人の脳は,感じ-考え-行動するもの
2007年4月3日 社会の問題 コメント (1)『沖縄戦集団自決「強制」記述に修正意見 教科書検定
文部科学省が30日公表した06年度の教科書検定で、地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容に対し修正を求める意見が初めてついたことが分かった。強制性を否定する資料や証言を根拠に、従来の判断基準を変えたためだ。イラク戦争や靖国参拝など外交や政治にかかわる問題では、政府見解に沿う記述を求めるこの数年の傾向が今回も続いた。
今回の対象は、高校中学年(主に2、3年で使用)の教科書。224点が申請され、検定意見を受けて各出版社が修正したうえで222点が合格。不合格の2点は、いずれも生物2だった。
地歴公民のうち日本史では、沖縄戦の集団自決に関して「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた7点すべてが「命令したかどうかは明らかと言えない」と指摘され、各社は「集団自決に追い込まれた」などと修正した。日本史の教科書は昨年も申請できたが、その際にはこうした意見はつかなかった。
文科省は、判断基準を変えた理由を(1)「軍の命令があった」とする資料と否定する資料の双方がある(2)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(3)近年の研究は、命令の有無より住民の精神状況が重視されている――などの状況からと説明する。昨年合格した出版社には、判断が変わった旨は知らせるが、すぐに修正を求めることはしない方針だ。
地歴公民では、他にも時事問題で政府見解に沿った意見がついた。その結果、イラク戦争では、「米英軍のイラク侵攻」が「イラク攻撃」に、自衛隊が派遣された時期は「戦時中」から「主要な戦闘終結後も武力衝突がつづく」に変わった。首相の靖国参拝をめぐる裁判では、「合憲とする判決はない」という記述に「私的参拝と区別する必要がある」と意見がつき、「公式参拝を合憲とする判決はない」となった。
南京大虐殺では今回も、「犠牲者数について、諸説を十分に配慮していない」との意見が日本史5点についた。一方、政治・外交問題となり、中学の教科書からはなくなった「従軍慰安婦」(「慰安婦」「慰安施設」を含む)の問題は16点で取りあげられたが、意見は一つもつかなかった。 』
「美しい国づくり」というのは昔の忌まわしい記憶を忘れ去って,きれいさっぱり何事もなかったようにすることなのだろうか.
最近の政府側の答弁は何かというと証拠がないと言うのが常套手段のようであるが,結果から考えれば「沖縄戦の集団自決」も「従軍慰安婦」も戦争のもたらした結果でありその意味では命令があろうとなかろうと当時の政府の責任は逃れられるものではないだろう.
しかし,現代は民主主義国家なのであるからすべては国民の責任である.マスコミのいいかげんな健康娯楽番組や情報操作された報道を鵜呑みにして右往左往しているようでは,騙されてバカをみるのはいつも自分たち国民だということにそろそろ気がついてもいいころではないかと思うのだが,そう感じている人はどれほどいるのだろうか.
先日,ちょっと札幌市内のホテルに宿泊したら,「団塊の世代」と思われる観光客が目に付いた.しかし,そのマナーにはあまり感心できなかった.同世代の人数が多かったせいなのか,なにかと競争心が働くようで,風呂でもレストランでも平気で人を押しのける,他人の迷惑など気にしないという方が多いような気がした.あの年代の方の傍若無人な態度には外来で慣れているとは言え,小さな子供の前でやられるとさすがに厭なものである.
定年になるような歳ではもう直しようがないのかもしれないが,人というものは環境次第でどうにでもなってしまうということの恐ろしさに改めて気づかされた.「みんなで渡ればこわくない」という言葉もあるが,今,問題になっている環境とか戦争とかは,みんなといっしょでも間違った方向に行けば全滅してしまうという恐ろしい問題である.何も考えずにみんなと歩くのも結構だが,それでは自分の運命は人まかせになり,挙げ句の果てに結果については自分あるいは子孫の命で払うということになるのではないだろうか.
環境や戦争ほど大きな問題ではないのかもしれないが,医療費抑制政策も同じようなものではないだろうか.病院がなくなり,医師は逃散し,気がついたらまともな医療も介護も受けられないという人はこれからどんどん増えると私は危惧している.もっとも,厚生労働大臣が言うまでもなく,資本主義社会ではお金のないところには人も物も集まらないというのは当然のことで悪いことではないのだろう.だが,強者の理論で弱者が淘汰されていくのは,決して「美しい国」などではなく,まさに「戦場」そのものだと思うのだがどうだろうか.
文部科学省が30日公表した06年度の教科書検定で、地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容に対し修正を求める意見が初めてついたことが分かった。強制性を否定する資料や証言を根拠に、従来の判断基準を変えたためだ。イラク戦争や靖国参拝など外交や政治にかかわる問題では、政府見解に沿う記述を求めるこの数年の傾向が今回も続いた。
今回の対象は、高校中学年(主に2、3年で使用)の教科書。224点が申請され、検定意見を受けて各出版社が修正したうえで222点が合格。不合格の2点は、いずれも生物2だった。
地歴公民のうち日本史では、沖縄戦の集団自決に関して「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた7点すべてが「命令したかどうかは明らかと言えない」と指摘され、各社は「集団自決に追い込まれた」などと修正した。日本史の教科書は昨年も申請できたが、その際にはこうした意見はつかなかった。
文科省は、判断基準を変えた理由を(1)「軍の命令があった」とする資料と否定する資料の双方がある(2)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(3)近年の研究は、命令の有無より住民の精神状況が重視されている――などの状況からと説明する。昨年合格した出版社には、判断が変わった旨は知らせるが、すぐに修正を求めることはしない方針だ。
地歴公民では、他にも時事問題で政府見解に沿った意見がついた。その結果、イラク戦争では、「米英軍のイラク侵攻」が「イラク攻撃」に、自衛隊が派遣された時期は「戦時中」から「主要な戦闘終結後も武力衝突がつづく」に変わった。首相の靖国参拝をめぐる裁判では、「合憲とする判決はない」という記述に「私的参拝と区別する必要がある」と意見がつき、「公式参拝を合憲とする判決はない」となった。
南京大虐殺では今回も、「犠牲者数について、諸説を十分に配慮していない」との意見が日本史5点についた。一方、政治・外交問題となり、中学の教科書からはなくなった「従軍慰安婦」(「慰安婦」「慰安施設」を含む)の問題は16点で取りあげられたが、意見は一つもつかなかった。 』
「美しい国づくり」というのは昔の忌まわしい記憶を忘れ去って,きれいさっぱり何事もなかったようにすることなのだろうか.
最近の政府側の答弁は何かというと証拠がないと言うのが常套手段のようであるが,結果から考えれば「沖縄戦の集団自決」も「従軍慰安婦」も戦争のもたらした結果でありその意味では命令があろうとなかろうと当時の政府の責任は逃れられるものではないだろう.
しかし,現代は民主主義国家なのであるからすべては国民の責任である.マスコミのいいかげんな健康娯楽番組や情報操作された報道を鵜呑みにして右往左往しているようでは,騙されてバカをみるのはいつも自分たち国民だということにそろそろ気がついてもいいころではないかと思うのだが,そう感じている人はどれほどいるのだろうか.
先日,ちょっと札幌市内のホテルに宿泊したら,「団塊の世代」と思われる観光客が目に付いた.しかし,そのマナーにはあまり感心できなかった.同世代の人数が多かったせいなのか,なにかと競争心が働くようで,風呂でもレストランでも平気で人を押しのける,他人の迷惑など気にしないという方が多いような気がした.あの年代の方の傍若無人な態度には外来で慣れているとは言え,小さな子供の前でやられるとさすがに厭なものである.
定年になるような歳ではもう直しようがないのかもしれないが,人というものは環境次第でどうにでもなってしまうということの恐ろしさに改めて気づかされた.「みんなで渡ればこわくない」という言葉もあるが,今,問題になっている環境とか戦争とかは,みんなといっしょでも間違った方向に行けば全滅してしまうという恐ろしい問題である.何も考えずにみんなと歩くのも結構だが,それでは自分の運命は人まかせになり,挙げ句の果てに結果については自分あるいは子孫の命で払うということになるのではないだろうか.
環境や戦争ほど大きな問題ではないのかもしれないが,医療費抑制政策も同じようなものではないだろうか.病院がなくなり,医師は逃散し,気がついたらまともな医療も介護も受けられないという人はこれからどんどん増えると私は危惧している.もっとも,厚生労働大臣が言うまでもなく,資本主義社会ではお金のないところには人も物も集まらないというのは当然のことで悪いことではないのだろう.だが,強者の理論で弱者が淘汰されていくのは,決して「美しい国」などではなく,まさに「戦場」そのものだと思うのだがどうだろうか.
コメント
一昨年あたりまで、すべての医療事故はたいした検証もされず、“医療提供サイド=悪”としたステレオタイプの視点から報道されておりました。大野病院の事件以来、マスコミ記事には若干の変化が見られますが、医療に対する世論の変化は、我々医療者から見れば遅きに失した感があります。その原因には、前述したようなステレオタイプを報道し続けてきたマスコミの責任と、それを信じ込こんできた国民のメディアリテラシーのなさが挙げられると思っております。
さて今回、沖縄戦の集団自決について修正の検定意見がつきましたことについて、脳神経外科医様が批判的な意見を述べられていることについて僭越ながらコメントさせていただきます。私は医師ですが、医療問題のほかに、この件にも日頃から強く関心をもっており、実は今回のご発言を少々残念に思っております。なぜなら、沖縄戦集団自決の経緯については、ネット上には詳細な資料がありますのに脳神経外科医様にはそれらを詳細に検証された様子が伺えず、“太平洋戦争=当時の日本政府や軍部の悪”と決め付けたステレオタイプの視点で安易に意見を述べられているように感じられるからです。これでは我々医療者をバッシングし続けてきた医療無知のマスコミ・国民と同質の発言であるということにお気づき下さい。この問題は一部マスコミによって、戦争の悲惨さについての記述を削除しようとする国家の検定圧力のようにすりかえて報道されており、脳外科医様もその報道に乗せられてのご発言かと推察します。しかしそもそも集団自決の問題は、ある軍人が自決命令を出したのが事実か否かという事実検証の問題であり、この数年で次々と証言がなされたことに基づいて、それが事実ではなかったことが明らかになりました。そして彼の名誉回復とともに教科書の記述訂正がはかられるに至ったという経緯があるのです。日常、科学的な資料考証に慣れ親しんだ私たち医師であれば、ネット上の詳細な資料によってこの検定意見がしごくまっとうなものであることにすぐ気づかれることと思います。
医療バッシングの理不尽さに憤りを覚えてきた私たち医師ですが、専門外の分野については逆に自らがそのようなバッシングをする愚に陥っていないかをも顧みる冷静さを持ちたいものだと思っています。貴ブログのますますの発展を祈念しております。
http://ganesh.iza.ne.jp/blog/entry/143728
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/11/
http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page018.html