『大震災、死亡・不明2万1千人に 「明治三陸」と同規模
東日本大震災の死者・行方不明者は21日、午後3時現在の警察庁まとめで2万1911人となり、明治以降、国内最悪の津波被害とされている1896年の明治三陸地震(死者数2万1959人)とほぼ同数となった。
死者は12都道県の8649人、家族が警察に届け出た行方不明者は6県の1万3262人。身元確認を終えた遺体は約4080体で、うち約2990体を遺族に引き渡した。
一方、東北と関東、甲信越、静岡の1都15県に設けられた約2070カ所の避難所には、原発事故の影響などによる避難も含め、約34万人が身を寄せている。岩手県は同日、沿岸部の集落などの孤立状態がすべて解消したと発表した。
厚生労働省は、被災地で高齢者を介護する人員が不足しているとして、約5900人の派遣準備を整えた。老人ホームの入所者も、約2万8千人まで他県などの施設で受け入れ可能という。
地震の発生から11日目となったが、救援物資をめぐる混乱が続いている。約140カ所に1万4千人が避難する仙台市。二十数人が避難する中学校で歯ブラシが600本余った。小学校には冷凍食品が届いたが、停電で電子レンジが使えず、すぐには食べられない状態になっている。』
色々なところで『明治三陸地震(1896年)』というのを見かけるのでWikipediaで調べてみた.マグニチュードは8.2〜8.5で,地震は震度2〜3程度だったのに地震後の津波が本州の観測史上最高の波高38.2mを記録するなど津波被害が甚大だったらしい.発生間隔は数十年~百数十年くらいと書いてあった.
もう少し調べてみると『昭和三陸地震(1933年)』というのがありマグニチュードは8.1で,震度5の強い揺れを記録したが、明治三陸地震の時と同じく地震による被害は少なく,地震後に襲来した津波による被害が甚大であったとある.この2つの地震の間隔は37年間,昭和三陸地震から数えて今年は78年目にあたる.
この間には『北海道東方沖地震(1994年)』があり,この時には私は開頭術中で患者さんの頭を両手でおさえながら手術室の床が抜けるのではないかと大いに慌てた経験がある.
江戸時代にも三陸沖ではマグニチュード8クラスの地震があったようで,記録にあるかぎりでは明治三陸地震の8.5が最大だったのでそれ以上のは起きないことになっていたのだろう.人は物事を自分に都合よく解釈するものなのである.
今後,災害からの復興が行われるだろうが,昭和三陸地震の教訓から田老に築かれた巨大防潮堤を今回の大津波は乗り越えて町内を襲い,ほぼ全域が壊滅状態となったというのだから津波被害があった地域に再び住むのはどうなのだろうか.
結果的には,東京電力の自然災害に対する想定があまりにも低くかったとも,原子炉の設計基準ががあまりにも古かったとも言えるだろうが,そういう意味では過去に大きな津波被害のあった地域に多くの人が住んでいたことこそが人的被害を大きくした最大の要因ということだろう.
これから地震や津波に対する防災計画を立て直すことになるだろうが,自然は今まで考えていた以上に猛威をふるうということを視野に入れて全国的な見直しをしなければならない.その時は,人は物事を自分に都合よく解釈するだけでなく,時間が経つと忘れてしまうものだということに十分気をつける必要があるだろう.
追記:『福島第1原発:周辺の津波 14メートル以上の可能性
東京電力福島第1原発周辺で、14メートル以上の津波が押し寄せた可能性があることを21日、経済産業省原子力安全・保安院が明らかにした。設計時に想定した津波の高さの3倍近い。東電と保安院は、津波が原発の安全の根幹にかかわる原子炉の冷却機能を喪失させ、今回の事故につながったとみており、他の原発でも再検証が求められるのは必至だ。
保安院は同日午後の会見で、「津波の高さは一番高い所で(水が)触れたものを見れば分かる。未確認だが、14メートルの高さの駐車場を超えていると聞いた」と説明した。東電が同原発で設計時に想定した津波の高さは約5メートル。津波は浅い海岸付近に来ると波の高さが急激に高くなる特徴があるほか、連続して押し寄せるため、沿岸に到達した津波の高さ以上まで駆け上がる。
今回、同原発では、3号機を襲った東西方向の揺れの強さが507ガル(ガルは加速度の単位)と、保安院が耐震安全の基準値として認めた数値の1・15倍だったのを除き、揺れはおおむね基準値を下回った。しかし、敷地内にある原発に送電するための鉄塔が倒壊。さらに津波の影響で、原子炉を冷やすための緊急炉心冷却装置(ECCS)を駆動する非常用電源が6号機を除いて使えなくなり、外部からの受電設備も水没して事態を悪化させたとみられる。
東電は今回の事故を、設計時の想定を超えて炉心の損傷につながるような「過酷事故(シビアアクシデント)」と認めている。保安院によると、東電は複数の対策シナリオを国の指示で02年に作成したが、津波による被害は考慮されていなかった。国の「原子力白書」でもシビアアクシデント発生の可能性について「工学的には考えられないほど低い」などとしていた。』
東日本大震災の死者・行方不明者は21日、午後3時現在の警察庁まとめで2万1911人となり、明治以降、国内最悪の津波被害とされている1896年の明治三陸地震(死者数2万1959人)とほぼ同数となった。
死者は12都道県の8649人、家族が警察に届け出た行方不明者は6県の1万3262人。身元確認を終えた遺体は約4080体で、うち約2990体を遺族に引き渡した。
一方、東北と関東、甲信越、静岡の1都15県に設けられた約2070カ所の避難所には、原発事故の影響などによる避難も含め、約34万人が身を寄せている。岩手県は同日、沿岸部の集落などの孤立状態がすべて解消したと発表した。
厚生労働省は、被災地で高齢者を介護する人員が不足しているとして、約5900人の派遣準備を整えた。老人ホームの入所者も、約2万8千人まで他県などの施設で受け入れ可能という。
地震の発生から11日目となったが、救援物資をめぐる混乱が続いている。約140カ所に1万4千人が避難する仙台市。二十数人が避難する中学校で歯ブラシが600本余った。小学校には冷凍食品が届いたが、停電で電子レンジが使えず、すぐには食べられない状態になっている。』
色々なところで『明治三陸地震(1896年)』というのを見かけるのでWikipediaで調べてみた.マグニチュードは8.2〜8.5で,地震は震度2〜3程度だったのに地震後の津波が本州の観測史上最高の波高38.2mを記録するなど津波被害が甚大だったらしい.発生間隔は数十年~百数十年くらいと書いてあった.
もう少し調べてみると『昭和三陸地震(1933年)』というのがありマグニチュードは8.1で,震度5の強い揺れを記録したが、明治三陸地震の時と同じく地震による被害は少なく,地震後に襲来した津波による被害が甚大であったとある.この2つの地震の間隔は37年間,昭和三陸地震から数えて今年は78年目にあたる.
この間には『北海道東方沖地震(1994年)』があり,この時には私は開頭術中で患者さんの頭を両手でおさえながら手術室の床が抜けるのではないかと大いに慌てた経験がある.
江戸時代にも三陸沖ではマグニチュード8クラスの地震があったようで,記録にあるかぎりでは明治三陸地震の8.5が最大だったのでそれ以上のは起きないことになっていたのだろう.人は物事を自分に都合よく解釈するものなのである.
今後,災害からの復興が行われるだろうが,昭和三陸地震の教訓から田老に築かれた巨大防潮堤を今回の大津波は乗り越えて町内を襲い,ほぼ全域が壊滅状態となったというのだから津波被害があった地域に再び住むのはどうなのだろうか.
結果的には,東京電力の自然災害に対する想定があまりにも低くかったとも,原子炉の設計基準ががあまりにも古かったとも言えるだろうが,そういう意味では過去に大きな津波被害のあった地域に多くの人が住んでいたことこそが人的被害を大きくした最大の要因ということだろう.
これから地震や津波に対する防災計画を立て直すことになるだろうが,自然は今まで考えていた以上に猛威をふるうということを視野に入れて全国的な見直しをしなければならない.その時は,人は物事を自分に都合よく解釈するだけでなく,時間が経つと忘れてしまうものだということに十分気をつける必要があるだろう.
追記:『福島第1原発:周辺の津波 14メートル以上の可能性
東京電力福島第1原発周辺で、14メートル以上の津波が押し寄せた可能性があることを21日、経済産業省原子力安全・保安院が明らかにした。設計時に想定した津波の高さの3倍近い。東電と保安院は、津波が原発の安全の根幹にかかわる原子炉の冷却機能を喪失させ、今回の事故につながったとみており、他の原発でも再検証が求められるのは必至だ。
保安院は同日午後の会見で、「津波の高さは一番高い所で(水が)触れたものを見れば分かる。未確認だが、14メートルの高さの駐車場を超えていると聞いた」と説明した。東電が同原発で設計時に想定した津波の高さは約5メートル。津波は浅い海岸付近に来ると波の高さが急激に高くなる特徴があるほか、連続して押し寄せるため、沿岸に到達した津波の高さ以上まで駆け上がる。
今回、同原発では、3号機を襲った東西方向の揺れの強さが507ガル(ガルは加速度の単位)と、保安院が耐震安全の基準値として認めた数値の1・15倍だったのを除き、揺れはおおむね基準値を下回った。しかし、敷地内にある原発に送電するための鉄塔が倒壊。さらに津波の影響で、原子炉を冷やすための緊急炉心冷却装置(ECCS)を駆動する非常用電源が6号機を除いて使えなくなり、外部からの受電設備も水没して事態を悪化させたとみられる。
東電は今回の事故を、設計時の想定を超えて炉心の損傷につながるような「過酷事故(シビアアクシデント)」と認めている。保安院によると、東電は複数の対策シナリオを国の指示で02年に作成したが、津波による被害は考慮されていなかった。国の「原子力白書」でもシビアアクシデント発生の可能性について「工学的には考えられないほど低い」などとしていた。』
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