人の品質管理ですか?
2004年11月1日 社会の問題『--福井副知事:不登校児は「不良品」と暴言 PTA大会で--
福井県の山本雅俊副知事が10月15日に福井市であった「第60回東海北陸ブロックPTA研究大会」のあいさつで、不登校児を不良品に例える発言をし、西川一誠知事から注意を受けていたことが1日分かった。
山本副知事は知事代理として出席。自らの企業経験に触れながら、「東海北陸6県の生徒数は120万人で、そのうちの1万4000人は不良品」と述べた。質疑の時間に、怒りを表す出席者もおり、主催の日本PTA全国協議会関係者も不穏当な発言と抗議、山本副知事は「総合的対策が必要との趣旨での例えだったが、不適切だった」などと釈明した。
発言を巡り、インターネット上の同大会掲示板には「非常識極まりない」「不登校で悩んでいる家族の心をどれほど傷つけたことか」などと非難の声が多く寄せられ、福井県に抗議する関係者もいた。これに対し、西川知事は「説明が十分至らなかったために真意をお伝えできなかったものと思います」などと応え、知事が副知事に口頭で注意した。山本副知事は、デンソー常務や化学会社デュポンの日本法人社長を歴任。行政経験のない民間出身の副知事として昨年8月に就任した。』
人間ひとつのことばかり熱心にやっているとやがて価値観が固定されてしまうものだ。製品をつくる企業ばかりで働くとなんでも品質管理の目で見るようになってしまうものなのだろうか。成長過程にある人間を不良品よばわりするとは恐れ入った。
だが、この手のまちがいは病院でもよくあることだということに気が付つかなければいけないだろう。医師が物を扱うように患者に接するなんていうのも問題だろうが、患者も患者の家族も人間的に扱えと言うわりには自分たちの体が機械を修理するかのように治ると思っている人が意外と多いのに驚かされる。
体も確かに物質で成り立っているのであるが、工業製品のように統一された規格で作られているわけではない。心に個性があるように体にも個性があるのである。同じ薬を使っても治療効果のある人と副作用のほうが強く出る人がいるのである。
そんな当たり前のことが社会保険庁には通じないのである。とにかく治療のコストを下げるためにはみんな同じに治療しろと言わんばかりなのだ。病名が同じでも病態は様々なのが当たり前なのに同じ病名の患者は同じ料金で治せといっているようなものである。これは人を物扱いしていることにはならないのだろうか。
この副知事の話はわかりやすい事例なので社会的な影響はそれほどでもないだろうが、いま医療の現場で進んでいる人を物扱いするような医療の再編は放っておくと見えないところで悪化する恐れがあると思うのだが、それに気が付く一般の人はいったいどれほどいるのだろうか。
福井県の山本雅俊副知事が10月15日に福井市であった「第60回東海北陸ブロックPTA研究大会」のあいさつで、不登校児を不良品に例える発言をし、西川一誠知事から注意を受けていたことが1日分かった。
山本副知事は知事代理として出席。自らの企業経験に触れながら、「東海北陸6県の生徒数は120万人で、そのうちの1万4000人は不良品」と述べた。質疑の時間に、怒りを表す出席者もおり、主催の日本PTA全国協議会関係者も不穏当な発言と抗議、山本副知事は「総合的対策が必要との趣旨での例えだったが、不適切だった」などと釈明した。
発言を巡り、インターネット上の同大会掲示板には「非常識極まりない」「不登校で悩んでいる家族の心をどれほど傷つけたことか」などと非難の声が多く寄せられ、福井県に抗議する関係者もいた。これに対し、西川知事は「説明が十分至らなかったために真意をお伝えできなかったものと思います」などと応え、知事が副知事に口頭で注意した。山本副知事は、デンソー常務や化学会社デュポンの日本法人社長を歴任。行政経験のない民間出身の副知事として昨年8月に就任した。』
人間ひとつのことばかり熱心にやっているとやがて価値観が固定されてしまうものだ。製品をつくる企業ばかりで働くとなんでも品質管理の目で見るようになってしまうものなのだろうか。成長過程にある人間を不良品よばわりするとは恐れ入った。
だが、この手のまちがいは病院でもよくあることだということに気が付つかなければいけないだろう。医師が物を扱うように患者に接するなんていうのも問題だろうが、患者も患者の家族も人間的に扱えと言うわりには自分たちの体が機械を修理するかのように治ると思っている人が意外と多いのに驚かされる。
体も確かに物質で成り立っているのであるが、工業製品のように統一された規格で作られているわけではない。心に個性があるように体にも個性があるのである。同じ薬を使っても治療効果のある人と副作用のほうが強く出る人がいるのである。
そんな当たり前のことが社会保険庁には通じないのである。とにかく治療のコストを下げるためにはみんな同じに治療しろと言わんばかりなのだ。病名が同じでも病態は様々なのが当たり前なのに同じ病名の患者は同じ料金で治せといっているようなものである。これは人を物扱いしていることにはならないのだろうか。
この副知事の話はわかりやすい事例なので社会的な影響はそれほどでもないだろうが、いま医療の現場で進んでいる人を物扱いするような医療の再編は放っておくと見えないところで悪化する恐れがあると思うのだが、それに気が付く一般の人はいったいどれほどいるのだろうか。
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