『 -- 4回転にトライしたい 女子フィギュアの安藤が会見 --
トリノ五輪に出場する女子フィギュアスケートの安藤美姫(愛知・中京大中京高)が15日、直前合宿地のイタリア・クールマイヨールで練習を公開し、その後記者会見を開いた。骨折していた右足の指も完治したという安藤は「4回転にトライしたい」と、女子ではまだ安藤自身しか成功したことのない大技に大舞台で挑戦することを約束。「誰にも負けない笑顔で楽しく滑り切って、それでメダルが取れたら一番」と語った。
安藤は13日、練習拠点の米国・クリーブランドからクールマイヨールに入った。この地はトリノよりも標高が1000メートルほど高いとあって、練習でも「あまりジャンプはやらないで、体ならし程度」だという。フリーの曲は「マイ・ファニー・バレンタイン」から「蝶々夫人」に変更。「より良いものに変えたので自信を持ってできる」と話した。
公開された練習では、曲を止めてキャロル・ジェンキンス・コーチに何度もアドバイスを求める場面が見られた。軽快に3回転ジャンプを跳び、コンビネーションジャンプやスピンもミスなく決めていた。』
安藤美姫選手は「長野オリンピックの荒川静香選手にあこがれてここまできた」そうである.そして「自分の夢の舞台であるオリンピックで4回転をとぶのが自分にとって一番」で「たとえ失敗してもその私を見て次の子供たちがあこがれてくれれば」と直前合宿地でのインタビューで語っていた.
試合直前のこの時期に演技内容を発表すると審判への影響など賛否両論あるのだろう.自分が4回転をとばなければメダルに届かないという背水の陣でのぞむ決意の表明ともとれる.テレビの解説のおじさんたちは冷静に状況を分析して有利不利を述べていた.まあ,それがあのおじさんたちの仕事なのだろうが...
私には,安藤美姫選手が子供たちに「4回転をとぶ自分の姿をみて」というメッセージを心から伝えたいように見えたので,とても好感がもてた.なんでも勝ち負けや損得でものを考える余裕のない大人たちをみていては夢もなくなるし,自分の子供にはそんな大人にはなってもらいたくない.
安藤美姫選手はまた札幌オリンピックのジャネット・リン選手のような笑顔で滑れるようにビデオを取り寄せて見ていたそうだ.1972年の札幌オリンピックの時は私も小学生だった.そのころから医師になろうとぼんやり思っていたような気もするが,その頃の夢がなんだったのかもう思い出せない.
大人になると子供の頃の夢なんて忘れてしまうものなのかもしれないが,安藤美姫選手には夢の舞台で最高の自分を子供たちに是非見せてあげてほしいと思う.
(ジャネット・リン選手はフィギュアの演技中にしりもちをついて銀メダルになりましたが,とってもすてきな笑顔は私も憶えていました.真駒内の選手村の自室の壁に口紅で「Love and Peace」と書いたというエピソードもあります.)
トリノ五輪に出場する女子フィギュアスケートの安藤美姫(愛知・中京大中京高)が15日、直前合宿地のイタリア・クールマイヨールで練習を公開し、その後記者会見を開いた。骨折していた右足の指も完治したという安藤は「4回転にトライしたい」と、女子ではまだ安藤自身しか成功したことのない大技に大舞台で挑戦することを約束。「誰にも負けない笑顔で楽しく滑り切って、それでメダルが取れたら一番」と語った。
安藤は13日、練習拠点の米国・クリーブランドからクールマイヨールに入った。この地はトリノよりも標高が1000メートルほど高いとあって、練習でも「あまりジャンプはやらないで、体ならし程度」だという。フリーの曲は「マイ・ファニー・バレンタイン」から「蝶々夫人」に変更。「より良いものに変えたので自信を持ってできる」と話した。
公開された練習では、曲を止めてキャロル・ジェンキンス・コーチに何度もアドバイスを求める場面が見られた。軽快に3回転ジャンプを跳び、コンビネーションジャンプやスピンもミスなく決めていた。』
安藤美姫選手は「長野オリンピックの荒川静香選手にあこがれてここまできた」そうである.そして「自分の夢の舞台であるオリンピックで4回転をとぶのが自分にとって一番」で「たとえ失敗してもその私を見て次の子供たちがあこがれてくれれば」と直前合宿地でのインタビューで語っていた.
試合直前のこの時期に演技内容を発表すると審判への影響など賛否両論あるのだろう.自分が4回転をとばなければメダルに届かないという背水の陣でのぞむ決意の表明ともとれる.テレビの解説のおじさんたちは冷静に状況を分析して有利不利を述べていた.まあ,それがあのおじさんたちの仕事なのだろうが...
私には,安藤美姫選手が子供たちに「4回転をとぶ自分の姿をみて」というメッセージを心から伝えたいように見えたので,とても好感がもてた.なんでも勝ち負けや損得でものを考える余裕のない大人たちをみていては夢もなくなるし,自分の子供にはそんな大人にはなってもらいたくない.
安藤美姫選手はまた札幌オリンピックのジャネット・リン選手のような笑顔で滑れるようにビデオを取り寄せて見ていたそうだ.1972年の札幌オリンピックの時は私も小学生だった.そのころから医師になろうとぼんやり思っていたような気もするが,その頃の夢がなんだったのかもう思い出せない.
大人になると子供の頃の夢なんて忘れてしまうものなのかもしれないが,安藤美姫選手には夢の舞台で最高の自分を子供たちに是非見せてあげてほしいと思う.
(ジャネット・リン選手はフィギュアの演技中にしりもちをついて銀メダルになりましたが,とってもすてきな笑顔は私も憶えていました.真駒内の選手村の自室の壁に口紅で「Love and Peace」と書いたというエピソードもあります.)
コメント
それが何であれ。あこがれがあると、ほんと、これやってみたい!なんて、口にしますよね。親子の会話の中で、逃してはいけない場面でもあるんだと思うのです。これって、あこがれから、夢につながって行くわけで、導きは、親や周りが線路を作ってあげられたら、走れ始められますよね。
ジャネット・リン、私はスケート苦手です。でも、当時のこの子って言っていいかな、笑顔は、印象に残るものでした。
自分を出せる素敵な笑顔は、私自身もこの歳でそうありたいかな。(笑)