『「なぜ悲しい思いを…」 ローマ法王に震災を尋ねた少女
ローマ法王ベネディクト16世が22日、イタリア国営テレビRAIの番組で、東日本大震災を経験した日本在住の少女の「どうして日本の子どもは怖くて悲しい思いをしなければならないの」との質問に答えた。
質問したのは千葉市に住むエレナ・マツキさん(7)。自宅マンションのベランダで撮った日本語のビデオレターで尋ねた。
これに対し、法王は「私も自問しており、答えはないかもしれない。(十字架にかけられた)キリストも無実の苦しみを味わっており、神は常にあなたのそばにいる」と答えた。
ベネチア近郊に住む祖母ジアーナ・デル・リオさん(63)によると、エレナさんは地震発生時、10階の自宅に日本人の母親と一緒にいて、強い揺れを何度も経験。同年代の子どもがたくさん亡くなったことを知り、法王に質問をしたような疑問を抱いたという。
法王は「悲しさは消えない。しかし、世界中の人たちがあなたたちのことを思っており、私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」とも述べた。』
多くの人間にとって信仰心は必要だろうし,宗教を否定するつもりもないが,残念ながら人間にとって都合のいい神なんて存在しないということだろう.
今までの自分の体験から,人が知る事ができなくとも運命というものはあると思うし,奇跡的な偶然というのもあると思うが,神という人格化され物理学の法則を超越するような存在というものはいないと思う.
しかし,多くの人にとっては神というものを存在するものとしてそれを信仰の対象とすることは悪い事ではないだろう.それで心の平和が得られるのならば,他人に迷惑をかけない限り,自分の心の中に何を創り出すのも自由だろう.
だが,宗教が原因で悩みが増えたり,他人の考えを受け入れなくなったり,あげくに争いをしたりするのでは本末転倒である.怖くて悲しい思いをするのは信仰とは関係なくて,あるのは自分が何をしてきたか,何をしているか,何をしようとするかの問題だけだろう.
ただ苦痛に耐え神に頼るのではなく,自分の心と行動をしっかりと見つめて,自分が幸せになるにはどうすれば良いかを考え毎日少しずつでもそれを実行することこそが,運命の流れを変えうるただ唯一の方法ではないだろうかと私は思うのだがどうだろうか.
ローマ法王ベネディクト16世が22日、イタリア国営テレビRAIの番組で、東日本大震災を経験した日本在住の少女の「どうして日本の子どもは怖くて悲しい思いをしなければならないの」との質問に答えた。
質問したのは千葉市に住むエレナ・マツキさん(7)。自宅マンションのベランダで撮った日本語のビデオレターで尋ねた。
これに対し、法王は「私も自問しており、答えはないかもしれない。(十字架にかけられた)キリストも無実の苦しみを味わっており、神は常にあなたのそばにいる」と答えた。
ベネチア近郊に住む祖母ジアーナ・デル・リオさん(63)によると、エレナさんは地震発生時、10階の自宅に日本人の母親と一緒にいて、強い揺れを何度も経験。同年代の子どもがたくさん亡くなったことを知り、法王に質問をしたような疑問を抱いたという。
法王は「悲しさは消えない。しかし、世界中の人たちがあなたたちのことを思っており、私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」とも述べた。』
多くの人間にとって信仰心は必要だろうし,宗教を否定するつもりもないが,残念ながら人間にとって都合のいい神なんて存在しないということだろう.
今までの自分の体験から,人が知る事ができなくとも運命というものはあると思うし,奇跡的な偶然というのもあると思うが,神という人格化され物理学の法則を超越するような存在というものはいないと思う.
しかし,多くの人にとっては神というものを存在するものとしてそれを信仰の対象とすることは悪い事ではないだろう.それで心の平和が得られるのならば,他人に迷惑をかけない限り,自分の心の中に何を創り出すのも自由だろう.
だが,宗教が原因で悩みが増えたり,他人の考えを受け入れなくなったり,あげくに争いをしたりするのでは本末転倒である.怖くて悲しい思いをするのは信仰とは関係なくて,あるのは自分が何をしてきたか,何をしているか,何をしようとするかの問題だけだろう.
ただ苦痛に耐え神に頼るのではなく,自分の心と行動をしっかりと見つめて,自分が幸せになるにはどうすれば良いかを考え毎日少しずつでもそれを実行することこそが,運命の流れを変えうるただ唯一の方法ではないだろうかと私は思うのだがどうだろうか.
コメント
5/6-8は参加されますか?
私は全日程参加予定です。