『--医歯学部4年に患者応対テスト 新年度から108大学で--
患者ときちんと話をして丁寧に診察できる医師や歯科医を育てるため全国108の医学部、歯学部のある大学が4年生を対象にした共通試験を05年度から始める。知識だけでなく模擬患者に問診し、コミュニケーションが図れるかなども判断する。合否は5年生への進級の判断材料になる。最終的に進級できなければ進路変更も含めた指導を検討する。医療不信が高まる中で知識偏重の医学教育からの転換を目指す。
医師の無神経な言動で傷つけられる患者は少なくない。未熟な医師による医療ミスも相次ぐ。医療不信を招くこうした問題の一因に、5年生からの臨床実習が、主に指導医の診療の見学に終わるなど、十分に機能していないことがあると指摘されてきた。この反省から、文部科学省は臨床実習を「見学型」から「参加型」に改革することを検討。大学側も、学生が診療に加わって患者と接することができる最低限必要な技能や適性が身についているか、共通の基準で判定する準備を進めてきた。02年度からの試行を踏まえ05年度から本格的に実施することにした。試験では、医学知識を問う問題に加え、模擬患者を問診してもらう。そのやりとりから、患者が信頼して症状や悩みを相談できる態度がとれるかどうか、患者の訴えに耳を傾けられるか、意思疎通が図れるか……などを判定する。さらに脈拍・血圧測定、頭から胸、腹部などの診察や、救命救急の処置などもチェック。歯学系では、抜歯や歯科治療などの技能も問う。
各大学は、この試験の成績を5年生への進級の判断材料にする。進級できなければ、さらに1年勉強して再試験を受ける。こうした判断は各大学の裁量に委ねられるものの、大学側は、再試験でも進級できない学生に対しては、必要なら進路変更を促すなど、きめ細かい指導を行う考えだ。
大学側は試験を公正に実施するために社団法人「医療系大学間共用試験実施評価機構(仮称)」をつくる計画で、今月中にも文科省に申請する。文科省は「患者中心の質の高い医療を担う医師を育成するための重要なステップ。全国共通の基準で判定できることに大きな意味がある」(医学教育課)と話している。』
コンビニの店員のように接客態度を学ばせようというのなら試験をやっても医師のコミュニケーション能力の向上は見込めないというのが私の考えだ.確かにコンビニで商品を売るのであれば見かけの接客態度さえよければそれでいいし,マニュアルどおりに対応すれば商品は売れるわけである.しかし,医師というのは接客業とは思えない.
医師と患者が人間として対等であることは当然であるが,治療するほうとされるほうではおのずから立場はまったく違うものである.極端なことを言えば患者の求めるものと医師のめざすものがまったく異なる場合さえあり得るわけである.だから医師の患者への態度には医師としての経験とその生命観というようなものが強く影響するはずである.
自分が重い病気になって初めて患者の言うことが理解できるようになったという医師は多い.知識として持っている患者への理解と自分が経験した患者体験ではまったく違うということなのだろう.
こういう経験の少なさというものを試験で補えると考えているのであればそれこそ知識偏重というものであり,全国共通の基準で判定できることに何の意味があるのであろうか.私は学生時代に医師にとって最も大切なものは"Sympathy"であると聞いたことがあるが,まさに患者の立場を心で理解する経験が必要なのだと思う.それが今後の医学教育で可能になるのであろうか.
全国標準の接遇マニュアルどおりに診察し,全国標準の治療を行うことを医療の質の向上というのでは医師という仕事も随分と軽薄な作業になってきたものだ.
患者ときちんと話をして丁寧に診察できる医師や歯科医を育てるため全国108の医学部、歯学部のある大学が4年生を対象にした共通試験を05年度から始める。知識だけでなく模擬患者に問診し、コミュニケーションが図れるかなども判断する。合否は5年生への進級の判断材料になる。最終的に進級できなければ進路変更も含めた指導を検討する。医療不信が高まる中で知識偏重の医学教育からの転換を目指す。
医師の無神経な言動で傷つけられる患者は少なくない。未熟な医師による医療ミスも相次ぐ。医療不信を招くこうした問題の一因に、5年生からの臨床実習が、主に指導医の診療の見学に終わるなど、十分に機能していないことがあると指摘されてきた。この反省から、文部科学省は臨床実習を「見学型」から「参加型」に改革することを検討。大学側も、学生が診療に加わって患者と接することができる最低限必要な技能や適性が身についているか、共通の基準で判定する準備を進めてきた。02年度からの試行を踏まえ05年度から本格的に実施することにした。試験では、医学知識を問う問題に加え、模擬患者を問診してもらう。そのやりとりから、患者が信頼して症状や悩みを相談できる態度がとれるかどうか、患者の訴えに耳を傾けられるか、意思疎通が図れるか……などを判定する。さらに脈拍・血圧測定、頭から胸、腹部などの診察や、救命救急の処置などもチェック。歯学系では、抜歯や歯科治療などの技能も問う。
各大学は、この試験の成績を5年生への進級の判断材料にする。進級できなければ、さらに1年勉強して再試験を受ける。こうした判断は各大学の裁量に委ねられるものの、大学側は、再試験でも進級できない学生に対しては、必要なら進路変更を促すなど、きめ細かい指導を行う考えだ。
大学側は試験を公正に実施するために社団法人「医療系大学間共用試験実施評価機構(仮称)」をつくる計画で、今月中にも文科省に申請する。文科省は「患者中心の質の高い医療を担う医師を育成するための重要なステップ。全国共通の基準で判定できることに大きな意味がある」(医学教育課)と話している。』
コンビニの店員のように接客態度を学ばせようというのなら試験をやっても医師のコミュニケーション能力の向上は見込めないというのが私の考えだ.確かにコンビニで商品を売るのであれば見かけの接客態度さえよければそれでいいし,マニュアルどおりに対応すれば商品は売れるわけである.しかし,医師というのは接客業とは思えない.
医師と患者が人間として対等であることは当然であるが,治療するほうとされるほうではおのずから立場はまったく違うものである.極端なことを言えば患者の求めるものと医師のめざすものがまったく異なる場合さえあり得るわけである.だから医師の患者への態度には医師としての経験とその生命観というようなものが強く影響するはずである.
自分が重い病気になって初めて患者の言うことが理解できるようになったという医師は多い.知識として持っている患者への理解と自分が経験した患者体験ではまったく違うということなのだろう.
こういう経験の少なさというものを試験で補えると考えているのであればそれこそ知識偏重というものであり,全国共通の基準で判定できることに何の意味があるのであろうか.私は学生時代に医師にとって最も大切なものは"Sympathy"であると聞いたことがあるが,まさに患者の立場を心で理解する経験が必要なのだと思う.それが今後の医学教育で可能になるのであろうか.
全国標準の接遇マニュアルどおりに診察し,全国標準の治療を行うことを医療の質の向上というのでは医師という仕事も随分と軽薄な作業になってきたものだ.
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