『男児殺害:投げ落とした44歳被告に無期懲役 横浜地裁
川崎市多摩区のマンションで06年3月、市立小3年の山川雄樹君(当時9歳)を15階から投げ落とし殺害したとして、殺人罪などに問われた同市麻生区細山5の無職、今井健詞被告(44)に対し横浜地裁は5日、求刑通り無期懲役を言い渡した。木口信之裁判長は「うっ憤晴らしという理不尽な動機で、物のように投げ落とす残忍で悪質な犯行。通り魔的で社会に大きな不安を与えた」と非難した。
弁護側は「(そうとうつが同時に現れる)混合状態」との精神鑑定結果を踏まえ「精神疾患により心神喪失状態だった」と無罪を主張したが、判決は「疾患の影響はそれほど大きくなかった」と退け完全責任能力を認めた。
判決は動機について「幸せで裕福そうな他人をねたみ、命を奪って家庭を壊し(家庭内の不和や失業など)自分の不幸のうっ憤を晴らしたいと考えた」と認定。裕福な家庭が住むであろうマンション高層階で、抵抗されても投げ落とせる子供らを狙ったと認めた。
判決によると今井被告は06年3月20日午後0時45分ごろ、マンション15階通路で、雄樹君に声をかけて肩にかつぎ、手すり越しに約40メートル下の植え込みへ投げ落として殺害(殺人、建造物侵入罪)。同29日には同マンションで清掃作業員の女性、市内の別マンションで小学4年の男児を同様に殺害しようとした(殺人未遂罪)。』
判決文を読んでないし,読む気もないが,この動機と犯行で完全責任能力を認めても死刑にならないのだったら,何をやれば死刑になるのだろうか.無期懲役ということはいずれ刑務所を出てくる可能性が高いのだろうが,再犯の可能性は無いのだろうか.
小学校を襲って多くの児童を殺傷し死刑になった男がいたが,それとの違いは被害者の数だけだというのなら,裁判員なんて小学生でもできるんじゃないだろうか.私は救命が仕事であるから命が尊いということはわかっているつもりであるが,量刑が失われた命の数で決まるというのには抵抗を感じてしまう.
私が裁判員になったらおそらく失われた命の数は考慮しないだろうし,直接の利害のない人を意図的に殺すような通り魔殺人犯にわずかであれ再犯のチャンスを与えたりはしないだろう.人間は何をしても自由であるが,もし,人を直接に死に至らしめたりしたら,もう一度チャンスを与えても良いのは過失による場合だけだろう.
同様に殺人事件に時効があるなんていうのも被害者にしてみれば理不尽な話だ.事件から時間が経ったらどんな罪も問われないなんていうルールはさっさと廃止すべきだろう.
考えてみると,世の中には理不尽なことが多い.そして,その理不尽なこともまかり通ってしまうのが世の中である.理不尽な法律なら変えることもできるが,理不尽なことをする人を変えることはできないし,殺人犯でもなければ刑務所に入れることも不可能である.
だから,運悪くこのような人たちに出会ってしまったら,こちらが対応を考えなければならないのである.かかりつけだととにかく搬入しようとする救急隊員,診察もせずいきなり患者を依頼してくる開業医,相変わらずコンビニ受診する患者様,そして,自分が病気になった理由も忘れてしまった患者様,etc.
私は基本的に人間が好きだし,脳に興味があるということは結局は人の心に興味があるということになるのだろうが,理不尽なことをごく当り前に出来てしまうのも人間の脳だとすると私の理解はまだまだ足りないようである.
川崎市多摩区のマンションで06年3月、市立小3年の山川雄樹君(当時9歳)を15階から投げ落とし殺害したとして、殺人罪などに問われた同市麻生区細山5の無職、今井健詞被告(44)に対し横浜地裁は5日、求刑通り無期懲役を言い渡した。木口信之裁判長は「うっ憤晴らしという理不尽な動機で、物のように投げ落とす残忍で悪質な犯行。通り魔的で社会に大きな不安を与えた」と非難した。
弁護側は「(そうとうつが同時に現れる)混合状態」との精神鑑定結果を踏まえ「精神疾患により心神喪失状態だった」と無罪を主張したが、判決は「疾患の影響はそれほど大きくなかった」と退け完全責任能力を認めた。
判決は動機について「幸せで裕福そうな他人をねたみ、命を奪って家庭を壊し(家庭内の不和や失業など)自分の不幸のうっ憤を晴らしたいと考えた」と認定。裕福な家庭が住むであろうマンション高層階で、抵抗されても投げ落とせる子供らを狙ったと認めた。
判決によると今井被告は06年3月20日午後0時45分ごろ、マンション15階通路で、雄樹君に声をかけて肩にかつぎ、手すり越しに約40メートル下の植え込みへ投げ落として殺害(殺人、建造物侵入罪)。同29日には同マンションで清掃作業員の女性、市内の別マンションで小学4年の男児を同様に殺害しようとした(殺人未遂罪)。』
判決文を読んでないし,読む気もないが,この動機と犯行で完全責任能力を認めても死刑にならないのだったら,何をやれば死刑になるのだろうか.無期懲役ということはいずれ刑務所を出てくる可能性が高いのだろうが,再犯の可能性は無いのだろうか.
小学校を襲って多くの児童を殺傷し死刑になった男がいたが,それとの違いは被害者の数だけだというのなら,裁判員なんて小学生でもできるんじゃないだろうか.私は救命が仕事であるから命が尊いということはわかっているつもりであるが,量刑が失われた命の数で決まるというのには抵抗を感じてしまう.
私が裁判員になったらおそらく失われた命の数は考慮しないだろうし,直接の利害のない人を意図的に殺すような通り魔殺人犯にわずかであれ再犯のチャンスを与えたりはしないだろう.人間は何をしても自由であるが,もし,人を直接に死に至らしめたりしたら,もう一度チャンスを与えても良いのは過失による場合だけだろう.
同様に殺人事件に時効があるなんていうのも被害者にしてみれば理不尽な話だ.事件から時間が経ったらどんな罪も問われないなんていうルールはさっさと廃止すべきだろう.
考えてみると,世の中には理不尽なことが多い.そして,その理不尽なこともまかり通ってしまうのが世の中である.理不尽な法律なら変えることもできるが,理不尽なことをする人を変えることはできないし,殺人犯でもなければ刑務所に入れることも不可能である.
だから,運悪くこのような人たちに出会ってしまったら,こちらが対応を考えなければならないのである.かかりつけだととにかく搬入しようとする救急隊員,診察もせずいきなり患者を依頼してくる開業医,相変わらずコンビニ受診する患者様,そして,自分が病気になった理由も忘れてしまった患者様,etc.
私は基本的に人間が好きだし,脳に興味があるということは結局は人の心に興味があるということになるのだろうが,理不尽なことをごく当り前に出来てしまうのも人間の脳だとすると私の理解はまだまだ足りないようである.
コメント
殺人事件の時効ってのは誰のためにあるんでしょうかね?
誰でも人間人を殴ったり殺したりしたくなる感情は起こると思い
ますがそれを内に収めるか、そとに出してしまうかで犯罪者との
線引きが出来るとは思います。人を殺した人は法で殺せない。
殺された遺族はどうすれば? 課題のおおい判決です。
いつも先生の文章を読み、自分を省みています。本当にありがとうございます。
でも、先生。命の重みをわかるのであれば
司法の元に人が死んでいくのは良いのでしょうか・・。それが聞きたいです。
司法の元なら、人を死に至らしめるのは戸惑いはないですか?
司法の元だから死亡確認をするのも、こんな人間だから死んで当たり前と思うのですか。
この、公共サイトの上なので、意見してみました。すみません。