帰札

2012年5月12日 日常
前日の疲れがあったのか珍しく起床するとすでに7時をまわっていたのもあり参加するかどうか迷っていたモーニングセミナーへの参加は半ば予定通り中止となった.ホテルのバイキングで朝食をとってから帰り支度をしてホテル前からリムジンバスで羽田空港第1ターミナルへ向かった.

この間の事故のことが思い出されてバスの運転席のすぐ後ろの席をとった.そこに座るとまるで自分が運転しているかのように道路の様子がよくわかった.首都高速の湾岸線を時速85km弱で走っているのでまわりの車がどんどん追い越していくのが見えた.それにしても道路の舗装の状態が悪いし、ゴミもいろいろ落ちていた.こんな高速道路を仕事で毎日走るのはさぞかしストレスが溜まるだろうと思った.

機内ではまたちょっとした出来事があったが無事に新千歳空港に到着し,駐車場に止めておいた車で風速10m/s以上の強風が吹く道央自動車道を北広島まで走り,途中で給油してから羊ヶ丘通りと環状線を通って自宅まで帰ってきた.札幌は気温がまた下がったせいもあり横浜に比べるととても寒かったが,人も車も少なくてなんだか気が楽になった.
Simple is Best.
今日は雨降りだったので,娘に付き合って『くまのがっこう』の絵本原画展を見に丸井今井の大通館に行ってきた.私の目的は母の日のプレゼントと学会出張用のカバンを買うことだった.

ネットで買っても良かったのだが,母の日のプレゼントにロクシタンの母の日セットを買おうと思ったらすでに売り切れだったのと,PORTERのカバンを買おうと思ったら発送が連休明けで間に合わないかもしれないので直接店舗で買うことにしたのだ.

幸いロクシタンもPORTERも直営店が地下街とその近くにあるので都合が良かった.ロクシタンで母の日のセットを買いその後PivotのB1FにあるPORTERのショップでカバンをいくつか見たのだが買ったのは結局定番のClipのビジネスバッグだった.

機能と耐久性そしてコストパフォーマンスを考えると何も足さない何も引かない単純なのがやはり一番いいと思うのだ.

今日は回復トレ

2012年4月27日 日常
今朝は目が覚めたらすでに5時を過ぎていたのと,両下肢の筋肉痛のため自転車もあきらめてベッドの中でストレッチを30分やってから起きました.

でも,少しは体を動かして筋肉痛を早く回復させたいので,昼休みに30分ほど固定ローラーで回復トレーニングをしました.
今朝は予定通り3時30分に目が覚めた.睡眠時間はちょうど5時間.軽くストレッチをしてから,飲み物を用意し身支度を整えて4時すぎには外に出た.

GPSの測位が終わるまでの間に思ったより風が強くてちょっと腰が引けそうになるのを我慢してまだ薄暗い環状通りへ漕ぎ出した.今日の風は南東の方から吹いていたので行きは風に乗って時速40Kmくらいで走れるのだが,帰りの事を考えてあまり遠くには行かないことにした.

環状通りをに左折して下手稲通りに入り,その後右折して追分通りから44号線を通って茨戸まで行き,273号線を大通りまで走って帰って来るコースを考えたのだが,茨戸に近づくにつれて霧雨が降って来たので途中でUターンして戻って来た.

そのため予想通り「行きはよいよい帰りはこわい」になってしまい,帰りはほとんど向かい風になってしまった.横風になるとエアロホイールが災いしてハンドルが突然振られたりするので時速25kmをキープするのもおぼつかなかったが,なんとか6時までには帰ってくることが出来た.

風は強かったものの気温が上がったおかげで手足もそれほど冷たくならずにすんだのが良かった.明日は風と筋肉痛がそれほどでもなかったらまた自転車に乗りたいと思っている.
昨夜のうちに天気予報で朝4時の気温を確認してベッドに横になった.気がつくとまだ2時で外は真っ暗なのでまた入眠.次に目が覚めたのは3時30分.今度は眠れない仕方が無いのでトイレに行って水を飲みまたベッドに入るがぜんぜん眠くならない.

睡眠時間はちょっと足りないが,もう眠れそうもないのでそのままベッドの中で腹筋やストレッチを静かにやって4時にはベッドを出て身支度を始める.が,半年も使っていなかったのでランニングウェアや手袋を探すのに手間取り外に出たのが4時30分.

万が一にも熊と出会うのは嫌なので山側のコースは避けて,中央卸売市場→桑園→植物園→大通り公園を回るコースを1時間15分ジョギングして今シーズンの初ランニングを終了した.ペースが遅くてなかなか汗をかかなかったが,これなら明日は自転車もいけるかもしれない.
『保安院長“なぜ、寝た子を起こす”

 6年前、国の原子力安全委員会が進めていた原発事故への防災指針の改訂を巡って、原子力安全・保安院が反対し、緊急時の避難区域の設定などの国際基準が指針に反映されなかった問題で、当時の保安院の院長が「なぜ、寝た子を起こす」と、安全委員会の委員に検討をやめるよう直接、伝えていたことが分かりました。

 この問題は、6年前の平成18年、原子力安全委員会が進めていた原子力防災指針の見直しを巡って、国際機関が求めていた、緊急時に直ちに避難させる区域の導入について、保安院が安全委員会の事務局に対し、「国民の不安を増大する」などと再三、反対の申し入れを行ったものです。

 この問題について、当時、指針の見直しを担当した原子力安全委員会の久住静代委員が、平成18年5月に開かれた保安院幹部との昼食会で、広瀬研吉元保安院長から「事故は起こらないのに、なぜ、寝た子を起こすんだ」と防災指針の見直しをやめるよう厳しい口調で迫られたことを明らかにしました。

 久住委員は「地方自治体も関心が高く、やめることはできない」と反論したということですが、その後も、安全委員会の事務局に保安院から反対の申し入れが続き、最終的に国際基準は指針に反映されませんでした。

 久住委員は「安全委員会の事務局のメンバーは、保安院などほかの省庁からの出向者の寄せ集めで、親元の省庁からの圧力に弱く、安全委員会の事務局が作成する指針の素案に影響が出た」と話しています。

 これについて、原子力安全・保安院は「当時の保安院長をはじめとする保安院の対応は、安全委員会の公表した資料や久住委員の指摘のとおり問題があったことは明白だ。反省せざるをえない」としています。

 防災指針見直し巡るやり取り公表

 原発事故に対する防災指針の見直しを巡って行われたやり取りについて、原子力安全委員会はホームページ上に文書で公表しました。公表された資料は、安全委員会の事務局が残していたメモや、保安院の担当者との電子メールの文面です。

 平成18年4月24日の保安院の原子力防災課が作成した文書では、IAEAが求めていた、緊急時に直ちに避難させる区域について、「原子力事故時に周辺住民の方が事故の大小にかかわらず即時に避難をしなければならないという誤解を与えかねないことなどから、無用な社会的混乱を回避する」として、「『即時避難』という語句を使用することは控えていただきたい」としています。

 その2日後の「申し入れメモ」と書かれた文書では、IAEAの考え方を導入した新たな原子力防災指針の検討を行うことは、「社会的な混乱を惹起(じゃっき)し、原子力安全に対する国民不安を増大する恐れがある」として、検討自体を凍結するよう記されています。

 これに対して、安全委員会が、防災指針の改定の検討は防災体制の向上のための努力の一環だとして、申し入れを拒否すると、保安院は平成18年6月15日の文書で、「IAEAの決定と我が国の防災指針の見直しはリンクさせるべきものではない」として、安全委員会の防災指針の見直しの検討を不注意で遺憾だとして抗議しています。

 このほか、電子メールでのやり取りで、保安院の担当者は「防災指針については、変更をしないことが大前提」、「防災指針、運用について変更がなく、なんら新しい措置を伴うことを指針に盛り込まないのであれば最小限の防災指針の字句修正を行うことはやむを得ない」などと防災指針の見直しをしないよう迫っています。』

『保安院 防災指針国際基準化に反対

 6年前、原発事故に対する防災指針を国際基準に合わせて見直す検討が行われた際、原子力安全・保安院が「不安を増大するおそれがある」などと再三反対し、緊急時の避難区域の設定などの国際基準が指針に反映されなかったことが分かりました。
6年前の平成18年、国の原子力安全委員会は、IAEA=国際原子力機関が当時進めていた原子力防災に関する安全基準の検討に合わせて防災指針の見直しを行いました。

 原子力安全委員会や原子力安全・保安院によりますと、見直しでは、IAEAが求めていた緊急時に直ちに避難させる区域を新たに設けるかどうかが大きな議論になりましたが、これに対し、保安院が「直ちに避難ということばは社会的な混乱を引き起こし、国民の不安を増大するおそれがある」などと、再三、反対の申し入れを行っていたということです。

 防災指針は翌年の平成19年5月に見直されましたが、結果的にIAEAの基準は反映されませんでした。

 福島第一原発の事故では、東京電力から原発の緊急事態を知らせる通報があってから国が最初に3キロ圏内に避難指示を出すまでに4時間半余りかかっており、もっと早い段階で避難の呼びかけをすべきだったのではないかという指摘が出ています。
これについて原子力安全委員会管理環境課の都筑秀明課長は「6年前の段階でもう少し踏み込んで防災指針が改訂されていれば、今回の事故でもより適切な避難対応ができていたかも知れず、非常に残念だ」と話しています。

 一方、原子力安全・保安院の森山善範原子力災害対策監は「当時、制度の見直しのメリット、デメリットを慎重に考えるべきだとして導入に異議を唱えたのは事実だ。今回の事故のように短時間で事態が悪化することを考えておらず、あらかじめ見直していれば今回の避難対応も違うものになった可能性があり、早い段階で取り入れておけばよかったと思う」と話しています。』

 私は,『原発事故は起きるべくして起きた』と考えるのですが,「事故は起こらないのに、なぜ、寝た子を起こすんだ」と言ったという広瀬研吉元保安院長は今いったいどう思っているのでしょうか.事故原因と原発再稼働などについてご意見を伺いたいものです.

 脳神経外科学会の専門資格更新に必要なものとして『医療安全講習会』の受講があり,そこでの話が『医療に安全など存在しない.あるのはリスクだけ』ということでした.安全というものは存在しない,存在するのはリスクだけでそのリスクを如何に低下させるかというのが安全を確保するただ一つの方法だということです.

 なるほどと思いました.『原発は安全』と言っていた人達は安全について実はよく考えなかったか,知っていてもリスクを下げる努力をわざと怠ったということなのでしょう.おそらく専門家と言われる人達は後者だったのだと私は思います.

 見たところ事故以前と根本的な考え方が何も変わっていないのに「再稼働しないと,あーだら,こーだら...」と言っている人達を見ると,レッドカードを出したくなるのは私だけでしょうか.

テーマ別日記「私の写真集」の中の写真を集めたHP『ブログ脳外科医のGallery』を1年ぶりに更新しました.お時間のある方は是非お立ち寄りください.
写真の著作権は放棄しておりませんが,商用以外の利用は自由です。
気に入ったものがありましたらコピーして壁紙などにどうぞ。

http://nougekai.blogdns.net/web/index.html
プロフィールの外部のページのリンクからも行けます.
 今日の仕事は昼までだったので,午後からは北海道神宮へ家族で初詣に行った.その帰り道に露店で甘酒とココアを注文し千円札で支払ったところ,その露店のおばさんが、「こまかいのですみませんね。」といいながらお釣りの400円に十円玉と五十円玉を混ぜてきた.見るともらったお金を入れる箱には百円玉がいっぱいあるにもかかわらずである.

 千円札を出すのにちょっと手間取ったのが悪かったのか,目の前にいた露店のお兄さんがお釣りの計算を間違ってもたついたせいなのかは知らないがとにかく私のお財布は補助通貨でふくれてしまった.露店のおばさんの物言いにちょっと気分が悪くなったが,小銭は同一通貨で20枚までは拒否できないということを知っていたので黙ってお釣りを受け取った.そしてすぐに娘が欲しがっていたクレープを買う時に小銭を使うことを考えた.

 甘酒屋を出て娘の言っていたクレープ屋さんで,イチゴクレープの代金を百円玉2枚と五十円玉1枚と十円玉4枚と五円玉1枚と一円玉5枚で支払ったら,露店のお姉さんが「五円玉と一円玉はお釣りに使えないのでダメなんですけど。」と言ってきた.そこで私は,「補助通貨は同一のもの20枚までは拒否できないと法律で決まっているのだよ.」と言いながら,私の言葉に固まってしまった露店のお姉さんの手からクレープを頂いて帰ってきた.

 売り上げを計算する時に百円玉だけなら計算しやすいだろうとは思うが,そのために客にわざわざ小銭をたくさん渡すというのも理解できないし,お釣りに五円玉や一円玉を出すのが失礼だと考えられるのなら,客の五円玉や一円玉を拒否するのも同様に失礼だとは思わないのだろうか.どうも私には理解できない人たちである.

 もっとも,こういう時のために法律というものはあるのだろうから,ここは声を荒げずに粛々と法律に従ってお金を受け渡せばいいのだろうが,世の中には色んな人がいるということを再認識させられた.私にはちょっとした出来事だったが,妻はそんなことは別に気にも止めていなかったようで,やはり妻にはかなわないと思った.

SAPICAとKitaca

2012年1月2日 日常
 SAPICAは札幌市営地下鉄で,KitacaはJR北海道で使えるICカードである.JR北海道を利用する機会があったので,それぞれを自販機で購入してみた.学会で出張に行った時にSuicaが使ってみたくなったのだが,KitacaはSuicaエリアでも乗車券として使えるようなのでこの機会に購入してみたのだ.

 SAPICAは札幌市営地下鉄以外では使えない.2013年度中には札幌市電・バスへのSAPICA導入とKitacaおよびSuicaでも地下鉄・市電・バスを利用可能にすることが発表されているようだ.しかし,SAPICAをJR北海道で利用可能にするのは現在協議中で,SAPICAとKitaca・Suica等の完全相互利用化及び電子マネー機能の利用については発表されていないようだ.

 だが,調べてみるとSAPICAには便利な機能があった.オートチャージ機能である.カード残額が設定した金額(1,000円から5,000円までの1,000円単位)を下回っていると、事前に登録したクレジットカードから設定された金額(1,000円から3,000円までの1,000円単位)が自動的にチャージされるというものだ.

 こういったプリチャージ型のICカードを使う気になれない一番の理由は,残額を気にしないといけないことなので,もしSAPICAとKitaca・Suica等の完全相互利用が可能になったら私はSAPICAを残すことになるだろう.

 今回は3日間ほど使うだけなのでそれぞれ3千円,5千円だけチャージしておいたが,使用してみて気になったのはカードの認識がちょっと遅くて切符で改札するよりもゆっくり歩かなければいけないこととカードがすぐに汚れることだった.それを我慢するにしても毎回切符を購入するよりは楽なので,これからも使うことになるのだろう.

謹賀新年

2012年1月1日 日常
新年明けましておめでとうございます.
今年もよろしくお願いします.
今年が皆様にとって良い年となりますように.

道東自動車道

2011年12月31日 日常
道東自動車道
今年の10月29日に開通した道東道を通って帯広に来た。北広島ICに入る直前に給油したにもかかわらず自宅から北海道ホテルまででちょうど3時間だった.去年まではどんなに早くとも3時間半以上はかかっていたので画期的な出来事だった.これで電車とほとんど変わらなくなったから,場合によっては車の方が早く着くだろう.

車の窓から雪で覆われた十勝平野を見ていた娘が,「いかにも北海道らしい景色だね。」と言っていたが,私も北海道の自然を身近に感じながら生活したいなら十勝はもっともおすすめの土地だろうと思う.内陸なので寒暖の差が激しく空気が澄んでいて水も美味しいし,日高山脈のおかげで台風もやって来ないし雪も少ない.でも,スキーもスケートも楽しめる.

食べ物もとても美味しい.神戸牛だって元をただせば十勝牛だし,牛乳も野菜もまちがいなく一番おいしいところである.学会出張や旅行で色々なホテルに泊まったが,野菜サラダと牛乳が最も美味しかったのは今でも北海道ホテルだと思っている.近郊の農家で採れた食材だけで作られたランチも最高だ.地ビールの十勝ビールも美味しい.

でも,一番気に入っているのは季節とともに移り変わる風景の美しさだ.何処を撮っても絵になるから写真を撮るのが楽しくなるのだ.市内の川に白鳥などの渡り鳥やカワウソがいるなんて私も初めて見る風景だった.そんな帯広まで3時間弱で来れるようになったのだから私にとってはとても嬉しい道路の完成だったわけである.これなら週末に遊びに来ることも不可能ではないだろう.なんともいい時代になったものだ.

今日は年の瀬の街へ家族で買い物に出かけた.こんなゆっくりした年末は何年ぶりだろうか.今年最後の当直で3人ほど入院し,それなりに忙しかったが,あまり慌しさはなく無事に正月休みになった.

今年を振り返ってみると社会の問題としては震災の年と言うことに尽きるだろう.原発の安全神話が如何に虚しいものだったかを思い知った年だった.科学技術の安全性はそれを使う人間にかかっているという当たり前のことを再認識させられる年だった.

仕事のことでは,気管カニューレや胃瘻のチューブ交換で刑事訴訟になる事故がニュースになり,慢性期医療も医師にとっては気を抜けない事ことが改めて感じられると同時に慢性期医療の意味を考えさせられることが多かった.

趣味の写真に関してはついにバースデーライカを手に入れることが出来て自家フィルム現像も再開したもののフィルムカメラ集めも一息つき,来年からは娘の写真を撮る機会が減ることも考えて,増えすぎた機材の整理と更新を行なった年となった.

カメラへの情熱が少し下火になる一方でふとしたきっかけからオーディオへの情熱は復活し,今まであまり聞くことのなかったBill EvansのCDを集めるようになるとは一年前には予想もしなかったことだった.オーディオシステムのために部屋のレイアウトも変わり自分の部屋にいる時間が増えるなどライフスタイルも変化した.

もう一つ予想もしていなかったことはiOS SDKでアプリの開発をしてiTune Storeに出品するようになったことで,大学院卒業後はソフトウェアのユーザーに徹していた私がソフト開発をする気になるなんて思ってもみなかったことだった.

自転車に乗るのを控えめにして練習した北海道マラソンは今年も猛暑に完敗し,来年は積極的に自転車をつかったクロストレーニングに変更してまた挑戦しようと思っているところだ.

結局のところどっちを見ても昨年は予想もしなかった方向へ動いて来ているから,来年のことなんか考えても無意味なのだろうし,トルストイも言っているように人間には未来のことを知る能力は与えられていないのだから,やはりその時自分に出来ることを一生懸命やるしかないのだろう.

こんな一年になったのも何かの運命だと私は思っているので,この流れを来年につなげてさらに新しい自分を見つけてみたいものだ.

Bill Evansを聞きながら…



『ドコモもiPhone販売へ

 NTTドコモが、米アップルが来年夏秋をめどに販売するとみられるスマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」の次世代機種から、日本市場に投入することで交渉していることが1日、明らかになった。


 アイフォーンは今年10月に発売された最新機種「4S」からKDDIも国内販売を始めており、これまでのソフトバンクモバイルによる独占販売が崩れている。最大手のドコモの参入で、アイフォーンを巡る大手3社による通信料金や通信品質を巡る競争がさらに激化しそうだ。

 ドコモは、現在の第三世代携帯電話の5~10倍の速さで通信できる次世代高速通信「LTE」の対応地域を拡大させているが、次世代アイフォーンでは、このLTEに対応した製品を投入することで交渉している。タブレット型の多機能携帯端末「iPad(アイパッド)」の販売も検討している模様だ。』

 iOS5になってからiPhone 4はやや動作が重くはなっているが,まあ使えるレベルなのでiPhone 4Sは娘だけにして私はiPhone 5を待とうかと思っているのだが,NTTがAppleからのLTE対応の条件を受け入れて契約にこぎ着けたようなので,選択肢が3つに増えるのは悪い話ではないだろう.

 こうなるとDocomoからE-mobileへの乗り換えは中止して様子を見るのが得策なようだが,最近はPocket Wi-Fiも割引で安くなってきているのでPocket Wi-Fiを乗り換えるか,それとも解約して秋まではiPhone 4のみで頑張るかちょっと考える必要がありそうだ.

と思っていたら,

『ドコモ、「次世代iPhone取扱い」報道を否定

 NTTドコモは1日、「iPhoneとiPadの次世代機を来夏より取扱い開始」とする日経ビジネスの報道について、否定コメントを発表した。

 同社では「現時点において、iPhone及びiPadの取り扱いについて、当社がアップル社と基本合意したという事実はない。取り扱いに関し、アップル社と具体的な交渉をしている事実もない」としている。』

というニュースが...どうなってるの?

iPad用のバッグ

2011年11月26日 日常
iPad用のバッグ
今週は特に忙しいということもなかったが,色々やる事があって日記を更新しているひまがなかった.

東急デパートまで買い物に行ったついでにKiplingのショップに寄ってiPadを病院に持っていくためのバッグを買ってきた.昨年夏からずっと妻にプレゼントしてもらったグレーのボストン型のkiplingを使っていたのだが,iPadを入れると上に出っ張った変な形になるので格好良く収まるバッグが欲しかったのだ.

買ってきてからネットで調べると「 ITHU 」というメッセンジャーバッグらしい.これだとiPadと当直の着替えと財布にコンデジ、携帯、iPhoneが全部入って丁度いい.今はとても気に入って毎日持って歩いている.

カラーも黒かブルーにしようと思っていたのだが,Pepperyという古いキャンバス地みたいなのを見た途端にそれに決めてしまった.こういうのはその時の気分もあるのだろうが,やはり一つの出会いなのではないかと思う.論理的なはずなのにインスピレーションが湧く時は簡単にそれに従ってしまうのも私なのだ..

そんなわけで,1年以上使って底布が少し破れたボストン型のkiplingは他のたくさんのkiplingといっしょにクローゼットで冬眠してもらうことになった.

雪が積もった.

2011年11月17日 日常
 すでに数日前に東区のほうでは雪が積もったようだが,我が家の辺りでの積雪は今朝が初めてだ.残念ながら当直なので散歩写真も撮れないが,病院の窓から雪景色を眺めると本当に冬になったという実感がわいてきた.

 今週は仕事関係が忙しくてゆっくりする暇もあまりなかったが,ここまで気温が下がると救急患者も少なくなるのではないかと思う.脳卒中という病気は季節の変わり目に多くなるような気がする.きっと気温や気圧の変動が体に影響を与えるのではないかと思う.

 これからしばらくは,雪道によるスリップでの転倒や交通事故が増えるのだろう.
良い知らせ2つ
昨日,ソフトバンクからiPad2の本契約のメールが届いたので本人確認用の免許証の写真を指定されたWEBページからアップロードして手続きを完了した.朝,メールを確認すると発送準備に入ったので2〜3日で着くというメールが来ていた.

職場に着いてからメールを確認すると今度はiTune storeから「Waiting for Review」だった私のApp.が「In Review」になったというメールが届いていた.

朝から良い知らせが2つ続いたので今日はいい日になるかもしれない.


さよならMicrosoft Net (MSN)カード
 昨日,三菱UFJニコスの「MSNカード」係というところから,来年4月からMSNカードの年会費を取るので来年3月でカード使用を中止するか年会費を払って継続するかのどちらかに署名して返送するようにという葉書が来た.

 バブルの頃には住友VISAカードなんていうのを持っていたが,使わないカードの年会費を払うのが馬鹿らしくなって年会費無料でVISAが使えるMSNカードというのをネットで手に入れたのだ.海外旅行はしなくとも海外のサイトで買い物をする時にはVISAが必要になる時があるからである.

 Microsoft社も景気が悪くなったのかMSNカード部門を別会社にして売却したのがそもそもの原因のようなのでMSNカードはやめることにしたが,VISAはやはり使うかもしれないと手持ちのカードを調べたら,脳神経外科学会の会費を払うために学会に契約させられた年会費無料の三菱UFJゴールドカードというのにVISAが付いていた.

 MSNカードをお財布から抜いて代わりに三菱UFJゴールドカードを入れて問題解決.あとはMSNカード利用中止の葉書をポストに入れてカードをはさみで切断すればいいわけだ.使わない手持ちのカードがこれでまた1枚減らせて結果オーライである.
Softbankのシステム障害
『ソフトバンク、iPhone 4Sの販売を一時ストップ--登録システムの不具合で

 ソフトバンクモバイルは10月14日、同日8時に販売を開始した「iPhone 4S」の受け付けを11時をもって一時ストップすることを明らかにした。登録を管理する端末システムの不具合によるものという。復旧のめどについては現在調査中とのことだ。

 ネット上ではソフトバンクからのMNPができないため、「同日中にau版のiPhone 4Sを購入できないと言われた」と不満の声も上がっている。

 ソフトバンクモバイルは10月14日11時過ぎ、iPhone 4Sの販売受け付けを再開したことを明らかにした。』

『ソフトバンク、iPhone 4Sの販売を再開--システム復旧

 ソフトバンクモバイルは10月14日、同日8時に販売を開始した「iPhone 4S」の受け付けを再開したと11時過ぎに明らかにした。登録を管理する端末システムに不具合があったとし、一時停止すると発表していた。

 なお、ソフトバンクショップ表参道など一部のショップでは手作業にて登録することで、継続して販売していたという。なお、システムの復旧により受け付けを再開しているが、店舗によっては手作業で受け付けていた分の処理が終わり次第対応するなど、対応が異なることもあるとしている。』

 実際のところ午前10時にはすでに登録システムは使えない状態になっており,その後は一部で回復したが接続は不安定で非常に時間がかかり,途中で接続が切れて最初から入力をし直さなければならなかったりしたようだ.

 iPad2を購入して週末にiOS 5にアップデートしようと思っていたが,結局のところ在庫があっても店舗での登録は出来ず,システムが復旧した頃に入った店舗は在庫切れだったので,あきらめてネットショップから購入することにしたが,ここもなかなか繋がらず夜になって自宅のMacでやっと予約だけすることができた.
人生最後の一日
スティーブ・ジョブズ氏の2005年スタンフォード大学卒業式でのスピーチの全文が載っていた.

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳
米スタンフォード大卒業式(2005年6月)にて

 世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。

 まずは、点と点をつなげる、ということです。

 私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

 私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

 そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

 とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

 それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができたました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

 もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

 繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

 2つ目の話は愛と敗北です。

 私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

 1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

 一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

 人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

 誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

 あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

 私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

 スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

ハングリーであれ。愚か者であれ。

ありがとうございました。」

※スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ原稿の翻訳。

http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A88889DE1E7E6E7E7E4E4E2E2EAE3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E2E6E0E2E3E3E0E4E1E3

彼もまた「運命」や「人生最後の一日」を意識しながら,自分の一番好きなことを仕事にして毎日を生きていたということがわかり,嬉しくなった.


熊が出るぞ〜
熊が出るぞ〜
熊が出るぞ〜
『 クマ出没 中央区・円山周辺など目撃相次ぐ

 札幌市中央区・円山地区などの住宅街で6日、ヒグマの目撃情報が相次いだ。学校も多い市街地での出没に、市や道警は対応に追われた。

 「バス停の近くにいたので、最初はお客さんかと思った」
 道警によると、クマを目撃して110番通報したタクシー運転手の女性はこう話した。クマは北海道神宮から道路を渡り、住宅街へ。女性は「まさか、こんな街中でクマに遭遇するとは思わなかった。」

 道警や市によると、中央区の住宅街でクマを目撃したという情報は、6日午前0時ごろから同4時半ごろまでに8件あった。その後、一時途絶えたが、夕方から深夜までにさらに5件が寄せられた。市は同日午後、道警や中央区、市教育委員会などと緊急のヒグマ対策委員会を開き、対応策を協議。道警が周辺を重点的にパトロールし、市役所などは夜間も職員が常駐して対応することにした。また、クマの餌にならないように生ごみを早めに収集することも決めた。猟友会とも連携し、駆除も視野に入れながら取り組む方針だ。

 周辺の学校も対応に追われた。市教委によると、区内では6日、目撃情報があった地域を中心に円山、大倉山、宮の森などの小学校で集団下校を実施した。

 北海道神宮に近い円山小は、携帯メールや学校のホームページで情報を流し、児童には方面ごとに集団で登校するように呼びかけた。6日は全児童約900人が教師の引率で集団下校した。児童を迎えに来た保護者もいた。2年生の息子を迎えに来た須田裕美さん(40)は「当分の間は送り迎えをしたい」と心配そうに話した。

 同小は、放課後や8日からの3連休も、外で1人で遊んだり、特別な事情がない場合は北海道神宮方面には出かけたりしないよう児童らに伝えた。佐々木雅史校長は「しばらくの間は神宮方面の校外学習は見合わせる」と話した。

 中学1年生の子どもがいる近くの女性(40)も「子どもが塾に通っていて、帰りが夜になることがあるから心配。暗い場所には行かないように注意したい」と話した。
 市によると、過去5年間の目撃と痕跡を合わせた市内のヒグマ出没件数は、一昨年度までは50~70件ほどだったが、2010年度に114件と急増。今年度は10月5日現在で130件と、昨年度の倍以上のペースで増えている。』

『北海道神宮付近にクマ…目撃3件

 6日午前3時20分頃、札幌市中央区宮ヶ丘の北海道神宮の第二鳥居前を通りかかったタクシー運転手が、大型のヒグマを目撃し、110番した。クマは同神宮北側の住宅街を歩き回った後、円山に逃げたとみられ、けが人はなかった。現場では午前8時頃、クルミの交じったフンが発見された。

 付近は住宅街で散歩やランニングをする市民も多いため、札幌西署などで注意を呼びかけている。

 同署によると、クマは体長約2メートル。通報のあった直後には、約200メートル離れた同区宮の森の住宅街を歩いているクマの姿が目撃された。さらに、午前4時10分頃には、警察官が、最初に目撃された現場から南東に約500メートル離れた円山公園の坂下野球場で、山に登っていくクマを見たという。

 市内では5日午後に西区西野の林道で、6日午前0時頃には、中央区南23西15の札幌外科記念病院近くでクマが目撃された。同日朝には円山小や啓明中など中央区、西区、南区の小、中、高合わせて15校で、教師が通学路に立ったり、保護者同伴の登校を呼びかけたりする措置が取られた。

 宮ヶ丘の目撃現場近くに住む鈴木喜代子さん(75)と夫信一さん(77)は、午前3時過ぎに警察がスピーカーで呼びかける注意で目が覚め、2階の窓から外の通りを見ると、2メートル近いクマがゆったりと歩いていたという。

 通りの先にはパトカーが数台止まっており、クマは明かりを避けるように、公園の方へ引き返したという。喜代子さんは「宮ヶ丘にクマが出るなんて開拓以来ではないか」と、興奮気味に話していた。』


 円山動物園には過去に札幌市内でヒグマが目撃された地点を記した地図が以前から貼られている.それを見ると定山渓〜藻岩山〜平和の滝には目撃地点が多いから,私も早朝に自転車に乗る時には山沿いには行かないように以前から注意はしていた.しかし,まさか円山公園内にまでやって来るとは思っていなかったので私もこれには驚いた.

 大学生1年の頃,東京出身の友人に,「札幌では熊が山から下りて来て町中を散歩している事があるから,夜は山の方には行かない方がいいよ.もし,熊に出会ったら死んだふりするのはもちろん知ってるよね,」なんて言って怖がらせていたが,こうなるとまんざら冗談ではなくなってしまった.

 先日,「どんぐり箱」なんていうのを北海道神宮内で見つけたが,まさかあれを狙ってやって来たなんて事はないだろうか.ヒグマは頭がいいらしいし,何でも食べるしこの時期はドングリは主食みたいなものだから,もしあれを見つけていたら大喜びで全部食べたのではないだろうか.

 円山自然歩道も立ち入り禁止になったが,これから紅葉の季節なのに散歩写真も自粛しなければならないだろうか.

注:ヒグマに死んだふりは通用しないようですので,決してやらないでください.


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