福島県立大野病院事件の福島地裁判決理由要旨

福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性患者が死亡した事件で、福島地裁が言い渡した無罪判決の理由の要旨は次の通り。

 【業務上過失致死】

 ●死因と行為との因果関係など

 鑑定などによると、患者の死因は失血死で、被告の胎盤剥離(はくり)行為と死亡の間には因果関係が認められる。癒着胎盤を無理に剥(は)がすことが、大量出血を引き起こし、母胎死亡の原因となり得ることは、被告が所持していたものを含めた医学書に記載されており、剥離を継続すれば患者の生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見する可能性はあった。胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合と比較すれば相当少ないということは可能だから、結果回避可能性があったと理解するのが相当だ。

 ●医学的準則と胎盤剥離中止義務について

 本件では、癒着胎盤の剥離を中止し、子宮摘出手術などに移行した具体的な臨床症例は検察官、被告側のいずれからも提示されず、法廷で証言した各医師も言及していない。

 証言した医師のうち、C医師のみが検察官の主張と同趣旨の見解を述べている。だが、同医師は腫瘍(しゅよう)が専門で癒着胎盤の治療経験に乏しいこと、鑑定や証言は自分の直接の臨床経験に基づくものではなく、主として医学書などの文献に頼ったものであることからすれば、鑑定結果と証言内容を癒着胎盤に関する標準的な医療措置と理解することは相当でない。

 他方、D医師、E医師の産科の臨床経験の豊富さ、専門知識の確かさは、その経歴のみならず、証言内容からもくみとることができ、少なくとも癒着胎盤に関する標準的な医療措置に関する証言は医療現場の実際をそのまま表現していると認められる。

 そうすると、本件ではD、E両医師の証言などから「剥離を開始した後は、出血をしていても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合には子宮を摘出する」ということが、臨床上の標準的な医療措置と理解するのが相当だ。

 検察官は癒着胎盤と認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行することが医学的準則であり、被告には剥離を中止する義務があったと主張する。これは医学書の一部の見解に依拠したと評価することができるが、採用できない。

 医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。なぜなら、このように理解しなければ、医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)があるような場合に、医師は容易、迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになり、刑罰が科される基準が不明確となるからだ。

 この点について、検察官は一部の医学書やC医師の鑑定に依拠した準則を主張しているが、これが医師らに広く認識され、その準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていない。

 また、医療行為が患者の生命や身体に対する危険性があることは自明だし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難だ。医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。

 しかし、検察官は主張を根拠づける臨床症例を何ら提示していない。被告が胎盤剥離を中止しなかった場合の具体的な危険性が証明されているとはいえない。

 本件では、検察官が主張するような内容が医学的準則だったと認めることはできないし、具体的な危険性などを根拠に、胎盤剥離を中止すべき義務があったと認めることもできず、被告が従うべき注意義務の証明がない。

 【医師法違反】

 本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、医師法にいう異状がある場合に該当するということはできない。その余について検討するまでもなく、医師法違反の罪は成立しない。』

 まだ,検察が控訴する可能性が残されているし,医療への介入がなくなる保証もないから明るい気持ちにはなれないが,福島地裁の鈴木裁判長の判断がきわめて常識的なものだったことには安心した.

 医療界だけでなく社会に与えた影響の大きさを考えると,癒着胎盤の治療経験に乏しい鑑定医の文献に頼った鑑定や証言を根拠に加藤医師を逮捕.起訴した検察の社会的な責任は極めて重いのではなかろうか.

 

コメント

名犬@茗香
名犬@茗香
2008年8月21日20:57

患者さんのご家族には申し訳ありませんが、今回の無罪に安堵せざるを得ません。同時にこれからの医療崩壊が加速してしまうのではないかという心配もあります。
この事件があった時は私自身大学二年生でまだ理解することができませんでした。けれども「医師がいきなり逮捕される」という衝撃を学年が上がるにつれて感じました。
私がこの事件で感じていることは二つあるのですが、一つに医療の専門家でない法の世界で裁かれることの難しさです。ただ真相を知りたかった患者さまのご家族の方は、どのような気持ちでその裁判を見守っていたのか、想像すると心苦しくなります。もう一つにこの病院では産科医が一人しかいなかったということです。まだ現場を知らない学生だからの意見かもしれませんが、逮捕された後の残された患者さまたちはどんな気持ちであったのか、ただでさえお産のできる病院が少なくなっている中、その先生を信じてお産の日を迎えようとしていた妊婦さんも大変辛い思いをしたのではないかと思うのです。

ブログ脳外科医
脳外科医
2008年8月22日3:50

日本は法治国家ですから.医師の医療行為に違法性があれば法の世界で裁かれる事もあり得ることに異論はありません.しかし,今回の事件の最大の問題点は,加藤医師を告訴した根拠と逮捕の必然性があまりに希薄であることです.医師不足と医療コスト削減による過酷な労働環境で日夜最善を尽くそうと働いている現場の医師たちにとって,今回,警察と検察のとった行為は傲慢かつ恐ろしく思えた事でしょうし,無罪判決が出た現在も医療の限界という現実を受け入れられない患者遺族の言動には同情しつつもなんとも言えないやり切れなさを感じただろうと思います.そして,その思いは日頃危ない思いをしながらもなんとか毎日の臨床をこなしている真面目な医師ほど強いのではないかと想像できます.もっとも危惧されるのは,現場の医療を実際に支えているこれらの医師たちが今回の事件の影響で精神的にも疲弊して,逃散もしくは医療を自ら矮小化してしまう事はないでしょうか.そういう意味でもし検察が控訴したらわが国の医療はどんなことになってしまうのか見当もつきません.

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