絶対なんてものはない
2019年9月19日 社会の問題『傍聴席からはどよめき…東電旧経営陣に無罪
福島第一原発の事故を巡り、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴された東京電力の旧経営陣3人の裁判で、東京地裁は3人に対して無罪を言い渡した。
緊張した面持ちで証言台の前に立った3人は、無罪が言い渡されると、前をじっと向いていた。判決の言い渡しの瞬間、傍聴席からは「えー」というどよめきの声が出ていた。
東京電力元会長の勝俣恒久被告、元副社長の武黒一郎被告、元副社長の武藤栄被告の3人は、福島第一原発の事故を巡り、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されている。
検察官役の指定弁護士は、震災の3年前に東電内部で巨大津波が来る可能性があるという試算をしていて、津波による事故の発生を予測できたとして、禁錮5年を求刑。
一方、旧経営陣の3人は事故について謝罪したが、「巨大な津波を予想できないことは明らかだ」として、無罪を主張していた。
19日の判決で、東京地裁は3人に無罪を言い渡した。
午後1時半現在、法廷では判決の言い渡しが続いているが、裁判所の外では支援する人たちの抗議の声が上がっている。』
『永渕裁判長は、最大の争点だった、2011年3月の東日本大震災での巨大津波を予見できたか否かについて、「予見可能性を認めることはできない」と判断した。
判決は当時、原発の敷地高(10メートル)を超える13メートルの津波が襲来したと認定。「事故を回避するには運転停止するほかはなかった」と指摘し、3人に原発停止義務を課すほどの津波の予見可能性があったかを検討した。
東電子会社は08年、第1原発に襲来する恐れのある津波高を「最大15.7メートル」と算出したが、判決は、基となった政府機関の地震予測「長期評価」について、「原子力安全・保安院(当時)も『参考情報』として扱い、他の電力会社がそのまま取り入れることもなかった」などと指摘。「原発の安全対策を考える上で、取り入れるべき知見だったとは言えず、客観的に信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」と評価した。
その上で、社内外から「長期評価に基づく対策が終わるまで原発を止めるべきだとの意見はなかった」と判示。当時得られた知見を踏まえると、3人には10メートルを超える津波襲来の可能性に信頼性、具体性があるとの認識はなく、運転停止義務を課すべき予見可能性はなかったと結論付けた。
3人は08年6月~09年2月に10メートルを超える予想津波高を聞いており、指定弁護士側は「予測を聞いた時点で安全対策を進める義務が生じた」と主張したが、判決は「当時の法令上、安全は確保されており、3人の対応は特異ではない」と退けた。』
原発は絶対に安全だと言ってたのは嘘だったということを認めた判決という点で画期的だろう。この3人を禁固刑にできたところで問題は何も解決しない。
むしろ、原発村の人たちの言うことや東電の言うことを信じたことが間違いだったということをよく考える必要があるだろう。そういう嘘を信じた結果、馬鹿を見るのはいつも国民なのだから。
いつ終わるのかもわからない原発事故の処理に税金だけでなく無駄に高い電気料を払わされているのは何故なのか、事故の直接的な影響を受けなかった人たちも自分のこととして考えなければならないだろう。
北海道電力の泊原発も稼働しないまま存在し続けているが、それで電力不足の心配が迫っているわけでもなく、今後、大規模洋上風力発電が計画されているから今や無用の長物ではないだろうか。
しかし、廃炉するとなるとまた費用がかさんで電気料金がまた上がりそうで心配だ。今になって思えば、なぜ原発なんていうものに手を出したのが不思議なくらいだが、当時は誰もこんなことになるとは予想できなかったのかもしれない。
所詮、人間の知恵などというものはその程度のもので、未来のことなど知ることはできなのだ。
今後この裁判の行方がどうなるかはわからないが、民事訴訟で損害賠償請求することはできるはずだから、どんなに長期化しても3人の責任を追求するという方法もあるだろう。たとえ3人が死ぬまで時間がかかっても。
福島第一原発の事故を巡り、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴された東京電力の旧経営陣3人の裁判で、東京地裁は3人に対して無罪を言い渡した。
緊張した面持ちで証言台の前に立った3人は、無罪が言い渡されると、前をじっと向いていた。判決の言い渡しの瞬間、傍聴席からは「えー」というどよめきの声が出ていた。
東京電力元会長の勝俣恒久被告、元副社長の武黒一郎被告、元副社長の武藤栄被告の3人は、福島第一原発の事故を巡り、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されている。
検察官役の指定弁護士は、震災の3年前に東電内部で巨大津波が来る可能性があるという試算をしていて、津波による事故の発生を予測できたとして、禁錮5年を求刑。
一方、旧経営陣の3人は事故について謝罪したが、「巨大な津波を予想できないことは明らかだ」として、無罪を主張していた。
19日の判決で、東京地裁は3人に無罪を言い渡した。
午後1時半現在、法廷では判決の言い渡しが続いているが、裁判所の外では支援する人たちの抗議の声が上がっている。』
『永渕裁判長は、最大の争点だった、2011年3月の東日本大震災での巨大津波を予見できたか否かについて、「予見可能性を認めることはできない」と判断した。
判決は当時、原発の敷地高(10メートル)を超える13メートルの津波が襲来したと認定。「事故を回避するには運転停止するほかはなかった」と指摘し、3人に原発停止義務を課すほどの津波の予見可能性があったかを検討した。
東電子会社は08年、第1原発に襲来する恐れのある津波高を「最大15.7メートル」と算出したが、判決は、基となった政府機関の地震予測「長期評価」について、「原子力安全・保安院(当時)も『参考情報』として扱い、他の電力会社がそのまま取り入れることもなかった」などと指摘。「原発の安全対策を考える上で、取り入れるべき知見だったとは言えず、客観的に信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」と評価した。
その上で、社内外から「長期評価に基づく対策が終わるまで原発を止めるべきだとの意見はなかった」と判示。当時得られた知見を踏まえると、3人には10メートルを超える津波襲来の可能性に信頼性、具体性があるとの認識はなく、運転停止義務を課すべき予見可能性はなかったと結論付けた。
3人は08年6月~09年2月に10メートルを超える予想津波高を聞いており、指定弁護士側は「予測を聞いた時点で安全対策を進める義務が生じた」と主張したが、判決は「当時の法令上、安全は確保されており、3人の対応は特異ではない」と退けた。』
原発は絶対に安全だと言ってたのは嘘だったということを認めた判決という点で画期的だろう。この3人を禁固刑にできたところで問題は何も解決しない。
むしろ、原発村の人たちの言うことや東電の言うことを信じたことが間違いだったということをよく考える必要があるだろう。そういう嘘を信じた結果、馬鹿を見るのはいつも国民なのだから。
いつ終わるのかもわからない原発事故の処理に税金だけでなく無駄に高い電気料を払わされているのは何故なのか、事故の直接的な影響を受けなかった人たちも自分のこととして考えなければならないだろう。
北海道電力の泊原発も稼働しないまま存在し続けているが、それで電力不足の心配が迫っているわけでもなく、今後、大規模洋上風力発電が計画されているから今や無用の長物ではないだろうか。
しかし、廃炉するとなるとまた費用がかさんで電気料金がまた上がりそうで心配だ。今になって思えば、なぜ原発なんていうものに手を出したのが不思議なくらいだが、当時は誰もこんなことになるとは予想できなかったのかもしれない。
所詮、人間の知恵などというものはその程度のもので、未来のことなど知ることはできなのだ。
今後この裁判の行方がどうなるかはわからないが、民事訴訟で損害賠償請求することはできるはずだから、どんなに長期化しても3人の責任を追求するという方法もあるだろう。たとえ3人が死ぬまで時間がかかっても。
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