『 琢磨、歴史作った!インディカー日本人初V
自動車レース、インディカー・シリーズ第3戦の決勝が21日、米カリフォルニア州のロングビーチ市街地特設コース(1周3・167キロ)で行われ、佐藤琢磨(36)=AJフォイト=が日本人として初優勝を飾った。過去最高位は、08年に武藤英紀、12年に?磨が記録した2位。琢磨は02年からF1ドライバーとして活躍。04年米国GPで日本人最高タイの3位に入ったが、10年からインディカー・シリーズに参戦。4年目でついに頂点に立った。
日本のモータースポーツ界に、偉大な歴史が刻まれた。2位に5秒以上の大差をつけ、80周のチェッカーフラッグを受けた琢磨は「最高の気分。信じられないし、本当にうれしい」とマシンに飛び乗り、頭上で日の丸の旗を広げた。F1と並ぶフォーミュラレースの2大カテゴリーで、日本人が表彰台の真ん中に立った瞬間だった。
予選4番手でスタートすると、直後に3位浮上。23周目に昨年王者のハンターレイ(アンドレッティ)をパスして2位に。そして31周目。ポールポジションのフランキッティ(チップガナッシ)がピット作業でタイムロスしている間に、首位に立つと、一度もトップの座を譲らず走り抜けた。
市街地の難コース。ハードタイヤでスタートし、中盤からソフトタイヤで戦い抜く作戦で巧みに攻略した。「ピットストップも作戦も完璧だった。マシンを限界で走らせることを楽しむことさえできた。すべてがうまくいって、まるで簡単に勝てたように感じた」。会心のレースに笑みをこぼした。
数々の挫折を「挑戦」で乗り越えてきた。F1で活躍していた08年、所属していた「スーパーアグリ」が資金難に陥りシーズン途中で撤退。他チームのテストに参加したがF1復帰は実現せず、10年からインディカーに活路を求めた。1年目こそ最高は9位だったが、2年目の11年に日本人初のポールポジションを2度獲得。12年は3位、2位と自己最高位を更新すると、優勝の可能性を求めて移籍。通算3チーム目となるAJフォイトで、ついに栄冠をつかんだ。
ポイントランキングで首位と6点差の2位。昨年、最終周の第1コーナーまで優勝争いを繰り広げたシリーズ最大のイベント「インディ500」も、5月26日に控えている。「この勝利が、震災の影響が残っている日本に、いいニュースとなってくれるといい」と東日本大震災の被災地に思いを馳せることも忘れなかった琢磨。残る大仕事、年間王者とインディ500制覇へ、さらなる挑戦が続く。』
『 佐藤琢磨が悲願のインディカー初優勝を飾る
Hondaドライバーが表彰台を独占し、1-2-3-4フィニッシュを達成
2013年4月21日(日)・決勝,会場:ロングビーチ市街地特設コース,天候:快晴,気温:16~17℃.
今年で39回目の開催を迎えたグランプリ・オブ・ロングビーチは、海沿いのダウンタウンに作られた全長1.968マイルのストリートコースを使って27台のインディカーによって争われ、大観衆の前で佐藤琢磨(A.J. Foyt Racing)がキャリア初優勝を飾りました。インディカー・シリーズに参戦して4シーズン目の佐藤は、キャリア52戦目にして悲願の初優勝となります。この勝利は、日本人ドライバーにとっても、アメリカのトップ・オープンホイールレースにおける初めてのものです。
佐藤は予選4番手で2列目アウト側グリッドからスタート。すぐにライバルをパスして3番手にポジションを上げました。23周目、佐藤は昨年度チャンピオンのライアン・ハンターレイ(Andretti Autosport)をパスし、2番手に浮上。28周目に1回目のピットストップを行いました。その次の周にポールポジションからトップを守り続けていたダリオ・フランキッティ(Chip Ganassi Racing)がピットインし、作業に時間がかかったことで佐藤がついにトップに躍り出ました。
トップに立った佐藤は自信に満ちた走りを続け、リスタートでもその座を守りました。ハードタイヤでスタートし、レース中盤からゴールまでをソフトタイヤで戦い抜くという作戦が的中し、レースをリードし続けたのです。レース終盤、佐藤と同じ作戦で予選11番手だったグレアム・レイホール(Rahal Letterman Lanigan Racing)が2番手に浮上。彼は一瞬、佐藤に近づきかけましたが、ゴールが近づくに連れて両者の差は広がっていきました。佐藤は2番手に5秒の差をつけてファイナルラップの80周目に入り、そのあとに後方グループの中でアクシデントが発生したため、チェッカーフラッグとイエローフラッグが同時に振られる中で、佐藤は初勝利のゴールラインを横ぎりました。
レイホールの後ろの3位でゴールし、表彰台の最後の一角を占めたのは、25番手スタートのジャスティン・ウィルソン(Dale Coyne Racing)でした。アクシデントでスタート後2周目に出されたフルコースコーションを利用して給油し、次のピットストップまでを長く走れるようにした作戦が見事に成功し、大きなポジションアップを成し遂げたのでした。第3戦の表彰台はHondaドライバーたちが独占しました。そして、フランキッティが4位でゴール。Hondaは今シーズン初勝利を1-2-3-4フィニッシュで達成しました。
佐藤琢磨(優勝)のコメント
「言葉もありません。最高の気分です。信じられないですし、本当にうれしいです。今週は完ぺきなレースウイークエンドになっていました。チームが最高の仕事をしてくれました。ピットストップも作戦も完ぺきでした。Hondaエンジンもパワフルで、レース中の私は、マシンを限界で走らせることを楽しむことさえできていました。開幕2レースで課題となっていたピットストップも、今日は本当にすばらしかったです。クルー全員が完ぺきな仕事をしていました。自分も集中力を保ち、与えられた仕事をやり遂げようと考えながら走っていました。その結果、すべてがうまくいって、まるで簡単に勝てたように感じたほどでした。この勝利が、まだ震災の影響が残っている日本に、いいニュースとなってくれるといいですね。日本の朝に、こうしたニュースを届けられることをうれしく思います」』
佐藤琢磨のプロフィール
生まれ:1977年1月28日、東京・新宿生まれ、36歳.家族:2005年に結婚した夫人との間に7歳の長男と4歳の長女。家族はモナコ在住で、琢磨は米国に単身赴任中,自転車:高校時代は自転車の選手。自転車部がなかった高校で担任の教諭を説得し、独力で部を創立。高3でインターハイ優勝。
カーレースへ転向:10歳だった87年に両親と鈴鹿でF1を初観戦。早大進学後の96年にカートを始め、97年に鈴鹿サーキット・レーシング・スクールを首席で卒業。主な戦績:01年に日本人初の英国F3王者。02年にジョーダン・ホンダからF1デビュー。BARホンダ、スーパーアグリ・ホンダで通算90戦、最高位は04年米国GPの3位。10年から米インディへ。
尊敬する選手:F1の名選手だったアイルトン・セナ。最後まであきらめない姿に感動。
サイズ:1メートル64、59キロ.』
米国ホンダの子会社HPD製のツインターボチャージャー2.4リットルV6エンジンで700馬力も出るオープンホイールなんて写真を見ているだけでもわくわくするが,レースはF1に比べるとワイルドな感じがして面白い.
自分がロードバイクに乗っているので,最近は車のレースよりも自転車のレースのほうを観るようになったが,私も87年にはセナの優勝した日本GPを鈴鹿まで観に行くほどF1が好きだった.
佐藤選手はHONDAの生え抜きで元々は自転車選手だったことも知っていたので,F1をやめざるを得なくなった時は残念だったが,その後はインディでレースを続けている事はニュースで知っていた.
今年で4年目で今年こそ優勝を狙いたいとインタビューで言っていたのを,このオフのインタビュービデオで見たが,3戦目にしてその夢を果たしたのだからすごいことだ.自転車も自動車もレースでは車と選手以外にも色々な因子が絡むので運がなければ勝てないものだと思うが,長く続けていれば運も実力になる時が来るということなのだろう.
自分の夢に向かって努力を続けることが大切だという事を思い出させてくれた佐藤選手がシリーズ・チャンピオンになるのを是非観てみたいものだと思うのだが,ところでインディカーレースは日本のテレビで放送されてるんだったろうか?
自動車レース、インディカー・シリーズ第3戦の決勝が21日、米カリフォルニア州のロングビーチ市街地特設コース(1周3・167キロ)で行われ、佐藤琢磨(36)=AJフォイト=が日本人として初優勝を飾った。過去最高位は、08年に武藤英紀、12年に?磨が記録した2位。琢磨は02年からF1ドライバーとして活躍。04年米国GPで日本人最高タイの3位に入ったが、10年からインディカー・シリーズに参戦。4年目でついに頂点に立った。
日本のモータースポーツ界に、偉大な歴史が刻まれた。2位に5秒以上の大差をつけ、80周のチェッカーフラッグを受けた琢磨は「最高の気分。信じられないし、本当にうれしい」とマシンに飛び乗り、頭上で日の丸の旗を広げた。F1と並ぶフォーミュラレースの2大カテゴリーで、日本人が表彰台の真ん中に立った瞬間だった。
予選4番手でスタートすると、直後に3位浮上。23周目に昨年王者のハンターレイ(アンドレッティ)をパスして2位に。そして31周目。ポールポジションのフランキッティ(チップガナッシ)がピット作業でタイムロスしている間に、首位に立つと、一度もトップの座を譲らず走り抜けた。
市街地の難コース。ハードタイヤでスタートし、中盤からソフトタイヤで戦い抜く作戦で巧みに攻略した。「ピットストップも作戦も完璧だった。マシンを限界で走らせることを楽しむことさえできた。すべてがうまくいって、まるで簡単に勝てたように感じた」。会心のレースに笑みをこぼした。
数々の挫折を「挑戦」で乗り越えてきた。F1で活躍していた08年、所属していた「スーパーアグリ」が資金難に陥りシーズン途中で撤退。他チームのテストに参加したがF1復帰は実現せず、10年からインディカーに活路を求めた。1年目こそ最高は9位だったが、2年目の11年に日本人初のポールポジションを2度獲得。12年は3位、2位と自己最高位を更新すると、優勝の可能性を求めて移籍。通算3チーム目となるAJフォイトで、ついに栄冠をつかんだ。
ポイントランキングで首位と6点差の2位。昨年、最終周の第1コーナーまで優勝争いを繰り広げたシリーズ最大のイベント「インディ500」も、5月26日に控えている。「この勝利が、震災の影響が残っている日本に、いいニュースとなってくれるといい」と東日本大震災の被災地に思いを馳せることも忘れなかった琢磨。残る大仕事、年間王者とインディ500制覇へ、さらなる挑戦が続く。』
『 佐藤琢磨が悲願のインディカー初優勝を飾る
Hondaドライバーが表彰台を独占し、1-2-3-4フィニッシュを達成
2013年4月21日(日)・決勝,会場:ロングビーチ市街地特設コース,天候:快晴,気温:16~17℃.
今年で39回目の開催を迎えたグランプリ・オブ・ロングビーチは、海沿いのダウンタウンに作られた全長1.968マイルのストリートコースを使って27台のインディカーによって争われ、大観衆の前で佐藤琢磨(A.J. Foyt Racing)がキャリア初優勝を飾りました。インディカー・シリーズに参戦して4シーズン目の佐藤は、キャリア52戦目にして悲願の初優勝となります。この勝利は、日本人ドライバーにとっても、アメリカのトップ・オープンホイールレースにおける初めてのものです。
佐藤は予選4番手で2列目アウト側グリッドからスタート。すぐにライバルをパスして3番手にポジションを上げました。23周目、佐藤は昨年度チャンピオンのライアン・ハンターレイ(Andretti Autosport)をパスし、2番手に浮上。28周目に1回目のピットストップを行いました。その次の周にポールポジションからトップを守り続けていたダリオ・フランキッティ(Chip Ganassi Racing)がピットインし、作業に時間がかかったことで佐藤がついにトップに躍り出ました。
トップに立った佐藤は自信に満ちた走りを続け、リスタートでもその座を守りました。ハードタイヤでスタートし、レース中盤からゴールまでをソフトタイヤで戦い抜くという作戦が的中し、レースをリードし続けたのです。レース終盤、佐藤と同じ作戦で予選11番手だったグレアム・レイホール(Rahal Letterman Lanigan Racing)が2番手に浮上。彼は一瞬、佐藤に近づきかけましたが、ゴールが近づくに連れて両者の差は広がっていきました。佐藤は2番手に5秒の差をつけてファイナルラップの80周目に入り、そのあとに後方グループの中でアクシデントが発生したため、チェッカーフラッグとイエローフラッグが同時に振られる中で、佐藤は初勝利のゴールラインを横ぎりました。
レイホールの後ろの3位でゴールし、表彰台の最後の一角を占めたのは、25番手スタートのジャスティン・ウィルソン(Dale Coyne Racing)でした。アクシデントでスタート後2周目に出されたフルコースコーションを利用して給油し、次のピットストップまでを長く走れるようにした作戦が見事に成功し、大きなポジションアップを成し遂げたのでした。第3戦の表彰台はHondaドライバーたちが独占しました。そして、フランキッティが4位でゴール。Hondaは今シーズン初勝利を1-2-3-4フィニッシュで達成しました。
佐藤琢磨(優勝)のコメント
「言葉もありません。最高の気分です。信じられないですし、本当にうれしいです。今週は完ぺきなレースウイークエンドになっていました。チームが最高の仕事をしてくれました。ピットストップも作戦も完ぺきでした。Hondaエンジンもパワフルで、レース中の私は、マシンを限界で走らせることを楽しむことさえできていました。開幕2レースで課題となっていたピットストップも、今日は本当にすばらしかったです。クルー全員が完ぺきな仕事をしていました。自分も集中力を保ち、与えられた仕事をやり遂げようと考えながら走っていました。その結果、すべてがうまくいって、まるで簡単に勝てたように感じたほどでした。この勝利が、まだ震災の影響が残っている日本に、いいニュースとなってくれるといいですね。日本の朝に、こうしたニュースを届けられることをうれしく思います」』
佐藤琢磨のプロフィール
生まれ:1977年1月28日、東京・新宿生まれ、36歳.家族:2005年に結婚した夫人との間に7歳の長男と4歳の長女。家族はモナコ在住で、琢磨は米国に単身赴任中,自転車:高校時代は自転車の選手。自転車部がなかった高校で担任の教諭を説得し、独力で部を創立。高3でインターハイ優勝。
カーレースへ転向:10歳だった87年に両親と鈴鹿でF1を初観戦。早大進学後の96年にカートを始め、97年に鈴鹿サーキット・レーシング・スクールを首席で卒業。主な戦績:01年に日本人初の英国F3王者。02年にジョーダン・ホンダからF1デビュー。BARホンダ、スーパーアグリ・ホンダで通算90戦、最高位は04年米国GPの3位。10年から米インディへ。
尊敬する選手:F1の名選手だったアイルトン・セナ。最後まであきらめない姿に感動。
サイズ:1メートル64、59キロ.』
米国ホンダの子会社HPD製のツインターボチャージャー2.4リットルV6エンジンで700馬力も出るオープンホイールなんて写真を見ているだけでもわくわくするが,レースはF1に比べるとワイルドな感じがして面白い.
自分がロードバイクに乗っているので,最近は車のレースよりも自転車のレースのほうを観るようになったが,私も87年にはセナの優勝した日本GPを鈴鹿まで観に行くほどF1が好きだった.
佐藤選手はHONDAの生え抜きで元々は自転車選手だったことも知っていたので,F1をやめざるを得なくなった時は残念だったが,その後はインディでレースを続けている事はニュースで知っていた.
今年で4年目で今年こそ優勝を狙いたいとインタビューで言っていたのを,このオフのインタビュービデオで見たが,3戦目にしてその夢を果たしたのだからすごいことだ.自転車も自動車もレースでは車と選手以外にも色々な因子が絡むので運がなければ勝てないものだと思うが,長く続けていれば運も実力になる時が来るということなのだろう.
自分の夢に向かって努力を続けることが大切だという事を思い出させてくれた佐藤選手がシリーズ・チャンピオンになるのを是非観てみたいものだと思うのだが,ところでインディカーレースは日本のテレビで放送されてるんだったろうか?
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