『 --「世界一に」疾走暗転 堀江社長逮捕 --
あっけらかんと「世界一」を口にし、「人の心は金で買える」と言い放ったライブドア社長の堀江貴文容疑者(33)が23日、証券取引法違反の疑いで逮捕された。わずか600万円で起業して10年。プロ野球や民放業界への新規参入騒動から総選挙出馬まで突き進んできたが、ホリエモンは30歳代の側近たちとともに「人生ゲーム」につまずいた。
午後9時半ごろから、東京都葛飾区の東京拘置所には、堀江社長らを乗せたワゴン車が、警察車両に先導されて相次いで到着し、敷地内に入っていった。拘置所前には100人を超える報道陣が集まった。近所の人らも加わって、騒然とした雰囲気となった。
逮捕前、堀江社長にいつも随行しているライブドア広報担当の乙部綾子さんは、力無く語った。
「堀江は罪の意識はなかったと言ってるので……」
04年に出版した著書で、「人の心はお金で買える」と書いた堀江社長。世論を二分した勝ち気な物言いとは違う姿だった。
「せかいいち」。同年の七夕の日には、堀江社長は、ピンク色の短冊にそう書いた。
女性起業家の私的なパーティーだった。主催した女性(37)は「長髪でオタクっぽかった時代とは比較にならないほど、生き生きしていた」と振り返る。
その2日前、堀江社長は大阪ドームで約1000人のファンに囲まれ、「堀江コール」を浴びていた。プロ野球・大阪近鉄バファローズの買収に名乗りを上げた直後。近鉄のユニホームを着て一塁側内野席で声援を送った。
社名を「エッジ」(尖端(せんたん))から「ライブドア」に変えた年だったが、ヤフーや楽天といったIT企業の中でも、知名度が乏しかった。ライブドアとホリエモンの名が、全国にとどろいた瞬間だった。
当時の取材には「営業利益でも時価総額でも何でもいいから世界一になる」とあっけらかんと宣言した。その理由は、「なるんです。もう既定路線。すごろくみたいなもので、間違いなくゴールに向かっている」。
「人生ゲームM&A」は、堀江社長ら起業家7人が監修したすごろく型の盤ゲームだ。タカラが昨年9月に発売し、10万個以上も売れている。
各プレーヤーは10億円の資金でスタートし、放送会社を買収したり、財務のプロを仲間にしたりしながら資産をふやす。全部で129個のマスの中に「敵対的M&A」が10回も出てくる。
「巨大コンツェルン総帥の楽園」にゴールし、最も資産総額の大きな人が勝ちだ。勝者の資産は数兆円にも上る。
事業に失敗すると、「挫折の地」にコマを置き、他のプレーヤーがゴールするのを待つのみとなる。「エッジ」を歩んできたホリエモンは、その地まで落ちた。 』
「誤解を恐れずに言えば、人の心はお金で買えるのです。女はお金についてきます」(04年8月、著書「稼ぐが勝ち」)の真意はどこにあったのか.そんなことをわざわざ言葉にして言ったのは,結局は自分の心がお金に買われてしまっていることに気がついていなかったからだと私は思う.
この人の発言はいろいろなところで取り上げられることが多かったが,あまり心に残るような発言はなかったのかほとんど憶えていない.だが,この「人の心はお金で買えるのです。女はお金についてきます」という言葉は非常にnegativeな発言として記憶していた.たとえそう思っても口にしてはいけない言葉というものがあると思うが,そういう言葉を口にした時から運に見放されるものなのだろう.
人間というのは,普段から思っていることは口からこぼれ出てくるものだし,いつも口にしているとそのように行動してしまうものではないだろうか.これはおそらく人間の脳というものが次第に言葉で人の行動を制御するように進化してきているせいではないかと私は思っている.
特にデジタル社会になってこの傾向はより強まっているのではないだろうか.その理由として,昔は単純な道具を手足の感覚で使うようなものが多かったのが,コンピュータを使うようになってから言葉で考えながらでないと使えない機械が増えたということが考えられる.つまりコンピュータのために人間はより頭でっかちな生物に進化しなくてはならなくなったのである.
最近のネット世代の人間はコンピュータを使っているうちに行動そのものがコンピュータ的な単純な論理に陥っているのではないだろうか.Blogなどをみていても確かに一見論理的ではあるのだが,非常に思考が単純で中身がなく,人間性に乏しいものが多いような気がするのは私だけだろうか.
しかし,これは書いている人の人間性の問題ではないと私は思いたい.むしろ無理に言葉にしたり,論理的に判断しようとするあまり表現力がそれについていけないせいではないかと思っている.そして一言で断言しようとしてついNGワードを言ってしまい,挙げ句には自分で発したNGワードに縛られて行動してしまうのではないだろうか.
パソコンと一緒に人間が成長しているようなデジタル時代を否定するつもりはないが,こんな時代であるからこそもっと人間としての自分に目を向ける必要があるのではないだろうか.数字やデータ偏重も結構であるが,ヒトも生き物であれば遺伝子が進化の過程で獲得してきた冗長性もその存在には重要だということに気がつくべきだろう.
少なくとも私は『人の心がお金で買える.』なんて思いたくないし,『お金についてくる女』がいたとしてもお断りである.言葉や論理は尊重しても自分の感覚や感性を重視して生きたいから,計算の得意な女性より感覚的な女性のほうに魅力を感じるのである.
あっけらかんと「世界一」を口にし、「人の心は金で買える」と言い放ったライブドア社長の堀江貴文容疑者(33)が23日、証券取引法違反の疑いで逮捕された。わずか600万円で起業して10年。プロ野球や民放業界への新規参入騒動から総選挙出馬まで突き進んできたが、ホリエモンは30歳代の側近たちとともに「人生ゲーム」につまずいた。
午後9時半ごろから、東京都葛飾区の東京拘置所には、堀江社長らを乗せたワゴン車が、警察車両に先導されて相次いで到着し、敷地内に入っていった。拘置所前には100人を超える報道陣が集まった。近所の人らも加わって、騒然とした雰囲気となった。
逮捕前、堀江社長にいつも随行しているライブドア広報担当の乙部綾子さんは、力無く語った。
「堀江は罪の意識はなかったと言ってるので……」
04年に出版した著書で、「人の心はお金で買える」と書いた堀江社長。世論を二分した勝ち気な物言いとは違う姿だった。
「せかいいち」。同年の七夕の日には、堀江社長は、ピンク色の短冊にそう書いた。
女性起業家の私的なパーティーだった。主催した女性(37)は「長髪でオタクっぽかった時代とは比較にならないほど、生き生きしていた」と振り返る。
その2日前、堀江社長は大阪ドームで約1000人のファンに囲まれ、「堀江コール」を浴びていた。プロ野球・大阪近鉄バファローズの買収に名乗りを上げた直後。近鉄のユニホームを着て一塁側内野席で声援を送った。
社名を「エッジ」(尖端(せんたん))から「ライブドア」に変えた年だったが、ヤフーや楽天といったIT企業の中でも、知名度が乏しかった。ライブドアとホリエモンの名が、全国にとどろいた瞬間だった。
当時の取材には「営業利益でも時価総額でも何でもいいから世界一になる」とあっけらかんと宣言した。その理由は、「なるんです。もう既定路線。すごろくみたいなもので、間違いなくゴールに向かっている」。
「人生ゲームM&A」は、堀江社長ら起業家7人が監修したすごろく型の盤ゲームだ。タカラが昨年9月に発売し、10万個以上も売れている。
各プレーヤーは10億円の資金でスタートし、放送会社を買収したり、財務のプロを仲間にしたりしながら資産をふやす。全部で129個のマスの中に「敵対的M&A」が10回も出てくる。
「巨大コンツェルン総帥の楽園」にゴールし、最も資産総額の大きな人が勝ちだ。勝者の資産は数兆円にも上る。
事業に失敗すると、「挫折の地」にコマを置き、他のプレーヤーがゴールするのを待つのみとなる。「エッジ」を歩んできたホリエモンは、その地まで落ちた。 』
「誤解を恐れずに言えば、人の心はお金で買えるのです。女はお金についてきます」(04年8月、著書「稼ぐが勝ち」)の真意はどこにあったのか.そんなことをわざわざ言葉にして言ったのは,結局は自分の心がお金に買われてしまっていることに気がついていなかったからだと私は思う.
この人の発言はいろいろなところで取り上げられることが多かったが,あまり心に残るような発言はなかったのかほとんど憶えていない.だが,この「人の心はお金で買えるのです。女はお金についてきます」という言葉は非常にnegativeな発言として記憶していた.たとえそう思っても口にしてはいけない言葉というものがあると思うが,そういう言葉を口にした時から運に見放されるものなのだろう.
人間というのは,普段から思っていることは口からこぼれ出てくるものだし,いつも口にしているとそのように行動してしまうものではないだろうか.これはおそらく人間の脳というものが次第に言葉で人の行動を制御するように進化してきているせいではないかと私は思っている.
特にデジタル社会になってこの傾向はより強まっているのではないだろうか.その理由として,昔は単純な道具を手足の感覚で使うようなものが多かったのが,コンピュータを使うようになってから言葉で考えながらでないと使えない機械が増えたということが考えられる.つまりコンピュータのために人間はより頭でっかちな生物に進化しなくてはならなくなったのである.
最近のネット世代の人間はコンピュータを使っているうちに行動そのものがコンピュータ的な単純な論理に陥っているのではないだろうか.Blogなどをみていても確かに一見論理的ではあるのだが,非常に思考が単純で中身がなく,人間性に乏しいものが多いような気がするのは私だけだろうか.
しかし,これは書いている人の人間性の問題ではないと私は思いたい.むしろ無理に言葉にしたり,論理的に判断しようとするあまり表現力がそれについていけないせいではないかと思っている.そして一言で断言しようとしてついNGワードを言ってしまい,挙げ句には自分で発したNGワードに縛られて行動してしまうのではないだろうか.
パソコンと一緒に人間が成長しているようなデジタル時代を否定するつもりはないが,こんな時代であるからこそもっと人間としての自分に目を向ける必要があるのではないだろうか.数字やデータ偏重も結構であるが,ヒトも生き物であれば遺伝子が進化の過程で獲得してきた冗長性もその存在には重要だということに気がつくべきだろう.
少なくとも私は『人の心がお金で買える.』なんて思いたくないし,『お金についてくる女』がいたとしてもお断りである.言葉や論理は尊重しても自分の感覚や感性を重視して生きたいから,計算の得意な女性より感覚的な女性のほうに魅力を感じるのである.
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