『--「記者がJR西日本幹部に暴言」 読売新聞が謝罪--
JR宝塚線(福知山線)の脱線事故を取材していた読売新聞大阪本社社会部の記者がJR西日本の記者会見でJR幹部らに暴言をあびせたとして、読売新聞は13日の朝刊に谷高志・大阪本社社会部長名の謝罪記事を掲載した。「読者や関係者に不快感を与えたことに対し、深くお詫(わ)びします」としている。
記事や同社によると、今月4日から5日未明にかけて事故直後にJR社員らがボウリングなどをしていた問題についてJR西本社が開いた会見で、記者がJR幹部らに「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」などと声を荒らげたり、感情的な発言をしたりしたという。
この時の様子は「記者会見で罵声(ばせい)」などとしてテレビや週刊誌で報じられた。読売新聞はこの記者を会見取材の担当からはずして注意した。記事は「使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いたと言わざるを得ません。日頃の指導が生かされなかったことに恥じ入るばかりです」としている。』
読売新聞といえば古田選手に暴言を吐いた社長がいた全国紙であるが,JR西日本だけでなくマスコミもこうなると会社の体質ではないかと思いたくもなる.TBSの編成制作本部スポーツ局企画渉外部の担当部長がコラムを盗作したのも記憶に新しい.
それでなくても健康番組を見て意味不明な病名を言って外来にくる心配性の方々が増えて説明するのが厭になっているところだからマスコミ関係者はお断りしたいところである.
新聞記者やテレビ局は何かというと報道の自由を唱えるが,それは取材はしてもいいという意味で,なんでも報道してよいというのとは違うだろうし,取材も現場のお邪魔でしょうが取材させていただいているという謙虚な態度のものは皆無である.
使命感や熱心さのあまりというと聞こえはいいが,熱しやすく冷めやすいだけで思慮に欠けているのでは大衆そのものだ.いつから読売新聞は大衆紙になりさがったのであろうか.マスコミ関係者には知性と行動力を期待したいところであるが痴性と暴力が目立つようでは日頃の指導とはいったいどんなものなのか内部取材をして報道していただきたいものである.
JR宝塚線(福知山線)の脱線事故を取材していた読売新聞大阪本社社会部の記者がJR西日本の記者会見でJR幹部らに暴言をあびせたとして、読売新聞は13日の朝刊に谷高志・大阪本社社会部長名の謝罪記事を掲載した。「読者や関係者に不快感を与えたことに対し、深くお詫(わ)びします」としている。
記事や同社によると、今月4日から5日未明にかけて事故直後にJR社員らがボウリングなどをしていた問題についてJR西本社が開いた会見で、記者がJR幹部らに「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」などと声を荒らげたり、感情的な発言をしたりしたという。
この時の様子は「記者会見で罵声(ばせい)」などとしてテレビや週刊誌で報じられた。読売新聞はこの記者を会見取材の担当からはずして注意した。記事は「使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いたと言わざるを得ません。日頃の指導が生かされなかったことに恥じ入るばかりです」としている。』
読売新聞といえば古田選手に暴言を吐いた社長がいた全国紙であるが,JR西日本だけでなくマスコミもこうなると会社の体質ではないかと思いたくもなる.TBSの編成制作本部スポーツ局企画渉外部の担当部長がコラムを盗作したのも記憶に新しい.
それでなくても健康番組を見て意味不明な病名を言って外来にくる心配性の方々が増えて説明するのが厭になっているところだからマスコミ関係者はお断りしたいところである.
新聞記者やテレビ局は何かというと報道の自由を唱えるが,それは取材はしてもいいという意味で,なんでも報道してよいというのとは違うだろうし,取材も現場のお邪魔でしょうが取材させていただいているという謙虚な態度のものは皆無である.
使命感や熱心さのあまりというと聞こえはいいが,熱しやすく冷めやすいだけで思慮に欠けているのでは大衆そのものだ.いつから読売新聞は大衆紙になりさがったのであろうか.マスコミ関係者には知性と行動力を期待したいところであるが痴性と暴力が目立つようでは日頃の指導とはいったいどんなものなのか内部取材をして報道していただきたいものである.
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