『妻の死 無駄にしないで 死亡妊婦の夫会見 

 脳内出血を起こした東京都内の妊婦(36)が都立墨東病院をはじめ計八カ所の医療機関に受け入れを断られ、三日後に死亡した問題で、妊婦の会社員の夫(36)=都内在住=が二十七日、東京・霞が関の厚生労働省で記者会見し「妻が死をもって浮き彫りにしてくれた問題を、都や国などが力を合わせて改善してほしい。妻の死を無駄にしないでほしい」などと、時折、涙を浮かべながら産科をめぐる救急医療の改善を訴えた。

 現在の心境について「生と死が同時に起こって混乱している。最も悲しいのは子供の顔を見るのを楽しみにしていた母親が、子供の顔を見ることができず、子供も母親の顔が分からずに、二人が会えなくなってしまったこと」と語った。
 夫は、かかりつけ医が連絡を取った病院から次々と受け入れを拒否されるのを隣で聞きながら「なぜこんな文明や医療が発展した都会で、こんなに死にそうに痛がっている人を誰も助けてくれないんだろうというやりきれない気持ちでいっぱいになった」という。

 最終的に妊婦を受け入れた墨東病院側が「脳内出血という認識はなかった」とした点をめぐり、夫は「かかりつけ医は頭痛が尋常じゃないと伝えていた」としながらも「私は誰も責める気はない。墨東病院の当直医の方が傷ついて、病院を辞めて産科医が減ったら意味がない。産科医としての人生をまっとうし、絶対に辞めないでほしい」と訴えた。』

 東京大学附属病院が加わって8カ所の医療機関ということになった.医師の逃散の全ての原因は研修医制度と救急医療を当直医の善意に任せきりにしてきた厚生労働省にあると思うのだが,舛添厚生労働大臣にはその自覚があるのだろうか,お膝元の都内で起こった問題だけに墨東病院に視察に行ったり,厚労省に報告が2週間以上もこなかったことに憤っているようだが,奈良や福島の事件のことは知らなかったとでも言うのだろうか,それとも地方での事件だから特別な対応は必要ないとでも考えていたのだろうか.

 残念ながら夫のコメントも「「なぜこんな文明や医療が発展した都会で...」と都会だから助かって当然と考えているようにも聞こえるから,所詮,現場の医師の気持ちなどわかってもらえないということだろう.都会だろうが田舎だろうが救急患者の搬入を受け入れる医師は誰だって自分にできることなら患者を助けたいと思っているに決まっているのだ.だが,そう思っても,それが簡単には出来ない状況になっているからこそ搬入を断ることになったり,救急医療から撤退する病院が増えるのだろう.この一言は地方都市で救急をやっている医師のモチベーションを低下させるに十分だし,たとえ都市の大病院でも入院できなければ無いも同然ということである.

 厚生労働省も医師不足を認めざるを得なくなったくらいだから,原因を医師不足にするのは簡単でわかりやすい話だが,もっと問題なのは救急医療に携わる医師のモチベーションの低下だろう.墨東病院側が受け入れ拒否の理由を,「脳内出血という認識はなかった」というのもおかしな話で,総合周産期母子医療センターとして受け入れ可能な体制だったかどうかが問われるべきで,当直の研修医が脳出血を疑っていたかどうかなんていうのは本質的な問題ではないだろう.

 都から総合周産期母子医療センターの認定を受けている全9施設のうち墨東病院のみが問題発生後も土日1人当直体制を続行せざるを得ず,問題発覚後も問題発生時の当直医と同じ研修年数の別の研修医が当直しているそうだが,ちょっと信じられない話である.病院側の診療体制によって起きた問題を,当直の研修医の判断の問題にすり替えてマスコミの餌食にしてしまうような病院で今後も研修を続ける研修医はいったいどう思っているのだろうか.こんな目にあってもまだ,産科医として救急をやっていく勇気が残っているなら話を聞いてみたいものである.

 

コメント

スミぱん@国会を見よう
2008年10月28日13:09

下がるばかりの診療報酬、モンスター患者&家族の増加、何かあれば
医療ミスで訴えられる、初期研修制度のおかげで(?)なかなか人員
補充されない…、こんな状況でモチベーションが上がる訳ないですよ
ね、と書いてるウチはただいま休職中だったりします。(苦笑)

せめて、健康保険の自己負担率は年収に応じて変えてもいいんじゃ
ないかと思う今日この頃。

nophoto
れい
2008年10月29日14:55

健康保険、所得税のように3段階くらいにしましょうか。でも、そうなると、足りない医療費が更に足りなくなりますか。財源さえあればねえ。

Helena
Helena
2008年10月30日11:45

>残念ながら夫のコメントも「「なぜこんな文明や医療が発展した都会で...」と都会だから助かって当然と考えているようにも聞こえるから,所詮,現場の医師の気持ちなどわかってもらえないということだろう.都会だろうが田舎だろうが救急患者の搬入を受け入れる医師は誰だって自分にできることなら患者を助けたいと思っているに決まっているのだ.

現状、ちょっとした世代間格差として明らかになってきているのが、「気持ちが分かる」という行為だと思います。

そもそも、相手の気持ちなんてものは人間は絶対に分かりません。なにしろ自分の気持ちすら言語化は極めて困難なものですから。言語化されない様々なアクションを含めて伝達の努力をしてみたところで、実際には「本当の気持ち」はまず伝わっていないとみるべきでしょう。

各種の儀礼や儀式、慣習の発達は、ここで発生しているギャップを埋めるための知恵であると考えられます(ex. お中元・お歳暮、「おはようございます」/「ありがとうございます」)。我々はこれらの表意に対し、基本的には無条件でそれが本来意図している意識の表出であるとみなすことにしています。もちろん高度な表現としてその逆が意図されることはありますが、一般的とはいえません。

で、ここまでは話の枕でして。

現状において、こういった「気持ちを伝える」「気持ちが分かる」行為の価値は確実に減退しています。かつてはマイナーだった「人の気持ちを本当に理解することはできない」という意見グループが増大しているためではないかと思われます(cf. 秋葉原突入事件、「いじめ」問題)。多くの人びとが、「他人の気持ちを理解できない」「他人に気持ちを分かってもらえない」ことを実体験しすぎているのが現代です。

結果として、現代日本において急速に伸張した/しているのが「空気を読む」というアクションではないかと思われます。個人の意識ではなく、自分を含んだ周辺集団の方向性を行為妥当性判断の基準とするという「空気を読む」行為は、正直いって危険極まりない思想ではありますが、それを選ぶ個人にとっては便利かつ快適です。なにしろ自分の行動選択が無条件で肯定されますので(集団に自分が含まれており、かつ集団の意識は「分からない」ことを前提としているため)。

現状、古い行動体系としての「気持ちが分かる」と、新しい行動体系である「空気を読む」が、具体的に激突している局面はまだはっきりとはしていません。ですがどうやら麻生首相はその点に気がついているようではあります。

今回のケースに引き戻すなら、「私は誰も責める気はない。墨東病院の当直医の方が傷ついて、病院を辞めて産科医が減ったら意味がない。産科医としての人生をまっとうし、絶対に辞めないでほしい」という発言は、空気を読む行動様式の典型であると言えます。つまり、極論すれば現場の医師の「気持ち」は、この発言とは無関係です。

これが良いことなのか悪いことなのかは判断できません(そもそも行動様式に良いも悪いもありません)が、ギャップは確実に発生しています。「気持ちが分かる」高齢者から「空気を読む」若年層まで、同時に対応しなくてはならない職業は、たとえマスコミからの無駄な攻撃がなくても今後しばらく奇妙な苦労を背負わされるのではないかと思われます。

ブログ脳外科医
2008年10月30日12:12

 医療崩壊の加速する中で,すでに医師の心の崩壊も進行してきているように感じます.今回の件で一般の人が抱いている「都会の大病院ならなんとかなる」という思い込みが単なる幻想に過ぎなかったということがわかり,病院にかかったことがない健康な人たちにも危機感を持ってもらえればいいのですが,自分の身に降りかかるまでは気がつかないのが普通の人なのでしょう.政治家や官僚もそのような普通の人だったら国民にはそれで仕方のないことと医療の質の低下を諦めてもらうしかありません.現場の医師には目の前にいる患者を助けることくらいしかできません.本当に人の命がお金より大切なら,医療崩壊をくい止めるには人材を集めたり労働環境を改善する事にもっとお金をかけるべきだと思います.

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