石頭都知事でしたっけ?
2006年9月22日 社会の問題 コメント (6)『 -- 「当然控訴」と石原都知事 国旗国歌訴訟で --
入学式や卒業式での国旗国歌の強制は違憲と判断した東京地裁判決について、石原慎太郎都知事は22日の定例会見で「当然控訴します。あの裁判官は都立高校などの実態、現場を見た方がいい」などと述べた。
石原知事は「平均的なレベルの高校を見たが、(生徒は)先生の言うことを聞かない。規律を取り戻すため、ひとつの手だてが国旗国歌への敬意だと思う」とした。
起立斉唱をしなかった教職員は責任を問われるとした都教委の通達は国の学習指導要領に基づき、正当と反論。懲戒処分も「教師が義務を怠ったことになるから当たり前と思う」と述べた』
日の丸を見上げて君が代を斉唱しただけで,教師や生徒はみんな愛国心にあふれ国旗や国歌に敬意を払っているとみなせるとでも言うのだろうか.なんだかナチスドイツの『ハイル・ヒットラー』みたいで気味が悪いが,こんなことが先生の言うことを聞かない生徒に規律を取り戻す手だてになると信じているとは,なんと単純で短絡的思考の持ち主であろう.
そういえば安倍晋三・自民党新総裁は,国旗国歌法の成立過程で「義務規定は盛り込むべきだった」と発言しており,「愛国心」を前面に出す教育基本法の改正を推し進めようとしているらしいが,義務を課せば愛国心を教育できると考えている点で都知事と同じである.
口先や形式だけで「愛国心」教育なんてできるほど簡単ではないということがわかっていないとしか思えない.首相や都知事であれば「都立高校などの実態、現場を見るだけじゃなくて日本全体を良く見て考えてたほうがいい」のではないだろうか.教育委員会の人たちも政治的プロパガンダに肩入れしてないで,もっと教育そのものについての議論をするべきではないだろうか.
『子は親の鏡』という言葉があるが,人間の子供というものは周囲の大人を見て育つものであるというのは真実だと思う.今の子供たちの問題はすなわち大人の問題である.今の日本の大人に「愛国心」はあるのだろうか.大人の心に国土の自然を大切にし,資源を大切にし,美しい山や川や海を子供に残せる余裕があれば,放っておいても子供は歴史や伝統に敬意を払い,自分の祖国に誇りを持って他国の色々な価値観をも理解できるようにもなるのではないだろうか.
本来,祖国のために働く政治家が見かけだけの「愛国心」を唱えて,安直に教育に口出しするようなことは「恥」ではないのだろうか.そんなことをしている暇があるなら他にもっとやることがあるのではないだろうか.政治家に知性があるのなら,難波孝一裁判長の判決の「国旗と国歌は強制ではなく、自然のうちに国民に定着させる」にはどうすればよいかをもっと深く考えて欲しいものである.
入学式や卒業式での国旗国歌の強制は違憲と判断した東京地裁判決について、石原慎太郎都知事は22日の定例会見で「当然控訴します。あの裁判官は都立高校などの実態、現場を見た方がいい」などと述べた。
石原知事は「平均的なレベルの高校を見たが、(生徒は)先生の言うことを聞かない。規律を取り戻すため、ひとつの手だてが国旗国歌への敬意だと思う」とした。
起立斉唱をしなかった教職員は責任を問われるとした都教委の通達は国の学習指導要領に基づき、正当と反論。懲戒処分も「教師が義務を怠ったことになるから当たり前と思う」と述べた』
日の丸を見上げて君が代を斉唱しただけで,教師や生徒はみんな愛国心にあふれ国旗や国歌に敬意を払っているとみなせるとでも言うのだろうか.なんだかナチスドイツの『ハイル・ヒットラー』みたいで気味が悪いが,こんなことが先生の言うことを聞かない生徒に規律を取り戻す手だてになると信じているとは,なんと単純で短絡的思考の持ち主であろう.
そういえば安倍晋三・自民党新総裁は,国旗国歌法の成立過程で「義務規定は盛り込むべきだった」と発言しており,「愛国心」を前面に出す教育基本法の改正を推し進めようとしているらしいが,義務を課せば愛国心を教育できると考えている点で都知事と同じである.
口先や形式だけで「愛国心」教育なんてできるほど簡単ではないということがわかっていないとしか思えない.首相や都知事であれば「都立高校などの実態、現場を見るだけじゃなくて日本全体を良く見て考えてたほうがいい」のではないだろうか.教育委員会の人たちも政治的プロパガンダに肩入れしてないで,もっと教育そのものについての議論をするべきではないだろうか.
『子は親の鏡』という言葉があるが,人間の子供というものは周囲の大人を見て育つものであるというのは真実だと思う.今の子供たちの問題はすなわち大人の問題である.今の日本の大人に「愛国心」はあるのだろうか.大人の心に国土の自然を大切にし,資源を大切にし,美しい山や川や海を子供に残せる余裕があれば,放っておいても子供は歴史や伝統に敬意を払い,自分の祖国に誇りを持って他国の色々な価値観をも理解できるようにもなるのではないだろうか.
本来,祖国のために働く政治家が見かけだけの「愛国心」を唱えて,安直に教育に口出しするようなことは「恥」ではないのだろうか.そんなことをしている暇があるなら他にもっとやることがあるのではないだろうか.政治家に知性があるのなら,難波孝一裁判長の判決の「国旗と国歌は強制ではなく、自然のうちに国民に定着させる」にはどうすればよいかをもっと深く考えて欲しいものである.
コメント
愛を強要されても困りますよね^^;
…どこのストーカーだ(笑)
日本には、外国人もたくさん住んでいるのにどうやって国旗や国家に敬意を表したらいいのでしょう?
あまりに純血日本人にこだわっているとしか思えません。
日本人とか、外国人とかにこだわっている人が政治をやっているとこの国の将来はないと思っています。
当然のコメントごめんなさい。
再度、突然のコメント失礼しました。
国旗掲揚と国歌斉唱から始まります。
そしてそれは戦前の日本では当然に見られた光景です。
戦前に在ったと言うだけでそれらが全て戦争に直結したかのような物言いは日教組が主導した戦後の左翼教育の遺産では
ないでしょうか。
国のシンボルを戦争や軍国主義に直結する前に、その文脈の根拠の無さと、自動思考を誘導するレトリックについて
考えてみてもいいかもしれません。
なにより、これらを導入することで幾分たりとも教育現場が
改善しない、と言い切る根拠は無いのですから。
教育現場が崩壊する前に、出来る手は尽くすべきではないでしょうか。突然の書込みで失礼致しました。