2011年を振り返って
2011年12月30日 日常今日は年の瀬の街へ家族で買い物に出かけた.こんなゆっくりした年末は何年ぶりだろうか.今年最後の当直で3人ほど入院し,それなりに忙しかったが,あまり慌しさはなく無事に正月休みになった.
今年を振り返ってみると社会の問題としては震災の年と言うことに尽きるだろう.原発の安全神話が如何に虚しいものだったかを思い知った年だった.科学技術の安全性はそれを使う人間にかかっているという当たり前のことを再認識させられる年だった.
仕事のことでは,気管カニューレや胃瘻のチューブ交換で刑事訴訟になる事故がニュースになり,慢性期医療も医師にとっては気を抜けない事ことが改めて感じられると同時に慢性期医療の意味を考えさせられることが多かった.
趣味の写真に関してはついにバースデーライカを手に入れることが出来て自家フィルム現像も再開したもののフィルムカメラ集めも一息つき,来年からは娘の写真を撮る機会が減ることも考えて,増えすぎた機材の整理と更新を行なった年となった.
カメラへの情熱が少し下火になる一方でふとしたきっかけからオーディオへの情熱は復活し,今まであまり聞くことのなかったBill EvansのCDを集めるようになるとは一年前には予想もしなかったことだった.オーディオシステムのために部屋のレイアウトも変わり自分の部屋にいる時間が増えるなどライフスタイルも変化した.
もう一つ予想もしていなかったことはiOS SDKでアプリの開発をしてiTune Storeに出品するようになったことで,大学院卒業後はソフトウェアのユーザーに徹していた私がソフト開発をする気になるなんて思ってもみなかったことだった.
自転車に乗るのを控えめにして練習した北海道マラソンは今年も猛暑に完敗し,来年は積極的に自転車をつかったクロストレーニングに変更してまた挑戦しようと思っているところだ.
結局のところどっちを見ても昨年は予想もしなかった方向へ動いて来ているから,来年のことなんか考えても無意味なのだろうし,トルストイも言っているように人間には未来のことを知る能力は与えられていないのだから,やはりその時自分に出来ることを一生懸命やるしかないのだろう.
こんな一年になったのも何かの運命だと私は思っているので,この流れを来年につなげてさらに新しい自分を見つけてみたいものだ.
Bill Evansを聞きながら…
今年を振り返ってみると社会の問題としては震災の年と言うことに尽きるだろう.原発の安全神話が如何に虚しいものだったかを思い知った年だった.科学技術の安全性はそれを使う人間にかかっているという当たり前のことを再認識させられる年だった.
仕事のことでは,気管カニューレや胃瘻のチューブ交換で刑事訴訟になる事故がニュースになり,慢性期医療も医師にとっては気を抜けない事ことが改めて感じられると同時に慢性期医療の意味を考えさせられることが多かった.
趣味の写真に関してはついにバースデーライカを手に入れることが出来て自家フィルム現像も再開したもののフィルムカメラ集めも一息つき,来年からは娘の写真を撮る機会が減ることも考えて,増えすぎた機材の整理と更新を行なった年となった.
カメラへの情熱が少し下火になる一方でふとしたきっかけからオーディオへの情熱は復活し,今まであまり聞くことのなかったBill EvansのCDを集めるようになるとは一年前には予想もしなかったことだった.オーディオシステムのために部屋のレイアウトも変わり自分の部屋にいる時間が増えるなどライフスタイルも変化した.
もう一つ予想もしていなかったことはiOS SDKでアプリの開発をしてiTune Storeに出品するようになったことで,大学院卒業後はソフトウェアのユーザーに徹していた私がソフト開発をする気になるなんて思ってもみなかったことだった.
自転車に乗るのを控えめにして練習した北海道マラソンは今年も猛暑に完敗し,来年は積極的に自転車をつかったクロストレーニングに変更してまた挑戦しようと思っているところだ.
結局のところどっちを見ても昨年は予想もしなかった方向へ動いて来ているから,来年のことなんか考えても無意味なのだろうし,トルストイも言っているように人間には未来のことを知る能力は与えられていないのだから,やはりその時自分に出来ることを一生懸命やるしかないのだろう.
こんな一年になったのも何かの運命だと私は思っているので,この流れを来年につなげてさらに新しい自分を見つけてみたいものだ.
Bill Evansを聞きながら…
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