「死ぬ権利」とは

2004年9月24日
『米フロリダ州最高裁は23日、植物状態となった女性患者(40)の「命綱」である栄養供給チューブ除去を禁じる権限をジェブ・ブッシュ州知事(共和党)に与えた州法を違法と判断し、「死ぬ権利」を認めるよう求めた患者の夫の主張を事実上認める判決を言い渡した。判決は、州法が知事に無制限な権限を与えており、三権分立に反すると指摘した。AP通信によると、州側は米連邦最高裁に上訴する見通し。この患者は14年前に心拍が一時停止して脳を損傷、回復の見込みのない状態が続いている。
夫は「妻は人工的に生かされるのは嫌だと言っていた」と主張しチューブを外すよう求めていたが、患者の両親はこれを拒否。チューブ撤去の是非が広く論議されたことから、ブッシュ知事が旗振り役となり、昨年、チューブ除去を禁じる州法が制定されていた。』

遷延性意識障害で寝たきりになってしまった患者さんの意志を確認することはできないし,意識の回復の可能性の有無を確実に判定できる方法も今のところないのである.むしろ家族に遷延性意識障害の患者の延命をするか否かの選択する権利を与えたというのが本当のところのように思える.

わが国では臓器移植に伴って脳死に関しての議論は盛んだが遷延性意識障害の患者の医療に関してはほとんど議論がないように思う.現実には何万人もの患者さんが遷延性意識障害で病院または自宅で療養していることを知るべきであろうし,医学の発達と高齢化社会とともに今後も増加するであろうことは十分予想できることだ.

生存する権利も死ぬ権利も主張できない遷延性意識障害の患者にとって権利にどんな意味があるのだろうか.経管栄養を与えれば生きているのだから栄養を与え続ける.患者にとってはそれが幸福なのであろうか.自分が遷延性意識障害で生き残ってしまったらと考えるとそれでも生きていたいと答える人はいるのだろうかと思う.

遷延性意識障害の患者さんの家族にこの質問をしたらなんと答えるのだろうか.仕事上はとてもできない質問だが一度は聞いてみたい質問ではある.

私なら遷延性意識障害で寝たきりになってしまったら「死ぬ権利」を主張したいところだが,もし医学が進歩して回復するかもなんていう希望(欲?)が出てくると即座に答えにくくなるのだがどうだろうか.

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