呼吸器を外したことで死期を早めた?
2007年5月24日 医療の問題 コメント (1)『 殺人:呼吸器外し80代死亡 医師を容疑で書類送検----和歌山県立医大
◇家族に頼まれ
和歌山県立医大付属病院紀北分院(和歌山県かつらぎ町妙寺)で昨年2月、50代の男性医師が、80代の女性患者の延命措置を中止するために人工呼吸器を外して死亡させたとして、同県警妙寺署が今年1月、医師を殺人容疑で和歌山地検に書類送検していたことが分かった。同署は、専門医の鑑定などから、呼吸器を外したことで死期を早めたことが殺人に当たると判断した。
調べでは、男性医師は昨年2月28日、脳内出血で搬送されてきた県北部に住む女性患者に付けていた人工呼吸器を外し、死亡させた疑い。
同病院によると、女性は前日に同分院で緊急手術を受けたが、経過が悪く28日未明に呼吸停止になり、手動で人工呼吸を開始した。家族から遠方にいる近親者が来るまで延命を求められ、医師は人工呼吸器を装着。同日夜に近親者が到着後、家族は医師に呼吸器を外してほしいと伝えた。医師はいったん断ったが家族の希望が強く、「脳死判定として呼吸器を外して自発呼吸を試すテストをしましょう」と説明し、個人の判断で呼吸器を停止させた。女性は間もなく死亡したが、同署はカルテの分析から、それで死期が早まったとみている。
分院では、医師を口頭で注意したうえで調査委員会を設置。富山県の射水(いみず)市民病院で呼吸器外しが発覚したこともあり、3月28日、同署に届け出た。この医師は現在、県外の病院に勤務しているという。
和歌山市の県立医大付属病院で記者会見した飯塚忠史・紀北分院副分院長は「調査委員会では明らかな犯罪性があるとはならなかったが、医療現場における判断は難しいので、警察の判断を仰ぐことにした」と話した。
射水市民病院では昨年3月、5年間で末期患者7人が呼吸器を外して死亡したことが表面化。外科部長(当時)について、富山県警は殺人容疑での捜査を続けている。呼吸器外しを巡っては、北海道立羽幌病院で04年2月、当時90歳の男性患者が死亡、担当の女性医師が殺人容疑で書類送検(不起訴)されており、今回が2例目。
◇罪とは思わない----「安らかなみとり」の重要性を訴える「淀川キリスト教病院」(大阪市)の船戸正久医務部長の話
重要なのは、患者の自己決定権。その意思をサポートするのが医師。米国では法的代理人の家族による決定も市民権を得ている。このケースが罪に問われるとは思わない。
◇家族にも違法性----福田雅章・山梨学院大教授(刑事法)の話
患者の明示の意思がないのに、自らの行為で患者が死に至ると認識していれば殺人罪に問われる可能性がある。治療中止を求めた家族の行為にも違法性がある。自らの生命にかかわる決定は究極の自己決定権。事前に意思表示があれば、家族が代わって医師に求めても本人の「死ぬ権利」の行使で問題ない。』
「専門医の鑑定などから、呼吸器を外したことで死期を早めたことが殺人に当たると判断した」と冒頭にあるが,この記事を読んだ後で,私は,この患者さんの死期というのはいつと考えるのがいいのだろうかと考え込んでしまった.
この患者さんの死期に影響を与えたものとしては,少なくとも1.脳出血,2.手術,3.呼吸器装着,4.呼吸器停止という4つのイベントがあると思われる.手術をしても助からないような脳出血だったのなら,手術をしなかったら死期はいつだったと考えられるだろうか.そもそも手術をしても救命さえもできないような88歳の脳出血に手術適応があったかどうかも疑問だ.
28日未明に呼吸停止になったのは脳ヘルニアにより脳幹機能が失われ脳死状態になったからと考えられるが,ここで人工呼吸器を装着しなければこの時点が本来の死期であったのではないだろうか.それを家族の希望で延命したために死期が先送りされ,今度は再び家族の希望で人工呼吸器を外し死期を早めたことが警察によって殺人に当たると判断されたというわけだ.
きっとできるかぎり家族の希望にそって治療をすすめたつもりだったのだろうが,これが正しい医療のあり方なのだろうか.よく言うところの最善の治療を尽くすというのはできることを何でもやるという意味ではないのではないだろうか.いくら本人の意思確認ができないとはいえ,医者や家族の都合で最期の時を自由に変えることが本人の意思に沿うとはとても思えないのだがどうだろうか.
ニュースでもブログでも医師の呼吸器外しという点にばかり焦点が当てられているようだが,脳外科医としては術後1日で脳死になるような手術をした点に非常に疑問を感じた.結果的に救命さえもできなかったというのでは少なくとも手術適応の判断に問題があったのではないかと言われても仕方がないだろう.それとも何か大学病院ならではの事情でもあったのだろうか.尊厳死という視点で考えると,最初から「もう手遅れです.救命の見込みはありません.」と言えば,この88歳の女性は静かに家族に看取られていたのではないだろうか.
家族の気に入らなければすぐに訴訟にされる最近の風潮からは,家族の希望に従って延命治療を続けたまでは仕方がなかったかもしれないが,次に家族の希望に従って脳死判定と言いながら呼吸器を再装着しなかったというのはすでに医師個人の裁量の範囲を超えていたのではないかと私は思うのだがどうだろうか.
◇家族に頼まれ
和歌山県立医大付属病院紀北分院(和歌山県かつらぎ町妙寺)で昨年2月、50代の男性医師が、80代の女性患者の延命措置を中止するために人工呼吸器を外して死亡させたとして、同県警妙寺署が今年1月、医師を殺人容疑で和歌山地検に書類送検していたことが分かった。同署は、専門医の鑑定などから、呼吸器を外したことで死期を早めたことが殺人に当たると判断した。
調べでは、男性医師は昨年2月28日、脳内出血で搬送されてきた県北部に住む女性患者に付けていた人工呼吸器を外し、死亡させた疑い。
同病院によると、女性は前日に同分院で緊急手術を受けたが、経過が悪く28日未明に呼吸停止になり、手動で人工呼吸を開始した。家族から遠方にいる近親者が来るまで延命を求められ、医師は人工呼吸器を装着。同日夜に近親者が到着後、家族は医師に呼吸器を外してほしいと伝えた。医師はいったん断ったが家族の希望が強く、「脳死判定として呼吸器を外して自発呼吸を試すテストをしましょう」と説明し、個人の判断で呼吸器を停止させた。女性は間もなく死亡したが、同署はカルテの分析から、それで死期が早まったとみている。
分院では、医師を口頭で注意したうえで調査委員会を設置。富山県の射水(いみず)市民病院で呼吸器外しが発覚したこともあり、3月28日、同署に届け出た。この医師は現在、県外の病院に勤務しているという。
和歌山市の県立医大付属病院で記者会見した飯塚忠史・紀北分院副分院長は「調査委員会では明らかな犯罪性があるとはならなかったが、医療現場における判断は難しいので、警察の判断を仰ぐことにした」と話した。
射水市民病院では昨年3月、5年間で末期患者7人が呼吸器を外して死亡したことが表面化。外科部長(当時)について、富山県警は殺人容疑での捜査を続けている。呼吸器外しを巡っては、北海道立羽幌病院で04年2月、当時90歳の男性患者が死亡、担当の女性医師が殺人容疑で書類送検(不起訴)されており、今回が2例目。
◇罪とは思わない----「安らかなみとり」の重要性を訴える「淀川キリスト教病院」(大阪市)の船戸正久医務部長の話
重要なのは、患者の自己決定権。その意思をサポートするのが医師。米国では法的代理人の家族による決定も市民権を得ている。このケースが罪に問われるとは思わない。
◇家族にも違法性----福田雅章・山梨学院大教授(刑事法)の話
患者の明示の意思がないのに、自らの行為で患者が死に至ると認識していれば殺人罪に問われる可能性がある。治療中止を求めた家族の行為にも違法性がある。自らの生命にかかわる決定は究極の自己決定権。事前に意思表示があれば、家族が代わって医師に求めても本人の「死ぬ権利」の行使で問題ない。』
「専門医の鑑定などから、呼吸器を外したことで死期を早めたことが殺人に当たると判断した」と冒頭にあるが,この記事を読んだ後で,私は,この患者さんの死期というのはいつと考えるのがいいのだろうかと考え込んでしまった.
この患者さんの死期に影響を与えたものとしては,少なくとも1.脳出血,2.手術,3.呼吸器装着,4.呼吸器停止という4つのイベントがあると思われる.手術をしても助からないような脳出血だったのなら,手術をしなかったら死期はいつだったと考えられるだろうか.そもそも手術をしても救命さえもできないような88歳の脳出血に手術適応があったかどうかも疑問だ.
28日未明に呼吸停止になったのは脳ヘルニアにより脳幹機能が失われ脳死状態になったからと考えられるが,ここで人工呼吸器を装着しなければこの時点が本来の死期であったのではないだろうか.それを家族の希望で延命したために死期が先送りされ,今度は再び家族の希望で人工呼吸器を外し死期を早めたことが警察によって殺人に当たると判断されたというわけだ.
きっとできるかぎり家族の希望にそって治療をすすめたつもりだったのだろうが,これが正しい医療のあり方なのだろうか.よく言うところの最善の治療を尽くすというのはできることを何でもやるという意味ではないのではないだろうか.いくら本人の意思確認ができないとはいえ,医者や家族の都合で最期の時を自由に変えることが本人の意思に沿うとはとても思えないのだがどうだろうか.
ニュースでもブログでも医師の呼吸器外しという点にばかり焦点が当てられているようだが,脳外科医としては術後1日で脳死になるような手術をした点に非常に疑問を感じた.結果的に救命さえもできなかったというのでは少なくとも手術適応の判断に問題があったのではないかと言われても仕方がないだろう.それとも何か大学病院ならではの事情でもあったのだろうか.尊厳死という視点で考えると,最初から「もう手遅れです.救命の見込みはありません.」と言えば,この88歳の女性は静かに家族に看取られていたのではないだろうか.
家族の気に入らなければすぐに訴訟にされる最近の風潮からは,家族の希望に従って延命治療を続けたまでは仕方がなかったかもしれないが,次に家族の希望に従って脳死判定と言いながら呼吸器を再装着しなかったというのはすでに医師個人の裁量の範囲を超えていたのではないかと私は思うのだがどうだろうか.
コメント
人工的に延命を望む家族のほとんどが、患者本人より家族の都合を考えてそれを希望しているように思います。親族が間に合わないからそれまで延命させて欲しいとか、家族自身が患者の死を受け入れられないから、どんなことをしても延命して欲しいとか、患者のことを考えてのことではないように思います。
人工的延命が必要になった場合に、それを自ら望む人はどれくらいいるのでしょうか。少なくとも私は望まないし、大半の人もそうではないでしょうか。