宗教観のない日本人?
2006年2月24日 こころの問題 コメント (1)『 -- イスラム教徒を襲撃、風刺画巡り報復? ナイジェリア --
ナイジェリア南部の都市オニッシャで22日、イスラム教徒に対する大規模な襲撃事件があり、AFP通信によると数十人が死亡した。同通信の記者が現地でイスラム教徒とみられる19人の遺体を確認したほか、さらに15人が死亡したとの目撃情報も得たという。同国ではイスラム教預言者ムハンマドの風刺漫画をきっかけに、イスラム教徒がキリスト教徒を襲撃する事件が相次ぎ、多数の死者が出ている。今回はキリスト教徒による報復とみられ、これをきっかけに両教徒の衝突がさらに激しくなるおそれもある。 』
ムハンマドの風刺画一枚でキリスト教徒を襲撃し,今度はその報復だそうである.その一方でイスラム教徒にもいろいろあるようだ.ナイジェリアのイスラム教徒は何派なんだろうか.
『 -- スンニ・シーア両派の衝突激化、65人死亡 イラク厳戒 --
イラクで、中部サーマッラにあるイスラム教シーア派の聖地アスカリ廟(びょう)が爆破された事件を機に始まったシーア、スンニ両派の衝突が拡大、ロイター通信によると、22日の事件直後から23日正午過ぎまでに全土で65人が死亡した。また、これらの死者とは別に首都南西部で57人の死体がまとまって見つかったとの情報もあり、死者数は120人を超える恐れがある。政府は夜間外出禁止令を拡大し、治安要員の休暇取り消しを命令、厳戒態勢に入った。
タラバニ大統領は23日、クルド人勢力を含む各派を私邸に招き、対応を協議したが、スンニ派のイラク合意戦線はモスクへの襲撃に抗議してボイコットした。
22日にはシーア派最高権威のシスターニ師が声明で平和的な抗議行動を呼びかけたが、バグダッドでは夜に入って再び襲撃が発生した。覆面をした男たちが、多数のスンニ派モスクを小型ロケット砲や小銃で襲撃した。 バグダッドだけで銃殺された50人近い死者が確認された。大半がスンニ派とみられる。
スンニ派のイスラム宗教者委員会アルクベイシ師は23日午後、襲撃された同派モスクは全土で168カ所にのぼり、宗教指導者10人が殺害されたと述べ、シーア派を強く非難した。一方、バクバでは、シーア派とみられる警官12人が爆弾で殺害された。 また、サーマッラでは23日、爆破事件の取材をしていた衛星テレビ局アルアラビアのイラク人女性記者とスタッフ計3人が拉致され、直後に殺害された。』
世界遺産の遺跡なんかのビデオをみるのは好きなほうだが,世界史はさっぱりなのでイスラム教どころかキリスト教の歴史もまったくわからない.でも,どうせ人間のやることだから同じような宗教対立による殺戮[サツリク]の歴史なんていうものがきっとあるのだろうとは思う.
人類はじまって以来というと100万年位前からだろうが,有史以来というと今年は西暦2006年で,西暦はキリスト教のスケールであることくらいは知っている.これを日本流に変換すると皇歴=西暦+660年,平成=西暦-1988年だそうである.西暦より皇歴が長いと言ってもこの660年分日本が世界をリードしていると思える事など何かあるのだろうか.
いや,もしあるとすれば宗教感の無さというところがひょっとすると一歩進んでいるのかもしれない.自慢ではなく日本史もさっぱりだったが,聖徳太子の頃には仏教も政治と密接に結びついていたことくらいは知っている.一向一揆や天草の乱のように宗教が政治的弾圧の理由になったこともあった.現代の日本で宗教を理由に差別されたりすることはあるだろうか.
私自身も宗教にはあまり興味はない.しかし,ヒトが生きていくうえで信仰心とか哲学というものは必要だと思っている.そういったものが倫理感とか礼儀のもとになると思う.そして,現代の日本人にはそれが欠けてきていると感じるのだが,宗教による殺人なんてものを聞くと信仰心があまり強いのも考えもののようだ.
昔から和洋折衷とか神仏習合というように宗教のみならず生活様式もいいとこどりが得意なのが日本人の精神的進化の過程で獲得されたものと考えれば,それが660年分の価値ということになるのかもしれない.
★先日はたくさんのコメントどうもありがとうございました.
ナイジェリア南部の都市オニッシャで22日、イスラム教徒に対する大規模な襲撃事件があり、AFP通信によると数十人が死亡した。同通信の記者が現地でイスラム教徒とみられる19人の遺体を確認したほか、さらに15人が死亡したとの目撃情報も得たという。同国ではイスラム教預言者ムハンマドの風刺漫画をきっかけに、イスラム教徒がキリスト教徒を襲撃する事件が相次ぎ、多数の死者が出ている。今回はキリスト教徒による報復とみられ、これをきっかけに両教徒の衝突がさらに激しくなるおそれもある。 』
ムハンマドの風刺画一枚でキリスト教徒を襲撃し,今度はその報復だそうである.その一方でイスラム教徒にもいろいろあるようだ.ナイジェリアのイスラム教徒は何派なんだろうか.
『 -- スンニ・シーア両派の衝突激化、65人死亡 イラク厳戒 --
イラクで、中部サーマッラにあるイスラム教シーア派の聖地アスカリ廟(びょう)が爆破された事件を機に始まったシーア、スンニ両派の衝突が拡大、ロイター通信によると、22日の事件直後から23日正午過ぎまでに全土で65人が死亡した。また、これらの死者とは別に首都南西部で57人の死体がまとまって見つかったとの情報もあり、死者数は120人を超える恐れがある。政府は夜間外出禁止令を拡大し、治安要員の休暇取り消しを命令、厳戒態勢に入った。
タラバニ大統領は23日、クルド人勢力を含む各派を私邸に招き、対応を協議したが、スンニ派のイラク合意戦線はモスクへの襲撃に抗議してボイコットした。
22日にはシーア派最高権威のシスターニ師が声明で平和的な抗議行動を呼びかけたが、バグダッドでは夜に入って再び襲撃が発生した。覆面をした男たちが、多数のスンニ派モスクを小型ロケット砲や小銃で襲撃した。 バグダッドだけで銃殺された50人近い死者が確認された。大半がスンニ派とみられる。
スンニ派のイスラム宗教者委員会アルクベイシ師は23日午後、襲撃された同派モスクは全土で168カ所にのぼり、宗教指導者10人が殺害されたと述べ、シーア派を強く非難した。一方、バクバでは、シーア派とみられる警官12人が爆弾で殺害された。 また、サーマッラでは23日、爆破事件の取材をしていた衛星テレビ局アルアラビアのイラク人女性記者とスタッフ計3人が拉致され、直後に殺害された。』
世界遺産の遺跡なんかのビデオをみるのは好きなほうだが,世界史はさっぱりなのでイスラム教どころかキリスト教の歴史もまったくわからない.でも,どうせ人間のやることだから同じような宗教対立による殺戮[サツリク]の歴史なんていうものがきっとあるのだろうとは思う.
人類はじまって以来というと100万年位前からだろうが,有史以来というと今年は西暦2006年で,西暦はキリスト教のスケールであることくらいは知っている.これを日本流に変換すると皇歴=西暦+660年,平成=西暦-1988年だそうである.西暦より皇歴が長いと言ってもこの660年分日本が世界をリードしていると思える事など何かあるのだろうか.
いや,もしあるとすれば宗教感の無さというところがひょっとすると一歩進んでいるのかもしれない.自慢ではなく日本史もさっぱりだったが,聖徳太子の頃には仏教も政治と密接に結びついていたことくらいは知っている.一向一揆や天草の乱のように宗教が政治的弾圧の理由になったこともあった.現代の日本で宗教を理由に差別されたりすることはあるだろうか.
私自身も宗教にはあまり興味はない.しかし,ヒトが生きていくうえで信仰心とか哲学というものは必要だと思っている.そういったものが倫理感とか礼儀のもとになると思う.そして,現代の日本人にはそれが欠けてきていると感じるのだが,宗教による殺人なんてものを聞くと信仰心があまり強いのも考えもののようだ.
昔から和洋折衷とか神仏習合というように宗教のみならず生活様式もいいとこどりが得意なのが日本人の精神的進化の過程で獲得されたものと考えれば,それが660年分の価値ということになるのかもしれない.
★先日はたくさんのコメントどうもありがとうございました.
コメント
という御言葉があります。私はその愛に癒され洗礼を2年前に受けました。今は静かな信仰と希望と愛をもって日々の生活を楽しんでおります。何も縛られることもなく、普通の生活の中に喜びがあるのだと思います。これを知らずに多くの方々が宗教戦争を起こしている姿は悲しいです。人の行いはオリジナルになり様々な問題を起こします。そうならないためにも変わらない神の愛に帰ることだと思います。 能外科医さんも優しさゆえに宗教戦争や宗教問題を見て嫌悪感を抱いてるのだと感じました。私も同じです。では長くなりましたので失礼いたします。