景観回復もして欲しい
2009年10月2日 社会の問題 コメント (1)『ポニョの舞台・鞆の浦 工事差し止め判決 景観保護優先
江戸期の港と町並みが一体で残り、宮崎駿(はやお)監督のアニメ映画「崖(がけ)の上のポニョ」の舞台として全国的な注目を集めた景勝地「鞆(とも)の浦」(広島県福山市)で県と市が進める埋め立て・架橋計画をめぐり、地元住民らが県を相手取り、知事が埋め立て免許を県と市に交付しないよう求めた訴訟の判決が1日、広島地裁で言い渡された。能勢顕男(あきお)裁判長は住民側の請求を全面的に認め、知事に埋め立て免許の交付をしないよう命じた。
歴史的景観を保護するために大型公共工事の許認可を差し止めることができるかどうかが争われた初めての訴訟で住民側が勝訴した。各地の開発と景観をめぐる紛争に大きな影響を与えるのは必至だ。
訴訟では、(1)埋め立て・架橋工事により、住民らが鞆の浦の良好な景観の恩恵を受ける利益が損なわれるか(2)事業によって交通が便利になったり、観光客用の駐車場などを整備したりすることで得られる利益が、景観を損なう不利益を大きく上回るといえるか(3)埋め立て免許が出されると回復不可能な重大な損害が生じる恐れがあるか——などが主な争点になった。
判決はまず、鞆の浦の景観は住民らの利益にとどまらず、瀬戸内海の美観を構成し、文化的・歴史的価値をもつ「国民の財産ともいうべき公益」と指摘し、法的保護の対象になると判断。瀬戸内海の環境保全を趣旨とする「瀬戸内法」によっても公益として保護されていると述べ、景観を侵害する政策判断は慎重になされるべきだとした。
そのうえで、行政側が実施しようとしている道路や駐車場の整備などの事業に必要性や公共性があることは認めつつ、景観保全を犠牲にしてまでの必要性があるかどうかについては「大きな疑問が残る」とした。さらに、事業が完成した後に景観を復元することは不可能で、事業自体の調査・検討も不十分として、埋め立てを認めることは知事の裁量権を超えており差し止めの対象になるとの結論を導いた。
県知事は昨年6月、埋め立て免許の交付に必要な国土交通相認可を申請した。金子一義・前国交相は「住民同意ではなく、国民同意が必要」として認可に慎重な姿勢を示し、手続きは事実上停止している。』
この計画の予定図をみると架橋と埋め立てで海岸線の美しい景観は見る影もなくなることがわかる.確かに橋が出来れば湾を横断してショートカットができるようになり町の中を車が走る必要はなくなるだろうが,これが地元住民のためになるとは思えない.たとえ不便でもそこが好きで昔から住んでいる人や町の歴史というものを無視したかのような粗雑な開発計画は中止されて当然だろう.
私も医局の人事で北海道内を移り住んだおかげで,渡島半島の西側を除くほとんどの海岸線を見る事ができた.その結果わかったことは北海道の海岸線も道路や港の開発のためにほとんどが破壊されてしまっているということだ.きっと河川も同じようなものだろう.めったに車も走らないないようなところに立派な道路があったり,大きな船が着く予定もないのに港だけ立派なのは結果的に美しい自然を破壊しただけである.
公共事業で建造物をつくること自体が景気対策になるというのはわからないでもないが,大きな利益を得るのはゼネコンで地元は下請けの代金と工事で働く人の生活費しか得られず,残るのは無用の長物と破壊された自然だけというのは道民全体にとっては将来的な不利益になるのではないだろうか.主要な産業が一次産業の北海道で人口が地方を中心に落ち込み,札幌に集中したり道外に出て行く人が多くなるのは自然破壊が進んだのと無縁ではないだろう.
北海道には世界遺産となった知床半島やいくつもの国立公園など景勝地はたくさん残ってはいるのだが,その一方で日常的に地域の住民が接する自然はどんどん壊されているように思う.新しい開発から景観を保護することも大切だが,同様に壊されてしまった自然や景観を回復することも大切だと思うのだがどうだろうか.
江戸期の港と町並みが一体で残り、宮崎駿(はやお)監督のアニメ映画「崖(がけ)の上のポニョ」の舞台として全国的な注目を集めた景勝地「鞆(とも)の浦」(広島県福山市)で県と市が進める埋め立て・架橋計画をめぐり、地元住民らが県を相手取り、知事が埋め立て免許を県と市に交付しないよう求めた訴訟の判決が1日、広島地裁で言い渡された。能勢顕男(あきお)裁判長は住民側の請求を全面的に認め、知事に埋め立て免許の交付をしないよう命じた。
歴史的景観を保護するために大型公共工事の許認可を差し止めることができるかどうかが争われた初めての訴訟で住民側が勝訴した。各地の開発と景観をめぐる紛争に大きな影響を与えるのは必至だ。
訴訟では、(1)埋め立て・架橋工事により、住民らが鞆の浦の良好な景観の恩恵を受ける利益が損なわれるか(2)事業によって交通が便利になったり、観光客用の駐車場などを整備したりすることで得られる利益が、景観を損なう不利益を大きく上回るといえるか(3)埋め立て免許が出されると回復不可能な重大な損害が生じる恐れがあるか——などが主な争点になった。
判決はまず、鞆の浦の景観は住民らの利益にとどまらず、瀬戸内海の美観を構成し、文化的・歴史的価値をもつ「国民の財産ともいうべき公益」と指摘し、法的保護の対象になると判断。瀬戸内海の環境保全を趣旨とする「瀬戸内法」によっても公益として保護されていると述べ、景観を侵害する政策判断は慎重になされるべきだとした。
そのうえで、行政側が実施しようとしている道路や駐車場の整備などの事業に必要性や公共性があることは認めつつ、景観保全を犠牲にしてまでの必要性があるかどうかについては「大きな疑問が残る」とした。さらに、事業が完成した後に景観を復元することは不可能で、事業自体の調査・検討も不十分として、埋め立てを認めることは知事の裁量権を超えており差し止めの対象になるとの結論を導いた。
県知事は昨年6月、埋め立て免許の交付に必要な国土交通相認可を申請した。金子一義・前国交相は「住民同意ではなく、国民同意が必要」として認可に慎重な姿勢を示し、手続きは事実上停止している。』
この計画の予定図をみると架橋と埋め立てで海岸線の美しい景観は見る影もなくなることがわかる.確かに橋が出来れば湾を横断してショートカットができるようになり町の中を車が走る必要はなくなるだろうが,これが地元住民のためになるとは思えない.たとえ不便でもそこが好きで昔から住んでいる人や町の歴史というものを無視したかのような粗雑な開発計画は中止されて当然だろう.
私も医局の人事で北海道内を移り住んだおかげで,渡島半島の西側を除くほとんどの海岸線を見る事ができた.その結果わかったことは北海道の海岸線も道路や港の開発のためにほとんどが破壊されてしまっているということだ.きっと河川も同じようなものだろう.めったに車も走らないないようなところに立派な道路があったり,大きな船が着く予定もないのに港だけ立派なのは結果的に美しい自然を破壊しただけである.
公共事業で建造物をつくること自体が景気対策になるというのはわからないでもないが,大きな利益を得るのはゼネコンで地元は下請けの代金と工事で働く人の生活費しか得られず,残るのは無用の長物と破壊された自然だけというのは道民全体にとっては将来的な不利益になるのではないだろうか.主要な産業が一次産業の北海道で人口が地方を中心に落ち込み,札幌に集中したり道外に出て行く人が多くなるのは自然破壊が進んだのと無縁ではないだろう.
北海道には世界遺産となった知床半島やいくつもの国立公園など景勝地はたくさん残ってはいるのだが,その一方で日常的に地域の住民が接する自然はどんどん壊されているように思う.新しい開発から景観を保護することも大切だが,同様に壊されてしまった自然や景観を回復することも大切だと思うのだがどうだろうか.
コメント
今回の決定には私もホッとしています。