だけで補償を求めるのであれば現在の健康保険の診療報酬体系ではまったくもって不完全で,考えられる合併症の頻度に応じた保険料を上乗せしなければ外科医は手術をできなくなるだろう.そのようなことになれば結果として手術を必要とする患者さんに望ましい医療を提供することは不可能となるだろう.
結果が思わしくなかったものをすべて医療事故と呼ぶのはそれでも結構だが,医療ミスというのは明らかな過失が証明されるものだけにしてもらいたいものだ.どんなに経験を積んだ医師がやっても技術的な点から起こり得るものについてまでミスといわれるのはまじめにやっている現場の医師のやる気を失わせ,訴訟対策に防衛医療の傾向をより強めるものだろう.
現場の医師がやる気を失うということは患者にとっては治療の機会を失うということと同義だということにマスメディアもそろそろ気づくべきであろう.
最近まためまいの患者さんが外来をよく受診するようになった.私が脳外科医になりたての頃はめまいの診断が難しくて患者さんが来ると自分の方がめまいがしそうになるなどと言ったものだ.しかし最近ではMRIなどによる画像診断の進歩のおかげで脳疾患によるめまいの鑑別診断はかなり確実なものになっている.
最近のめまいの患者さんでまず一番多いのは耳鼻科医からの紹介である.ほとんどは良性の末梢性のめまいであり,耳鼻科医も自身でそう診断しているのであるが一応念のため脳外科を受診させるというものである.情報提供書(依頼書)にMRIで精査をお願いしますと書いてくるのも多い.おそらくは脳血管障害や聴神経腫瘍ではないことを確認してほしいということだろう.
だが,時には小脳梗塞の患者さんが混じっていることがあったり,慢性硬膜下血腫があったり頚動脈の高度狭窄や脳動脈瘤まで見つかることもある.未破裂脳動脈瘤とめまいにどういう関係があるのかは私もわからないが,とにかく見つかってしまうことはあるのである.だが,これらの異常が見つかれば患者さんは不思議と納得するようだ.
つい最近だが内科医からの紹介でやはりめまいで発症した小脳梗塞の患者さんが外来に紹介されてきた.しかも心臓からの血栓が後下小脳動脈という血管に一時的に詰まりその後再開通した疑いのあるものだった.幸い大事には至らなかったが私からの返事の情報提供書を読んでさすがに慌てたのかすぐにお詫びの電話がかかってきた.もっともお詫びをするなら患者さんにするべきなのだろうが.でも,この内科医は大変良心的だと思った.
病院の中には大事をとってといいながら良性のめまいだとわかりきっているような患者さんを入院させ治療と言って点滴をし,さらに必要のない検査までしてそれが終わるとめまいが治っていなくとも内服薬を持たせてさっさと退院させるようなところもあるらしい.
結局めまいが治らないからと私の外来に来た患者さんから聞いた話だ.入院して毎日点滴と検査をされた.それも放射性同位元素を使用するPETまでやられたらしい.1週間入院して検査がすべて終わったら異常なしと言われ退院させられたそうだ.これで3割負担したら1週間の入院で何万円払ったのだろうか.さぞかしめまいが悪化したことだろう.
医療事故のニュースを見ていると必要な処置や治療がなされなかったということにどうしても目が向きがちである.しかし,出来るだけの治療という言葉を信用して必要のない処置や入院をありがたがっていると知らないうちに病院にだまされているようなことも起こりうるということも知っておいたほうがいいだろう.
肝心なことは入院や検査や治療の前にその必要性についてよく説明を聞くことである.インフォームドコンセントと言うのは簡単であるが説明をする方にとっても説明を聞いて理解する方にとってもこれがなかなか厄介で眩暈の原因になるものなのである.
最近のめまいの患者さんでまず一番多いのは耳鼻科医からの紹介である.ほとんどは良性の末梢性のめまいであり,耳鼻科医も自身でそう診断しているのであるが一応念のため脳外科を受診させるというものである.情報提供書(依頼書)にMRIで精査をお願いしますと書いてくるのも多い.おそらくは脳血管障害や聴神経腫瘍ではないことを確認してほしいということだろう.
だが,時には小脳梗塞の患者さんが混じっていることがあったり,慢性硬膜下血腫があったり頚動脈の高度狭窄や脳動脈瘤まで見つかることもある.未破裂脳動脈瘤とめまいにどういう関係があるのかは私もわからないが,とにかく見つかってしまうことはあるのである.だが,これらの異常が見つかれば患者さんは不思議と納得するようだ.
つい最近だが内科医からの紹介でやはりめまいで発症した小脳梗塞の患者さんが外来に紹介されてきた.しかも心臓からの血栓が後下小脳動脈という血管に一時的に詰まりその後再開通した疑いのあるものだった.幸い大事には至らなかったが私からの返事の情報提供書を読んでさすがに慌てたのかすぐにお詫びの電話がかかってきた.もっともお詫びをするなら患者さんにするべきなのだろうが.でも,この内科医は大変良心的だと思った.
病院の中には大事をとってといいながら良性のめまいだとわかりきっているような患者さんを入院させ治療と言って点滴をし,さらに必要のない検査までしてそれが終わるとめまいが治っていなくとも内服薬を持たせてさっさと退院させるようなところもあるらしい.
結局めまいが治らないからと私の外来に来た患者さんから聞いた話だ.入院して毎日点滴と検査をされた.それも放射性同位元素を使用するPETまでやられたらしい.1週間入院して検査がすべて終わったら異常なしと言われ退院させられたそうだ.これで3割負担したら1週間の入院で何万円払ったのだろうか.さぞかしめまいが悪化したことだろう.
医療事故のニュースを見ていると必要な処置や治療がなされなかったということにどうしても目が向きがちである.しかし,出来るだけの治療という言葉を信用して必要のない処置や入院をありがたがっていると知らないうちに病院にだまされているようなことも起こりうるということも知っておいたほうがいいだろう.
肝心なことは入院や検査や治療の前にその必要性についてよく説明を聞くことである.インフォームドコンセントと言うのは簡単であるが説明をする方にとっても説明を聞いて理解する方にとってもこれがなかなか厄介で眩暈の原因になるものなのである.
『--ホロコースト、若年層の半数不正解 ドイツ人の認識調査--
ドイツの公共放送などが戦後60周年に合わせ、ドイツ人の「歴史認識」を調べるアンケートをした。ナチスの犯罪などについて、若い層ほど正解率が下がった。かぎ十字の使用などナチスを連想させるものを法律で禁じてきたドイツだが、歴史教育のあり方や記憶の風化を懸念する声も上がっている。
公共放送ZDFと全国紙ウェルトが3月、18歳以上のドイツ人1087人を対象に面接調査し、4〜5月に発表した。「ホロコーストとは何か」との問いには、82%が「(ユダヤ人)大量虐殺」と正しく回答した。正解率は年齢別に60歳以上86%、50歳代93%、40歳代87%だったが、30歳代80%、29〜25歳68%と若いほど下がり、24歳以下は51%だった。
「どの国を最初に攻撃したか」との質問にも、「ポーランド」と正解を答えたのは、60歳以上69%、50歳代67%などに対し、29〜25歳60%、24歳以下は49%だった。「33年1月に起きた出来事は?」も、「ヒトラーを首相に任命」との正答が60歳以上58%、50歳代43%に対し、24歳以下は36%にとどまった。
ウェルト紙は「若年層の半数がホロコーストを知らないのは驚くべき結果だ。ドイツは永久に記憶しなければならず、記憶の風化が今後の歴史教育の大きな課題となる」としている。結果分析をした独歴史教師会のペーター・ラウツァス会長は「歴史に対する理解は年を取るほど深くなるものだ。教師やメディアなどは正しい歴史認識を示し、きちんと伝えていくことが何より大切だ」としている。』
歴史は繰り返すというが,戦争による大量殺戮はいつの時代にもあったのだろう.ただ兵器の発達により一度に殺傷できる人数が変わっただけなのだろう.写真やビデオなどの発達により情報量は飛躍的に増えたが,人間の脳はおそらくここ数千年でほとんど進化していないだろうからいくら大量の情報があっても理解するスピードは変わりようがないだろう.
私が受けた教育もこと近代史に関して言えば学年末のあわただしい時期に読み飛ばすように習った記憶があるだけである.なぜか大和時代から戦国時代くらいまではよく憶えているのだが,近代になるほど記憶が薄いのだ.大変恥ずかしい話だが,私の近代世界史の理解はおそらくドイツの青少年以下であることは間違いない.医師であるのに世界史は必須ではないと言ってしまえばそれまでだが,こんなことでいいのだろうかと思うことがある.
外国語は英語が片言で話せる程度だが,言葉が上手に話せないことより外国の文化や歴史をまったく理解していないことが相手にばれてしまうことの方がよほど恥ずかしいことがある.最近は中国や韓国と歴史問題で摩擦を広げているわが国であるが,中国人や韓国人とちゃんと近代史について話せる人はどれ程いるのだろうか.
ドイツの公共放送などが戦後60周年に合わせ、ドイツ人の「歴史認識」を調べるアンケートをした。ナチスの犯罪などについて、若い層ほど正解率が下がった。かぎ十字の使用などナチスを連想させるものを法律で禁じてきたドイツだが、歴史教育のあり方や記憶の風化を懸念する声も上がっている。
公共放送ZDFと全国紙ウェルトが3月、18歳以上のドイツ人1087人を対象に面接調査し、4〜5月に発表した。「ホロコーストとは何か」との問いには、82%が「(ユダヤ人)大量虐殺」と正しく回答した。正解率は年齢別に60歳以上86%、50歳代93%、40歳代87%だったが、30歳代80%、29〜25歳68%と若いほど下がり、24歳以下は51%だった。
「どの国を最初に攻撃したか」との質問にも、「ポーランド」と正解を答えたのは、60歳以上69%、50歳代67%などに対し、29〜25歳60%、24歳以下は49%だった。「33年1月に起きた出来事は?」も、「ヒトラーを首相に任命」との正答が60歳以上58%、50歳代43%に対し、24歳以下は36%にとどまった。
ウェルト紙は「若年層の半数がホロコーストを知らないのは驚くべき結果だ。ドイツは永久に記憶しなければならず、記憶の風化が今後の歴史教育の大きな課題となる」としている。結果分析をした独歴史教師会のペーター・ラウツァス会長は「歴史に対する理解は年を取るほど深くなるものだ。教師やメディアなどは正しい歴史認識を示し、きちんと伝えていくことが何より大切だ」としている。』
歴史は繰り返すというが,戦争による大量殺戮はいつの時代にもあったのだろう.ただ兵器の発達により一度に殺傷できる人数が変わっただけなのだろう.写真やビデオなどの発達により情報量は飛躍的に増えたが,人間の脳はおそらくここ数千年でほとんど進化していないだろうからいくら大量の情報があっても理解するスピードは変わりようがないだろう.
私が受けた教育もこと近代史に関して言えば学年末のあわただしい時期に読み飛ばすように習った記憶があるだけである.なぜか大和時代から戦国時代くらいまではよく憶えているのだが,近代になるほど記憶が薄いのだ.大変恥ずかしい話だが,私の近代世界史の理解はおそらくドイツの青少年以下であることは間違いない.医師であるのに世界史は必須ではないと言ってしまえばそれまでだが,こんなことでいいのだろうかと思うことがある.
外国語は英語が片言で話せる程度だが,言葉が上手に話せないことより外国の文化や歴史をまったく理解していないことが相手にばれてしまうことの方がよほど恥ずかしいことがある.最近は中国や韓国と歴史問題で摩擦を広げているわが国であるが,中国人や韓国人とちゃんと近代史について話せる人はどれ程いるのだろうか.
ちょっと短絡的ではないか?
2005年6月1日 医療の問題報道A『--抗てんかん薬注射後に死亡 病院関係者を書類送検へ--
東京都大田区の城南福祉医療協会大田病院(村岡威士(むらおか・たかし)院長)で2001年9月、女性患者(62)が抗てんかん薬の注射を受けた後に嘔吐(おうと)物をのどに詰まらせて死亡していたことが1日、分かった。
警視庁大森署は、注射後に患者の経過観察を怠ったのが原因とみて、業務上過失致死の疑いで関係者を書類送検する方針。
調べでは、女性は01年9月30日夕方、てんかんの発作の症状を訴えて救急外来を受診し、男性医師(40)の指示で女性看護師(48)が抗てんかん薬「アレビアチン」を注射。医師は指示後に帰宅し、看護師は別の患者の応対をした。しばらくして女性がぐったりしているのに看護師が気づき、蘇生(そせい)処置を施したがまもなく死亡したという。
アレビアチンは劇薬で、呼吸停止や嘔吐などの副作用がある。
大田病院は「大森署には同日中に届けている。捜査中なのでコメントは差し控えたい」としている。』
報道B『--抗てんかん薬注射で死亡、容疑の2人を書類送検へ--
東京都大田区の医療法人城南福祉医療協会「大田病院」(村岡威士院長)で約4年前、品川区の主婦(当時62)が抗てんかん薬を注射された直後に死亡していたことがわかった。警視庁は処置後の経過観察を怠ったとして、担当した内科の男性医師(40)と女性看護師(48)を業務上過失致死の疑いで近く書類送検する方針だ。
大森署の調べでは、主婦は01年9月30日、てんかんの発作を訴えて同病院を訪れた。医師の指示で看護師が抗てんかん薬「アレビアチン」を注射した約40分後、嘔吐(おうと)物をのどに詰まらせて意識不明になり、約5時間後に窒息死した。
アレビアチンは国が指定する劇物で、吐き気などの副作用があるため、投与から一定時間の経過観察が必要とされている。だが医師は看護師に投与を指示しただけで帰宅し、看護師は経過観察を怠って主婦のそばを離れ、死亡させた疑いが持たれている。
大田病院は「患者さまが亡くなったことは事実ですが、警察の捜査に協力しており、コメントは差し控えたい」としている。 』
同じニュース報道だが,AとBを読んで印象はどうであろうか.私は報道Bの方を先に目にしたのだが,警察にしても報道機関にしてもあまりに短絡的なものの考え方にちょっとあきれてしまった.
事実はひとつのはずだが,書き方が問題なのだ.抗てんかん薬注射で死亡とか看護師は経過観察を怠って主婦のそばを離れ、死亡させた疑いとかいうと非常にセンセーショナルな印象があるのだがどうだろうか.
これに対してAの方は抗てんかん薬注射後に死亡,注射後に患者の経過観察を怠ったのが原因とありこれならまあ事実のように考えることもできる.だが,嘔吐の原因がアレビアチンと断定するのはかなり難しいし,たとえ注射後でなくとも嘔吐による窒息が原因で死亡したのであればそれ自体が問題ではある.
だが,問題はそれだけではない.ほとんどの病院で救急の患者さんを処置後に24時間監視し続けることは不可能なのが現実であるということがこの記事を読んだ誰にわかるだろうか.救急患者に必要な処置やその後の指示をして医師が帰宅することは普通のことであり,看護師が他の救急患者の処置にあたることも日常的である.
もし,一人の救急患者のために医師と看護師が張り付いて経過観察をしなければ刑事告訴されるというのだったら救急患者を受け入れ可能な病院はかなり限られるだろう.なぜなら,救急に医師を十分まわせるほど医師が足りている市中病院はないだろうから.
確かに憶えきれないほどたくさんあるアレビアチンの副作用のリストのなかに「嘔吐」と書かれてはいる.だが私自身も今までに注射薬も内服薬もかなりの量を使用しているが,連用して中毒になった患者さん以外ではみたことはないから救急処置としての1回投与ですぐに嘔吐するのはかなり稀な例であると思われる.(アレビアチンは癲癇治療に頻繁に使われている薬なのに正確な副作用発現頻度はわかっていない.)
しかし,稀でも患者が死亡したとなれば薬の副作用と関連付けたくなるのだろう.報道Bのように書かれると一部のマスコミには疑わしい医療従事者は罰しようという意図があるのではないかとも思える.あまりに感覚的で短絡的な発想が一見正しいことのように報道されるのは困ったことである.なんでもそうだが,特に医療に関する報道は事実を科学的な視点から論じてもらいたいと思うのだが今のマスコミには不可能なのだろうか.
東京都大田区の城南福祉医療協会大田病院(村岡威士(むらおか・たかし)院長)で2001年9月、女性患者(62)が抗てんかん薬の注射を受けた後に嘔吐(おうと)物をのどに詰まらせて死亡していたことが1日、分かった。
警視庁大森署は、注射後に患者の経過観察を怠ったのが原因とみて、業務上過失致死の疑いで関係者を書類送検する方針。
調べでは、女性は01年9月30日夕方、てんかんの発作の症状を訴えて救急外来を受診し、男性医師(40)の指示で女性看護師(48)が抗てんかん薬「アレビアチン」を注射。医師は指示後に帰宅し、看護師は別の患者の応対をした。しばらくして女性がぐったりしているのに看護師が気づき、蘇生(そせい)処置を施したがまもなく死亡したという。
アレビアチンは劇薬で、呼吸停止や嘔吐などの副作用がある。
大田病院は「大森署には同日中に届けている。捜査中なのでコメントは差し控えたい」としている。』
報道B『--抗てんかん薬注射で死亡、容疑の2人を書類送検へ--
東京都大田区の医療法人城南福祉医療協会「大田病院」(村岡威士院長)で約4年前、品川区の主婦(当時62)が抗てんかん薬を注射された直後に死亡していたことがわかった。警視庁は処置後の経過観察を怠ったとして、担当した内科の男性医師(40)と女性看護師(48)を業務上過失致死の疑いで近く書類送検する方針だ。
大森署の調べでは、主婦は01年9月30日、てんかんの発作を訴えて同病院を訪れた。医師の指示で看護師が抗てんかん薬「アレビアチン」を注射した約40分後、嘔吐(おうと)物をのどに詰まらせて意識不明になり、約5時間後に窒息死した。
アレビアチンは国が指定する劇物で、吐き気などの副作用があるため、投与から一定時間の経過観察が必要とされている。だが医師は看護師に投与を指示しただけで帰宅し、看護師は経過観察を怠って主婦のそばを離れ、死亡させた疑いが持たれている。
大田病院は「患者さまが亡くなったことは事実ですが、警察の捜査に協力しており、コメントは差し控えたい」としている。 』
同じニュース報道だが,AとBを読んで印象はどうであろうか.私は報道Bの方を先に目にしたのだが,警察にしても報道機関にしてもあまりに短絡的なものの考え方にちょっとあきれてしまった.
事実はひとつのはずだが,書き方が問題なのだ.抗てんかん薬注射で死亡とか看護師は経過観察を怠って主婦のそばを離れ、死亡させた疑いとかいうと非常にセンセーショナルな印象があるのだがどうだろうか.
これに対してAの方は抗てんかん薬注射後に死亡,注射後に患者の経過観察を怠ったのが原因とありこれならまあ事実のように考えることもできる.だが,嘔吐の原因がアレビアチンと断定するのはかなり難しいし,たとえ注射後でなくとも嘔吐による窒息が原因で死亡したのであればそれ自体が問題ではある.
だが,問題はそれだけではない.ほとんどの病院で救急の患者さんを処置後に24時間監視し続けることは不可能なのが現実であるということがこの記事を読んだ誰にわかるだろうか.救急患者に必要な処置やその後の指示をして医師が帰宅することは普通のことであり,看護師が他の救急患者の処置にあたることも日常的である.
もし,一人の救急患者のために医師と看護師が張り付いて経過観察をしなければ刑事告訴されるというのだったら救急患者を受け入れ可能な病院はかなり限られるだろう.なぜなら,救急に医師を十分まわせるほど医師が足りている市中病院はないだろうから.
確かに憶えきれないほどたくさんあるアレビアチンの副作用のリストのなかに「嘔吐」と書かれてはいる.だが私自身も今までに注射薬も内服薬もかなりの量を使用しているが,連用して中毒になった患者さん以外ではみたことはないから救急処置としての1回投与ですぐに嘔吐するのはかなり稀な例であると思われる.(アレビアチンは癲癇治療に頻繁に使われている薬なのに正確な副作用発現頻度はわかっていない.)
しかし,稀でも患者が死亡したとなれば薬の副作用と関連付けたくなるのだろう.報道Bのように書かれると一部のマスコミには疑わしい医療従事者は罰しようという意図があるのではないかとも思える.あまりに感覚的で短絡的な発想が一見正しいことのように報道されるのは困ったことである.なんでもそうだが,特に医療に関する報道は事実を科学的な視点から論じてもらいたいと思うのだが今のマスコミには不可能なのだろうか.
『--蘇生措置断念も 末期がん、患者の同意で 尊厳死議論に一石 厚労省研究班、初の報告書--
終末期医療の在り方を検討している厚生労働省の研究班(主任研究者・林謙治(はやし・けんじ)国立保健医療科学院次長)は、末期のがん患者で心臓や呼吸が停止した際の蘇生(そせい)措置は、あらかじめ書面で本人や家族の同意を得ていれば、必ずしも行う必要がないとする初の報告書を、29日までにまとめた。
ただ、既に装着している人工呼吸器などの生命維持装置の停止を医師らに求めるのは、現状では困難だとした。
過剰な延命措置を拒否する尊厳死を一部容認する内容と言え、明確な基準のなかった終末期医療の在り方や尊厳死をめぐる議論に一石を投じそうだ。
研究班は今後、がん以外の病気についても検討し、延命治療の具体的手順を示した指針をまとめる方針。
がんの末期段階で心肺停止になった場合、心臓マッサージや投薬で蘇生を試みるケースが多い。しかし、蘇生しても間もなく死亡する例がほとんどで、蘇生措置は「家族が臨終に間に合うための過剰な措置で、儀式のようなもの」という意見もある。
報告書は、治療を尽くした上で複数の医師が回復する見込みがないと判断した場合、医師が蘇生措置の目的や結果を患者や家族に分かりやすい文書で説明し、書面で同意が得られたときは、必ずしも蘇生措置を行う必要はないとした。
一方で、延命措置として人工呼吸や点滴による水分、栄養の補給が行われている患者に対し、これらを中止するような「司法判断を越える医療行為を、医療従事者に求めるのは困難」とした。
また、質の高いケアを提供するようにとも提唱。「治療の手だてがない」と見放されがちだった末期がんに対しても、何回も病態の把握を行うとともに、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)を得ながら、治療の差し控えや緩和医療などを選択するよう求めている。
研究班は昨年、医学や看護、法律などの専門家をメンバーに発足した。』
人間は皆等しく尊厳を持った死を迎える権利があるというのが正しい倫理観だと私は思う.がんの末期段階で心肺停止になった場合、心臓マッサージや投薬で蘇生を試みるケースが多いとはいったいどういうことなのだろうか.
患者が助けてくれと言うわけはない.では,家族が泣き喚いて医師に延命を懇願するのであろうか.急性発症の病気や事故の救命ならともかくも末期の死を待つのみのがん患者であれば,静かで安楽な死を迎えさせることこそが医師の務めであろう.
ならば「本人や家族の同意を得ていれば、蘇生を必ずしも行う必要がない」ではなく「本人や家族の希望と同意がある場合にのみ蘇生を試みる必要がある」が本来の医療の姿なのではないだろうか.
もうひとつ忘れてならないのは経済的側面である.蘇生措置を行うと黙って見送るよりもはるかに病院にとっては経済効果が高いということである.蘇生してもまもなく死亡するのがわかっていながら高価な薬品を使用し人工呼吸器を装着したあげくにICUに入れるなど死へ旅立つ者から身ぐるみを剥ぐような行為のような気がする.病院経営者には喜ばれるだろうが,これが医師の仕事であろうか.
まだまだ議論を尽くす必要があると思うが,とりあえずがん以外の病気についても延命治療の具体的手順を示した指針ができることには概ね賛成の立場である.
終末期医療の在り方を検討している厚生労働省の研究班(主任研究者・林謙治(はやし・けんじ)国立保健医療科学院次長)は、末期のがん患者で心臓や呼吸が停止した際の蘇生(そせい)措置は、あらかじめ書面で本人や家族の同意を得ていれば、必ずしも行う必要がないとする初の報告書を、29日までにまとめた。
ただ、既に装着している人工呼吸器などの生命維持装置の停止を医師らに求めるのは、現状では困難だとした。
過剰な延命措置を拒否する尊厳死を一部容認する内容と言え、明確な基準のなかった終末期医療の在り方や尊厳死をめぐる議論に一石を投じそうだ。
研究班は今後、がん以外の病気についても検討し、延命治療の具体的手順を示した指針をまとめる方針。
がんの末期段階で心肺停止になった場合、心臓マッサージや投薬で蘇生を試みるケースが多い。しかし、蘇生しても間もなく死亡する例がほとんどで、蘇生措置は「家族が臨終に間に合うための過剰な措置で、儀式のようなもの」という意見もある。
報告書は、治療を尽くした上で複数の医師が回復する見込みがないと判断した場合、医師が蘇生措置の目的や結果を患者や家族に分かりやすい文書で説明し、書面で同意が得られたときは、必ずしも蘇生措置を行う必要はないとした。
一方で、延命措置として人工呼吸や点滴による水分、栄養の補給が行われている患者に対し、これらを中止するような「司法判断を越える医療行為を、医療従事者に求めるのは困難」とした。
また、質の高いケアを提供するようにとも提唱。「治療の手だてがない」と見放されがちだった末期がんに対しても、何回も病態の把握を行うとともに、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)を得ながら、治療の差し控えや緩和医療などを選択するよう求めている。
研究班は昨年、医学や看護、法律などの専門家をメンバーに発足した。』
人間は皆等しく尊厳を持った死を迎える権利があるというのが正しい倫理観だと私は思う.がんの末期段階で心肺停止になった場合、心臓マッサージや投薬で蘇生を試みるケースが多いとはいったいどういうことなのだろうか.
患者が助けてくれと言うわけはない.では,家族が泣き喚いて医師に延命を懇願するのであろうか.急性発症の病気や事故の救命ならともかくも末期の死を待つのみのがん患者であれば,静かで安楽な死を迎えさせることこそが医師の務めであろう.
ならば「本人や家族の同意を得ていれば、蘇生を必ずしも行う必要がない」ではなく「本人や家族の希望と同意がある場合にのみ蘇生を試みる必要がある」が本来の医療の姿なのではないだろうか.
もうひとつ忘れてならないのは経済的側面である.蘇生措置を行うと黙って見送るよりもはるかに病院にとっては経済効果が高いということである.蘇生してもまもなく死亡するのがわかっていながら高価な薬品を使用し人工呼吸器を装着したあげくにICUに入れるなど死へ旅立つ者から身ぐるみを剥ぐような行為のような気がする.病院経営者には喜ばれるだろうが,これが医師の仕事であろうか.
まだまだ議論を尽くす必要があると思うが,とりあえずがん以外の病気についても延命治療の具体的手順を示した指針ができることには概ね賛成の立場である.
『--ペースメーカーに不具合 CT検査受けた際に11件--
重症心不全などで心臓ペースメーカーを装着した患者がコンピューター断層撮影(CT)検査を受けた際、患者に合わせてあった心拍数が基本設定に戻る不具合が11件起きていたことが26日、厚生労働省のまとめで分かった。
メドトロニック社製の「InSync8040」で、2003年5月に輸入承認され約680台が出荷されている。健康被害が出たケースはないが、脈が遅くなったり動悸(どうき)が起きたりして重い被害が出る恐れもある。
厚労省は、製品の添付文書にCT装置によるエックス線照射を行わないよう追記することを同社に指示し、「医薬品・医療機器等安全性情報」で医療関係者に注意喚起をした。他の製品でも同様の事例がないか調査している。
報告によると、装着した患者がCT検査を受けたところ、ペースメーカーの心拍数が1分間に60の基本設定に固定される事例が、昨年4月-今年3月末までの1年間に11件あった。』
今でもペースメーカーを装着した患者さんはMR-CT(核磁気共鳴CT)検査を受けることはできない.携帯電話と同じく磁力により誤動作する可能性があるからだが,今まではエックス線CT検査ではそのようなことはないと信じられてきた.
だが,このような事例があることがわかり添付文書にCT装置によるエックス線照射を行わないよう追記されることになれば少なくともこのタイプのペースメーカーを装着した患者さんは循環器内科の医師の監視下でしかCT検査は受けられなくなるだろう.
さらに,ほかのタイプでもこのようなことがないのかを十分検証してもらわないとペースメーカーを装着した患者さんの検査に対しては責任が負えないことにもなるだろう.他のタイプでは起きないことを厚生労働省が保証するわけはないだろうから,きっと事故が起きればまた責任は現場の医師が負うことになるのだろう.
臨床の現場では誰も知らないことであれば不可抗力ともいえるだろうが,こうしてニュースになるような副作用は知らなかったでは済まされない.確率的には非常に低いのではあるが,事故が起きる可能性があることをあらかじめ説明して同意を得なければならないのである.
現実的にはどう対応すればいいのかまだわからないが,CT検査の前後に心電図検査が必須なんてことにでもなったら面倒なことだ.また,それによって異常が意外にたくさん起きていることがわかったりしたら循環器内科へご依頼とさらに面倒なことになりかねない.ちょっと心配しすぎだろうか.
重症心不全などで心臓ペースメーカーを装着した患者がコンピューター断層撮影(CT)検査を受けた際、患者に合わせてあった心拍数が基本設定に戻る不具合が11件起きていたことが26日、厚生労働省のまとめで分かった。
メドトロニック社製の「InSync8040」で、2003年5月に輸入承認され約680台が出荷されている。健康被害が出たケースはないが、脈が遅くなったり動悸(どうき)が起きたりして重い被害が出る恐れもある。
厚労省は、製品の添付文書にCT装置によるエックス線照射を行わないよう追記することを同社に指示し、「医薬品・医療機器等安全性情報」で医療関係者に注意喚起をした。他の製品でも同様の事例がないか調査している。
報告によると、装着した患者がCT検査を受けたところ、ペースメーカーの心拍数が1分間に60の基本設定に固定される事例が、昨年4月-今年3月末までの1年間に11件あった。』
今でもペースメーカーを装着した患者さんはMR-CT(核磁気共鳴CT)検査を受けることはできない.携帯電話と同じく磁力により誤動作する可能性があるからだが,今まではエックス線CT検査ではそのようなことはないと信じられてきた.
だが,このような事例があることがわかり添付文書にCT装置によるエックス線照射を行わないよう追記されることになれば少なくともこのタイプのペースメーカーを装着した患者さんは循環器内科の医師の監視下でしかCT検査は受けられなくなるだろう.
さらに,ほかのタイプでもこのようなことがないのかを十分検証してもらわないとペースメーカーを装着した患者さんの検査に対しては責任が負えないことにもなるだろう.他のタイプでは起きないことを厚生労働省が保証するわけはないだろうから,きっと事故が起きればまた責任は現場の医師が負うことになるのだろう.
臨床の現場では誰も知らないことであれば不可抗力ともいえるだろうが,こうしてニュースになるような副作用は知らなかったでは済まされない.確率的には非常に低いのではあるが,事故が起きる可能性があることをあらかじめ説明して同意を得なければならないのである.
現実的にはどう対応すればいいのかまだわからないが,CT検査の前後に心電図検査が必須なんてことにでもなったら面倒なことだ.また,それによって異常が意外にたくさん起きていることがわかったりしたら循環器内科へご依頼とさらに面倒なことになりかねない.ちょっと心配しすぎだろうか.
『--代理出産の母子関係認めず 大阪高裁が抗告棄却--
米国で代理出産によって生まれた子の出生届を自治体が受理しなかったのを不服として、関西在住の50代の夫婦が処分の取り消しを求めた家事審判の抗告審で、大阪高裁(田中壮太裁判長)は、「母子関係は認められない」として夫婦の申し立てを却下した家庭裁判所の判断を支持し、2人の抗告を棄却した。夫婦は「子どもを持ち、幸福を追求する権利が侵害された」として24日にも最高裁に特別抗告する方針。
大阪高裁の20日の決定によると、夫婦は子どもができなかったため、米国カリフォルニア州で米国人女性から卵子の提供を受け、夫の精子と体外受精させた。さらに別の米国人女性の体内に着床させる方法で、02年に子をもうけた。
田中裁判長は「法律上の母子関係を、分娩(ぶんべん)した者と子との間に認めるべきだとする基準は今なお相当だ」として家裁決定を支持。医療の発展があっても「例外を認めるべきではない」とした。
さらに代理出産について「人をもっぱら生殖の手段として扱い、第三者に懐胎、分娩による危険を負わせるもので、人道上問題がある」と指摘。子を産んだ女性との間で子を巡る争いが生じる恐れもあり、「契約は公序良俗に反して無効とするのが相当」と判断した。』
生みの親より育ての親という言葉もあった。だが、たとえ契約だったとしても子を産んだ女性を実母というのが当然であろう。妊娠や出産という胎児との経験の共有こそが生みの親であることの意味でありそれこそが実母というもので、遺伝子がどうこうということは親子の人間関係で重要視すべきことではないだろう。
この夫婦のいう「子どもを持ち、幸福を追求する権利が侵害された」というのはまったく見当違いである。なぜなら養子縁組という方法で代理出産させた子供を法的に自分たちの子供とする自由があるからである。また、たとえ契約した代理母にそれを拒まれたとしてもそれはそれで仕方のないことであろう。自分がお腹を痛めて生んだ子供の遺伝子が自分のものではなくても愛着が沸くのもまた人間であるからである。
そもそも自分たちの幸福を追求するために他人の体を危険にさらしていいわけがあるだろうか。私は医師として人間の生と死だけはお金や社会的地位とは関係なく平等にあるべきだと思っている。どんな理由があるにせよお金で子供を手に入れるという行為は人身売買につながる考え方であり危険であると思うのだがどうだろうか。
米国で代理出産によって生まれた子の出生届を自治体が受理しなかったのを不服として、関西在住の50代の夫婦が処分の取り消しを求めた家事審判の抗告審で、大阪高裁(田中壮太裁判長)は、「母子関係は認められない」として夫婦の申し立てを却下した家庭裁判所の判断を支持し、2人の抗告を棄却した。夫婦は「子どもを持ち、幸福を追求する権利が侵害された」として24日にも最高裁に特別抗告する方針。
大阪高裁の20日の決定によると、夫婦は子どもができなかったため、米国カリフォルニア州で米国人女性から卵子の提供を受け、夫の精子と体外受精させた。さらに別の米国人女性の体内に着床させる方法で、02年に子をもうけた。
田中裁判長は「法律上の母子関係を、分娩(ぶんべん)した者と子との間に認めるべきだとする基準は今なお相当だ」として家裁決定を支持。医療の発展があっても「例外を認めるべきではない」とした。
さらに代理出産について「人をもっぱら生殖の手段として扱い、第三者に懐胎、分娩による危険を負わせるもので、人道上問題がある」と指摘。子を産んだ女性との間で子を巡る争いが生じる恐れもあり、「契約は公序良俗に反して無効とするのが相当」と判断した。』
生みの親より育ての親という言葉もあった。だが、たとえ契約だったとしても子を産んだ女性を実母というのが当然であろう。妊娠や出産という胎児との経験の共有こそが生みの親であることの意味でありそれこそが実母というもので、遺伝子がどうこうということは親子の人間関係で重要視すべきことではないだろう。
この夫婦のいう「子どもを持ち、幸福を追求する権利が侵害された」というのはまったく見当違いである。なぜなら養子縁組という方法で代理出産させた子供を法的に自分たちの子供とする自由があるからである。また、たとえ契約した代理母にそれを拒まれたとしてもそれはそれで仕方のないことであろう。自分がお腹を痛めて生んだ子供の遺伝子が自分のものではなくても愛着が沸くのもまた人間であるからである。
そもそも自分たちの幸福を追求するために他人の体を危険にさらしていいわけがあるだろうか。私は医師として人間の生と死だけはお金や社会的地位とは関係なく平等にあるべきだと思っている。どんな理由があるにせよお金で子供を手に入れるという行為は人身売買につながる考え方であり危険であると思うのだがどうだろうか。