『--「犯行ごとに計画性」最高裁指摘 宮崎被告の判決理由で--
17日、連続幼女誘拐殺人事件で殺人などの罪に問われた宮崎勤被告(43)の死刑を支持する判決を言い渡した最高裁第三小法廷(藤田宙靖(ときやす)裁判長)は、判決理由で「被告は犯行を重ねるたびに計画性を強めた」と指摘した。殺害態様の冷酷さや残忍さに触れ、「遺族らの被害感情が非常に厳しいのも当然で、刑事責任は極めて重い」と述べた。
事件そのものは小児性愛や猟奇的行動、家族のあり方など今日の同種事件にもつながるさまざまな問題をはらんでいたが、宮崎被告の行動の根底に何があったのかなど、再発防止につながる事実の解明は16年にわたった裁判でも進まなかった。
この間、最大の争点となった宮崎被告の責任能力については、精神鑑定が3通りに分かれ、最高裁の判断が注目された。しかし、第三小法廷は下級審の判断を「正当として是認できる」と述べただけで、判断理由についての具体的な説明はなかった。
他方、判決理由で第三小法廷は、宮崎被告の犯行について「主たる動機は性的欲求と、死体などを撮影して自分だけのビデオテープを持ちたいという収集欲に基づく自己中心的なものだ」と位置づけた。殺害の態様については「人を疑うことを知らない被害者を巧妙に誘い、抵抗するすべもない幼い女児の首を力いっぱい絞め続けるなど冷酷で残忍」と述べた。被害者宅に遺骨や犯行声明を送りつけたことに触れ、「社会に与えた衝撃は甚大」と指摘した。
死刑選択という結論については「被告が先天性の腕の障害に悩んでいたことや、母親が遺族に慰謝の一部として送金していることなど被告のために酌むことができる情状を十分考慮しても、一、二審判決が死刑としたことは是認せざるをえない」と説明した。
判決は藤田裁判長と浜田邦夫、上田豊三、堀籠幸男の各裁判官全員一致の意見だった。』
反省の無いあるいはする能力のない被告にとって責任能力を議論することになんの意味があるのだろうか.正しい判断ができる能力が責任能力とイコールだとしたら,犯罪者はすべて責任能力がないことになるし,計画性があることが責任能力であるなら自分より弱いものを狙った犯罪者すべてに責任能力を求めることができることになるのではないだろうか.
犯罪心理学は人間の異常な心理を解き明かす方法として興味深いものかも知れないが,最近の事件を見ても犯罪の抑止力としての有効性には疑問が残る.この被告の精神鑑定でも意見が3通りに別れたとあるように精神鑑定というものの普遍性にも疑問が残っただけで,科学的に妥当な意見を根拠とするのでなければ被害者の遺族が納得できないだろう.
死刑の判決を下すのに16年もの歳月を要したのは精神鑑定にこだわったからなのだろうが,私には無駄な時間のように思えてならない.結局,被告の人権に考慮するあまり費やしたということなのだろうが,これだけ拘束時間があれば正常な人間でも精神に異常を来したり健康を害するのに十分だろう.
オウム真理教の教祖も精神に異常があってこれ以上裁判を続けることはできないと弁護側が言っているようだが,精神に異常を来せば罪が許されるというものではないだろうし,それが裁判に時間をかけすぎたことによるものであれば,被害者の遺族の怒りは持って行き場のないものになり,結局は救済されるのは加害者だけということになるのではないだろうか.
17日、連続幼女誘拐殺人事件で殺人などの罪に問われた宮崎勤被告(43)の死刑を支持する判決を言い渡した最高裁第三小法廷(藤田宙靖(ときやす)裁判長)は、判決理由で「被告は犯行を重ねるたびに計画性を強めた」と指摘した。殺害態様の冷酷さや残忍さに触れ、「遺族らの被害感情が非常に厳しいのも当然で、刑事責任は極めて重い」と述べた。
事件そのものは小児性愛や猟奇的行動、家族のあり方など今日の同種事件にもつながるさまざまな問題をはらんでいたが、宮崎被告の行動の根底に何があったのかなど、再発防止につながる事実の解明は16年にわたった裁判でも進まなかった。
この間、最大の争点となった宮崎被告の責任能力については、精神鑑定が3通りに分かれ、最高裁の判断が注目された。しかし、第三小法廷は下級審の判断を「正当として是認できる」と述べただけで、判断理由についての具体的な説明はなかった。
他方、判決理由で第三小法廷は、宮崎被告の犯行について「主たる動機は性的欲求と、死体などを撮影して自分だけのビデオテープを持ちたいという収集欲に基づく自己中心的なものだ」と位置づけた。殺害の態様については「人を疑うことを知らない被害者を巧妙に誘い、抵抗するすべもない幼い女児の首を力いっぱい絞め続けるなど冷酷で残忍」と述べた。被害者宅に遺骨や犯行声明を送りつけたことに触れ、「社会に与えた衝撃は甚大」と指摘した。
死刑選択という結論については「被告が先天性の腕の障害に悩んでいたことや、母親が遺族に慰謝の一部として送金していることなど被告のために酌むことができる情状を十分考慮しても、一、二審判決が死刑としたことは是認せざるをえない」と説明した。
判決は藤田裁判長と浜田邦夫、上田豊三、堀籠幸男の各裁判官全員一致の意見だった。』
反省の無いあるいはする能力のない被告にとって責任能力を議論することになんの意味があるのだろうか.正しい判断ができる能力が責任能力とイコールだとしたら,犯罪者はすべて責任能力がないことになるし,計画性があることが責任能力であるなら自分より弱いものを狙った犯罪者すべてに責任能力を求めることができることになるのではないだろうか.
犯罪心理学は人間の異常な心理を解き明かす方法として興味深いものかも知れないが,最近の事件を見ても犯罪の抑止力としての有効性には疑問が残る.この被告の精神鑑定でも意見が3通りに別れたとあるように精神鑑定というものの普遍性にも疑問が残っただけで,科学的に妥当な意見を根拠とするのでなければ被害者の遺族が納得できないだろう.
死刑の判決を下すのに16年もの歳月を要したのは精神鑑定にこだわったからなのだろうが,私には無駄な時間のように思えてならない.結局,被告の人権に考慮するあまり費やしたということなのだろうが,これだけ拘束時間があれば正常な人間でも精神に異常を来したり健康を害するのに十分だろう.
オウム真理教の教祖も精神に異常があってこれ以上裁判を続けることはできないと弁護側が言っているようだが,精神に異常を来せば罪が許されるというものではないだろうし,それが裁判に時間をかけすぎたことによるものであれば,被害者の遺族の怒りは持って行き場のないものになり,結局は救済されるのは加害者だけということになるのではないだろうか.
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