医師の裁量と患者の責任
2006年5月18日 医療の問題 コメント (1)『 県立大野病院事件に対する考え
福島県立大野病院で平成16年12月に腹式帝王切開術を受けた女性が死亡したことに関し、手術を担当した医師が、平成18年3月10日、業務上過失致死、および医師法21条違反の罪で起訴された件について、日本産科婦人科学会、および日本産婦人科医会は、すでに「お知らせ」、「声明」を公表し、さらに「声明」を補足するために厚生労働省にて記者会見の場をもち、両会の考え方を示してまいりました。
このたび両会は、本件の重要性に鑑み、ここにあらためて「県立大野病院事件に対する考え」を発表いたします。
はじめに、本件の手術で亡くなられた方、およびご遺族の方々に対して謹んで哀悼の意を表します。
このたび、産婦人科の医療行為について、個人が刑事責任を問われるに至ったことはきわめて残念であります。
本件は、癒着胎盤という、術前診断がきわめて難しく、治療の難度が最も高く、対応がきわめて困難な事例であります。
起訴状によれば、本件における手術中、児娩出後に用手的に胎盤の剥離を試みて胎盤が子宮に癒着していることを術者である被告人が認識した時に、「(被告人には)直ちに胎盤の剥離を中止して子宮摘出術等に移行し、胎盤を子宮から剥離することに伴う大量出血による同女の生命の危険を未然に回避すべき業務上の注意義務があるのに、(被告人は)これを怠り、直ちに胎盤の剥離を中止して子宮摘出術等に移行せず、同日午後2時50分ころまでの間、クーパーを用いて漫然と胎盤の癒着部分を剥離した過失により、」とあり、被告人が直ちに胎盤の剥離を中止して子宮摘出術等に移行しなかったことと、胎盤の癒着部分の剥離に用いた手段に過失がある、とされています。
癒着胎盤の予見のきわめて困難である本件において、癒着胎盤であることの診断は、胎盤を剥離せしめる操作をある程度進めた時点で初めて可能となるものであります。したがって、結果的には癒着胎盤であった本例において、胎盤を剥離せしめる操作を中止して子宮摘出術を行うべきか、胎盤の剥離除去を完遂せしめた後に子宮摘出術の要否を判断するのが適切かについては、“個々の症例の状況”に応じた現場での判断をする外なく、それはひとえに当該医師の裁量に属する事項であります。
また、本件のような帝王切開例における胎盤の癒着部を剥離せしめる手段としては、用手的に行うことだけが適切ということはなく、クーパーをはじめ器械を用いることにも相当の必然性があり、この手技の選択も当該医師の状況に応じた裁量に委ねられなければ、治療手段としての手術は成立し得ません。
本件の転帰に関してはたいへん心を痛め、真摯に受け止めておりますが、外科的治療が施行された後に、結果の重大性のみに基づいて刑事責任が問われることになるのであれば、今後、外科系医療の場において必要な外科的治療を回避する動きを招来しかねないことを強く危惧するものであります。
平成18年5月17日
社団法人 日本産科婦人科学会
理事長 武谷 雄二
社団法人 日本産婦人科医会
会 長 坂元 正一
』
どこまでが医師の裁量かという議論は常にあってもいいと思う.しかし,手術室の中で予期し得なかった緊急事態になったときに当該医師の状況に応じた裁量に委ねられないというのであればその患者にはその医師の手術を受ける資格はない.そういう意味での『何かの時には先生にお任せします.』というのが医師と患者の信頼関係ではないだろうか.自分の望んだ結果でなければ訴えるというのが世の中の風潮であるかも知れないが,それを医療の世界に持ち込んでも患者の利益はないだろう.産科や小児科だけでなく僻地の医療が崩壊している本当の原因は患者側にあり,さらに現場の医師のことを考えられない行政にもあると私は思うのだがどうだろうか.
福島県立大野病院で平成16年12月に腹式帝王切開術を受けた女性が死亡したことに関し、手術を担当した医師が、平成18年3月10日、業務上過失致死、および医師法21条違反の罪で起訴された件について、日本産科婦人科学会、および日本産婦人科医会は、すでに「お知らせ」、「声明」を公表し、さらに「声明」を補足するために厚生労働省にて記者会見の場をもち、両会の考え方を示してまいりました。
このたび両会は、本件の重要性に鑑み、ここにあらためて「県立大野病院事件に対する考え」を発表いたします。
はじめに、本件の手術で亡くなられた方、およびご遺族の方々に対して謹んで哀悼の意を表します。
このたび、産婦人科の医療行為について、個人が刑事責任を問われるに至ったことはきわめて残念であります。
本件は、癒着胎盤という、術前診断がきわめて難しく、治療の難度が最も高く、対応がきわめて困難な事例であります。
起訴状によれば、本件における手術中、児娩出後に用手的に胎盤の剥離を試みて胎盤が子宮に癒着していることを術者である被告人が認識した時に、「(被告人には)直ちに胎盤の剥離を中止して子宮摘出術等に移行し、胎盤を子宮から剥離することに伴う大量出血による同女の生命の危険を未然に回避すべき業務上の注意義務があるのに、(被告人は)これを怠り、直ちに胎盤の剥離を中止して子宮摘出術等に移行せず、同日午後2時50分ころまでの間、クーパーを用いて漫然と胎盤の癒着部分を剥離した過失により、」とあり、被告人が直ちに胎盤の剥離を中止して子宮摘出術等に移行しなかったことと、胎盤の癒着部分の剥離に用いた手段に過失がある、とされています。
癒着胎盤の予見のきわめて困難である本件において、癒着胎盤であることの診断は、胎盤を剥離せしめる操作をある程度進めた時点で初めて可能となるものであります。したがって、結果的には癒着胎盤であった本例において、胎盤を剥離せしめる操作を中止して子宮摘出術を行うべきか、胎盤の剥離除去を完遂せしめた後に子宮摘出術の要否を判断するのが適切かについては、“個々の症例の状況”に応じた現場での判断をする外なく、それはひとえに当該医師の裁量に属する事項であります。
また、本件のような帝王切開例における胎盤の癒着部を剥離せしめる手段としては、用手的に行うことだけが適切ということはなく、クーパーをはじめ器械を用いることにも相当の必然性があり、この手技の選択も当該医師の状況に応じた裁量に委ねられなければ、治療手段としての手術は成立し得ません。
本件の転帰に関してはたいへん心を痛め、真摯に受け止めておりますが、外科的治療が施行された後に、結果の重大性のみに基づいて刑事責任が問われることになるのであれば、今後、外科系医療の場において必要な外科的治療を回避する動きを招来しかねないことを強く危惧するものであります。
平成18年5月17日
社団法人 日本産科婦人科学会
理事長 武谷 雄二
社団法人 日本産婦人科医会
会 長 坂元 正一
』
どこまでが医師の裁量かという議論は常にあってもいいと思う.しかし,手術室の中で予期し得なかった緊急事態になったときに当該医師の状況に応じた裁量に委ねられないというのであればその患者にはその医師の手術を受ける資格はない.そういう意味での『何かの時には先生にお任せします.』というのが医師と患者の信頼関係ではないだろうか.自分の望んだ結果でなければ訴えるというのが世の中の風潮であるかも知れないが,それを医療の世界に持ち込んでも患者の利益はないだろう.産科や小児科だけでなく僻地の医療が崩壊している本当の原因は患者側にあり,さらに現場の医師のことを考えられない行政にもあると私は思うのだがどうだろうか.
コメント
自分の望んだ結果が出ない場合に訴えるという考えには私も、危惧を感じます。
この件だけでなく、日本の行政では誰かが亡くなると、罪の有無にかかわらず、人がとりあえず刑事責任を問われるケースが欧米に比べて多い気がします。
人が死ぬことが罪を作るということではないと思うのですがね。