『 -- 向井さん夫妻の双子代理出産、出生届認める…東京高裁 --

 タレントの向井亜紀さん(41)と夫で元プロレスラーの高田延彦さん(44)が、米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子(2)について、東京都品川区が出生届を不受理とした問題で、東京高裁(南敏文裁判長)は29日、出生届を受理するよう、品川区長に命じる決定をした。

 法務省は「出産した女性を母とする法解釈に反する」として、代理出産で生まれた子供の出生届を受理しない姿勢をとっており、今回の判断は大きな議論を呼びそうだ。

 向井さんの代理人などによると、向井さんは2000年秋、子宮がんにかかっていることがわかり、子宮を摘出する手術を受けた。02年8月、本人の卵子による受精卵を、第三者の女性の子宮に移植して出産してもらう代理出産を行うことを表明。その後、3度目の体外受精で30歳代の米国人の代理母が妊娠し、03年11月下旬、この代理母が男の双子を出産した。』

代理出産で生まれた子の出生届を認めるということは,代理出産でも実子として認められるということだ.まだ,この判例が確定したわけではないが,これが認められれば不妊症もしくは母体に問題があって妊娠できない夫婦には朗報であろう.向井さんご夫婦は敢えて米国まで行って既成事実を日本の司法に突きつける形で希望を遂げられたのだからさぞかし嬉しいことだろう.

だが,法の下の平等という点から考えると,これが認められれば事態はこれでは収まらないだろうと思う.事実のみで考えれば母体に問題がなくたって代理出産は可能で,しかもそれが実子として認められるとなれば国内でも契約によって代理出産するケースが今後続発するに違いない.経済的に余裕のある人たちが,自身のリスクを避けるためや,仕事上の都合で代理出産を依頼したっていいわけである.

私の倫理観では人間の生と死だけは平等が保たれるべきだと思うのであるが,最近の医療をとりまく状況はそうではないらしい.今や,お金があれば健康や年齢にかかわらず欲しい時に子供もつくってもらえる時代になったということだろう.少子化なのに子供が虐待死する時代であれば,こうまでして望まれて生まれてくる子供はきっと幸せになるのだからそれでいいということなのだろうか.

ついでに,母親が進行ガンで代理母の出産を前に亡くなってしまった場合はいったいどうするのだろうか.まさか,中絶したりはしないんだろうが,母親が死亡しているのに出生届が受理されるのだろうか.法律が医学の進歩に対応しきれていないという問題もあるのだろうが,今回のケースがきっかけとなって今後いろいろな状況に対して司法の対応が迫られることになるのだろう.

こうなってくると,どこまでが医療でどこからが医業なんだか産科に関してはよくわからなくなってきたような気がする.いつも可能性のあることはすべて起こると考えているから,そのうち代理母業なるものが成立するかもしれないかと思うとぞっとするのは私だけであろうか,

コメント

skullsberry
猿滑骸骨
2006年10月1日9:49

脳外科医様 ご机下 

いつも興味深く拝見しております。多忙な医業の合間をぬって、多方面のイシューに対するユニークな観点からの精力的な文筆活動、敬服の至りです。
 さて、先生は、「お金があれば健康や年齢にかかわらず欲しい時に子供もつくってもらえる時代」が来くることはけしからんとの主旨のことを仰っておりますが、私には、それの何が悪いのかが理解できません。
 確かに、富裕層が代理母出産を(いかなる理由であれ)利用する結果、貧困層の厚生が損なわれるようなことがあるのでしたら、問題もあるかとは思います。例えば、何かの病気の特効薬を、富裕層が買い占めてしまうことにより、医療保険があるにもかかわらず、貧困層に薬が行き渡らないような事態です。つまり、ある人が機会を得ることで、別の人が機会を失うような事態があれば問題だと思います。では、代理母出産にそのような問題が生じるでしょうか。まさか、「代理母希望者を富裕層が独占してしまうからけしからん」とは仰らないでしょう。
 また、そういう問題は別にして、純粋に倫理上(あるいは好みとして)、「平等でないのは、けしからん」と仰るのでしょうか。しかし、そうでしたら、現行健康保険で支給される医療においても、そうでない医療においても、貧困層が受けられないサービスを富裕層が受益しているケースは多々あります。例えば、体外受精は安あがりではありませんし、場合によってはかなりの資金を必要とします。老人のケアは貧富の差が明確に出ます。もっと極端な例では、紀子様に対してなされた手厚い産婦人科医療を、前置胎盤の症例をもつすべての妊婦が受けることが出来るのか、ということもあるでしょう。こうした支払い能力による医療へのアクセスの差を、すべて「けしからん」とするのは無理があるように思います。
 以上、富裕層が代理母出産を活用することの何が悪いのか、私にも解るようにご説明して頂けましたら感謝する次第です。なお、「貧困層」と書きましたが、「富裕層でない人びと」と読み替えて頂いて結構です。
 また、「法の下の平等という点から考えると,これが認められれば事態はこれでは収まらないだろうと思う」と仰っていますが、どのような意味で「法の下の平等」の問題なのでしょうか。「結果の平等」でしたら解りますが、法の下の平等の問題とするのはピンと来ません。どのように「法の下の平等」の問題なのかをご説明頂けたらと思います。
 最後に、「代理母業なるものが成立するかもしれないかと思うとぞっとするのは私だけであろうか」と仰っていますが、「代理母業」の何がけしからんのか、大変興味あるところで、もう少し説明して頂きたく存じます。特に、お医者様の発言として興味を感じる次第です。
 以上です。つまらない質問とお思いになったら、削除して下さって結構です。

ブログ脳外科医
脳外科医
2006年10月1日16:14

コメントありがとうございました.
代理母出産の問題点としては,1.代理母に生命の危険が及ぶ場合がある.2.日本国民がそれを実子の出生として受け入れるのか.3.生まれた子が自分の出生と代理母についてどう考えるのか.の3点だと思います.
法の下の平等と言ったのは,今回のを認めれば母体の状況にかかわらず代理母による子の出生届を今後すべて認めなければ不公平になるだろうという意味です.
私は,現行の健康保険制度下では貧富の差により受けられない医療サービスはないと認識しています.自由診療や介護については貧富の差はあると思います.
医師であるかどうかは関係ないと思いますが,私の倫理観では代理母も人工授精の延長線上としてやはり生物としては不自然な生殖だと思いますので,それを職業とする女性がもし現れれば,やはり臓器の売買のような感じがしてぞっとするということです.
とはいえ,倫理観などというものは民族や宗教そして個人の価値観による部分が大きいと思いますので,私のブログを読む方にも少し考えていただきたくタイトルのように「これでいいんですよね?」と書いてみたわけです.

skullsberry
猿滑骸骨
2006年10月3日8:52

 ご回答有り難うございます。お答えについて、再度、若干の質問をさせて下さい。
 貴稿『これでよかったのですね?』では、「私の倫理観では人間の生と死だけは平等が保たれるべきだと思うのであるが、・・・・お金があれば健康や年齢にかかわらず欲しい時に子供もつくってもらえる時代になった」とありましたので、「富裕層が代理母出産を利用することは倫理的に問題がある」という主旨と読み込んだ次第です。
 しかし、お答えには、代理母出産の問題点として上記のこととは別の三つの問題があげられているのみですので、上記の問題、すなわち「代理母出産が解禁されることは生と死の平等性を損ねる」という「倫理問題」は、もはや問題点ではないとのお考えであると理解致しました。これで、よろしいでしょうか?
 また、不自然な人工生殖を職業とすることは、臓器の売買と同類の行為であるので「ぞっとする」とのことですが、「臓器の売買」は、「ぞっとする」ほどひどいことでしょうか。それでは、例えば、(臓器売買が合法化されている社会において)、「腎臓病の娘に自分の腎臓を提供して命を救う父親」と、「脳腫瘍娘の命を救う手術の費用を払うために自分の腎臓を売る父親」では、前者はよくて、後者は「ぞっとする」行為であるということになりますが、いかがでしょうか。

ブログ脳外科医
脳外科医
2006年10月3日10:41

 倫理問題は今後も常に議論されるべきだと思いますが,今の生殖医療や臓器移植は私の倫理観をすでに超越しているので私がコメントする意味はないと思います.倫理の問題は,裁判官や医師が決めることではなく日本国民が議論するべき問題であると思います.2番目の「日本国民がそれを実子の出生として受け入れるのか.」というのは倫理問題も含めて日本国民がみとめるのかという意味です.
 「臓器の売買」は現在の日本では非合法です.ですから,「腎臓病の娘に自分の腎臓を提供して命を救う父親」と,「脳腫瘍娘の命を救う手術の費用を払うために自分の腎臓を売る父親」というのは並べて比較するものではないと思います.私は後者の父親の考え方には賛同しかねますし,現在の健康保険医療ではその必要もないと思います.

skullsberry
猿滑骸骨
2006年10月3日11:49

ご回答ありがとうございます。

>私がコメントする意味はないと思います.

大変よく解りました。

>現在の健康保険医療ではその必要もないと思います.

分かり易くするために、腎臓病とは別の疾患を挙げた方が良いと思って、例として「脳腫瘍」としましたが、これが返ってわかりにくくしたようですね。失礼しました。

ろっしふみ
ろっしふみ
2006年10月3日22:13

はじめまして。考えてみました。ブラックジャックを思い出しました。恩師の病気を完璧な手術をしたのにも関わらず救えなかった話です。この話の受け止め方は多様だと思いますが、私は人間が触れてはならない領域というものがあるのだと受け止めました。現在の段階で私の死生観のベースとなっていると思います。ですから私がもしお金持ちでも移植による延命は望まないでしょう。その他の「特殊」な医療も。多分(笑)。で思うのですが、個々の死生観については議論自体が成立し得ないのではないかと。ゆえに既成事実の積み重なりがいずれ常識を形成すると予測します。雑文失礼しました。

どん太
どん太
2006年10月3日22:20

こんにちは。
脳外科医さんのご懸念の多くは、「公序良俗に反する」ということで、この判決から行くと排除されると思います。

お金がないと望むような医療が得られないと言うのは、いまの日本でも現実だと思いますよー。
北里の化学物質過敏症外来は、2回目以降は自費診療、ということは、お金がないと続けられないですしね。

生と死は平等というのは、生を受けた者が必ず死を得る、という意味の平等なら、あると思います。
でも、医療の質は、違いますね。

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