日本国民にも馬鹿はいる
2020年6月8日 こころの問題『「みんな迷惑していました」ベンツで女性をはね飛ばした“川崎の偽セレブ女”31歳の正体
5月20日午後12時半頃、品川区の路上。白いベンツの運転席に座る茶髪にマスク姿の女が、警察官の職務質問を受けていた。
「通報されたんです。その女が奇声を上げながらベンツの周りをウロウロしていましたから」(近隣住民)
押し問答が15分ほど続いた後、女はベンツを急発進させ、国道1号を大田区南馬込まで900メートルほど暴走。道路沿いの防犯カメラは、会社員・高橋悠さん(34)が歩道を通過した後、100キロ近いスピードで走るベンツを捉えていた。
事故を目撃した周辺住民が顔を引きつらせる。
「白い車が歩道に突っ込んだかと思うと、ドカーンと凄まじい音が……。車の下敷きになったのか、歩いていた女性の姿が見えなくなりました。運転席から茶髪の女が降りてきたんですが、巻き込んだ女性を助ける素振りも見せず、小走りで逃げ去ったんです。間もなくパトカーが到着して警察官たちが凄い形相で逃げた女を探し始めました」
直後、警察は隣接するマンションに逃げ込んだ中川真理紗(31)の身柄を確保。中川は無事だったが、後ろからはね飛ばされた高橋さんは助からなかった――。
超高級なベンツ、収入源は謎
ベンツはSLクラスの「SL63AMG」。新車当時なら2000万円を超える超高級車だ。業者によれば、現在は中古価格で500万円から700万円ほどだという。
塀に衝突して大破したベンツ(手前)
「中川本人がローンを組んで購入したようです。謎なのは収入源で、逮捕時の職業は『自称・飲食店店員』となっていますが、貿易に関わる仕事などもしていたようです」(社会部記者)
本人のインスタグラムには、このベンツのほか複数の車、メイクを決めた自撮り写真、高級ホテルや海外旅行先の様子がアップされ、セレブ感に溢れている。
だが、中川が子供の頃に暮らしていたのは、川崎市内にある築年数の経った庶民的な賃貸アパート。
「父親をガンで亡くしたそうで、介護の仕事をしているお母さんと二人暮らしをしていました。マリちゃんは頭の切れる活発な子でしたね」(当時を知る住民)
中学の時に川崎市内の市営住宅に転居。住まいは質素なままだったが、近隣住民は「都内の中高に通った後、明治大で経済を学んだと言っていました」と語る。
ただ、近所ではトラブルメーカーとして有名だった。
「みんな迷惑していました」と住民
「2年ほど前まで住んでいましたが、あの子がいなくなってみんなホッとしています。敷地内で車をいじったり、横柄な停め方をしたりする。注意しても『フン!』という感じで無視するんです。いろんな男が訪ねてきましたが、真夜中にエンジンをふかす音が響いたりするので、みんな迷惑していました」(別の住民)
警察沙汰になったこともあった。
「3、4年前のことですが、ある日の昼間、若い男が部屋からテレビやら電化製品を地面にバンバン投げ落としていたんです。あの子は家の中にいたようで、痴話喧嘩か何か分かりませんが、とにかく下を通る住民に当たったら大変。警察を呼ぶと2人ともいったん連れて行かれました」(同前)
見せかけのセレブとはかけ離れた実像を持つ中川は、逮捕後、「薬を飲み過ぎて衝突するまでの記憶がない」と供述。尿からは覚醒剤の成分が検出された。
近年結婚したという夫は、記者に「文春はロクなことを書かない」と敵意を露わに。母親は「加害者家族は死ねばいいんですか!」と取り乱すばかりだった。』
覚醒剤をやって事故を起こすとは大馬鹿ものだと思うが、他人をネットで誹謗中傷したり、無関係と言いながら似顔絵のイラストを描いて他人を侮辱する人なんかも、現実には庶民的な賃貸アパートに住みながら、インスタグラムでセレブ感を演出しているのと変わるところはないように思う。
要は、本当は自分も大したことはないのに、他人を見下すことで自分が上にいるような錯覚をして自己満足に浸っているだけなんだろうと私は思う。
それでも、他人に迷惑をかけないならまだしも、それで他人が傷つくような思い上がりは迷惑なだけでなく犯罪行為だ。
いくら自分が上から目線で自分は正しいことをしているのだと思っていても、それは単なる思い込みであって、顔が見えないネットの世界では通用しても、身元がバレて現実の世界に戻れば犯罪行為という事実からは逃れることはできないのだ。
そういうことがわかっていないからこそネットで誹謗中傷することができるのだろうが、それは自分が馬鹿であることを曝していることに気づいていないだけだということを知った方がいいだろう。
こういう点でも、日本の政治家達のITへの知識のなさが露呈しているから情けない。政治資金だろうが、税金だろうが、お金の流れだってITでいくらでも追跡できるし、国会だって専門家会議だってネットワークでいくらでも国民にオープンにできるのだ。
あえてそれをやらないのは、自分たちに疾しいところがあるからに決まっている。情報公開をせず、嘘をついて隠蔽する。これではまるで中国共産党である。
だからであろうか、香港安全法を巡る中国批判声明に日本政府は参加を表明しないらしい。未だにオリンピックと習近平を国賓として来日させることに執着しているのだろうか。
ア○首相ではもうどうすることもできないのだろうが、後世で歴史的な失態と言われるようなことをこれ以上積み重ねることだけはやめてもらいたいものだ。
5月20日午後12時半頃、品川区の路上。白いベンツの運転席に座る茶髪にマスク姿の女が、警察官の職務質問を受けていた。
「通報されたんです。その女が奇声を上げながらベンツの周りをウロウロしていましたから」(近隣住民)
押し問答が15分ほど続いた後、女はベンツを急発進させ、国道1号を大田区南馬込まで900メートルほど暴走。道路沿いの防犯カメラは、会社員・高橋悠さん(34)が歩道を通過した後、100キロ近いスピードで走るベンツを捉えていた。
事故を目撃した周辺住民が顔を引きつらせる。
「白い車が歩道に突っ込んだかと思うと、ドカーンと凄まじい音が……。車の下敷きになったのか、歩いていた女性の姿が見えなくなりました。運転席から茶髪の女が降りてきたんですが、巻き込んだ女性を助ける素振りも見せず、小走りで逃げ去ったんです。間もなくパトカーが到着して警察官たちが凄い形相で逃げた女を探し始めました」
直後、警察は隣接するマンションに逃げ込んだ中川真理紗(31)の身柄を確保。中川は無事だったが、後ろからはね飛ばされた高橋さんは助からなかった――。
超高級なベンツ、収入源は謎
ベンツはSLクラスの「SL63AMG」。新車当時なら2000万円を超える超高級車だ。業者によれば、現在は中古価格で500万円から700万円ほどだという。
塀に衝突して大破したベンツ(手前)
「中川本人がローンを組んで購入したようです。謎なのは収入源で、逮捕時の職業は『自称・飲食店店員』となっていますが、貿易に関わる仕事などもしていたようです」(社会部記者)
本人のインスタグラムには、このベンツのほか複数の車、メイクを決めた自撮り写真、高級ホテルや海外旅行先の様子がアップされ、セレブ感に溢れている。
だが、中川が子供の頃に暮らしていたのは、川崎市内にある築年数の経った庶民的な賃貸アパート。
「父親をガンで亡くしたそうで、介護の仕事をしているお母さんと二人暮らしをしていました。マリちゃんは頭の切れる活発な子でしたね」(当時を知る住民)
中学の時に川崎市内の市営住宅に転居。住まいは質素なままだったが、近隣住民は「都内の中高に通った後、明治大で経済を学んだと言っていました」と語る。
ただ、近所ではトラブルメーカーとして有名だった。
「みんな迷惑していました」と住民
「2年ほど前まで住んでいましたが、あの子がいなくなってみんなホッとしています。敷地内で車をいじったり、横柄な停め方をしたりする。注意しても『フン!』という感じで無視するんです。いろんな男が訪ねてきましたが、真夜中にエンジンをふかす音が響いたりするので、みんな迷惑していました」(別の住民)
警察沙汰になったこともあった。
「3、4年前のことですが、ある日の昼間、若い男が部屋からテレビやら電化製品を地面にバンバン投げ落としていたんです。あの子は家の中にいたようで、痴話喧嘩か何か分かりませんが、とにかく下を通る住民に当たったら大変。警察を呼ぶと2人ともいったん連れて行かれました」(同前)
見せかけのセレブとはかけ離れた実像を持つ中川は、逮捕後、「薬を飲み過ぎて衝突するまでの記憶がない」と供述。尿からは覚醒剤の成分が検出された。
近年結婚したという夫は、記者に「文春はロクなことを書かない」と敵意を露わに。母親は「加害者家族は死ねばいいんですか!」と取り乱すばかりだった。』
覚醒剤をやって事故を起こすとは大馬鹿ものだと思うが、他人をネットで誹謗中傷したり、無関係と言いながら似顔絵のイラストを描いて他人を侮辱する人なんかも、現実には庶民的な賃貸アパートに住みながら、インスタグラムでセレブ感を演出しているのと変わるところはないように思う。
要は、本当は自分も大したことはないのに、他人を見下すことで自分が上にいるような錯覚をして自己満足に浸っているだけなんだろうと私は思う。
それでも、他人に迷惑をかけないならまだしも、それで他人が傷つくような思い上がりは迷惑なだけでなく犯罪行為だ。
いくら自分が上から目線で自分は正しいことをしているのだと思っていても、それは単なる思い込みであって、顔が見えないネットの世界では通用しても、身元がバレて現実の世界に戻れば犯罪行為という事実からは逃れることはできないのだ。
そういうことがわかっていないからこそネットで誹謗中傷することができるのだろうが、それは自分が馬鹿であることを曝していることに気づいていないだけだということを知った方がいいだろう。
こういう点でも、日本の政治家達のITへの知識のなさが露呈しているから情けない。政治資金だろうが、税金だろうが、お金の流れだってITでいくらでも追跡できるし、国会だって専門家会議だってネットワークでいくらでも国民にオープンにできるのだ。
あえてそれをやらないのは、自分たちに疾しいところがあるからに決まっている。情報公開をせず、嘘をついて隠蔽する。これではまるで中国共産党である。
だからであろうか、香港安全法を巡る中国批判声明に日本政府は参加を表明しないらしい。未だにオリンピックと習近平を国賓として来日させることに執着しているのだろうか。
ア○首相ではもうどうすることもできないのだろうが、後世で歴史的な失態と言われるようなことをこれ以上積み重ねることだけはやめてもらいたいものだ。
マイペースな人というと自分勝手でわがままな人という意味もあるかもしれないが、私はマイペースというのは悪くないと思う。
そもそも、多くの人は自分のことしか考えない身勝手なものだと私は思っているから、わがままな人というのは特殊な存在だとは思っていない。
もっとも、だからと言ってわがままな人が好きなわけではないから、そういう人にはそれなりの対応をするだけだ。そして、ほとんどの場合はその人の身勝手な行動による自分への被害を最小にできるようにあらかじめ準備したり、できればなるべく関わらないようにすることになる。
そして、自分は出来る限りマイペースに行動することだ。そうすることによってのみ自分にかかるストレスを最小にすることが出来るだろう。
世に中には自分のためなら人に迷惑をかけても構わないと考えていると思われる人が実にたくさんいるということが、いろいろな経験を積むうちにわかってきた。ほとんどの人は能力の低さによる包容力のなさのために他人を思いやることが出来ない人達だが、中には能力があるにも関わらず人を自分のために利用しようとする人も少なからずいる。
私は、ある人の本質を見極めようと思う時にはその人の言葉ではなく行動をよく観察することにしている。なぜなら言葉で嘘をつくことは出来ても普段の行動で嘘をつくことは出来ないからである。
不誠実な人の行動は必ず言っていることと乖離するから、よく見ていれば誰でもすぐにわかるだろう。
だから私は自分で普段から言っていることと、やっていることにズレが生じないように気をつけているが、それを実現する一番簡単な方法は、自分に嘘をつかず自分にできることと自分が信じていることだけを話すようにすることだ。
それ以外のことは考えずに、自分のやりたいことを無理せずにできる範囲でやっていれば、それがマイペースということだ。
無駄なことに時間を使わずにマイペースに生きるだけで幸せになれるというのが、私の考えるストレスフリーな生き方だと思うのだが、どうだろうか。
そもそも、多くの人は自分のことしか考えない身勝手なものだと私は思っているから、わがままな人というのは特殊な存在だとは思っていない。
もっとも、だからと言ってわがままな人が好きなわけではないから、そういう人にはそれなりの対応をするだけだ。そして、ほとんどの場合はその人の身勝手な行動による自分への被害を最小にできるようにあらかじめ準備したり、できればなるべく関わらないようにすることになる。
そして、自分は出来る限りマイペースに行動することだ。そうすることによってのみ自分にかかるストレスを最小にすることが出来るだろう。
世に中には自分のためなら人に迷惑をかけても構わないと考えていると思われる人が実にたくさんいるということが、いろいろな経験を積むうちにわかってきた。ほとんどの人は能力の低さによる包容力のなさのために他人を思いやることが出来ない人達だが、中には能力があるにも関わらず人を自分のために利用しようとする人も少なからずいる。
私は、ある人の本質を見極めようと思う時にはその人の言葉ではなく行動をよく観察することにしている。なぜなら言葉で嘘をつくことは出来ても普段の行動で嘘をつくことは出来ないからである。
不誠実な人の行動は必ず言っていることと乖離するから、よく見ていれば誰でもすぐにわかるだろう。
だから私は自分で普段から言っていることと、やっていることにズレが生じないように気をつけているが、それを実現する一番簡単な方法は、自分に嘘をつかず自分にできることと自分が信じていることだけを話すようにすることだ。
それ以外のことは考えずに、自分のやりたいことを無理せずにできる範囲でやっていれば、それがマイペースということだ。
無駄なことに時間を使わずにマイペースに生きるだけで幸せになれるというのが、私の考えるストレスフリーな生き方だと思うのだが、どうだろうか。
『ホーキング博士が強く警告 「今すぐ大聖堂を建設せよ」「トランプ支持者は低レベル」
「車椅子の天才物理者」ことスティーヴン・ホーキング博士が今の社会に警鐘を鳴らしている。価値観が富に偏重した文明は、必ず滅びるというのだ。
■嫉妬と孤立主義が社会を崩壊へ導く
スティーヴン・ホーキング博士が英紙「Guardian」に寄稿した記事が話題を呼んでいる。以前はあまりメディアに姿を現さなかったホーキング博士だが、この1、2年、積極的に社会問題について意見を発信するようになっている。メディアに寄せた今回の最新発言は、EU離脱を国民投票で決議した母国イギリスの動向を受けてのもののようだ。
ホーキング博士はイギリスのEU離脱はまったくの間違いであることを、国民投票の前から主張してきた。しかし何故、イギリス国民はEU離脱を選んだのか。それは昨今の社会を覆う、“富”に偏重した価値観によるものだという。そして価値観が極端に“富”に傾いているからこそ、人々は不公平感を抱くのだとホーキング博士は説明している。それを最もよく表しているのが、デイビッド・キャメロン氏から首相の座を引き継いだ、テレサ・メイ氏の就任時の発言だ。
「国家の資産を、多くの国民に分け与える経済改革が必要とされています」(テレサ・メイ首相)
もちろん博士も、個人が自由に生きられるという意味でのお金の重要性は痛感しており、ある程度の生活費がなければ自身のこれまでのキャリアがなかったことも認めている。しかしそれでも、純粋な資産を所有することについては、大いに疑問であるという。価値観が“富”に偏重することで、持たざる者は嫉妬心を募らせ、持つ者が孤立主義を深めるといった閉塞的な社会は崩壊へ向かうということだ。
「お金は知識や経験よりも重要ですか? 所有することは満足感を得る手段ですか? そもそも我々は本当に資産を所有することなどできるのですか? それは単に、つかの間、預かっているだけに過ぎないのでは?」(スティーヴン・ホーキング博士)
こうした危機の時代にこそ必要なのが、“大聖堂建設計画”であるとホーキング博士は主張している。“大聖堂”というのはもちろんもののたとえだが、地上から天上を目指し、今の世代から将来の世代に引き継がれる壮大なプロジェクトが必要とされているということだ。その意味では確かに、宇宙開発分野はそのスケールの大きさからいっても人々を束ねる格好のプロジェクトになるということだろうか。
■「トランプは最も低レベルの扇動政治家」
昨今進化が目覚しいAI(人工知能)に対しても、いち早く警戒を呼びかけてきたホーキング博士だが、最近のインタビューでは、やはり人間の強欲さがAIにも匹敵する現代の最大の脅威のひとつであると主張している。
「私たちは強欲さを失っていませんし、愚かさも改善されていません。それらに加えて、私は6年前から環境汚染と人口問題も懸念しています。そしてこれらの問題は、今なお悪化しているのです」(スティーヴン・ホーキング博士)
また、現在の米大統領選についても自説を表明している。共和党の大統領候補に指名されたトランプ氏の人気が理解できないということだ。テレビのモーニングショー番組で意見を求められたホーキング博士だが、「(トランプ氏は)国民の最も低レベルの多数派を代表している扇動政治家のように見えます」と答え、現在のトランプ旋風に苦言を呈している。混迷を深める世界情勢の諸現象に、これほど積極的に発言するホーキング博士というのも前代未聞だろう。
「国民にEU離脱を選ばせた妬みと孤立主義はイギリスだけの出来事ではなく世界に蔓延しているものです。“富”の狭い定義と公平な再分配の失敗は、国境の壁を高いものにするでしょう。これが行き過ぎた場合、長期的な観点から私は人類の行く末について楽観的になることができません」(スティーヴン・ホーキング博士)
今後の人類の行方に楽観的にはなれないというホーキング博士だが、まだ我々には成功を収める余地は残されているということだ。
「人間はいつでも臨機の才に溢れた存在であり、柔軟に環境に適応してきました。我々は“富”の定義に知識、自然資源、人間の能力などを加えて、より幅広いものにしなければなりません。そして同時に“富”をより公平にシェアすることを学ばなければなりません。これができれば、社会が一体になることに何の制限もなくなります」(スティーヴン・ホーキング博士)
豊かな生活は、現代の市場社会においてはある程度のお金がなければ実現しないようにも思える。しかし実際はお金だけではないことを、ホーキング博士はこのタイミングで改めて強く訴えたということだろう。時折博士は、まくし立てるように激しい表現も用いているが、これは良い意味でトカナが常々予想してきた「ホーキング博士の発狂」が現実のものになったと言えるかもしれない。同時代に生きる天才物理学者の発言に今後も耳を傾けたい。』
「私たちは強欲さを失っていませんし、愚かさも改善されていません。」というのは人間の特徴であると思う.お金にして富を蓄えることができるのが強欲さの元凶だろう.すでに十分に持っているのにさらに増やそうと思うのが強欲ということだ.
豊かな生活というのは人によって捉え方が違うだろうが,私は心身ともに健康的に生活できることが豊かだと思う.お金があれば物を買うことが出来るが,お金があればあるだけ買うものの値段が高くなり所有欲は満たせるのだろうが,それもつかの間ですぐに次が欲しくなるのは誰しも経験することではないだろうか.
歴史は繰り返すと言うが,中国の一党独裁制もトランプ氏の扇動による民衆のコントロールも根っこは同じで要は自分の生活に不満を持つ人たちの目を国外に向けさせることによる問題のすり替えに過ぎず,これはかつてヒトラーがドイツ人をマインドコントロールしたのと同じ図式だろう.
だが,こと宗教に関して言えば,知的であると思われる人たちも精神的には脆いものである.かつてホーキング博士は宇宙には創造主は必要ないと言っている.私は神が人間を創造したのではなく,人間が神を創造したと思っている.神がいるいないを議論しても意味がないばかりか,今や神は祖国と同じく人間同士の争いの種にさえなっている.
私はホーキン博士は賢者だと思うが,残念ながら人間は賢者の意見を聞くようには出来ていない.多くの人は自分の欲をかなえてくれそうな,声の大きい人やお金や権力を持った人の言うことを聞くようにできている.そして、おそらくこの点では人間の脳はここ数千年は全く進化していないのだろう.
しかし,一方で人間の持つ環境破壊の力は巨大になっている.第一次世界大戦の頃までは戦線,第二次世界大戦ではそれが都市の破壊で済んでいたが,これからはそうはいかないだろう.原爆だけでなくIT兵器や宇宙兵器といったものが登場してより広範な地球破壊ができるようになるだろう.
しかし,相変わらずそのきっかけとなるのは過去と同じ種類の人間の間違いに過ぎないのだとしたら,もはや人類の滅亡は防ぎようがなくなるに違いない.その前に人間が自ら間違いが起きるのを防げるようになるのか,はたまた人工知能が人間を制してくれるのか,あるいは人工知能に人類が地球に不要なものとして処理されるのか.
もっとも,過去に地球では何度か地球規模の絶滅が起きていて,今が人類の時代になっているだけなのだろうから,人類が好きなようにやって自滅するのも自然の摂理なのかもしれない.もし神がいたとしてもノアの箱船ですでに一度失敗しているからもう助けてはくれないだろう.
「車椅子の天才物理者」ことスティーヴン・ホーキング博士が今の社会に警鐘を鳴らしている。価値観が富に偏重した文明は、必ず滅びるというのだ。
■嫉妬と孤立主義が社会を崩壊へ導く
スティーヴン・ホーキング博士が英紙「Guardian」に寄稿した記事が話題を呼んでいる。以前はあまりメディアに姿を現さなかったホーキング博士だが、この1、2年、積極的に社会問題について意見を発信するようになっている。メディアに寄せた今回の最新発言は、EU離脱を国民投票で決議した母国イギリスの動向を受けてのもののようだ。
ホーキング博士はイギリスのEU離脱はまったくの間違いであることを、国民投票の前から主張してきた。しかし何故、イギリス国民はEU離脱を選んだのか。それは昨今の社会を覆う、“富”に偏重した価値観によるものだという。そして価値観が極端に“富”に傾いているからこそ、人々は不公平感を抱くのだとホーキング博士は説明している。それを最もよく表しているのが、デイビッド・キャメロン氏から首相の座を引き継いだ、テレサ・メイ氏の就任時の発言だ。
「国家の資産を、多くの国民に分け与える経済改革が必要とされています」(テレサ・メイ首相)
もちろん博士も、個人が自由に生きられるという意味でのお金の重要性は痛感しており、ある程度の生活費がなければ自身のこれまでのキャリアがなかったことも認めている。しかしそれでも、純粋な資産を所有することについては、大いに疑問であるという。価値観が“富”に偏重することで、持たざる者は嫉妬心を募らせ、持つ者が孤立主義を深めるといった閉塞的な社会は崩壊へ向かうということだ。
「お金は知識や経験よりも重要ですか? 所有することは満足感を得る手段ですか? そもそも我々は本当に資産を所有することなどできるのですか? それは単に、つかの間、預かっているだけに過ぎないのでは?」(スティーヴン・ホーキング博士)
こうした危機の時代にこそ必要なのが、“大聖堂建設計画”であるとホーキング博士は主張している。“大聖堂”というのはもちろんもののたとえだが、地上から天上を目指し、今の世代から将来の世代に引き継がれる壮大なプロジェクトが必要とされているということだ。その意味では確かに、宇宙開発分野はそのスケールの大きさからいっても人々を束ねる格好のプロジェクトになるということだろうか。
■「トランプは最も低レベルの扇動政治家」
昨今進化が目覚しいAI(人工知能)に対しても、いち早く警戒を呼びかけてきたホーキング博士だが、最近のインタビューでは、やはり人間の強欲さがAIにも匹敵する現代の最大の脅威のひとつであると主張している。
「私たちは強欲さを失っていませんし、愚かさも改善されていません。それらに加えて、私は6年前から環境汚染と人口問題も懸念しています。そしてこれらの問題は、今なお悪化しているのです」(スティーヴン・ホーキング博士)
また、現在の米大統領選についても自説を表明している。共和党の大統領候補に指名されたトランプ氏の人気が理解できないということだ。テレビのモーニングショー番組で意見を求められたホーキング博士だが、「(トランプ氏は)国民の最も低レベルの多数派を代表している扇動政治家のように見えます」と答え、現在のトランプ旋風に苦言を呈している。混迷を深める世界情勢の諸現象に、これほど積極的に発言するホーキング博士というのも前代未聞だろう。
「国民にEU離脱を選ばせた妬みと孤立主義はイギリスだけの出来事ではなく世界に蔓延しているものです。“富”の狭い定義と公平な再分配の失敗は、国境の壁を高いものにするでしょう。これが行き過ぎた場合、長期的な観点から私は人類の行く末について楽観的になることができません」(スティーヴン・ホーキング博士)
今後の人類の行方に楽観的にはなれないというホーキング博士だが、まだ我々には成功を収める余地は残されているということだ。
「人間はいつでも臨機の才に溢れた存在であり、柔軟に環境に適応してきました。我々は“富”の定義に知識、自然資源、人間の能力などを加えて、より幅広いものにしなければなりません。そして同時に“富”をより公平にシェアすることを学ばなければなりません。これができれば、社会が一体になることに何の制限もなくなります」(スティーヴン・ホーキング博士)
豊かな生活は、現代の市場社会においてはある程度のお金がなければ実現しないようにも思える。しかし実際はお金だけではないことを、ホーキング博士はこのタイミングで改めて強く訴えたということだろう。時折博士は、まくし立てるように激しい表現も用いているが、これは良い意味でトカナが常々予想してきた「ホーキング博士の発狂」が現実のものになったと言えるかもしれない。同時代に生きる天才物理学者の発言に今後も耳を傾けたい。』
「私たちは強欲さを失っていませんし、愚かさも改善されていません。」というのは人間の特徴であると思う.お金にして富を蓄えることができるのが強欲さの元凶だろう.すでに十分に持っているのにさらに増やそうと思うのが強欲ということだ.
豊かな生活というのは人によって捉え方が違うだろうが,私は心身ともに健康的に生活できることが豊かだと思う.お金があれば物を買うことが出来るが,お金があればあるだけ買うものの値段が高くなり所有欲は満たせるのだろうが,それもつかの間ですぐに次が欲しくなるのは誰しも経験することではないだろうか.
歴史は繰り返すと言うが,中国の一党独裁制もトランプ氏の扇動による民衆のコントロールも根っこは同じで要は自分の生活に不満を持つ人たちの目を国外に向けさせることによる問題のすり替えに過ぎず,これはかつてヒトラーがドイツ人をマインドコントロールしたのと同じ図式だろう.
だが,こと宗教に関して言えば,知的であると思われる人たちも精神的には脆いものである.かつてホーキング博士は宇宙には創造主は必要ないと言っている.私は神が人間を創造したのではなく,人間が神を創造したと思っている.神がいるいないを議論しても意味がないばかりか,今や神は祖国と同じく人間同士の争いの種にさえなっている.
私はホーキン博士は賢者だと思うが,残念ながら人間は賢者の意見を聞くようには出来ていない.多くの人は自分の欲をかなえてくれそうな,声の大きい人やお金や権力を持った人の言うことを聞くようにできている.そして、おそらくこの点では人間の脳はここ数千年は全く進化していないのだろう.
しかし,一方で人間の持つ環境破壊の力は巨大になっている.第一次世界大戦の頃までは戦線,第二次世界大戦ではそれが都市の破壊で済んでいたが,これからはそうはいかないだろう.原爆だけでなくIT兵器や宇宙兵器といったものが登場してより広範な地球破壊ができるようになるだろう.
しかし,相変わらずそのきっかけとなるのは過去と同じ種類の人間の間違いに過ぎないのだとしたら,もはや人類の滅亡は防ぎようがなくなるに違いない.その前に人間が自ら間違いが起きるのを防げるようになるのか,はたまた人工知能が人間を制してくれるのか,あるいは人工知能に人類が地球に不要なものとして処理されるのか.
もっとも,過去に地球では何度か地球規模の絶滅が起きていて,今が人類の時代になっているだけなのだろうから,人類が好きなようにやって自滅するのも自然の摂理なのかもしれない.もし神がいたとしてもノアの箱船ですでに一度失敗しているからもう助けてはくれないだろう.
『サンジャポ・アッコもスルー! 元AKB・指原莉乃、移籍でわかったマスコミ癒着事情
週刊誌による過去の交際報道が発端となり、HKT48への電撃移籍が発表された元AKB48・指原莉乃。総合プロデューサーの秋元康氏は「HKT48のメンバーや支えてくれているファンのみなさんやスタッフに失礼」と、指原の“左遷説”を否定するが、スキャンダルを逆手に取ってHKTの宣伝に話題をすり替えたということ、そして指原の島流しという“二段サプライズ”で消火を図ったことは明らかだろう。
指原のスキャンダル記事が掲載されたのは、14日発売の「週刊文春」(文藝春秋)。記事を受けて指原は、翌15日深夜放送の『AKB48のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に生出演。嗚咽混じりに記事の内容について謝罪し、指原と過去交際していたことを明かした一般人男性・Aさんについて「お友達だったことは本当です」と話した。
「この指原の移籍に関して、TBSの『サンデー・ジャポン』『アッコにおまかせ!』の両番組は、まったくと言っていいほど取り上げなかったんです。例えば、スポーツ紙の記事をざっと紹介する番組だったら、『指原が過去の交際相手について報じられた』程度で済むんですが、『サンジャポ』や『アッコ』のように、VTRが必要となる番組では、どうしても騒動の内容を詳しく紹介しなくてはならなくなる。AKBサイドから、スルーするよう指示があったとしか思えません」(週刊誌記者)
文春記事によると、指原は熱心なAKBファンだったAさんに2008年夏、mixiを通じて自ら接触。最初は「指原の友人」を名乗って「莉乃ちゃんのアドレスを教えましょうか?」と話しかけてきたそうだが、後に最初から指原本人が接触を図ってきたことに気付いたという。Aさんに送られてきた指原のプライベート写真も多数あったそうで、自画撮りしたとみられる胸元のカットまで誌面に掲載されている。そしてアイドルとの交際に耐え切れなくなったAさんが指原に別れを告げると、「エッチだってしたのにふざけんなよ!」というメールが送られてきたという。その後、指原は別のファン男性と交際していたそうだ。
「『サンジャポ』『アッコ』とも、総選挙の時はあれだけ番組全体で盛り上げていたのに、いざスキャンダルとなると完全に都合のいい部分しか報じない。もともとこの両番組は『ジャニーズネタは基本的にNG』といった独自ルールが存在するなど、TBSの中でも難しい位置付けなのですが、今回ほどわかりやすいと、逆に笑えてきますよ」(TBS関係者)
指原は、AKB本体や秋元氏以上の決定権を持つという太田プロダクション所属だけに、放送を規制することも、1日2日でできたのだろう。
「しかしこうした操作で世論を形成すること以上に、やはりテレビ局やスポーツ紙といった各大手メディアが“AKB至上主義”を続けてしまっていることの方が大きな問題でしょう」(前出記者)
大島優子や板野友美ら人気上位メンバーの熱愛は黙殺し、また高橋みなみの母親逮捕に関しても完全スルーだった各大手メディア。このAKBによる無双状態は、一体いつまで続くのだろうか。』
今どきアイドルは恋愛禁止なんていうのもおかしな話だと思うが,それでもアイドルのイメージを自分の脳内で勝手に膨らませてファンになり,大金をつぎ込んでくれる人がたくさんいるからせめてその夢を壊さないというお約束みたいなものがあってもいいのかもしれない.まあ本心は稼げるうちに稼ぐためなのかも知れないが.
業界内の営業上の力関係で自分に不利な情報は隠蔽して流さないというのが今やマスコミの常套手段だということも原発事故の報道をみれば当たり前のことのように思えるから,アイドルの交際報道をスルーする番組があったところで大したことでもないだろう.むしろその程度のネタに過剰反応するほうがどうかしているとも思う.
アイドルにしても政治家にしても目の前に存在しているわけではないから所詮は容姿や発言で受けた印象を自分の脳内イメージとしてとらえるしかないのだが,好印象だと人は勝手にその人を偶像化して好きになってしまうものらしい.一目惚れとはそういうものだろうが,その際にはたぶん自分の希望とか要求がイメージに取り込まれてしまうのではないだろうか.
それは相手への期待ということでもいいだろうが,現実の相手がこちらが考えている通りの人間である可能性は非常に少ないから,いつか期待は裏切られ相手に失望することになるのだろう.もっとも,偶像を作り上げるほどの想像力もなかったとしたら人生は全く面白くないものに違いない.
人によってその偶像がアイドルだったり何らかの権力者といった人間だったり神だったりするだけで,要するに普通の人間には心のよりどころが必要なのだろう.だが,もっとよく考えればそれらは全て自分の脳内イメージにすぎず考え方次第でどの様にでも作り変えることが可能なものなのである.
他人の行動に期待するのではなく,他人の行動に対して自分がどの様に考えて行動するかだけが現実の世界に起きることだということが理解出来れば,敢て偶像を作り出しそれに失望することも無くなるのではないかと思うのだがどうだろうか.
週刊誌による過去の交際報道が発端となり、HKT48への電撃移籍が発表された元AKB48・指原莉乃。総合プロデューサーの秋元康氏は「HKT48のメンバーや支えてくれているファンのみなさんやスタッフに失礼」と、指原の“左遷説”を否定するが、スキャンダルを逆手に取ってHKTの宣伝に話題をすり替えたということ、そして指原の島流しという“二段サプライズ”で消火を図ったことは明らかだろう。
指原のスキャンダル記事が掲載されたのは、14日発売の「週刊文春」(文藝春秋)。記事を受けて指原は、翌15日深夜放送の『AKB48のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に生出演。嗚咽混じりに記事の内容について謝罪し、指原と過去交際していたことを明かした一般人男性・Aさんについて「お友達だったことは本当です」と話した。
「この指原の移籍に関して、TBSの『サンデー・ジャポン』『アッコにおまかせ!』の両番組は、まったくと言っていいほど取り上げなかったんです。例えば、スポーツ紙の記事をざっと紹介する番組だったら、『指原が過去の交際相手について報じられた』程度で済むんですが、『サンジャポ』や『アッコ』のように、VTRが必要となる番組では、どうしても騒動の内容を詳しく紹介しなくてはならなくなる。AKBサイドから、スルーするよう指示があったとしか思えません」(週刊誌記者)
文春記事によると、指原は熱心なAKBファンだったAさんに2008年夏、mixiを通じて自ら接触。最初は「指原の友人」を名乗って「莉乃ちゃんのアドレスを教えましょうか?」と話しかけてきたそうだが、後に最初から指原本人が接触を図ってきたことに気付いたという。Aさんに送られてきた指原のプライベート写真も多数あったそうで、自画撮りしたとみられる胸元のカットまで誌面に掲載されている。そしてアイドルとの交際に耐え切れなくなったAさんが指原に別れを告げると、「エッチだってしたのにふざけんなよ!」というメールが送られてきたという。その後、指原は別のファン男性と交際していたそうだ。
「『サンジャポ』『アッコ』とも、総選挙の時はあれだけ番組全体で盛り上げていたのに、いざスキャンダルとなると完全に都合のいい部分しか報じない。もともとこの両番組は『ジャニーズネタは基本的にNG』といった独自ルールが存在するなど、TBSの中でも難しい位置付けなのですが、今回ほどわかりやすいと、逆に笑えてきますよ」(TBS関係者)
指原は、AKB本体や秋元氏以上の決定権を持つという太田プロダクション所属だけに、放送を規制することも、1日2日でできたのだろう。
「しかしこうした操作で世論を形成すること以上に、やはりテレビ局やスポーツ紙といった各大手メディアが“AKB至上主義”を続けてしまっていることの方が大きな問題でしょう」(前出記者)
大島優子や板野友美ら人気上位メンバーの熱愛は黙殺し、また高橋みなみの母親逮捕に関しても完全スルーだった各大手メディア。このAKBによる無双状態は、一体いつまで続くのだろうか。』
今どきアイドルは恋愛禁止なんていうのもおかしな話だと思うが,それでもアイドルのイメージを自分の脳内で勝手に膨らませてファンになり,大金をつぎ込んでくれる人がたくさんいるからせめてその夢を壊さないというお約束みたいなものがあってもいいのかもしれない.まあ本心は稼げるうちに稼ぐためなのかも知れないが.
業界内の営業上の力関係で自分に不利な情報は隠蔽して流さないというのが今やマスコミの常套手段だということも原発事故の報道をみれば当たり前のことのように思えるから,アイドルの交際報道をスルーする番組があったところで大したことでもないだろう.むしろその程度のネタに過剰反応するほうがどうかしているとも思う.
アイドルにしても政治家にしても目の前に存在しているわけではないから所詮は容姿や発言で受けた印象を自分の脳内イメージとしてとらえるしかないのだが,好印象だと人は勝手にその人を偶像化して好きになってしまうものらしい.一目惚れとはそういうものだろうが,その際にはたぶん自分の希望とか要求がイメージに取り込まれてしまうのではないだろうか.
それは相手への期待ということでもいいだろうが,現実の相手がこちらが考えている通りの人間である可能性は非常に少ないから,いつか期待は裏切られ相手に失望することになるのだろう.もっとも,偶像を作り上げるほどの想像力もなかったとしたら人生は全く面白くないものに違いない.
人によってその偶像がアイドルだったり何らかの権力者といった人間だったり神だったりするだけで,要するに普通の人間には心のよりどころが必要なのだろう.だが,もっとよく考えればそれらは全て自分の脳内イメージにすぎず考え方次第でどの様にでも作り変えることが可能なものなのである.
他人の行動に期待するのではなく,他人の行動に対して自分がどの様に考えて行動するかだけが現実の世界に起きることだということが理解出来れば,敢て偶像を作り出しそれに失望することも無くなるのではないかと思うのだがどうだろうか.
『岩手県で被災した少年のサッカーボール、米・アラスカで見つかる
東日本大震災の津波で流された「思い出のサッカーボール」が、太平洋を超えて、およそ5,000km離れたアメリカ・アラスカで見つかった。
泥で汚れたサッカーボールには、「村上 岬君がんばれ!!」と書かれていた。
この日本語が書かれたサッカーボールは、3月、アメリカのアラスカ沖にあるミドルトン島の海岸に流れ着いているのを、地元の男性が発見した。
ボールを発見したデービッド・バクスターさんは「砂浜で貝殻拾いをしていたら、同僚がボールを見つけて、手渡してくれたんです。僕の妻は日本人だから、翻訳できるかもしれないと思って、家に持ち帰ったんです」と話した。
妻・ゆみさんは「もしかしたら、地震があったところかもしれないって思いまして。調べてみたんですけど、小学校が岩手県の方にあるっていうのがわかりまして。そこは、やはり地震のあったところだったので。きっとこのボールは、そこから来たのではないかって、それでびっくりしたんですけど」と話した。
22日、このボールは、岩手・陸前高田市で被災した村上 岬君(16)のものとわかった。
村上君は「全部流されてしまって、何1つ手元に、写真すらも戻ってこない状況だったんですけど。急に、サッカーボールがアラスカまで流れていたっていうのを聞いて、すごくうれしかったです」と話した。
ボールは、東日本大震災の津波で、村上君の自宅ごと流されたもので、1年かけて、岩手県からおよそ5,000km離れたアラスカまで流れてきたとみられている。
このサッカーボールは、村上君が小学校3年生の終わりに転校する際、友人たちが寄せ書きをしてくれたもの。
村上君は「思い出のものが戻ってくるということなので、うれしい気持ちでいっぱいです」と話した。村上君は、思い出の詰まったボールを見つけてくれたデービッドさんに、とても感謝しているという。
デービッドさんは「彼が元気だということで、うれしいです。発見したボールが彼の手に戻ることで、津波で受けた傷が少しでも癒やされればと思っています」と話した。
村上君は「思い出の品なので、『おかえり』と言ってあげたいです」と話した。』
今日のニュースで一番心が暖かくなったのはこのニュース.村上君も自分だったらボールなんて気にしなかったと思うと言っていたが,ボールを発見したデービッド・バクスターさんの想像力のおかげでたった一つの思い出の品が戻ってきたことは村上君の記憶に一生残ることだろう.
これに比べるとバスジャックを計画して運転手を刺した中学生や,一晩中ドライブした挙げ句に小学生と妊婦さんをひき殺した18歳の無免許運転の男や無免許と知っていて運転させていた連中はなんとつまらない人間だろうと思う.
物事の善悪や危険を予測する想像力も欠如しているのだろうが,こんなのがその辺を歩いているのでは危なっかしくてやってられない.社会から隔離して必要十分な教育と罪の償いをさせるべきだろう.
もっとも,もう一歩で犯罪になりそうなことをやっている人間はそれこそ無数にいるから,たとえどこにいても周りに注意を払う必要はあるだろう.考えようによっては人間はヒグマよりもはるかに恐ろしい動物だ.
東日本大震災の津波で流された「思い出のサッカーボール」が、太平洋を超えて、およそ5,000km離れたアメリカ・アラスカで見つかった。
泥で汚れたサッカーボールには、「村上 岬君がんばれ!!」と書かれていた。
この日本語が書かれたサッカーボールは、3月、アメリカのアラスカ沖にあるミドルトン島の海岸に流れ着いているのを、地元の男性が発見した。
ボールを発見したデービッド・バクスターさんは「砂浜で貝殻拾いをしていたら、同僚がボールを見つけて、手渡してくれたんです。僕の妻は日本人だから、翻訳できるかもしれないと思って、家に持ち帰ったんです」と話した。
妻・ゆみさんは「もしかしたら、地震があったところかもしれないって思いまして。調べてみたんですけど、小学校が岩手県の方にあるっていうのがわかりまして。そこは、やはり地震のあったところだったので。きっとこのボールは、そこから来たのではないかって、それでびっくりしたんですけど」と話した。
22日、このボールは、岩手・陸前高田市で被災した村上 岬君(16)のものとわかった。
村上君は「全部流されてしまって、何1つ手元に、写真すらも戻ってこない状況だったんですけど。急に、サッカーボールがアラスカまで流れていたっていうのを聞いて、すごくうれしかったです」と話した。
ボールは、東日本大震災の津波で、村上君の自宅ごと流されたもので、1年かけて、岩手県からおよそ5,000km離れたアラスカまで流れてきたとみられている。
このサッカーボールは、村上君が小学校3年生の終わりに転校する際、友人たちが寄せ書きをしてくれたもの。
村上君は「思い出のものが戻ってくるということなので、うれしい気持ちでいっぱいです」と話した。村上君は、思い出の詰まったボールを見つけてくれたデービッドさんに、とても感謝しているという。
デービッドさんは「彼が元気だということで、うれしいです。発見したボールが彼の手に戻ることで、津波で受けた傷が少しでも癒やされればと思っています」と話した。
村上君は「思い出の品なので、『おかえり』と言ってあげたいです」と話した。』
今日のニュースで一番心が暖かくなったのはこのニュース.村上君も自分だったらボールなんて気にしなかったと思うと言っていたが,ボールを発見したデービッド・バクスターさんの想像力のおかげでたった一つの思い出の品が戻ってきたことは村上君の記憶に一生残ることだろう.
これに比べるとバスジャックを計画して運転手を刺した中学生や,一晩中ドライブした挙げ句に小学生と妊婦さんをひき殺した18歳の無免許運転の男や無免許と知っていて運転させていた連中はなんとつまらない人間だろうと思う.
物事の善悪や危険を予測する想像力も欠如しているのだろうが,こんなのがその辺を歩いているのでは危なっかしくてやってられない.社会から隔離して必要十分な教育と罪の償いをさせるべきだろう.
もっとも,もう一歩で犯罪になりそうなことをやっている人間はそれこそ無数にいるから,たとえどこにいても周りに注意を払う必要はあるだろう.考えようによっては人間はヒグマよりもはるかに恐ろしい動物だ.
『 橋下市長に「価値観押しつけるな」 赤川次郎氏が朝日「声」欄で批判
「三毛猫ホームズシリーズ」などで知られる作家の赤川次郎氏(64)が、橋下徹大阪市長を批判した内容が、朝日新聞朝刊の「声」欄に載った。国歌斉唱時の教職員の「口元チェック」問題などを取り上げ、「自分の価値観を押し付けるのは、『力強い指導力』などとは全く別物である」などと厳しい言葉を連ねている。
口元チェック問題「何と醜悪な光景だろう!」 - 赤川次郎氏が橋下市長を批判する投稿が、朝日新聞「声」欄に載った。
朝日新聞の「声」欄は、主に一般読者の意見を紹介するコーナーだ。2012年4月12日付朝刊(東京本社版)の声欄に赤川氏の橋下氏評が載ると、ネットのツイッターでは、「朝日新聞の『声』に、作家の赤川次郎が投稿!」などと注目が集まった。赤川氏の意見を一部引用した上で「同感」とつぶやく人も少なくなかった。
見出しは、赤川氏でなく朝日新聞側がつけたとみられるが、「橋下氏、価値観押しつけるな」となっている。8人の意見が載る中、赤川氏のものは右ページの1番右上と比較的目立つ位置ではあるものの、特別扱いはされていない。1行約14字で36行の分量で、5段落に分かれている。
まず、大阪府立高校の卒業式で教職員らの「口元チェック」が行われた問題を取り上げている。橋下氏は、国歌斉唱時の起立斉唱を義務付けた条例を府と大阪市で成立させた。
赤川氏は、「生徒のためのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元を監視する。何と醜悪な光景だろう!」と嘆いた。そして、橋下氏がかつて「独裁」の必要性に言及したことに触れ、「なるほど『密告の奨励』は独裁政治につきものである」と続けた。
橋下氏が主導する文楽協会への補助金削減問題でも、「客の数だけを比べるのはベートーヴェンとAKBを同列にするのと同じだ」として、「理解力不足を棚に上げ、自分の価値観を押し付けるのは、『力強い指導力』などとは全く別物である」と評している。
大阪本社版では載っていない
最後の段落では、橋下氏を指すであろう「過去に学ぶ謙虚さを持ち合わせない人間」に未来を託することは、地図もガイドもなしで初めて登山することと同じだとした上で、「一つ違うのは、遭難するとき、他のすべての人々を道連れにするということである」と結んでいる。
朝日新聞広報部によると、声欄に赤川氏の投稿が載るのは初めてで、「他の投稿と同様に」投稿されたものだと説明した。赤川氏は、2011年秋まで朝日新聞夕刊でコラム(三毛猫ホームズと芸術三昧!)を連載していた。この連載の中でも、大阪府知事時代の橋下氏に言及していた。
イタリア映画の名作、ヴィスコンティ監督の「山猫」について語った回(2011年9月2日)では、映画の登場人物と比較する形で、「ことに、石原都知事や橋下・大阪府知事が政治権力で教育に介入するのを見ていると、『歴史に学ぶ』謙虚さを持たない指導者がいかに薄っぺらな張り子の虎に見えることか」と書いた。
また、11年9月30日の「最終回」では、「どんなに政治やジャーナリズムに失望しても、石原慎太郎都知事や、橋下徹大阪府知事のような独裁者タイプの政治家に期待するのは最も避けるべき選択である」と指摘した。
4月12日夕現在、橋下氏は赤川氏への反論はしていないようだ。ツイッターは12日未明から更新しておらず、まったく触れていない。記者団に語ったという報道も見受けられない。
赤川氏の「声」は、12日の朝日新聞大阪本社版の声欄には載っていないようだ。大阪市内の複数の図書館に確認してみると、いずれも「載っていない」という答えだった。ツイッターでも「大阪では掲載まだ」といった声があった。
「声」欄は、エリア(各本社)ごとに地区の読者を優先する形で編集されている。赤川氏の住所は、「東京都港区」と掲載されていた。』
かつての小泉首相の登場の頃から米国のような劇場型政治が日本でも顕著になり,言わば民衆に受ける発言をする政治家の人気が上がるということなんだろうが,今の国政はあまりに大根役者ばかりで,その中では民衆受けがいい過激な発言をすればそれだけで注目を集めることが出来るから,テレビのように受ければ何でもありになっても不思議じゃないだろう.
国家をちゃんと斉唱しているか口元を監視するなんていう小学生並みの行動を高校の教職員の管理職が行うなんて言うのは,まさに国家による教育への悪しき介入でこれでは中国の思想教育のことを笑う事はできない.
私も娘の卒業式と入学式に出席してきたが,確かに国歌斉唱というのがあった.私も君が代を歌うのはあまりに久しぶりで一番の歌詞をようやく思い出しながら歌ったが,小学校では割と歌っている人が多かったのに中学校ではあまりちゃんと歌っている人はいなかった.
だが,考えてみると今この時代に何の疑問もなく国歌を全員できちんと斉唱しているというのは異様な光景のような気もする.北朝鮮ならともかくも日本は敗戦で民主主義国家になったはずなのに『君が代』というのはやっぱりどうも変な感じがするのは私だけだろうか.
『君が代』は元来,平安時代に詠まれた和歌でそれに明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ,以後は国歌として扱われるようになったそうであるから,国歌としての歴史としてはまだ一世紀ちょっとのようだ.
現在の政府の公式見解は,「『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる.(君が代の歌詞を)我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当』」とされているようだが,第二次大戦前の修身の教科書には「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。」と記されていたそうである.
こうしてみると日本政府の見解は例によってご都合主義による曲解のようにも聞こえるし,歴史的にも現在の日本の国歌というには成り立ちの理由が釈然としない気がしないでもない.かといって他に適当な歴史を持った歌もないので,そのまま1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定されたのだろう.
しかるに,日本の歴史に比べてみれば非常に浅い歴史しかない国歌をなぜ政治主導で全員が斉唱しなければならないのだろうか.法律で決まったからというのではあまりにも拙劣なような気もしないでもないし,いつも歌っているうちに歌の意味を勘違いして,日本は今でも天皇制なのだと思う人が出て来てもおかしくないないだろう.それはすなわち洗脳である.テレビのCMとはそういうものだ.
思想,信条の自由というのは全ての法に優先する憲法で定められた自由であるはずである.今や,『君が代』は法律で定められた国歌であろうが,それを自分の国歌として受け入れて歌うかどうかは個人の自由だろう.だから,歌えない人がいても非難されることはないと思うが,教師は公務員なので知事や市長の業務命令に逆らってはいけないということなのだろう.
ただ,勘違いしてはいけないのは,自分の国を愛するということと政府が決めた国家を歌うということはまったく次元が違うということだ.かつて愛国心を利用して国民を戦争に駆り立てたどこかの国や歴史上の人物を思い出しつつ,自分もマインドコントロールされないように気をつけることこそが大切だろう.
「三毛猫ホームズシリーズ」などで知られる作家の赤川次郎氏(64)が、橋下徹大阪市長を批判した内容が、朝日新聞朝刊の「声」欄に載った。国歌斉唱時の教職員の「口元チェック」問題などを取り上げ、「自分の価値観を押し付けるのは、『力強い指導力』などとは全く別物である」などと厳しい言葉を連ねている。
口元チェック問題「何と醜悪な光景だろう!」 - 赤川次郎氏が橋下市長を批判する投稿が、朝日新聞「声」欄に載った。
朝日新聞の「声」欄は、主に一般読者の意見を紹介するコーナーだ。2012年4月12日付朝刊(東京本社版)の声欄に赤川氏の橋下氏評が載ると、ネットのツイッターでは、「朝日新聞の『声』に、作家の赤川次郎が投稿!」などと注目が集まった。赤川氏の意見を一部引用した上で「同感」とつぶやく人も少なくなかった。
見出しは、赤川氏でなく朝日新聞側がつけたとみられるが、「橋下氏、価値観押しつけるな」となっている。8人の意見が載る中、赤川氏のものは右ページの1番右上と比較的目立つ位置ではあるものの、特別扱いはされていない。1行約14字で36行の分量で、5段落に分かれている。
まず、大阪府立高校の卒業式で教職員らの「口元チェック」が行われた問題を取り上げている。橋下氏は、国歌斉唱時の起立斉唱を義務付けた条例を府と大阪市で成立させた。
赤川氏は、「生徒のためのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元を監視する。何と醜悪な光景だろう!」と嘆いた。そして、橋下氏がかつて「独裁」の必要性に言及したことに触れ、「なるほど『密告の奨励』は独裁政治につきものである」と続けた。
橋下氏が主導する文楽協会への補助金削減問題でも、「客の数だけを比べるのはベートーヴェンとAKBを同列にするのと同じだ」として、「理解力不足を棚に上げ、自分の価値観を押し付けるのは、『力強い指導力』などとは全く別物である」と評している。
大阪本社版では載っていない
最後の段落では、橋下氏を指すであろう「過去に学ぶ謙虚さを持ち合わせない人間」に未来を託することは、地図もガイドもなしで初めて登山することと同じだとした上で、「一つ違うのは、遭難するとき、他のすべての人々を道連れにするということである」と結んでいる。
朝日新聞広報部によると、声欄に赤川氏の投稿が載るのは初めてで、「他の投稿と同様に」投稿されたものだと説明した。赤川氏は、2011年秋まで朝日新聞夕刊でコラム(三毛猫ホームズと芸術三昧!)を連載していた。この連載の中でも、大阪府知事時代の橋下氏に言及していた。
イタリア映画の名作、ヴィスコンティ監督の「山猫」について語った回(2011年9月2日)では、映画の登場人物と比較する形で、「ことに、石原都知事や橋下・大阪府知事が政治権力で教育に介入するのを見ていると、『歴史に学ぶ』謙虚さを持たない指導者がいかに薄っぺらな張り子の虎に見えることか」と書いた。
また、11年9月30日の「最終回」では、「どんなに政治やジャーナリズムに失望しても、石原慎太郎都知事や、橋下徹大阪府知事のような独裁者タイプの政治家に期待するのは最も避けるべき選択である」と指摘した。
4月12日夕現在、橋下氏は赤川氏への反論はしていないようだ。ツイッターは12日未明から更新しておらず、まったく触れていない。記者団に語ったという報道も見受けられない。
赤川氏の「声」は、12日の朝日新聞大阪本社版の声欄には載っていないようだ。大阪市内の複数の図書館に確認してみると、いずれも「載っていない」という答えだった。ツイッターでも「大阪では掲載まだ」といった声があった。
「声」欄は、エリア(各本社)ごとに地区の読者を優先する形で編集されている。赤川氏の住所は、「東京都港区」と掲載されていた。』
かつての小泉首相の登場の頃から米国のような劇場型政治が日本でも顕著になり,言わば民衆に受ける発言をする政治家の人気が上がるということなんだろうが,今の国政はあまりに大根役者ばかりで,その中では民衆受けがいい過激な発言をすればそれだけで注目を集めることが出来るから,テレビのように受ければ何でもありになっても不思議じゃないだろう.
国家をちゃんと斉唱しているか口元を監視するなんていう小学生並みの行動を高校の教職員の管理職が行うなんて言うのは,まさに国家による教育への悪しき介入でこれでは中国の思想教育のことを笑う事はできない.
私も娘の卒業式と入学式に出席してきたが,確かに国歌斉唱というのがあった.私も君が代を歌うのはあまりに久しぶりで一番の歌詞をようやく思い出しながら歌ったが,小学校では割と歌っている人が多かったのに中学校ではあまりちゃんと歌っている人はいなかった.
だが,考えてみると今この時代に何の疑問もなく国歌を全員できちんと斉唱しているというのは異様な光景のような気もする.北朝鮮ならともかくも日本は敗戦で民主主義国家になったはずなのに『君が代』というのはやっぱりどうも変な感じがするのは私だけだろうか.
『君が代』は元来,平安時代に詠まれた和歌でそれに明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ,以後は国歌として扱われるようになったそうであるから,国歌としての歴史としてはまだ一世紀ちょっとのようだ.
現在の政府の公式見解は,「『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる.(君が代の歌詞を)我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当』」とされているようだが,第二次大戦前の修身の教科書には「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。」と記されていたそうである.
こうしてみると日本政府の見解は例によってご都合主義による曲解のようにも聞こえるし,歴史的にも現在の日本の国歌というには成り立ちの理由が釈然としない気がしないでもない.かといって他に適当な歴史を持った歌もないので,そのまま1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定されたのだろう.
しかるに,日本の歴史に比べてみれば非常に浅い歴史しかない国歌をなぜ政治主導で全員が斉唱しなければならないのだろうか.法律で決まったからというのではあまりにも拙劣なような気もしないでもないし,いつも歌っているうちに歌の意味を勘違いして,日本は今でも天皇制なのだと思う人が出て来てもおかしくないないだろう.それはすなわち洗脳である.テレビのCMとはそういうものだ.
思想,信条の自由というのは全ての法に優先する憲法で定められた自由であるはずである.今や,『君が代』は法律で定められた国歌であろうが,それを自分の国歌として受け入れて歌うかどうかは個人の自由だろう.だから,歌えない人がいても非難されることはないと思うが,教師は公務員なので知事や市長の業務命令に逆らってはいけないということなのだろう.
ただ,勘違いしてはいけないのは,自分の国を愛するということと政府が決めた国家を歌うということはまったく次元が違うということだ.かつて愛国心を利用して国民を戦争に駆り立てたどこかの国や歴史上の人物を思い出しつつ,自分もマインドコントロールされないように気をつけることこそが大切だろう.
『 ネットで暴露された徳光24時間マラソン“噴飯”全裏側
ツイッター、Ustreamで24時間生中継
<スタートは相模原市中央区。武道館まで63キロ>
「おい徳光、休みすぎだろ!」「これじゃ散歩じゃねーか」
ネットを中心に非難囂々(ごうごう)だったのも当然だろう。「24時間テレビ」(日本テレビ)の恒例企画、24時間マラソンに今年は70歳の徳光和夫が挑戦した。だが、走行距離はたったの63キロ……。しかも、休憩ばかりで、とてもマラソンとは呼べない内容だったのだ。
マラソンのスターターとして巨人の長嶋茂雄終身名誉監督がサプライズで登場。そんな大盛り上がりの様子や走っている姿が番組や公式HPの動画、テキスト速報で随時アップされていた。「このマラソンへの挑戦がたくさんの人に元気を与えようとしています!」「皆の思いを背に徳光さんは、一歩一歩、武道館に向かいます!!」などと仰々しかった。
だが、その実態は――。あるネット上のサイトでは徳光の姿をツイッターやUstreamで24時間生中継。おかげでテレビが映さないマラソンの実態が明らかになったのだ。
まず、スタート早々に出発地点は相模原市中央区の南橋本駅付近の企業敷地内であることが判明。ちなみに、ここからゴールの日本武道館までは直線距離で約40キロ。最短ルートならゆっくり歩いても9時間程度しかかからない。今回は徳光の年齢を考慮して走行距離は歴代最短の63キロ(これまでは萩本欽一の70キロ)に設定されたが、それでも短すぎだ。
しかも、ネットの24時間中継を見ると、「スタートして5時間で4時間睡眠(TV中継一切なし)、その後2時間ほど休みながら歩き、90分休憩」。早朝からは再び走り始めたが、「14:00 休憩 日産プリンス東京246上馬店」「14:56 休憩(トイレ休憩・ファミリーマート上馬交差点前店)」「15:19 休憩 アランチャータスクーターズ(目黒区碑文谷)」と休憩ばかり……。しかも、休憩中は足にお灸(きゅう)をしてもらったり、マッサージを受けたりと至れり尽くせり。
徳光は番組終了直前の午後8時45分頃に武道館に到着し、ゴールのテープを切ったが、血色もよく、健康そのものに見えた。階段でコケるシーンもあったが、マイクの声は「千里の道も一歩から」とよどみなかったし……。
ちなみに、東京マラソンでは規定の7時間以内に42.195キロを完走した70代以上のランナーが多数。フルマラソンのギネス記録は2010年のホノルルマラソンを完走した92歳の女性(9時間53分)である。
至れり尽くせりの24時間マラソン。これで視聴者に「感動しろ」とは押し売りもいいところ。その上、ギャラまでもらえるんだから、こんなにいい商売はない。』
娘と妻が見ていたので,私もスタートとゴールを含めてテレビで何度か見たが,スタートからすでに両足が同時に地面に着いていてとても走っているようには見えなかった.心臓が悪いから仕方ないのだろうが,あれを見て感動するかと言われれば,正直言ってあまり面白くないし応援する気にもなれなかった.
あれに比べると盲目の女性がイモトさんとキリマンジェロの登頂に成功した話のほうは非常に健全に思えて応援する気にもなれたし,登頂に成功したおかげでキリマンジェロの頂上の風景がテレビで見れたのも嬉しかった.こういうのは本当に感動的である.
どっちも同じテレビ局の番組だから視聴者の感動をねらっての演出もあるのだろうが,受ける印象はまったく異なっていて,私には感動するということについて考えるいい機会になった.
ツイッター、Ustreamで24時間生中継
<スタートは相模原市中央区。武道館まで63キロ>
「おい徳光、休みすぎだろ!」「これじゃ散歩じゃねーか」
ネットを中心に非難囂々(ごうごう)だったのも当然だろう。「24時間テレビ」(日本テレビ)の恒例企画、24時間マラソンに今年は70歳の徳光和夫が挑戦した。だが、走行距離はたったの63キロ……。しかも、休憩ばかりで、とてもマラソンとは呼べない内容だったのだ。
マラソンのスターターとして巨人の長嶋茂雄終身名誉監督がサプライズで登場。そんな大盛り上がりの様子や走っている姿が番組や公式HPの動画、テキスト速報で随時アップされていた。「このマラソンへの挑戦がたくさんの人に元気を与えようとしています!」「皆の思いを背に徳光さんは、一歩一歩、武道館に向かいます!!」などと仰々しかった。
だが、その実態は――。あるネット上のサイトでは徳光の姿をツイッターやUstreamで24時間生中継。おかげでテレビが映さないマラソンの実態が明らかになったのだ。
まず、スタート早々に出発地点は相模原市中央区の南橋本駅付近の企業敷地内であることが判明。ちなみに、ここからゴールの日本武道館までは直線距離で約40キロ。最短ルートならゆっくり歩いても9時間程度しかかからない。今回は徳光の年齢を考慮して走行距離は歴代最短の63キロ(これまでは萩本欽一の70キロ)に設定されたが、それでも短すぎだ。
しかも、ネットの24時間中継を見ると、「スタートして5時間で4時間睡眠(TV中継一切なし)、その後2時間ほど休みながら歩き、90分休憩」。早朝からは再び走り始めたが、「14:00 休憩 日産プリンス東京246上馬店」「14:56 休憩(トイレ休憩・ファミリーマート上馬交差点前店)」「15:19 休憩 アランチャータスクーターズ(目黒区碑文谷)」と休憩ばかり……。しかも、休憩中は足にお灸(きゅう)をしてもらったり、マッサージを受けたりと至れり尽くせり。
徳光は番組終了直前の午後8時45分頃に武道館に到着し、ゴールのテープを切ったが、血色もよく、健康そのものに見えた。階段でコケるシーンもあったが、マイクの声は「千里の道も一歩から」とよどみなかったし……。
ちなみに、東京マラソンでは規定の7時間以内に42.195キロを完走した70代以上のランナーが多数。フルマラソンのギネス記録は2010年のホノルルマラソンを完走した92歳の女性(9時間53分)である。
至れり尽くせりの24時間マラソン。これで視聴者に「感動しろ」とは押し売りもいいところ。その上、ギャラまでもらえるんだから、こんなにいい商売はない。』
娘と妻が見ていたので,私もスタートとゴールを含めてテレビで何度か見たが,スタートからすでに両足が同時に地面に着いていてとても走っているようには見えなかった.心臓が悪いから仕方ないのだろうが,あれを見て感動するかと言われれば,正直言ってあまり面白くないし応援する気にもなれなかった.
あれに比べると盲目の女性がイモトさんとキリマンジェロの登頂に成功した話のほうは非常に健全に思えて応援する気にもなれたし,登頂に成功したおかげでキリマンジェロの頂上の風景がテレビで見れたのも嬉しかった.こういうのは本当に感動的である.
どっちも同じテレビ局の番組だから視聴者の感動をねらっての演出もあるのだろうが,受ける印象はまったく異なっていて,私には感動するということについて考えるいい機会になった.
『「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言
「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。
ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。
博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。
また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。
1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。』
神も天国も人間の脳が創造したものにすぎないと私も思う.しかし,自分の中に死生観のようなものを構築出来る人には神も宗教も不要だろうが,そうでない人には心の拠り所が必要だとも思う.
だから宗教はあってもいいが,宗教界が科学的理論や考察を批判するのはまったく的外れだし,自分の信仰を他人に押し付けるのも同様である.神はいないとわかった人にとっては天国もない代わりに闇もないから恐れるものはないのである.
だから,自分を信じて「自らの行動の価値を最大化するために努力」しながら自分のやりたいことをやればいいと私は思うのだがどうだろうか.
「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。
ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。
博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。
また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。
1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。』
神も天国も人間の脳が創造したものにすぎないと私も思う.しかし,自分の中に死生観のようなものを構築出来る人には神も宗教も不要だろうが,そうでない人には心の拠り所が必要だとも思う.
だから宗教はあってもいいが,宗教界が科学的理論や考察を批判するのはまったく的外れだし,自分の信仰を他人に押し付けるのも同様である.神はいないとわかった人にとっては天国もない代わりに闇もないから恐れるものはないのである.
だから,自分を信じて「自らの行動の価値を最大化するために努力」しながら自分のやりたいことをやればいいと私は思うのだがどうだろうか.
『「なぜ悲しい思いを…」 ローマ法王に震災を尋ねた少女
ローマ法王ベネディクト16世が22日、イタリア国営テレビRAIの番組で、東日本大震災を経験した日本在住の少女の「どうして日本の子どもは怖くて悲しい思いをしなければならないの」との質問に答えた。
質問したのは千葉市に住むエレナ・マツキさん(7)。自宅マンションのベランダで撮った日本語のビデオレターで尋ねた。
これに対し、法王は「私も自問しており、答えはないかもしれない。(十字架にかけられた)キリストも無実の苦しみを味わっており、神は常にあなたのそばにいる」と答えた。
ベネチア近郊に住む祖母ジアーナ・デル・リオさん(63)によると、エレナさんは地震発生時、10階の自宅に日本人の母親と一緒にいて、強い揺れを何度も経験。同年代の子どもがたくさん亡くなったことを知り、法王に質問をしたような疑問を抱いたという。
法王は「悲しさは消えない。しかし、世界中の人たちがあなたたちのことを思っており、私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」とも述べた。』
多くの人間にとって信仰心は必要だろうし,宗教を否定するつもりもないが,残念ながら人間にとって都合のいい神なんて存在しないということだろう.
今までの自分の体験から,人が知る事ができなくとも運命というものはあると思うし,奇跡的な偶然というのもあると思うが,神という人格化され物理学の法則を超越するような存在というものはいないと思う.
しかし,多くの人にとっては神というものを存在するものとしてそれを信仰の対象とすることは悪い事ではないだろう.それで心の平和が得られるのならば,他人に迷惑をかけない限り,自分の心の中に何を創り出すのも自由だろう.
だが,宗教が原因で悩みが増えたり,他人の考えを受け入れなくなったり,あげくに争いをしたりするのでは本末転倒である.怖くて悲しい思いをするのは信仰とは関係なくて,あるのは自分が何をしてきたか,何をしているか,何をしようとするかの問題だけだろう.
ただ苦痛に耐え神に頼るのではなく,自分の心と行動をしっかりと見つめて,自分が幸せになるにはどうすれば良いかを考え毎日少しずつでもそれを実行することこそが,運命の流れを変えうるただ唯一の方法ではないだろうかと私は思うのだがどうだろうか.
ローマ法王ベネディクト16世が22日、イタリア国営テレビRAIの番組で、東日本大震災を経験した日本在住の少女の「どうして日本の子どもは怖くて悲しい思いをしなければならないの」との質問に答えた。
質問したのは千葉市に住むエレナ・マツキさん(7)。自宅マンションのベランダで撮った日本語のビデオレターで尋ねた。
これに対し、法王は「私も自問しており、答えはないかもしれない。(十字架にかけられた)キリストも無実の苦しみを味わっており、神は常にあなたのそばにいる」と答えた。
ベネチア近郊に住む祖母ジアーナ・デル・リオさん(63)によると、エレナさんは地震発生時、10階の自宅に日本人の母親と一緒にいて、強い揺れを何度も経験。同年代の子どもがたくさん亡くなったことを知り、法王に質問をしたような疑問を抱いたという。
法王は「悲しさは消えない。しかし、世界中の人たちがあなたたちのことを思っており、私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」とも述べた。』
多くの人間にとって信仰心は必要だろうし,宗教を否定するつもりもないが,残念ながら人間にとって都合のいい神なんて存在しないということだろう.
今までの自分の体験から,人が知る事ができなくとも運命というものはあると思うし,奇跡的な偶然というのもあると思うが,神という人格化され物理学の法則を超越するような存在というものはいないと思う.
しかし,多くの人にとっては神というものを存在するものとしてそれを信仰の対象とすることは悪い事ではないだろう.それで心の平和が得られるのならば,他人に迷惑をかけない限り,自分の心の中に何を創り出すのも自由だろう.
だが,宗教が原因で悩みが増えたり,他人の考えを受け入れなくなったり,あげくに争いをしたりするのでは本末転倒である.怖くて悲しい思いをするのは信仰とは関係なくて,あるのは自分が何をしてきたか,何をしているか,何をしようとするかの問題だけだろう.
ただ苦痛に耐え神に頼るのではなく,自分の心と行動をしっかりと見つめて,自分が幸せになるにはどうすれば良いかを考え毎日少しずつでもそれを実行することこそが,運命の流れを変えうるただ唯一の方法ではないだろうかと私は思うのだがどうだろうか.
何かを手に入れたいとか,願いを叶えたいとか思ってみても状況によっては不可能ということがよくある.命にかかわる緊急事態であれば,たとえ無駄だとわかっていても何とかしようともがくのもいいだろうが,そうでもなければその時は黙って諦めるのが理性的な対応だろう.
問題は,そのまま諦めて何もしないで完全に忘れてしまうか,それとも心のどこかに留めておいていつか実現するチャンスが訪れることを願い続けるかということではないだろうか.私は,諦めが悪いほうなので大抵の場合は後者を選ぶことになる.そしてその結果,偶然に問題の解決法が見つかったり,欲しい物が手に入るチャンスが巡ってくることもよくあるのだ.
このカメラも5年くらいずっと心の中にひっかかっていた.実はこれが気になった時に結構探してみたものの希望の物が見つからず一度は諦めたのだが,やっぱり諦めきれずに年に一回くらい思い出しては探したり,ネットで見かけてもやはり希望に合わずに諦めたりを繰り返してきたのである.
ところが,今回はネット中古で見かけてすぐに購入を決めてしまった.なぜかは分からないが直感的にこれが気に入ってしまったのである.以前は店頭でさわってみてもやはり駄目な気がしてやめたのに,今回は実物に触りもしないのにこれだと確信してしまったのだ.
そのカメラが今は手元にある.結果的にはこれで良かったような気がしている.さっそく試写しているが以前に他ので感じたような違和感がまったくなくて,とても手に馴染んでいる感じがするのだ.カメラの個体差なのか私の感覚が変わったのか.いずれにしても機が熟すとはこういうことなのだろう.
こういう結末をいくつも経験すれば待つ時間はあまり苦ではなくなり,むしろ楽しむことが出来るようになるのではないだろうか.いずれ願いがかなうと思える心の余裕がいい結果を生むということもあるような気がする.
残りの人生がどれだけあるのか知らないが,時間が経つことを楽しめるようになれれば,生きる意味はさらに深くなるのではないだろうか.一瞬の時をとどめる写真とはまさにそういうことを楽しむものではないだろうかと思うようになった.
問題は,そのまま諦めて何もしないで完全に忘れてしまうか,それとも心のどこかに留めておいていつか実現するチャンスが訪れることを願い続けるかということではないだろうか.私は,諦めが悪いほうなので大抵の場合は後者を選ぶことになる.そしてその結果,偶然に問題の解決法が見つかったり,欲しい物が手に入るチャンスが巡ってくることもよくあるのだ.
このカメラも5年くらいずっと心の中にひっかかっていた.実はこれが気になった時に結構探してみたものの希望の物が見つからず一度は諦めたのだが,やっぱり諦めきれずに年に一回くらい思い出しては探したり,ネットで見かけてもやはり希望に合わずに諦めたりを繰り返してきたのである.
ところが,今回はネット中古で見かけてすぐに購入を決めてしまった.なぜかは分からないが直感的にこれが気に入ってしまったのである.以前は店頭でさわってみてもやはり駄目な気がしてやめたのに,今回は実物に触りもしないのにこれだと確信してしまったのだ.
そのカメラが今は手元にある.結果的にはこれで良かったような気がしている.さっそく試写しているが以前に他ので感じたような違和感がまったくなくて,とても手に馴染んでいる感じがするのだ.カメラの個体差なのか私の感覚が変わったのか.いずれにしても機が熟すとはこういうことなのだろう.
こういう結末をいくつも経験すれば待つ時間はあまり苦ではなくなり,むしろ楽しむことが出来るようになるのではないだろうか.いずれ願いがかなうと思える心の余裕がいい結果を生むということもあるような気がする.
残りの人生がどれだけあるのか知らないが,時間が経つことを楽しめるようになれれば,生きる意味はさらに深くなるのではないだろうか.一瞬の時をとどめる写真とはまさにそういうことを楽しむものではないだろうかと思うようになった.
人生が顔をつくるんだなあ
2010年1月5日 こころの問題 コメント (2)
『 紅白の瞬間最高視聴率 ドリカムの50.1%に
2009年の大晦日にあったNHK紅白歌合戦で、関東地区の瞬間最高視聴率はDREAMS COME TRUEが出演した午後11時27分の50.1%だったことが2010年1月4日、ビデオリサーチの調べで分かった。
ちなみに、特別ゲストの矢沢永吉さんと英国のスーザン・ボイルさんが出演したときは、それぞれ42.5%と42.2%だった。』
録画で早送りしながらちらっと見ただけなんだけど,苦労が顔に出てしまっている芸能人ってもうテレビに出ない方がいいような気がする.イメージがすっかり崩れてしまい昔の歌も聴けなくなりそうだ.
2009年の大晦日にあったNHK紅白歌合戦で、関東地区の瞬間最高視聴率はDREAMS COME TRUEが出演した午後11時27分の50.1%だったことが2010年1月4日、ビデオリサーチの調べで分かった。
ちなみに、特別ゲストの矢沢永吉さんと英国のスーザン・ボイルさんが出演したときは、それぞれ42.5%と42.2%だった。』
録画で早送りしながらちらっと見ただけなんだけど,苦労が顔に出てしまっている芸能人ってもうテレビに出ない方がいいような気がする.イメージがすっかり崩れてしまい昔の歌も聴けなくなりそうだ.
幸せな結婚生活が前提?
2006年12月27日 こころの問題 コメント (3)『 -- 手を握るとストレスが減少する可能性 --
幸せな結婚生活を送る妻は夫の手を握ると、ストレスが減少する
Miranda Hitti
WebMD Medical News
Reviewed By Louise Chang, MD
幸せな結婚生活を送る夫婦では、配偶者の手を握ると、ストレスの軽減に役立つ可能性がある。
この知見はバージニア大学の心理学専門家が幸せな結婚生活を送る夫婦を対象に研究を行って得たものである。
James Coan, PhDらが実施した本研究は、幸せな結婚生活を送る30代はじめ(平均)の夫婦16組を対象とした。
最初に、夫と妻は結婚生活の質について0-151の尺度で評価した。スコアが100未満の場合、不幸せな結婚生活と判断した。本研究の参加には、夫と妻の両方のスコアが高いことを条件とした。
研究対象として選択した夫婦において、夫の平均スコアは126、妻の平均スコアは127であった。これらのスコアは「結婚生活の質が一般に高いことを示す」と研究者らは記している。
手を握るとストレスが軽減
夫婦には、これは手を握ることについて検討する研究であり、軽度の電気ショックを伴うことを説明した。
妻は足首に電極を付け、電気ショックが来ることを警告またはショックが来ないことを保障するスクリーン画面を注視した。
一方で研究者らは、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)で妻の脳をスキャンした。Coan博士の研究チームは、夫婦をfMRI装置にあらかじめ慣れさせておいた。
予測された通り、電気ショックが来ることを妻が知った場合、脳スキャン画像では脅威を扱う脳領域の活動が認められた。
しかし、同じ脅威を受ける際に妻が夫の手を握った場合、握っていない場合に比べて、脳スキャン画像は穏やかな状態を示した。
他人の手を握った場合
比較のため、会ったことのない見知らぬ男性の手を握ってもらい、同様に妻を試験した。
他人の手を握っている間、妻の脳スキャン画像は、誰の手も握っていないときより穏やかであったが、夫の手を握っているときと比べると、穏やかさの程度は少なかった。
また、妻は、各実験の不快度およびストレス度について評価した。
誰か(配偶者または他人)の手を握っている場合には、身体的に落ち着きを感じたが、実験の不快度は夫の手を握っている場合のみ軽減された、と妻らは回答した。
つまり、誰の手もまったく握っていないよりは、他人の手を握った方が良かったが、夫の手を握ったときに最良の結果が得られた。
本知見は、孤立より社会的つながりをもつことが有益であり、親密な感情的結びつきが重要であることを示す他の研究結果と一致する。
幸せな結婚生活が重要
本研究に参加した夫婦は、いずれも幸せな結婚生活を送っていた。しかし、一部の夫婦は結婚生活の質について、他の夫婦よりもさらに高く評価していた。
妻の脳スキャン画像では、脅威にさらされた際に配偶者の手を握ることで得られる効果は、夫婦関係がより強固な場合にさらに高かった。
つまり、脅威にさらされた状況で夫の手を握った際、最良の結婚生活を送る妻の脳が最も穏やかであると考えられた。
研究者らは夫の脳スキャンは実施しなかった。したがって、ストレス下で妻の手を握ったとき、夫の脳が穏やかになるかどうかは、明らかでない。
今回の知見はあまり幸せでない夫婦関係にはあてはまらないと考えられる、とCoan博士の研究チームは指摘している。』
幸せな結婚生活を送っている妻の場合は,信頼している夫の手を握ると安心してストレスが減少するということを科学的に証明する実験ということなのだろうか.
これをfMRIを用いずにストレスチェッカーみたいなもので実現できたら,結婚生活幸福度チェッカーあるいは浮気度チェッカーとして人気商品になるかもしれない.
幸せな結婚生活を送る妻は夫の手を握ると、ストレスが減少する
Miranda Hitti
WebMD Medical News
Reviewed By Louise Chang, MD
幸せな結婚生活を送る夫婦では、配偶者の手を握ると、ストレスの軽減に役立つ可能性がある。
この知見はバージニア大学の心理学専門家が幸せな結婚生活を送る夫婦を対象に研究を行って得たものである。
James Coan, PhDらが実施した本研究は、幸せな結婚生活を送る30代はじめ(平均)の夫婦16組を対象とした。
最初に、夫と妻は結婚生活の質について0-151の尺度で評価した。スコアが100未満の場合、不幸せな結婚生活と判断した。本研究の参加には、夫と妻の両方のスコアが高いことを条件とした。
研究対象として選択した夫婦において、夫の平均スコアは126、妻の平均スコアは127であった。これらのスコアは「結婚生活の質が一般に高いことを示す」と研究者らは記している。
手を握るとストレスが軽減
夫婦には、これは手を握ることについて検討する研究であり、軽度の電気ショックを伴うことを説明した。
妻は足首に電極を付け、電気ショックが来ることを警告またはショックが来ないことを保障するスクリーン画面を注視した。
一方で研究者らは、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)で妻の脳をスキャンした。Coan博士の研究チームは、夫婦をfMRI装置にあらかじめ慣れさせておいた。
予測された通り、電気ショックが来ることを妻が知った場合、脳スキャン画像では脅威を扱う脳領域の活動が認められた。
しかし、同じ脅威を受ける際に妻が夫の手を握った場合、握っていない場合に比べて、脳スキャン画像は穏やかな状態を示した。
他人の手を握った場合
比較のため、会ったことのない見知らぬ男性の手を握ってもらい、同様に妻を試験した。
他人の手を握っている間、妻の脳スキャン画像は、誰の手も握っていないときより穏やかであったが、夫の手を握っているときと比べると、穏やかさの程度は少なかった。
また、妻は、各実験の不快度およびストレス度について評価した。
誰か(配偶者または他人)の手を握っている場合には、身体的に落ち着きを感じたが、実験の不快度は夫の手を握っている場合のみ軽減された、と妻らは回答した。
つまり、誰の手もまったく握っていないよりは、他人の手を握った方が良かったが、夫の手を握ったときに最良の結果が得られた。
本知見は、孤立より社会的つながりをもつことが有益であり、親密な感情的結びつきが重要であることを示す他の研究結果と一致する。
幸せな結婚生活が重要
本研究に参加した夫婦は、いずれも幸せな結婚生活を送っていた。しかし、一部の夫婦は結婚生活の質について、他の夫婦よりもさらに高く評価していた。
妻の脳スキャン画像では、脅威にさらされた際に配偶者の手を握ることで得られる効果は、夫婦関係がより強固な場合にさらに高かった。
つまり、脅威にさらされた状況で夫の手を握った際、最良の結婚生活を送る妻の脳が最も穏やかであると考えられた。
研究者らは夫の脳スキャンは実施しなかった。したがって、ストレス下で妻の手を握ったとき、夫の脳が穏やかになるかどうかは、明らかでない。
今回の知見はあまり幸せでない夫婦関係にはあてはまらないと考えられる、とCoan博士の研究チームは指摘している。』
幸せな結婚生活を送っている妻の場合は,信頼している夫の手を握ると安心してストレスが減少するということを科学的に証明する実験ということなのだろうか.
これをfMRIを用いずにストレスチェッカーみたいなもので実現できたら,結婚生活幸福度チェッカーあるいは浮気度チェッカーとして人気商品になるかもしれない.
いい事も,いやな事も
2006年9月16日 こころの問題 コメント (2)『 -- 別居2カ月は修復可、5カ月で夫の声忘れる インコの妻 --
別居状態が2カ月なら夫婦関係は修復できるが、5カ月をすぎると妻は夫の声を聞いても素知らぬ顔??。一夫一妻制の鳥として知られるセキセイインコのメスは、意外にドライな性質であることが、日本女子大理学部(東京都文京区)の研究チームの実験で分かった。「死別した場合などに、昔の夫の記憶が残り続けると、次の繁殖の障害になるからではないか」と研究チームは推測している。21日から島根大学で始まる日本動物学会で発表する。
セキセイインコの妻、5カ月で夫の声忘れる
セキセイインコは1羽ごとに鳴き声のパターンが微妙に異なり、妻は自分の夫の声を聞き分けて鳴き返すことが知られている。
動物の記憶を研究テーマにしている日本女子大大学院生の兼定彩さん、宮本武典教授(行動神経科学)らの研究チームは、セキセイインコのカップル12組を引き離し、互いに鳴き声が聞こえないようにした。その上で、夫の声と別のオスの声を交互にスピーカーで妻に聞かせ、反応の違いを調べた。
その結果、引き離してから2カ月までは、妻が鳴き返した回数のうち夫に対する反応は7割を占めた。ところが、5カ月が経過すると、夫の声に対する反応も、別のオスの声に対する反応も、ともに5割程度と、違いがみられなくなった。これは、夫の声に対する記憶がなくなったことを示しているという。
宮本教授は「音声を学習する能力が高いオウム類やスズメ類、ハチドリ類などのメスも同様の性質をもつ可能性が高い」と話している。』
人間の場合はどうなんだろうか.人によっては認知症にでもならない限り一生忘れないような気がする.もう30年くらい会っていない高校の同級生の声でもちょっと考えると思い出せる.勿論,顔だって思い出せる.病気で高校時代に亡くなってしまった友人との会話さえ.
そうかと思うと,ほんの10年前にどんな毎日を送っていたかと思い出そうとしてもまったく記憶が無い部分もあるのに驚く.私の記憶力で人と違っている事は忘れようと思った事を記憶から消し去ることができることだ.だから,どうでもよいことや厭な記憶で憶えておきたくない事は気づくとその時期の記憶と一緒にきれいに消えているのである.何故なのかは自分でもわからない.
でも,厭な記憶でも憶えておきたいことはしっかり憶えている.まわりの状況まで克明に記憶する事も可能である.多くの場合,対人関係でつらい想いをした時のことは私の中でいわば人生の教訓として残しておきたいのだ.こうすることで,人から傷つけられるリスクを減らすことができる.自分にとって好ましくない人間はできるかぎり避けるのが一番である.この場合,失敗した経験は成功した経験より有用だと思う.
いい事は出来る限り記憶しておいたほうがいい.成功するイメージを持つ事は不安に打ち勝つ勇気を与えてくれる.私は,難しい手術をする時はいつも以前の成功した難しい手術のイメージを思い出すようにしている.注意深く手術する事と不安感を持つことは違う.いい思い出をたくさん持つ事は毎日をポジティブに生きるために大切なことである.
セキセイインコはそんなことを考えて忘れているとは思えないが,ひょっとすると人間の脳にも忘れる本能というものはあるのかもしれない.
別居状態が2カ月なら夫婦関係は修復できるが、5カ月をすぎると妻は夫の声を聞いても素知らぬ顔??。一夫一妻制の鳥として知られるセキセイインコのメスは、意外にドライな性質であることが、日本女子大理学部(東京都文京区)の研究チームの実験で分かった。「死別した場合などに、昔の夫の記憶が残り続けると、次の繁殖の障害になるからではないか」と研究チームは推測している。21日から島根大学で始まる日本動物学会で発表する。
セキセイインコの妻、5カ月で夫の声忘れる
セキセイインコは1羽ごとに鳴き声のパターンが微妙に異なり、妻は自分の夫の声を聞き分けて鳴き返すことが知られている。
動物の記憶を研究テーマにしている日本女子大大学院生の兼定彩さん、宮本武典教授(行動神経科学)らの研究チームは、セキセイインコのカップル12組を引き離し、互いに鳴き声が聞こえないようにした。その上で、夫の声と別のオスの声を交互にスピーカーで妻に聞かせ、反応の違いを調べた。
その結果、引き離してから2カ月までは、妻が鳴き返した回数のうち夫に対する反応は7割を占めた。ところが、5カ月が経過すると、夫の声に対する反応も、別のオスの声に対する反応も、ともに5割程度と、違いがみられなくなった。これは、夫の声に対する記憶がなくなったことを示しているという。
宮本教授は「音声を学習する能力が高いオウム類やスズメ類、ハチドリ類などのメスも同様の性質をもつ可能性が高い」と話している。』
人間の場合はどうなんだろうか.人によっては認知症にでもならない限り一生忘れないような気がする.もう30年くらい会っていない高校の同級生の声でもちょっと考えると思い出せる.勿論,顔だって思い出せる.病気で高校時代に亡くなってしまった友人との会話さえ.
そうかと思うと,ほんの10年前にどんな毎日を送っていたかと思い出そうとしてもまったく記憶が無い部分もあるのに驚く.私の記憶力で人と違っている事は忘れようと思った事を記憶から消し去ることができることだ.だから,どうでもよいことや厭な記憶で憶えておきたくない事は気づくとその時期の記憶と一緒にきれいに消えているのである.何故なのかは自分でもわからない.
でも,厭な記憶でも憶えておきたいことはしっかり憶えている.まわりの状況まで克明に記憶する事も可能である.多くの場合,対人関係でつらい想いをした時のことは私の中でいわば人生の教訓として残しておきたいのだ.こうすることで,人から傷つけられるリスクを減らすことができる.自分にとって好ましくない人間はできるかぎり避けるのが一番である.この場合,失敗した経験は成功した経験より有用だと思う.
いい事は出来る限り記憶しておいたほうがいい.成功するイメージを持つ事は不安に打ち勝つ勇気を与えてくれる.私は,難しい手術をする時はいつも以前の成功した難しい手術のイメージを思い出すようにしている.注意深く手術する事と不安感を持つことは違う.いい思い出をたくさん持つ事は毎日をポジティブに生きるために大切なことである.
セキセイインコはそんなことを考えて忘れているとは思えないが,ひょっとすると人間の脳にも忘れる本能というものはあるのかもしれない.
『 -- 「なぜ首相参拝がいけない?」 靖国に若者たち --
終戦記念日。小泉首相の参拝で揺れた靖国神社は15日、若い世代の姿が目立った。戦争、戦死、天皇、国家、追悼、戦犯……。重い言葉を連想させる場所はこの日、いつもとは違う表情を見せた。
午前7時45分。小泉首相が本殿で参拝をしていた時、拝殿前の参道に集まった参拝客の多くは、片手を高く上げた若者たちだった。手にしているのはカメラ付き携帯電話かデジタルカメラだ。
「こっちにはこないの」「えー」。首相の参拝が終わると、そのまま参拝せずにきびすを返す若者も少なくなかった。
Tシャツ、ジーンズ、キャップ、茶髪。見た目は、渋谷や新宿などにいる若者たちの姿と何も変わらない。誰とも口をきかず、1人で足早に参拝する姿も目立つ。
「どうして首相が靖国神社に参拝してはいけないんですか」。27歳の会社員は、逆に問い返してきた。「国のために命を捨てた人を、国の指導者が追悼するのは当然じゃないですか」
ダークスーツ、羽織袴(はおりはかま)、ジーンズ……。午前11時過ぎ、大村益次郎の銅像がある一角に、様々な服装をした若者たちが集まった。初対面らしく、自己紹介をして頭を下げている。
「国を思い、先祖を思う。正しい方法で粛々と靖国参拝する」「参加者の史観、思想信条は問いません」。掲示板サイト「2ちゃんねる」で、前日の未明に集合場所や時間が書き込まれていた。ネット上ではなく、現実社会で集まる「オフ会」。30人を超した。
初めて顔を合わせた若者たちが、一つの固まりになって移動する。呼びかけ人は「本日は取材はお断りしています」。
靖国問題を巡る度重なる報道が、若者と神社を結びつけた面もある。
仙台市の女子高生(16)は連日のニュースが気になり、夏休みの家族旅行の途中に「一度行ってみたい」と母親に頼んで靖国神社に連れてきてもらった。初の参拝は「予想以上に多くの人が来ていてなんか感激したし、戦争で死んだ人に私も追悼の声をかけてあげたいと思った」。
靖国神社には、国のために戦って命を落とした人たちを顕彰する「遊就館」がある。先の戦争を「自存自衛のための戦い」と位置づける戦争博物館だ。東京都町田市の私立高校に通う3年男子(18)は後輩たち4人と訪れた。仲間内で憲法9条が話題になったことをきっかけに、携帯電話でメールを回してこの日の訪問を決めたという。
初めての遊就館は、過去に訪ねた広島市の平和記念資料館とは雰囲気が違った。「ここに来て、『戦争って格好いい』って思う人がいたら怖い」
この朝、東京都府中市の女子大生(22)は友人と午前5時に家を出て、到着殿前で小泉首相を待った。「連日、これだけマスコミで騒ぎになっているので、歴史的な瞬間に立ち会いたいと思って来ました」。参拝について言った。「終戦記念日に公式に参拝するのは、どうかと思う」
◇
靖国神社からほど近い千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)には、約35万人の無名戦没者の遺骨が眠る。献花が続く午前11時25分、小泉首相が姿を見せた。
拍手と批判の声が交じるなか、元会社役員太田康一郎さん(79)は「(靖国参拝は)よくやってくれた。戦争は賛美しないが、友たちの犠牲の上に、今の平和がある。それを忘れてはいけない」と話した。
首相がかつて足を運び、涙した鹿児島県知覧町の知覧特攻平和会館。太平洋戦争末期に戦死した特攻隊員を慰霊し、遺書などを展示する。妻ら家族10人と訪れていた佐賀市の森永俊吾さん(86)は首相に苦言を呈した。「やめてほしい。日を変えるとかした方がよかったのではないか」
広島県呉市の大和ミュージアム(市海事歴史科学館)の入館者は昨年4月のオープン後、すでに約217万人を記録。大和の乗組員の遺書の展示もあるが、人気の的は戦艦大和の10分の1の模型だ。
家族で大阪から見物に来た稲田雅巳さん(19)は「最後の参拝を妥協してほしくなかった」と首相を支持。一方、広島市の大学生上田裕子さん(19)は「アジアの感情を考えれば、次の首相は参拝しないで」と訴えた。
被爆で亡くなった姉2人の冥福を祈った広島市西区の主婦(62)は「A級戦犯は原爆が使われた戦争に責任がある人々。行ってほしくなかった」という。従軍中のけがで帰還中に被爆した広島市中区の三浦実さん(86)は「本当に複雑」と言った。「靖国で会おう」と言って亡くなった戦友を思えば、首相に参拝してほしい。でも、原爆でひどい目にあわされたのは誰のせいかと考えると思いは乱れる。だからこそ、「国民や周辺国に複雑な思いがあるのに、すべて自分の『心の問題』と片づけるのはあまりに乱暴」に思えた。
24万人余の戦没者らの名が刻まれた沖縄県糸満市の「平和の礎(いしじ)」にいた奥間功さん(72)も複雑な気持ちだった。「外国を刺激してまで行く必要があるのか。でも、戦争で命を落とした多くの人がまつられている靖国に参るのも当然だ」
礎に伯父の名がある沖縄市の男性(63)は首相支持派だ。それでも「犠牲者と戦犯を分離する方が、首相も他の人も行きやすい」と思っている。 』
「国のために命を捨てた人を、国の指導者が追悼するのは当然じゃないですか」とは一見正論のようであるが,世の中にはいろんな考え方がある.首相が参拝することでアジアの国々の中には日本が過去の過ちを正当化しようとしていると危惧する人たちもいる.それに誰も命を捨てたわけでもないだろう.おそらく誰もが脱出できない状況で仕方なく死んだのだろうし,合祀され追悼されても死んだ人がありがたがるわけもない.そこにあるのは生き残っている者の自己満足だけである.
私は,小泉首相は目立ちたがり屋なだけだと思っているから,終戦記念日の靖国参拝はもっとも簡単に存在感を示せる最期の政治的パフォーマンスというただそれだけの行為だったのだろうと思う.反響が大きければそれだけ効果的であるというだけである.個人の心の問題と言ったそうであるが,一国の首相というにはあまりに心が小さいというべきだろう.
靖国神社や護国神社にかぎらず人類の歴史は宗教を利用した戦争の繰り返しであることを忘れるべきではない.だからこそ政教分離が憲法に書かれているはずなのだが,首相が公私混同したのをいい機会として靖国神社の国営化論まで飛び出すとは本末転倒ではないだろうか.歴史は繰り返すというが,これでは60年続いた平和もそろそろ危うくなってきたと思わざるを得ない.
イスラエルとヒズボラあるいは米英とアルカイダの対立も宗教に名を借りた戦争である.民衆を戦争に巻き込むにはこれほどわかりやすい理由はない.先日のニュースでヨルダンの避難民がヒズボラを賞賛している声が流れていた.きっと自分にはイスラエルの爆弾が当たらないとでも思っているのだろう.自分の命は一つで人生のやり直しはきかないということを忘れていないだろうか.
なぜ神や宗教が人間に必要なのかを言い出せばいろんな理由があるだろうが,神の存在というものは所詮は人間の心の中,言い換えれば大脳皮質の中だけのものである.そういう意味では人間の脳の中に構築された仮想世界の中の存在に違いないのだが,神が存在すると信じてしまうと現実には存在しないということも人間の脳には検証不能になるものらしい.
かくして宗教戦争というものは存在しない神のために戦うという不条理なものとなるのだが,靖国で会おうなどというのも信じるかどうかは別にしても現実の世界では無意味なことである.死んでしまえばその人間の脳は活動を停止するわけだから仮想世界の神も消滅してしまい死後の世界など存在しないだろう.
合祀問題にしても戦場で戦闘のために亡くなった人だけでなく戦争裁判で有罪になった人たちまで神格化するなどというルールの変更を行った人間がいるからこそ問題になるのであり,それを分祀するだのできないだの言ったところでもともと人間が勝手に創造した神であればどちらでもいいことなのではないだろうか.
そういう意味では日本人の宗教観に同調してアジアの国々が靖国神社について非難するのもあまり意味がないことだろう.古来より日本では現人神であった天皇が参拝しない靖国神社を神社と呼ぶことさえ私は疑問なのである.靖国神社も護国神社もいわば戦争のために当時の政府により創られたもともと国営の疑似宗教施設である.そんなところに参拝して平和を祈るなんてこと自体ナンセンスなような気がするのは私だけであろうか.
終戦記念日。小泉首相の参拝で揺れた靖国神社は15日、若い世代の姿が目立った。戦争、戦死、天皇、国家、追悼、戦犯……。重い言葉を連想させる場所はこの日、いつもとは違う表情を見せた。
午前7時45分。小泉首相が本殿で参拝をしていた時、拝殿前の参道に集まった参拝客の多くは、片手を高く上げた若者たちだった。手にしているのはカメラ付き携帯電話かデジタルカメラだ。
「こっちにはこないの」「えー」。首相の参拝が終わると、そのまま参拝せずにきびすを返す若者も少なくなかった。
Tシャツ、ジーンズ、キャップ、茶髪。見た目は、渋谷や新宿などにいる若者たちの姿と何も変わらない。誰とも口をきかず、1人で足早に参拝する姿も目立つ。
「どうして首相が靖国神社に参拝してはいけないんですか」。27歳の会社員は、逆に問い返してきた。「国のために命を捨てた人を、国の指導者が追悼するのは当然じゃないですか」
ダークスーツ、羽織袴(はおりはかま)、ジーンズ……。午前11時過ぎ、大村益次郎の銅像がある一角に、様々な服装をした若者たちが集まった。初対面らしく、自己紹介をして頭を下げている。
「国を思い、先祖を思う。正しい方法で粛々と靖国参拝する」「参加者の史観、思想信条は問いません」。掲示板サイト「2ちゃんねる」で、前日の未明に集合場所や時間が書き込まれていた。ネット上ではなく、現実社会で集まる「オフ会」。30人を超した。
初めて顔を合わせた若者たちが、一つの固まりになって移動する。呼びかけ人は「本日は取材はお断りしています」。
靖国問題を巡る度重なる報道が、若者と神社を結びつけた面もある。
仙台市の女子高生(16)は連日のニュースが気になり、夏休みの家族旅行の途中に「一度行ってみたい」と母親に頼んで靖国神社に連れてきてもらった。初の参拝は「予想以上に多くの人が来ていてなんか感激したし、戦争で死んだ人に私も追悼の声をかけてあげたいと思った」。
靖国神社には、国のために戦って命を落とした人たちを顕彰する「遊就館」がある。先の戦争を「自存自衛のための戦い」と位置づける戦争博物館だ。東京都町田市の私立高校に通う3年男子(18)は後輩たち4人と訪れた。仲間内で憲法9条が話題になったことをきっかけに、携帯電話でメールを回してこの日の訪問を決めたという。
初めての遊就館は、過去に訪ねた広島市の平和記念資料館とは雰囲気が違った。「ここに来て、『戦争って格好いい』って思う人がいたら怖い」
この朝、東京都府中市の女子大生(22)は友人と午前5時に家を出て、到着殿前で小泉首相を待った。「連日、これだけマスコミで騒ぎになっているので、歴史的な瞬間に立ち会いたいと思って来ました」。参拝について言った。「終戦記念日に公式に参拝するのは、どうかと思う」
◇
靖国神社からほど近い千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)には、約35万人の無名戦没者の遺骨が眠る。献花が続く午前11時25分、小泉首相が姿を見せた。
拍手と批判の声が交じるなか、元会社役員太田康一郎さん(79)は「(靖国参拝は)よくやってくれた。戦争は賛美しないが、友たちの犠牲の上に、今の平和がある。それを忘れてはいけない」と話した。
首相がかつて足を運び、涙した鹿児島県知覧町の知覧特攻平和会館。太平洋戦争末期に戦死した特攻隊員を慰霊し、遺書などを展示する。妻ら家族10人と訪れていた佐賀市の森永俊吾さん(86)は首相に苦言を呈した。「やめてほしい。日を変えるとかした方がよかったのではないか」
広島県呉市の大和ミュージアム(市海事歴史科学館)の入館者は昨年4月のオープン後、すでに約217万人を記録。大和の乗組員の遺書の展示もあるが、人気の的は戦艦大和の10分の1の模型だ。
家族で大阪から見物に来た稲田雅巳さん(19)は「最後の参拝を妥協してほしくなかった」と首相を支持。一方、広島市の大学生上田裕子さん(19)は「アジアの感情を考えれば、次の首相は参拝しないで」と訴えた。
被爆で亡くなった姉2人の冥福を祈った広島市西区の主婦(62)は「A級戦犯は原爆が使われた戦争に責任がある人々。行ってほしくなかった」という。従軍中のけがで帰還中に被爆した広島市中区の三浦実さん(86)は「本当に複雑」と言った。「靖国で会おう」と言って亡くなった戦友を思えば、首相に参拝してほしい。でも、原爆でひどい目にあわされたのは誰のせいかと考えると思いは乱れる。だからこそ、「国民や周辺国に複雑な思いがあるのに、すべて自分の『心の問題』と片づけるのはあまりに乱暴」に思えた。
24万人余の戦没者らの名が刻まれた沖縄県糸満市の「平和の礎(いしじ)」にいた奥間功さん(72)も複雑な気持ちだった。「外国を刺激してまで行く必要があるのか。でも、戦争で命を落とした多くの人がまつられている靖国に参るのも当然だ」
礎に伯父の名がある沖縄市の男性(63)は首相支持派だ。それでも「犠牲者と戦犯を分離する方が、首相も他の人も行きやすい」と思っている。 』
「国のために命を捨てた人を、国の指導者が追悼するのは当然じゃないですか」とは一見正論のようであるが,世の中にはいろんな考え方がある.首相が参拝することでアジアの国々の中には日本が過去の過ちを正当化しようとしていると危惧する人たちもいる.それに誰も命を捨てたわけでもないだろう.おそらく誰もが脱出できない状況で仕方なく死んだのだろうし,合祀され追悼されても死んだ人がありがたがるわけもない.そこにあるのは生き残っている者の自己満足だけである.
私は,小泉首相は目立ちたがり屋なだけだと思っているから,終戦記念日の靖国参拝はもっとも簡単に存在感を示せる最期の政治的パフォーマンスというただそれだけの行為だったのだろうと思う.反響が大きければそれだけ効果的であるというだけである.個人の心の問題と言ったそうであるが,一国の首相というにはあまりに心が小さいというべきだろう.
靖国神社や護国神社にかぎらず人類の歴史は宗教を利用した戦争の繰り返しであることを忘れるべきではない.だからこそ政教分離が憲法に書かれているはずなのだが,首相が公私混同したのをいい機会として靖国神社の国営化論まで飛び出すとは本末転倒ではないだろうか.歴史は繰り返すというが,これでは60年続いた平和もそろそろ危うくなってきたと思わざるを得ない.
イスラエルとヒズボラあるいは米英とアルカイダの対立も宗教に名を借りた戦争である.民衆を戦争に巻き込むにはこれほどわかりやすい理由はない.先日のニュースでヨルダンの避難民がヒズボラを賞賛している声が流れていた.きっと自分にはイスラエルの爆弾が当たらないとでも思っているのだろう.自分の命は一つで人生のやり直しはきかないということを忘れていないだろうか.
なぜ神や宗教が人間に必要なのかを言い出せばいろんな理由があるだろうが,神の存在というものは所詮は人間の心の中,言い換えれば大脳皮質の中だけのものである.そういう意味では人間の脳の中に構築された仮想世界の中の存在に違いないのだが,神が存在すると信じてしまうと現実には存在しないということも人間の脳には検証不能になるものらしい.
かくして宗教戦争というものは存在しない神のために戦うという不条理なものとなるのだが,靖国で会おうなどというのも信じるかどうかは別にしても現実の世界では無意味なことである.死んでしまえばその人間の脳は活動を停止するわけだから仮想世界の神も消滅してしまい死後の世界など存在しないだろう.
合祀問題にしても戦場で戦闘のために亡くなった人だけでなく戦争裁判で有罪になった人たちまで神格化するなどというルールの変更を行った人間がいるからこそ問題になるのであり,それを分祀するだのできないだの言ったところでもともと人間が勝手に創造した神であればどちらでもいいことなのではないだろうか.
そういう意味では日本人の宗教観に同調してアジアの国々が靖国神社について非難するのもあまり意味がないことだろう.古来より日本では現人神であった天皇が参拝しない靖国神社を神社と呼ぶことさえ私は疑問なのである.靖国神社も護国神社もいわば戦争のために当時の政府により創られたもともと国営の疑似宗教施設である.そんなところに参拝して平和を祈るなんてこと自体ナンセンスなような気がするのは私だけであろうか.
『 -- 修学旅行中の高校生1人死亡、1人不明 沖縄・波照間島 --
17日午後1時45分ごろ、沖縄県竹富町の波照間島のニシ浜ビーチで、修学旅行に来ていた横浜市の男子高校生3人が波にさらわれ、2人の行方がわからない、と地元の消防団から八重山署に通報があった。約1時間後、1人がリーフ沿いで浮いているのを発見され、波照間診療所に運ばれたが、死亡が確認された。残る1人は見つかっておらず、警察と海上保安部が夜まで船やヘリコプターで捜索した。
同署などによると、死亡したのは横浜市立鶴見工業高校3年の青柳宏三郎さん(17)。青柳さんらはこの日午前、男子生徒32人と教師2人、添乗員1人の計35人で島を訪れた。島内を観光後、午後1時ごろからビーチで水遊びをしていた。
救助された1人は「3人で腰付近の深さの所を歩いていたら波にさらわれてしまった」と話しているという。この生徒はたまたま足のつく場所に流れ着き、救助に向かっていたダイビング船に助けられた。地元の人によると、現場付近は当時、台風1号の影響で波があった。波照間島は周囲約15キロで、有人島としては日本最南端に位置する。』
修学旅行での痛ましい事故のニュースだが,腰の深さの所で波にさらわれるというところが気になった.おそらくリップ・カレント(離岸流)が発生していたのだろうか.水の流れる力がいかに恐ろしいものかということは流されてみたことがないと理解できないだろうが,台風の影響で波が出ているのにもかかわらず海で水遊びをするのが危険だということは知らなかったではすまされないかもしれない.
実際,リップ・カレントによる事故はライフガードの人ならおそらく誰でも知っているはずであるが,高校の先生たちが水遊び程度ならと海をあまくみていたのが命取りになったのではないだろうか.やはり,可能性のあることはすべて起こると思わないと危険を回避することはできないということなのだろう.それにしても楽しい思い出になるはずの修学旅行で友人を目の前で失った級友にとっては一生記憶に残る悪夢の1日となるに違いない.
患者さんと話をすると,病気も自分が経験するまではまるで自分には無縁のように思っていた人が多い.だが,自殺を除けば病気や事故以外で亡くなる人間なんていないのだ.つまり,あなたが病気や事故に遭う確率はほぼ100%なのである.それなのに自分の体を大切にしなかったり,危険に対して無防備な人があまりに多いのではないだろうか.こういうことが自然に理解できるようになれば1日を大切にするようになり,毎日をもっと有意義に過ごせるようになるのだろう.
17日午後1時45分ごろ、沖縄県竹富町の波照間島のニシ浜ビーチで、修学旅行に来ていた横浜市の男子高校生3人が波にさらわれ、2人の行方がわからない、と地元の消防団から八重山署に通報があった。約1時間後、1人がリーフ沿いで浮いているのを発見され、波照間診療所に運ばれたが、死亡が確認された。残る1人は見つかっておらず、警察と海上保安部が夜まで船やヘリコプターで捜索した。
同署などによると、死亡したのは横浜市立鶴見工業高校3年の青柳宏三郎さん(17)。青柳さんらはこの日午前、男子生徒32人と教師2人、添乗員1人の計35人で島を訪れた。島内を観光後、午後1時ごろからビーチで水遊びをしていた。
救助された1人は「3人で腰付近の深さの所を歩いていたら波にさらわれてしまった」と話しているという。この生徒はたまたま足のつく場所に流れ着き、救助に向かっていたダイビング船に助けられた。地元の人によると、現場付近は当時、台風1号の影響で波があった。波照間島は周囲約15キロで、有人島としては日本最南端に位置する。』
修学旅行での痛ましい事故のニュースだが,腰の深さの所で波にさらわれるというところが気になった.おそらくリップ・カレント(離岸流)が発生していたのだろうか.水の流れる力がいかに恐ろしいものかということは流されてみたことがないと理解できないだろうが,台風の影響で波が出ているのにもかかわらず海で水遊びをするのが危険だということは知らなかったではすまされないかもしれない.
実際,リップ・カレントによる事故はライフガードの人ならおそらく誰でも知っているはずであるが,高校の先生たちが水遊び程度ならと海をあまくみていたのが命取りになったのではないだろうか.やはり,可能性のあることはすべて起こると思わないと危険を回避することはできないということなのだろう.それにしても楽しい思い出になるはずの修学旅行で友人を目の前で失った級友にとっては一生記憶に残る悪夢の1日となるに違いない.
患者さんと話をすると,病気も自分が経験するまではまるで自分には無縁のように思っていた人が多い.だが,自殺を除けば病気や事故以外で亡くなる人間なんていないのだ.つまり,あなたが病気や事故に遭う確率はほぼ100%なのである.それなのに自分の体を大切にしなかったり,危険に対して無防備な人があまりに多いのではないだろうか.こういうことが自然に理解できるようになれば1日を大切にするようになり,毎日をもっと有意義に過ごせるようになるのだろう.
宗教観のない日本人?
2006年2月24日 こころの問題 コメント (1)『 -- イスラム教徒を襲撃、風刺画巡り報復? ナイジェリア --
ナイジェリア南部の都市オニッシャで22日、イスラム教徒に対する大規模な襲撃事件があり、AFP通信によると数十人が死亡した。同通信の記者が現地でイスラム教徒とみられる19人の遺体を確認したほか、さらに15人が死亡したとの目撃情報も得たという。同国ではイスラム教預言者ムハンマドの風刺漫画をきっかけに、イスラム教徒がキリスト教徒を襲撃する事件が相次ぎ、多数の死者が出ている。今回はキリスト教徒による報復とみられ、これをきっかけに両教徒の衝突がさらに激しくなるおそれもある。 』
ムハンマドの風刺画一枚でキリスト教徒を襲撃し,今度はその報復だそうである.その一方でイスラム教徒にもいろいろあるようだ.ナイジェリアのイスラム教徒は何派なんだろうか.
『 -- スンニ・シーア両派の衝突激化、65人死亡 イラク厳戒 --
イラクで、中部サーマッラにあるイスラム教シーア派の聖地アスカリ廟(びょう)が爆破された事件を機に始まったシーア、スンニ両派の衝突が拡大、ロイター通信によると、22日の事件直後から23日正午過ぎまでに全土で65人が死亡した。また、これらの死者とは別に首都南西部で57人の死体がまとまって見つかったとの情報もあり、死者数は120人を超える恐れがある。政府は夜間外出禁止令を拡大し、治安要員の休暇取り消しを命令、厳戒態勢に入った。
タラバニ大統領は23日、クルド人勢力を含む各派を私邸に招き、対応を協議したが、スンニ派のイラク合意戦線はモスクへの襲撃に抗議してボイコットした。
22日にはシーア派最高権威のシスターニ師が声明で平和的な抗議行動を呼びかけたが、バグダッドでは夜に入って再び襲撃が発生した。覆面をした男たちが、多数のスンニ派モスクを小型ロケット砲や小銃で襲撃した。 バグダッドだけで銃殺された50人近い死者が確認された。大半がスンニ派とみられる。
スンニ派のイスラム宗教者委員会アルクベイシ師は23日午後、襲撃された同派モスクは全土で168カ所にのぼり、宗教指導者10人が殺害されたと述べ、シーア派を強く非難した。一方、バクバでは、シーア派とみられる警官12人が爆弾で殺害された。 また、サーマッラでは23日、爆破事件の取材をしていた衛星テレビ局アルアラビアのイラク人女性記者とスタッフ計3人が拉致され、直後に殺害された。』
世界遺産の遺跡なんかのビデオをみるのは好きなほうだが,世界史はさっぱりなのでイスラム教どころかキリスト教の歴史もまったくわからない.でも,どうせ人間のやることだから同じような宗教対立による殺戮[サツリク]の歴史なんていうものがきっとあるのだろうとは思う.
人類はじまって以来というと100万年位前からだろうが,有史以来というと今年は西暦2006年で,西暦はキリスト教のスケールであることくらいは知っている.これを日本流に変換すると皇歴=西暦+660年,平成=西暦-1988年だそうである.西暦より皇歴が長いと言ってもこの660年分日本が世界をリードしていると思える事など何かあるのだろうか.
いや,もしあるとすれば宗教感の無さというところがひょっとすると一歩進んでいるのかもしれない.自慢ではなく日本史もさっぱりだったが,聖徳太子の頃には仏教も政治と密接に結びついていたことくらいは知っている.一向一揆や天草の乱のように宗教が政治的弾圧の理由になったこともあった.現代の日本で宗教を理由に差別されたりすることはあるだろうか.
私自身も宗教にはあまり興味はない.しかし,ヒトが生きていくうえで信仰心とか哲学というものは必要だと思っている.そういったものが倫理感とか礼儀のもとになると思う.そして,現代の日本人にはそれが欠けてきていると感じるのだが,宗教による殺人なんてものを聞くと信仰心があまり強いのも考えもののようだ.
昔から和洋折衷とか神仏習合というように宗教のみならず生活様式もいいとこどりが得意なのが日本人の精神的進化の過程で獲得されたものと考えれば,それが660年分の価値ということになるのかもしれない.
★先日はたくさんのコメントどうもありがとうございました.
ナイジェリア南部の都市オニッシャで22日、イスラム教徒に対する大規模な襲撃事件があり、AFP通信によると数十人が死亡した。同通信の記者が現地でイスラム教徒とみられる19人の遺体を確認したほか、さらに15人が死亡したとの目撃情報も得たという。同国ではイスラム教預言者ムハンマドの風刺漫画をきっかけに、イスラム教徒がキリスト教徒を襲撃する事件が相次ぎ、多数の死者が出ている。今回はキリスト教徒による報復とみられ、これをきっかけに両教徒の衝突がさらに激しくなるおそれもある。 』
ムハンマドの風刺画一枚でキリスト教徒を襲撃し,今度はその報復だそうである.その一方でイスラム教徒にもいろいろあるようだ.ナイジェリアのイスラム教徒は何派なんだろうか.
『 -- スンニ・シーア両派の衝突激化、65人死亡 イラク厳戒 --
イラクで、中部サーマッラにあるイスラム教シーア派の聖地アスカリ廟(びょう)が爆破された事件を機に始まったシーア、スンニ両派の衝突が拡大、ロイター通信によると、22日の事件直後から23日正午過ぎまでに全土で65人が死亡した。また、これらの死者とは別に首都南西部で57人の死体がまとまって見つかったとの情報もあり、死者数は120人を超える恐れがある。政府は夜間外出禁止令を拡大し、治安要員の休暇取り消しを命令、厳戒態勢に入った。
タラバニ大統領は23日、クルド人勢力を含む各派を私邸に招き、対応を協議したが、スンニ派のイラク合意戦線はモスクへの襲撃に抗議してボイコットした。
22日にはシーア派最高権威のシスターニ師が声明で平和的な抗議行動を呼びかけたが、バグダッドでは夜に入って再び襲撃が発生した。覆面をした男たちが、多数のスンニ派モスクを小型ロケット砲や小銃で襲撃した。 バグダッドだけで銃殺された50人近い死者が確認された。大半がスンニ派とみられる。
スンニ派のイスラム宗教者委員会アルクベイシ師は23日午後、襲撃された同派モスクは全土で168カ所にのぼり、宗教指導者10人が殺害されたと述べ、シーア派を強く非難した。一方、バクバでは、シーア派とみられる警官12人が爆弾で殺害された。 また、サーマッラでは23日、爆破事件の取材をしていた衛星テレビ局アルアラビアのイラク人女性記者とスタッフ計3人が拉致され、直後に殺害された。』
世界遺産の遺跡なんかのビデオをみるのは好きなほうだが,世界史はさっぱりなのでイスラム教どころかキリスト教の歴史もまったくわからない.でも,どうせ人間のやることだから同じような宗教対立による殺戮[サツリク]の歴史なんていうものがきっとあるのだろうとは思う.
人類はじまって以来というと100万年位前からだろうが,有史以来というと今年は西暦2006年で,西暦はキリスト教のスケールであることくらいは知っている.これを日本流に変換すると皇歴=西暦+660年,平成=西暦-1988年だそうである.西暦より皇歴が長いと言ってもこの660年分日本が世界をリードしていると思える事など何かあるのだろうか.
いや,もしあるとすれば宗教感の無さというところがひょっとすると一歩進んでいるのかもしれない.自慢ではなく日本史もさっぱりだったが,聖徳太子の頃には仏教も政治と密接に結びついていたことくらいは知っている.一向一揆や天草の乱のように宗教が政治的弾圧の理由になったこともあった.現代の日本で宗教を理由に差別されたりすることはあるだろうか.
私自身も宗教にはあまり興味はない.しかし,ヒトが生きていくうえで信仰心とか哲学というものは必要だと思っている.そういったものが倫理感とか礼儀のもとになると思う.そして,現代の日本人にはそれが欠けてきていると感じるのだが,宗教による殺人なんてものを聞くと信仰心があまり強いのも考えもののようだ.
昔から和洋折衷とか神仏習合というように宗教のみならず生活様式もいいとこどりが得意なのが日本人の精神的進化の過程で獲得されたものと考えれば,それが660年分の価値ということになるのかもしれない.
★先日はたくさんのコメントどうもありがとうございました.
『 --「世界一に」疾走暗転 堀江社長逮捕 --
あっけらかんと「世界一」を口にし、「人の心は金で買える」と言い放ったライブドア社長の堀江貴文容疑者(33)が23日、証券取引法違反の疑いで逮捕された。わずか600万円で起業して10年。プロ野球や民放業界への新規参入騒動から総選挙出馬まで突き進んできたが、ホリエモンは30歳代の側近たちとともに「人生ゲーム」につまずいた。
午後9時半ごろから、東京都葛飾区の東京拘置所には、堀江社長らを乗せたワゴン車が、警察車両に先導されて相次いで到着し、敷地内に入っていった。拘置所前には100人を超える報道陣が集まった。近所の人らも加わって、騒然とした雰囲気となった。
逮捕前、堀江社長にいつも随行しているライブドア広報担当の乙部綾子さんは、力無く語った。
「堀江は罪の意識はなかったと言ってるので……」
04年に出版した著書で、「人の心はお金で買える」と書いた堀江社長。世論を二分した勝ち気な物言いとは違う姿だった。
「せかいいち」。同年の七夕の日には、堀江社長は、ピンク色の短冊にそう書いた。
女性起業家の私的なパーティーだった。主催した女性(37)は「長髪でオタクっぽかった時代とは比較にならないほど、生き生きしていた」と振り返る。
その2日前、堀江社長は大阪ドームで約1000人のファンに囲まれ、「堀江コール」を浴びていた。プロ野球・大阪近鉄バファローズの買収に名乗りを上げた直後。近鉄のユニホームを着て一塁側内野席で声援を送った。
社名を「エッジ」(尖端(せんたん))から「ライブドア」に変えた年だったが、ヤフーや楽天といったIT企業の中でも、知名度が乏しかった。ライブドアとホリエモンの名が、全国にとどろいた瞬間だった。
当時の取材には「営業利益でも時価総額でも何でもいいから世界一になる」とあっけらかんと宣言した。その理由は、「なるんです。もう既定路線。すごろくみたいなもので、間違いなくゴールに向かっている」。
「人生ゲームM&A」は、堀江社長ら起業家7人が監修したすごろく型の盤ゲームだ。タカラが昨年9月に発売し、10万個以上も売れている。
各プレーヤーは10億円の資金でスタートし、放送会社を買収したり、財務のプロを仲間にしたりしながら資産をふやす。全部で129個のマスの中に「敵対的M&A」が10回も出てくる。
「巨大コンツェルン総帥の楽園」にゴールし、最も資産総額の大きな人が勝ちだ。勝者の資産は数兆円にも上る。
事業に失敗すると、「挫折の地」にコマを置き、他のプレーヤーがゴールするのを待つのみとなる。「エッジ」を歩んできたホリエモンは、その地まで落ちた。 』
「誤解を恐れずに言えば、人の心はお金で買えるのです。女はお金についてきます」(04年8月、著書「稼ぐが勝ち」)の真意はどこにあったのか.そんなことをわざわざ言葉にして言ったのは,結局は自分の心がお金に買われてしまっていることに気がついていなかったからだと私は思う.
この人の発言はいろいろなところで取り上げられることが多かったが,あまり心に残るような発言はなかったのかほとんど憶えていない.だが,この「人の心はお金で買えるのです。女はお金についてきます」という言葉は非常にnegativeな発言として記憶していた.たとえそう思っても口にしてはいけない言葉というものがあると思うが,そういう言葉を口にした時から運に見放されるものなのだろう.
人間というのは,普段から思っていることは口からこぼれ出てくるものだし,いつも口にしているとそのように行動してしまうものではないだろうか.これはおそらく人間の脳というものが次第に言葉で人の行動を制御するように進化してきているせいではないかと私は思っている.
特にデジタル社会になってこの傾向はより強まっているのではないだろうか.その理由として,昔は単純な道具を手足の感覚で使うようなものが多かったのが,コンピュータを使うようになってから言葉で考えながらでないと使えない機械が増えたということが考えられる.つまりコンピュータのために人間はより頭でっかちな生物に進化しなくてはならなくなったのである.
最近のネット世代の人間はコンピュータを使っているうちに行動そのものがコンピュータ的な単純な論理に陥っているのではないだろうか.Blogなどをみていても確かに一見論理的ではあるのだが,非常に思考が単純で中身がなく,人間性に乏しいものが多いような気がするのは私だけだろうか.
しかし,これは書いている人の人間性の問題ではないと私は思いたい.むしろ無理に言葉にしたり,論理的に判断しようとするあまり表現力がそれについていけないせいではないかと思っている.そして一言で断言しようとしてついNGワードを言ってしまい,挙げ句には自分で発したNGワードに縛られて行動してしまうのではないだろうか.
パソコンと一緒に人間が成長しているようなデジタル時代を否定するつもりはないが,こんな時代であるからこそもっと人間としての自分に目を向ける必要があるのではないだろうか.数字やデータ偏重も結構であるが,ヒトも生き物であれば遺伝子が進化の過程で獲得してきた冗長性もその存在には重要だということに気がつくべきだろう.
少なくとも私は『人の心がお金で買える.』なんて思いたくないし,『お金についてくる女』がいたとしてもお断りである.言葉や論理は尊重しても自分の感覚や感性を重視して生きたいから,計算の得意な女性より感覚的な女性のほうに魅力を感じるのである.
あっけらかんと「世界一」を口にし、「人の心は金で買える」と言い放ったライブドア社長の堀江貴文容疑者(33)が23日、証券取引法違反の疑いで逮捕された。わずか600万円で起業して10年。プロ野球や民放業界への新規参入騒動から総選挙出馬まで突き進んできたが、ホリエモンは30歳代の側近たちとともに「人生ゲーム」につまずいた。
午後9時半ごろから、東京都葛飾区の東京拘置所には、堀江社長らを乗せたワゴン車が、警察車両に先導されて相次いで到着し、敷地内に入っていった。拘置所前には100人を超える報道陣が集まった。近所の人らも加わって、騒然とした雰囲気となった。
逮捕前、堀江社長にいつも随行しているライブドア広報担当の乙部綾子さんは、力無く語った。
「堀江は罪の意識はなかったと言ってるので……」
04年に出版した著書で、「人の心はお金で買える」と書いた堀江社長。世論を二分した勝ち気な物言いとは違う姿だった。
「せかいいち」。同年の七夕の日には、堀江社長は、ピンク色の短冊にそう書いた。
女性起業家の私的なパーティーだった。主催した女性(37)は「長髪でオタクっぽかった時代とは比較にならないほど、生き生きしていた」と振り返る。
その2日前、堀江社長は大阪ドームで約1000人のファンに囲まれ、「堀江コール」を浴びていた。プロ野球・大阪近鉄バファローズの買収に名乗りを上げた直後。近鉄のユニホームを着て一塁側内野席で声援を送った。
社名を「エッジ」(尖端(せんたん))から「ライブドア」に変えた年だったが、ヤフーや楽天といったIT企業の中でも、知名度が乏しかった。ライブドアとホリエモンの名が、全国にとどろいた瞬間だった。
当時の取材には「営業利益でも時価総額でも何でもいいから世界一になる」とあっけらかんと宣言した。その理由は、「なるんです。もう既定路線。すごろくみたいなもので、間違いなくゴールに向かっている」。
「人生ゲームM&A」は、堀江社長ら起業家7人が監修したすごろく型の盤ゲームだ。タカラが昨年9月に発売し、10万個以上も売れている。
各プレーヤーは10億円の資金でスタートし、放送会社を買収したり、財務のプロを仲間にしたりしながら資産をふやす。全部で129個のマスの中に「敵対的M&A」が10回も出てくる。
「巨大コンツェルン総帥の楽園」にゴールし、最も資産総額の大きな人が勝ちだ。勝者の資産は数兆円にも上る。
事業に失敗すると、「挫折の地」にコマを置き、他のプレーヤーがゴールするのを待つのみとなる。「エッジ」を歩んできたホリエモンは、その地まで落ちた。 』
「誤解を恐れずに言えば、人の心はお金で買えるのです。女はお金についてきます」(04年8月、著書「稼ぐが勝ち」)の真意はどこにあったのか.そんなことをわざわざ言葉にして言ったのは,結局は自分の心がお金に買われてしまっていることに気がついていなかったからだと私は思う.
この人の発言はいろいろなところで取り上げられることが多かったが,あまり心に残るような発言はなかったのかほとんど憶えていない.だが,この「人の心はお金で買えるのです。女はお金についてきます」という言葉は非常にnegativeな発言として記憶していた.たとえそう思っても口にしてはいけない言葉というものがあると思うが,そういう言葉を口にした時から運に見放されるものなのだろう.
人間というのは,普段から思っていることは口からこぼれ出てくるものだし,いつも口にしているとそのように行動してしまうものではないだろうか.これはおそらく人間の脳というものが次第に言葉で人の行動を制御するように進化してきているせいではないかと私は思っている.
特にデジタル社会になってこの傾向はより強まっているのではないだろうか.その理由として,昔は単純な道具を手足の感覚で使うようなものが多かったのが,コンピュータを使うようになってから言葉で考えながらでないと使えない機械が増えたということが考えられる.つまりコンピュータのために人間はより頭でっかちな生物に進化しなくてはならなくなったのである.
最近のネット世代の人間はコンピュータを使っているうちに行動そのものがコンピュータ的な単純な論理に陥っているのではないだろうか.Blogなどをみていても確かに一見論理的ではあるのだが,非常に思考が単純で中身がなく,人間性に乏しいものが多いような気がするのは私だけだろうか.
しかし,これは書いている人の人間性の問題ではないと私は思いたい.むしろ無理に言葉にしたり,論理的に判断しようとするあまり表現力がそれについていけないせいではないかと思っている.そして一言で断言しようとしてついNGワードを言ってしまい,挙げ句には自分で発したNGワードに縛られて行動してしまうのではないだろうか.
パソコンと一緒に人間が成長しているようなデジタル時代を否定するつもりはないが,こんな時代であるからこそもっと人間としての自分に目を向ける必要があるのではないだろうか.数字やデータ偏重も結構であるが,ヒトも生き物であれば遺伝子が進化の過程で獲得してきた冗長性もその存在には重要だということに気がつくべきだろう.
少なくとも私は『人の心がお金で買える.』なんて思いたくないし,『お金についてくる女』がいたとしてもお断りである.言葉や論理は尊重しても自分の感覚や感性を重視して生きたいから,計算の得意な女性より感覚的な女性のほうに魅力を感じるのである.
ストレスのセルフコントロール
2005年12月12日 こころの問題 コメント (3)『--「夫婦げんか」は傷の治りを悪くする 米オハイオ州立大研究--
夫婦げんかは傷の治りを悪くする、という研究結果を、米オハイオ州立大の精神医学、心理学者らが5日、発表した。心理的ストレスが人の免疫にどのように作用するかをみる研究。夫婦円満を勧めるだけでなく「手術時に患者のストレスを減らすことで術後の回復を速めることができる」とも指摘している。
22〜77歳の42組の夫婦を対象に、2カ月の間隔を空けて1日ずつ実験した。夫婦それぞれの腕に水ぶくれをつくって表の皮をとり、この傷から採血できるようにした。
最初の訪問時には、直したい性格について互いに前向きに語ってもらった。2度目は、見解の違う事柄について30分間言い争ってもらった。夫婦げんかの激しさの度合いをみるため、様子はビデオに収めた。
その結果、けんかをしたときの傷の治りは、前向きな語らいの時より1日長く、激しいけんかの場合はさらに時間がかかったという。
また、血液のサンプル調査では、前向きの時よりけんかの時の方が、免疫細胞の間で情報伝達を担うたんぱく質の発生が少なく、それだけ治癒が遅れるとの結果が出た。 』
22〜77歳の42組の夫婦とあるが年齢層による差があったかどうか気になるところだ.また夫婦と恋人では何か違いがあるのかもわかれば面白い.長いこと付き合っていた恋人同士がゴールインしてすぐに成田離婚なんていう話があるからおそらく夫婦の方がストレスが高いような気がする.人間関係として最もストレスが高いということから夫婦を選んだのだろうか.
ストレスが創傷治癒を遅らせるということだが,それだけでなくストレスが風邪などの感染症や癌などの腫瘍性疾患,そして脳卒中や心筋梗塞などの血管障害などいろいろな原因になっているということは今や広く知られているところである.性格傾向と病気という話では怒りっぽい人は血管障害,くよくよする人は癌になりやすいという話を聞いたこともある.
ところで平常心という言葉を知っているだろうか.「平常心是道 (びょうじょうしんこれどう)」というのが語源で,我々が日々生きていく上において、どのような心で居ればよいのかという禅の問いに対しての答えだそうだ.本来の平常心とは冷静な心の意味では無くて,善悪とか上手下手を逸脱したどんな状況でも常に心がカラリと晴れ渡ってイキイキしていることだそうだ.
私も仕事柄ストレスが多いほうだと思うので普段からストレスを避けたり,うまく消化する方法を考えている.そのときにこの平常心を心がけている.なんでも上手くやろうとか速く解決しようと無理をしないこととでも言ったらよいのだろうか.時間の流れに逆らわないのが結局一番楽なような気がする.よく自分で自分にプレッシャーをかけるというが,長い時間安定した仕事をするにはそういうことはやめたほうがいいと最近思っている.
心や体にストレスをかけないように日常心がけていれば健康で楽しい毎日になるに違いない.予防医学の点で今話題のメタボリックシンドロームも実は色々な現代人のストレスによる過食が原因のような気がしてくる.こんな世の中であればこそストレスをうまくセルフコントロールできるということが重要だと思うのだがどうだろうか.
夫婦げんかは傷の治りを悪くする、という研究結果を、米オハイオ州立大の精神医学、心理学者らが5日、発表した。心理的ストレスが人の免疫にどのように作用するかをみる研究。夫婦円満を勧めるだけでなく「手術時に患者のストレスを減らすことで術後の回復を速めることができる」とも指摘している。
22〜77歳の42組の夫婦を対象に、2カ月の間隔を空けて1日ずつ実験した。夫婦それぞれの腕に水ぶくれをつくって表の皮をとり、この傷から採血できるようにした。
最初の訪問時には、直したい性格について互いに前向きに語ってもらった。2度目は、見解の違う事柄について30分間言い争ってもらった。夫婦げんかの激しさの度合いをみるため、様子はビデオに収めた。
その結果、けんかをしたときの傷の治りは、前向きな語らいの時より1日長く、激しいけんかの場合はさらに時間がかかったという。
また、血液のサンプル調査では、前向きの時よりけんかの時の方が、免疫細胞の間で情報伝達を担うたんぱく質の発生が少なく、それだけ治癒が遅れるとの結果が出た。 』
22〜77歳の42組の夫婦とあるが年齢層による差があったかどうか気になるところだ.また夫婦と恋人では何か違いがあるのかもわかれば面白い.長いこと付き合っていた恋人同士がゴールインしてすぐに成田離婚なんていう話があるからおそらく夫婦の方がストレスが高いような気がする.人間関係として最もストレスが高いということから夫婦を選んだのだろうか.
ストレスが創傷治癒を遅らせるということだが,それだけでなくストレスが風邪などの感染症や癌などの腫瘍性疾患,そして脳卒中や心筋梗塞などの血管障害などいろいろな原因になっているということは今や広く知られているところである.性格傾向と病気という話では怒りっぽい人は血管障害,くよくよする人は癌になりやすいという話を聞いたこともある.
ところで平常心という言葉を知っているだろうか.「平常心是道 (びょうじょうしんこれどう)」というのが語源で,我々が日々生きていく上において、どのような心で居ればよいのかという禅の問いに対しての答えだそうだ.本来の平常心とは冷静な心の意味では無くて,善悪とか上手下手を逸脱したどんな状況でも常に心がカラリと晴れ渡ってイキイキしていることだそうだ.
私も仕事柄ストレスが多いほうだと思うので普段からストレスを避けたり,うまく消化する方法を考えている.そのときにこの平常心を心がけている.なんでも上手くやろうとか速く解決しようと無理をしないこととでも言ったらよいのだろうか.時間の流れに逆らわないのが結局一番楽なような気がする.よく自分で自分にプレッシャーをかけるというが,長い時間安定した仕事をするにはそういうことはやめたほうがいいと最近思っている.
心や体にストレスをかけないように日常心がけていれば健康で楽しい毎日になるに違いない.予防医学の点で今話題のメタボリックシンドロームも実は色々な現代人のストレスによる過食が原因のような気がしてくる.こんな世の中であればこそストレスをうまくセルフコントロールできるということが重要だと思うのだがどうだろうか.
『--「首相の靖国参拝は違憲」大阪高裁判決、賠償は認めず--
小泉首相の靖国神社参拝をめぐる違憲訴訟の控訴審判決に臨むため、大阪高裁に入る原告団=30日午前9時42分、大阪市北区で
01年から03年にかけての3度にわたる小泉純一郎首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受けたとして、台湾人116人を含む計188人が、国と小泉首相、靖国神社に1人あたり1万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が30日、大阪高裁であった。大谷正治裁判長は、参拝が首相の職務として行われたとしたうえで、「国内外の強い批判にもかかわらず、参拝を継続しており、国が靖国神社を特別に支援している印象を与え、特定宗教を助長している」として、憲法の禁じる宗教的活動にあたると認めた。一方で、信教の自由などの権利が侵害されたとは言えないとして、原告らの控訴を棄却した。
小泉首相の靖国参拝をめぐる訴訟の判決は、全国の6地裁と2高裁で計9件言い渡されており、いずれも賠償請求を退けている。このうち昨年4月の福岡地裁判決が違憲判断を示したが、高裁の違憲判断は初めて。過去には中曽根康弘元首相の靖国神社公式参拝について、大阪高裁が違憲の疑いがあるとする判決を出している。
今回の訴訟の対象になったのは、小泉首相の昨年までの4回の参拝のうち、01年8月13日、02年4月21日、03年1月14日に行ったもの。
判決はまず、参拝が首相の職務にあたるかを検討。公用車を使用し首相秘書官を伴っていた▽公約の実行としてなされた▽小泉首相が私的参拝と明言せず、公的立場を否定していなかったこと――などから、「内閣総理大臣の職務と認めるのが相当」と判断した。
さらに、3度にわたって参拝し、1年に1度の参拝をする意志を表明するなど参拝実施の意図が強固だったと認定。「国と靖国神社の間にのみ意識的に特別にかかわり合いを持ち、一般人に国が靖国神社を特別に支援している印象を与えた」とした。
そのうえで、参拝の効果について「特定の宗教に対する助長、促進になると認められ、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」として、憲法20条3項の禁止する宗教的活動にあたると結論づけた。
一方で、首相の参拝が原告らに対して靖国神社への信仰を奨励したり、その祭祀(さい・し)に賛同するよう求めたりしたとは認められないと指摘。原告らの権利や利益は侵害されていないと判断し、損害賠償請求は一審に続いて退けた。
訴訟は、台湾立法院議員で原住民族「タイヤル族」の高金素梅さん(40)らが参加し、03年2月に起こされた。原住民族の中には第2次大戦中に日本軍のもとで戦った戦没者の遺族も含まれ、「日本の植民地支配で被害を被っており、戦前日本の精神的支柱である靖国神社への首相の参拝で苦痛を受けた」などと主張した。
昨年5月の一審・大阪地裁判決は、首相が3回の参拝で公用車を使ったり、秘書官を同行させたりした点について「緊急事態や警備のため」と指摘し、首相の職務行為に当たらないと判断。参拝で原告らが不利益を被ったとは言えないとして、憲法判断に踏み込まないまま原告の請求を棄却した。原告はこれを不服として控訴していた。
靖国神社は「首相参拝が違憲と判断されたのは極めて遺憾である」とのコメントを出した。 』
政教分離は価値観が多様化した現代には当然のことと思われる.小泉首相はこの判決を「する必要のない憲法判断をしている」と言ったそうだが,国家のためには必要もない参拝を頑固に続けるのも首相であるから説得力はない.
そもそも靖国神社に祀る,祀られたと言い争うが死者にとって何の意味があるのだろうか.人間は死ねば肉体はなくなり,その人の記憶でさえいずれ人々から消え去るものなのである.ましてや宗教が世の中を改善することなどあるのであろうか.宗教が人間の精神の糧となり行動によい影響を与えることもあるかもしれないが,一方には宗教が紛争の種になり続けているという現実がある.
ひとには宗教が必要であるにしても同時にそれは悪でもあることを理解できれば異なる宗教に寛容にもなれるのだろうが,教義がそれを拒むのであろう.靖国神社が「首相参拝が違憲と判断されたのは極めて遺憾である」とのコメントを出すのもおそらく神社が国の宗教であることを自認しているからなのではないだろうか.
他人の価値観を頑固に認めなければ喧嘩になるのは個人でも国家でも同じことであろう.小泉首相も今年の阪神ファンのように少しは大人になって道頓堀川に飛び込むようなまねはやめてもいいような気もするが,確固たる思い込みがなければ政治家になんてなれないだろうからやはり参拝は中止しないとみるべきなのだろうか.
小泉首相の靖国神社参拝をめぐる違憲訴訟の控訴審判決に臨むため、大阪高裁に入る原告団=30日午前9時42分、大阪市北区で
01年から03年にかけての3度にわたる小泉純一郎首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受けたとして、台湾人116人を含む計188人が、国と小泉首相、靖国神社に1人あたり1万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が30日、大阪高裁であった。大谷正治裁判長は、参拝が首相の職務として行われたとしたうえで、「国内外の強い批判にもかかわらず、参拝を継続しており、国が靖国神社を特別に支援している印象を与え、特定宗教を助長している」として、憲法の禁じる宗教的活動にあたると認めた。一方で、信教の自由などの権利が侵害されたとは言えないとして、原告らの控訴を棄却した。
小泉首相の靖国参拝をめぐる訴訟の判決は、全国の6地裁と2高裁で計9件言い渡されており、いずれも賠償請求を退けている。このうち昨年4月の福岡地裁判決が違憲判断を示したが、高裁の違憲判断は初めて。過去には中曽根康弘元首相の靖国神社公式参拝について、大阪高裁が違憲の疑いがあるとする判決を出している。
今回の訴訟の対象になったのは、小泉首相の昨年までの4回の参拝のうち、01年8月13日、02年4月21日、03年1月14日に行ったもの。
判決はまず、参拝が首相の職務にあたるかを検討。公用車を使用し首相秘書官を伴っていた▽公約の実行としてなされた▽小泉首相が私的参拝と明言せず、公的立場を否定していなかったこと――などから、「内閣総理大臣の職務と認めるのが相当」と判断した。
さらに、3度にわたって参拝し、1年に1度の参拝をする意志を表明するなど参拝実施の意図が強固だったと認定。「国と靖国神社の間にのみ意識的に特別にかかわり合いを持ち、一般人に国が靖国神社を特別に支援している印象を与えた」とした。
そのうえで、参拝の効果について「特定の宗教に対する助長、促進になると認められ、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」として、憲法20条3項の禁止する宗教的活動にあたると結論づけた。
一方で、首相の参拝が原告らに対して靖国神社への信仰を奨励したり、その祭祀(さい・し)に賛同するよう求めたりしたとは認められないと指摘。原告らの権利や利益は侵害されていないと判断し、損害賠償請求は一審に続いて退けた。
訴訟は、台湾立法院議員で原住民族「タイヤル族」の高金素梅さん(40)らが参加し、03年2月に起こされた。原住民族の中には第2次大戦中に日本軍のもとで戦った戦没者の遺族も含まれ、「日本の植民地支配で被害を被っており、戦前日本の精神的支柱である靖国神社への首相の参拝で苦痛を受けた」などと主張した。
昨年5月の一審・大阪地裁判決は、首相が3回の参拝で公用車を使ったり、秘書官を同行させたりした点について「緊急事態や警備のため」と指摘し、首相の職務行為に当たらないと判断。参拝で原告らが不利益を被ったとは言えないとして、憲法判断に踏み込まないまま原告の請求を棄却した。原告はこれを不服として控訴していた。
靖国神社は「首相参拝が違憲と判断されたのは極めて遺憾である」とのコメントを出した。 』
政教分離は価値観が多様化した現代には当然のことと思われる.小泉首相はこの判決を「する必要のない憲法判断をしている」と言ったそうだが,国家のためには必要もない参拝を頑固に続けるのも首相であるから説得力はない.
そもそも靖国神社に祀る,祀られたと言い争うが死者にとって何の意味があるのだろうか.人間は死ねば肉体はなくなり,その人の記憶でさえいずれ人々から消え去るものなのである.ましてや宗教が世の中を改善することなどあるのであろうか.宗教が人間の精神の糧となり行動によい影響を与えることもあるかもしれないが,一方には宗教が紛争の種になり続けているという現実がある.
ひとには宗教が必要であるにしても同時にそれは悪でもあることを理解できれば異なる宗教に寛容にもなれるのだろうが,教義がそれを拒むのであろう.靖国神社が「首相参拝が違憲と判断されたのは極めて遺憾である」とのコメントを出すのもおそらく神社が国の宗教であることを自認しているからなのではないだろうか.
他人の価値観を頑固に認めなければ喧嘩になるのは個人でも国家でも同じことであろう.小泉首相も今年の阪神ファンのように少しは大人になって道頓堀川に飛び込むようなまねはやめてもいいような気もするが,確固たる思い込みがなければ政治家になんてなれないだろうからやはり参拝は中止しないとみるべきなのだろうか.
ストレスコントロール
2005年7月11日 こころの問題『--ストレスで病気、原因解明 特定物質増加、徳島大--
アトピー性皮膚炎や心臓病を起こす特定の生理活性物質がストレスにより増えることを、関山敦生(せきやま・あつお)徳島大講師(精神医学・免疫学)らが7日までに、マウス実験で突き止めた。ストレスで病気になる仕組みの一端を解明したもので、この物質はストレスに比例して増え、どのくらいストレスがあるかの指標になるのではないかという。
関山講師はストレスのある患者は、免疫で炎症を起こす人と、免疫が弱まり風邪にかかりやすい2タイプがいることに着目。インターロイキン18(IL18)という生理活性物質が両方の作用を持つことに気付いた。
狭い空間に入れてストレスを与えたマウスの実験で、血液中のIL18の量が増えるのを確認。ストレスでできる活性酸素がカスパーゼ1という酵素を活性化させ、IL18のもとになる物質がIL18になるのを促進していた。IL18が増えると、リウマチなどの原因となるIL6という物質が増えることも判明した。
関山講師は「食事などで活性酸素を抑制する方法を開発すれば、ストレスによる病気を防げる可能性がある」としている。研究成果は米科学誌イミュニティに発表した。』
ストレスで免疫反応が強くなったり,弱くなったりするのはなんとなくわかっていた.このニュースを見て興味深かったのはその両方の作用をIL-18が持っているという点だ.自己免疫の調節機構についての研究は抗ストレス薬開発に有望かもしれない.
脳外科医に限らず仕事や日常生活でストレスを感じる人は多いだろう.ストレスを減らすにはいったいどうしたらよいのだろうか.私が最も強いストレスを感じる時はといえば難しい手術の時はもちろんだが,最近けっこうストレスなのは外来で患者さんの話を聞くときだったりする.
いちばん困るのはこちらの話を聞かない(聞けない?)人たちだ.脳の病気とは関係なさそうなのにまったく話を聞いてくれない,あるいは聞いてるようでまったく理解していない人が意外といるのではないかということが気になるのである.最近はテレビの影響なのか自分の病名やその治療だけでなく主治医の医師像までも自分で決めてしまってから病院に来たのかと思われるような患者さんまで現れた.
一応私は脳外科医で精神科医ではないのだが,確かに最近こういう先入観(妄想?)を持った人は増えているようである.だから目の前の現実の医師の言葉を聞くことができないのではないかと思う.自分で病名を言ったり,検査方法を医師に指示したり,処方する薬を指示したがる人が増えているような気がするのは私だけだろうか.
ストレスと関係ない話になってしまったが,外来でこういう患者さんに当たってしまった後のストレス解消法はズバリ『忘れる』ことぐらいしかないのだろうか.手術時のストレスは大抵コントロールできるようになったのだが,こればかりは相手が相手だけになんともストレスが溜まる原因になりやすく始末が悪いのである.飲むだけでストレスがなくなる薬なんていうのがあったらさぞかし成人病予防に有用だろう.
アトピー性皮膚炎や心臓病を起こす特定の生理活性物質がストレスにより増えることを、関山敦生(せきやま・あつお)徳島大講師(精神医学・免疫学)らが7日までに、マウス実験で突き止めた。ストレスで病気になる仕組みの一端を解明したもので、この物質はストレスに比例して増え、どのくらいストレスがあるかの指標になるのではないかという。
関山講師はストレスのある患者は、免疫で炎症を起こす人と、免疫が弱まり風邪にかかりやすい2タイプがいることに着目。インターロイキン18(IL18)という生理活性物質が両方の作用を持つことに気付いた。
狭い空間に入れてストレスを与えたマウスの実験で、血液中のIL18の量が増えるのを確認。ストレスでできる活性酸素がカスパーゼ1という酵素を活性化させ、IL18のもとになる物質がIL18になるのを促進していた。IL18が増えると、リウマチなどの原因となるIL6という物質が増えることも判明した。
関山講師は「食事などで活性酸素を抑制する方法を開発すれば、ストレスによる病気を防げる可能性がある」としている。研究成果は米科学誌イミュニティに発表した。』
ストレスで免疫反応が強くなったり,弱くなったりするのはなんとなくわかっていた.このニュースを見て興味深かったのはその両方の作用をIL-18が持っているという点だ.自己免疫の調節機構についての研究は抗ストレス薬開発に有望かもしれない.
脳外科医に限らず仕事や日常生活でストレスを感じる人は多いだろう.ストレスを減らすにはいったいどうしたらよいのだろうか.私が最も強いストレスを感じる時はといえば難しい手術の時はもちろんだが,最近けっこうストレスなのは外来で患者さんの話を聞くときだったりする.
いちばん困るのはこちらの話を聞かない(聞けない?)人たちだ.脳の病気とは関係なさそうなのにまったく話を聞いてくれない,あるいは聞いてるようでまったく理解していない人が意外といるのではないかということが気になるのである.最近はテレビの影響なのか自分の病名やその治療だけでなく主治医の医師像までも自分で決めてしまってから病院に来たのかと思われるような患者さんまで現れた.
一応私は脳外科医で精神科医ではないのだが,確かに最近こういう先入観(妄想?)を持った人は増えているようである.だから目の前の現実の医師の言葉を聞くことができないのではないかと思う.自分で病名を言ったり,検査方法を医師に指示したり,処方する薬を指示したがる人が増えているような気がするのは私だけだろうか.
ストレスと関係ない話になってしまったが,外来でこういう患者さんに当たってしまった後のストレス解消法はズバリ『忘れる』ことぐらいしかないのだろうか.手術時のストレスは大抵コントロールできるようになったのだが,こればかりは相手が相手だけになんともストレスが溜まる原因になりやすく始末が悪いのである.飲むだけでストレスがなくなる薬なんていうのがあったらさぞかし成人病予防に有用だろう.
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