『 -- 園児殺害 娘入園以降悩む 鄭容疑者、昨春から顕著に --
滋賀県長浜市の幼稚園児二人が殺害された事件で、殺人などの疑いで逮捕された主婦、鄭永善容疑者(34)が長浜署捜査本部の調べに対し「自分も仲間外れにされていると感じ、周囲や地域になじめなかった」と供述していることが十九日、分かった。しかし、これまで鄭容疑者親子と周囲の間に目立ったトラブルの情報はなく、捜査本部は鄭容疑者が長期間、自分と長女(5つ)が周囲から孤立しているとの思いを一方的に募らせ、犯行に及んだとみている。
調べなどでは、鄭容疑者は、長女が市立神照幼稚園に入園した平成十六年四月以降、周囲に悩みをもらすようになった。さらに保護者同士のグループ送迎が始まった昨年四月以降、その傾向が顕著になり、五月からは一時、長女を個人的に送迎するようになった。
再びグループ送迎に加わった後も、長女がほかの子供と仲良くしていたか気にかけていたという。
また、鄭容疑者は動機について「犯行当日の朝、身近な子供を殺そうと思った」などとも話しているという。
これまでの調べでは「娘がなじめないのは周りの子供が悪いから」と供述。「殺害された二人へは特定の恨みはなかった」と話していた。
捜査本部は日常生活や幼稚園の中で、長女や自分が孤立していると思い込んだ鄭容疑者が、グループ送迎でいつも一緒の園児の殺害を決意したとみている。
一方、幼稚園側や鄭容疑者の周囲からは長女に対するいじめなどの情報はなく、鄭容疑者自身も取り調べの中で長女を案じるようなそぶりはないことなどから、動機面を中心にさらに慎重に調べを進めている。
捜査本部はこの日、鄭容疑者を殺人容疑で大津地検に送検した。検察官の調べや地裁での拘置尋問には淡々と応じたという。』
容疑者の疎外感の原因はなんだったのだろうか.最近の幼児殺害とはちょっと異質なこの事件について少し考えてみよう.やったことの罪の重さを考えれば同情する気にはなれないが,容疑者を殺人という異常な行為にまで追い込んだ疎外感とはどのようなものだったのだろうか.
疎外(そがい)とは『(1)よそよそしくすること。きらってのけものにすること。 「仲間から―される」「―感」.(2)〔(ドイツ) Entfremdung〕ヘーゲルの用語。ある存在が自己の本質を自己本来の存在の外に出すことによって、それが自分とは対立する疎遠な他者となること。』と辞書にある.したがって疎外感を感じるといっても2通りあるのではないだろうか.
ひとつはみんなから仲間はずれにされてように感じることである.もうひとつは自分自身の存在に違和感を感じる,自分が自分でない他人になっているように感じることである.意外と自分の中にある疎外感というのは後者であることも多いのではないだろうか.そういう意味では自分の中の他人にあるとき気がつくことはよくあることで,そういう経験は誰にでもあることだろう.
鄭容疑者の場合は単純に考えると周囲や地域からの疎外感というようにも思えるが,それならなぜ子供を標的にしたのかがよくわからない.わが子と自分を同化させて仲間はずれにされた(と思い込んだ)ので他の子供を標的にしたのだろうか.だが,これでは残された子供はどうすればいいのだろうか.母親がいなくなり,今後は周囲から仲間はずれにされてしまうのではないだろうかと心配でさえある.
こう考えると疎外感が殺意のはじまりではあっても犯行では結局なんの解決にもなっておらず,動機としてはあまりに非合理的であることがわかる.中国で育ったことになにか関係でもあるのかもしれないが,その辺りのことが捜査でわかるのだろうか.今後も注目してみたいと思う.
滋賀県長浜市の幼稚園児二人が殺害された事件で、殺人などの疑いで逮捕された主婦、鄭永善容疑者(34)が長浜署捜査本部の調べに対し「自分も仲間外れにされていると感じ、周囲や地域になじめなかった」と供述していることが十九日、分かった。しかし、これまで鄭容疑者親子と周囲の間に目立ったトラブルの情報はなく、捜査本部は鄭容疑者が長期間、自分と長女(5つ)が周囲から孤立しているとの思いを一方的に募らせ、犯行に及んだとみている。
調べなどでは、鄭容疑者は、長女が市立神照幼稚園に入園した平成十六年四月以降、周囲に悩みをもらすようになった。さらに保護者同士のグループ送迎が始まった昨年四月以降、その傾向が顕著になり、五月からは一時、長女を個人的に送迎するようになった。
再びグループ送迎に加わった後も、長女がほかの子供と仲良くしていたか気にかけていたという。
また、鄭容疑者は動機について「犯行当日の朝、身近な子供を殺そうと思った」などとも話しているという。
これまでの調べでは「娘がなじめないのは周りの子供が悪いから」と供述。「殺害された二人へは特定の恨みはなかった」と話していた。
捜査本部は日常生活や幼稚園の中で、長女や自分が孤立していると思い込んだ鄭容疑者が、グループ送迎でいつも一緒の園児の殺害を決意したとみている。
一方、幼稚園側や鄭容疑者の周囲からは長女に対するいじめなどの情報はなく、鄭容疑者自身も取り調べの中で長女を案じるようなそぶりはないことなどから、動機面を中心にさらに慎重に調べを進めている。
捜査本部はこの日、鄭容疑者を殺人容疑で大津地検に送検した。検察官の調べや地裁での拘置尋問には淡々と応じたという。』
容疑者の疎外感の原因はなんだったのだろうか.最近の幼児殺害とはちょっと異質なこの事件について少し考えてみよう.やったことの罪の重さを考えれば同情する気にはなれないが,容疑者を殺人という異常な行為にまで追い込んだ疎外感とはどのようなものだったのだろうか.
疎外(そがい)とは『(1)よそよそしくすること。きらってのけものにすること。 「仲間から―される」「―感」.(2)〔(ドイツ) Entfremdung〕ヘーゲルの用語。ある存在が自己の本質を自己本来の存在の外に出すことによって、それが自分とは対立する疎遠な他者となること。』と辞書にある.したがって疎外感を感じるといっても2通りあるのではないだろうか.
ひとつはみんなから仲間はずれにされてように感じることである.もうひとつは自分自身の存在に違和感を感じる,自分が自分でない他人になっているように感じることである.意外と自分の中にある疎外感というのは後者であることも多いのではないだろうか.そういう意味では自分の中の他人にあるとき気がつくことはよくあることで,そういう経験は誰にでもあることだろう.
鄭容疑者の場合は単純に考えると周囲や地域からの疎外感というようにも思えるが,それならなぜ子供を標的にしたのかがよくわからない.わが子と自分を同化させて仲間はずれにされた(と思い込んだ)ので他の子供を標的にしたのだろうか.だが,これでは残された子供はどうすればいいのだろうか.母親がいなくなり,今後は周囲から仲間はずれにされてしまうのではないだろうかと心配でさえある.
こう考えると疎外感が殺意のはじまりではあっても犯行では結局なんの解決にもなっておらず,動機としてはあまりに非合理的であることがわかる.中国で育ったことになにか関係でもあるのかもしれないが,その辺りのことが捜査でわかるのだろうか.今後も注目してみたいと思う.
コメント
育った環境のせいなのでしょうか、自分は疎外されているということで頭がいっぱいになってしまって、人への愛情など持ち合わせていなかったのかもしれません。
私も一児の母ですから、近所にこういう人がいると本当に困ります。
6,7年前にもこういった事件がありましたよね。
死にたいとは思っても殺したいという気持ちにはなった事がないので、殺人者の気持ちなど到底わかりませんが
20箇所近く刺したことを考えると、
子供は何かの代替になってしまったのかな。と思うのです。
向ける先のない不安や、怒り、憎しみなどの代替です。
しかし、親の殺人を見た子供はこれからどう育っていくのでしょうか。