『 -- 「なぜ首相参拝がいけない?」 靖国に若者たち --

 終戦記念日。小泉首相の参拝で揺れた靖国神社は15日、若い世代の姿が目立った。戦争、戦死、天皇、国家、追悼、戦犯……。重い言葉を連想させる場所はこの日、いつもとは違う表情を見せた。

 午前7時45分。小泉首相が本殿で参拝をしていた時、拝殿前の参道に集まった参拝客の多くは、片手を高く上げた若者たちだった。手にしているのはカメラ付き携帯電話かデジタルカメラだ。

 「こっちにはこないの」「えー」。首相の参拝が終わると、そのまま参拝せずにきびすを返す若者も少なくなかった。

 Tシャツ、ジーンズ、キャップ、茶髪。見た目は、渋谷や新宿などにいる若者たちの姿と何も変わらない。誰とも口をきかず、1人で足早に参拝する姿も目立つ。

 「どうして首相が靖国神社に参拝してはいけないんですか」。27歳の会社員は、逆に問い返してきた。「国のために命を捨てた人を、国の指導者が追悼するのは当然じゃないですか」

 ダークスーツ、羽織袴(はおりはかま)、ジーンズ……。午前11時過ぎ、大村益次郎の銅像がある一角に、様々な服装をした若者たちが集まった。初対面らしく、自己紹介をして頭を下げている。

 「国を思い、先祖を思う。正しい方法で粛々と靖国参拝する」「参加者の史観、思想信条は問いません」。掲示板サイト「2ちゃんねる」で、前日の未明に集合場所や時間が書き込まれていた。ネット上ではなく、現実社会で集まる「オフ会」。30人を超した。

 初めて顔を合わせた若者たちが、一つの固まりになって移動する。呼びかけ人は「本日は取材はお断りしています」。

 靖国問題を巡る度重なる報道が、若者と神社を結びつけた面もある。

 仙台市の女子高生(16)は連日のニュースが気になり、夏休みの家族旅行の途中に「一度行ってみたい」と母親に頼んで靖国神社に連れてきてもらった。初の参拝は「予想以上に多くの人が来ていてなんか感激したし、戦争で死んだ人に私も追悼の声をかけてあげたいと思った」。

 靖国神社には、国のために戦って命を落とした人たちを顕彰する「遊就館」がある。先の戦争を「自存自衛のための戦い」と位置づける戦争博物館だ。東京都町田市の私立高校に通う3年男子(18)は後輩たち4人と訪れた。仲間内で憲法9条が話題になったことをきっかけに、携帯電話でメールを回してこの日の訪問を決めたという。

 初めての遊就館は、過去に訪ねた広島市の平和記念資料館とは雰囲気が違った。「ここに来て、『戦争って格好いい』って思う人がいたら怖い」

 この朝、東京都府中市の女子大生(22)は友人と午前5時に家を出て、到着殿前で小泉首相を待った。「連日、これだけマスコミで騒ぎになっているので、歴史的な瞬間に立ち会いたいと思って来ました」。参拝について言った。「終戦記念日に公式に参拝するのは、どうかと思う」

    ◇

 靖国神社からほど近い千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)には、約35万人の無名戦没者の遺骨が眠る。献花が続く午前11時25分、小泉首相が姿を見せた。

 拍手と批判の声が交じるなか、元会社役員太田康一郎さん(79)は「(靖国参拝は)よくやってくれた。戦争は賛美しないが、友たちの犠牲の上に、今の平和がある。それを忘れてはいけない」と話した。

 首相がかつて足を運び、涙した鹿児島県知覧町の知覧特攻平和会館。太平洋戦争末期に戦死した特攻隊員を慰霊し、遺書などを展示する。妻ら家族10人と訪れていた佐賀市の森永俊吾さん(86)は首相に苦言を呈した。「やめてほしい。日を変えるとかした方がよかったのではないか」

 広島県呉市の大和ミュージアム(市海事歴史科学館)の入館者は昨年4月のオープン後、すでに約217万人を記録。大和の乗組員の遺書の展示もあるが、人気の的は戦艦大和の10分の1の模型だ。

 家族で大阪から見物に来た稲田雅巳さん(19)は「最後の参拝を妥協してほしくなかった」と首相を支持。一方、広島市の大学生上田裕子さん(19)は「アジアの感情を考えれば、次の首相は参拝しないで」と訴えた。

 被爆で亡くなった姉2人の冥福を祈った広島市西区の主婦(62)は「A級戦犯は原爆が使われた戦争に責任がある人々。行ってほしくなかった」という。従軍中のけがで帰還中に被爆した広島市中区の三浦実さん(86)は「本当に複雑」と言った。「靖国で会おう」と言って亡くなった戦友を思えば、首相に参拝してほしい。でも、原爆でひどい目にあわされたのは誰のせいかと考えると思いは乱れる。だからこそ、「国民や周辺国に複雑な思いがあるのに、すべて自分の『心の問題』と片づけるのはあまりに乱暴」に思えた。

 24万人余の戦没者らの名が刻まれた沖縄県糸満市の「平和の礎(いしじ)」にいた奥間功さん(72)も複雑な気持ちだった。「外国を刺激してまで行く必要があるのか。でも、戦争で命を落とした多くの人がまつられている靖国に参るのも当然だ」

 礎に伯父の名がある沖縄市の男性(63)は首相支持派だ。それでも「犠牲者と戦犯を分離する方が、首相も他の人も行きやすい」と思っている。 』

「国のために命を捨てた人を、国の指導者が追悼するのは当然じゃないですか」とは一見正論のようであるが,世の中にはいろんな考え方がある.首相が参拝することでアジアの国々の中には日本が過去の過ちを正当化しようとしていると危惧する人たちもいる.それに誰も命を捨てたわけでもないだろう.おそらく誰もが脱出できない状況で仕方なく死んだのだろうし,合祀され追悼されても死んだ人がありがたがるわけもない.そこにあるのは生き残っている者の自己満足だけである.

私は,小泉首相は目立ちたがり屋なだけだと思っているから,終戦記念日の靖国参拝はもっとも簡単に存在感を示せる最期の政治的パフォーマンスというただそれだけの行為だったのだろうと思う.反響が大きければそれだけ効果的であるというだけである.個人の心の問題と言ったそうであるが,一国の首相というにはあまりに心が小さいというべきだろう.

靖国神社や護国神社にかぎらず人類の歴史は宗教を利用した戦争の繰り返しであることを忘れるべきではない.だからこそ政教分離が憲法に書かれているはずなのだが,首相が公私混同したのをいい機会として靖国神社の国営化論まで飛び出すとは本末転倒ではないだろうか.歴史は繰り返すというが,これでは60年続いた平和もそろそろ危うくなってきたと思わざるを得ない.

イスラエルとヒズボラあるいは米英とアルカイダの対立も宗教に名を借りた戦争である.民衆を戦争に巻き込むにはこれほどわかりやすい理由はない.先日のニュースでヨルダンの避難民がヒズボラを賞賛している声が流れていた.きっと自分にはイスラエルの爆弾が当たらないとでも思っているのだろう.自分の命は一つで人生のやり直しはきかないということを忘れていないだろうか.

なぜ神や宗教が人間に必要なのかを言い出せばいろんな理由があるだろうが,神の存在というものは所詮は人間の心の中,言い換えれば大脳皮質の中だけのものである.そういう意味では人間の脳の中に構築された仮想世界の中の存在に違いないのだが,神が存在すると信じてしまうと現実には存在しないということも人間の脳には検証不能になるものらしい.

かくして宗教戦争というものは存在しない神のために戦うという不条理なものとなるのだが,靖国で会おうなどというのも信じるかどうかは別にしても現実の世界では無意味なことである.死んでしまえばその人間の脳は活動を停止するわけだから仮想世界の神も消滅してしまい死後の世界など存在しないだろう.

合祀問題にしても戦場で戦闘のために亡くなった人だけでなく戦争裁判で有罪になった人たちまで神格化するなどというルールの変更を行った人間がいるからこそ問題になるのであり,それを分祀するだのできないだの言ったところでもともと人間が勝手に創造した神であればどちらでもいいことなのではないだろうか.

そういう意味では日本人の宗教観に同調してアジアの国々が靖国神社について非難するのもあまり意味がないことだろう.古来より日本では現人神であった天皇が参拝しない靖国神社を神社と呼ぶことさえ私は疑問なのである.靖国神社も護国神社もいわば戦争のために当時の政府により創られたもともと国営の疑似宗教施設である.そんなところに参拝して平和を祈るなんてこと自体ナンセンスなような気がするのは私だけであろうか.

コメント

nophoto
たっちゃん
2006年8月16日18:56

お世話になります。
私見、若くして国ために命令に従い犠牲になった兵士と
アジア太平洋戦争を指導したA級戦犯を同じ神様として祭る
自体無理があると思う、小泉総理の参拝は脳外科先生が言う
やはり総理流パーフォマンスと思う、改革は熱心だがアジア外交は通信簿でいえば不可 単位は無し、落第で外交を停滞させた。
千鳥が淵の戦没者墓苑のように、天皇陛下であろう誰であろう
戦争犠牲者を供養できる施設を民間でできないか?
もっと気がかりなのは、教育の場で近代政治史、特にアジア太平洋戦争を あの戦争がどうして起きてしまったか政府か検証していない点も気になる。戦争責任は、誰にあったかもう一度考えなさいと全国戦没者追悼式で河野衆院議長のメッセージがあって
少しは安心しました。

今回も脳外科先生の指摘かつ的確な分析に頭が下がります。
これからも宜しくお願いします。

近代政治史を勉強したわたしは、昨日の8月15日は不快な一日で
ありました。暑さで参って乱筆、乱文で失礼しました。

ちゃめ
ちゃめ
2006年8月16日20:04

>合祀問題にしても戦場で戦闘のために亡くなった人だけでなく
>戦争裁判で有罪になった人たちまで神格化するなどという
>ルールの変更を行った人間がいるからこそ問題になるのであり,
>それを分祀するだのできないだの言ったところで
>もともと人間が勝手に創造した神であれば
>どちらでもいいことなのではないだろうか.

>靖国神社も護国神社もいわば戦争のために
>当時の政府により創られたもともと国営の疑似宗教施設である.>そんなところに参拝して平和を祈るなんてこと自体
>ナンセンスなような気がするのは私だけであろうか.

脳外科医さんのお考えに共感しきりです。
思うように文章にできず歯がゆい思いをしていたので
何だか胸がスッとしました。

私もいろんなことを考えながら報道を見ていました。
戦争に少しでも反対するような事を口にするだけで
「非国民」と言われた、とはよく聞く話ですが、
「非国民」と言ってやった、と言う人の話はあまり聞きません。
言っていたのは誰なのでしょう?

煽られ、図に乗り、イケイケドンドンな世の中で、
誰もが惑わされていた、異議を挟めなかったのなら
それはカルトとどう違うのか?
人々を惑わせる側にいた人間が、惑わされ犠牲になった人たちと
同じように祀られているのは、絶対に納得できません。

人智を超越した存在として本能的に人間が頼りにするものを
「神」と呼ぶならば、その存在を否定はできないけれど、
やれこの神が正しいだの、いやこっちを信じなければダメだ
だのと、現に生きている人間の利益を左右する神など
それ自体、愚かな人間が創り出したマガイモノだと
私はいつも思っています。
そしてだからこそ、そんな「それぞれの神」を信じている人の
心理が、とても興味深いです。

なんかとりとめもないコメントですみません・・・。

nophoto
たっちゃん
2006年8月17日0:11

訂正:アジア太平洋戦争を含む十五年戦争(満州事変、1931年9月18日 柳条湖事件から日本の敗戦まで)でした。
ご迷惑かけますm( )m

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