人は何のために生まれてくるのか
2004年7月22日 医療の問題『英国の受精・胎生学局は21日、病気の子供に骨髄移植などの治療を受けさせるため、次に生まれる子供が骨髄提供者になれるかどうかの受精卵診断と、受精卵の選別を認めると発表した。英国はこれまで、遺伝病を防ぐ目的でのみ受精卵診断を認めてきたが、骨髄提供の適否を調べる診断でも受精卵に害がないことを確認できたとして要件を緩和した。治療では、体外受精した複数の受精卵のうち、病気の子供の組織のタイプと一致する受精卵だけを選び、母親の子宮に着床させる。生まれた子供のへその緒や骨髄が、病気の子供の治療に有用となる。治療が認められるのは、これが最後の手段である「極めて少数」の家族になるという。英国ではこれまで、血液病の子供を持つ親が、受精卵診断の規制が緩やかな米国に渡って治療を受けた例があり、同様な事情の家族は緩和決定を歓迎。一方、生命倫理団体は「完ぺきな人間をつくろうとするのは誤りだ」と批判している。』
自分がもし同胞を救うための臓器提供者として作られた子供だと知ったらどう考えて自分の存在というものを受け入れることができるのだろうか.この考え方の延長には受精卵から必要なものを作り出すという結果しか残らないだろう.へその緒や骨髄を提供してもらってもかまわないというのは相手が新生児であるから許されるという問題なのだろうか.
いつか受精卵から必要な臓器だけを分化させる技術ができたら受精卵はどんどん臓器移植に使われるだろうがそこにどんな意味があるのだろうか.そんなことをするくらいなら遺伝的欠陥のある受精卵を廃棄したほうがはるかに効率がいいことになってしまう.それはすなわち完ぺきな人間をつくろうとすることにほかならない.
これでは人類は家畜と同じである.遺伝子のエラーをなくして優良な労働者を量産すればよいだけなのだから.だが,優秀な遺伝子のコピーをいくら作っても人類の進化はないだろう.ある程度偶発的なエラーを許容していかなければ人類の遺伝子の進化はあり得ないと思うのだが.
自分がもし同胞を救うための臓器提供者として作られた子供だと知ったらどう考えて自分の存在というものを受け入れることができるのだろうか.この考え方の延長には受精卵から必要なものを作り出すという結果しか残らないだろう.へその緒や骨髄を提供してもらってもかまわないというのは相手が新生児であるから許されるという問題なのだろうか.
いつか受精卵から必要な臓器だけを分化させる技術ができたら受精卵はどんどん臓器移植に使われるだろうがそこにどんな意味があるのだろうか.そんなことをするくらいなら遺伝的欠陥のある受精卵を廃棄したほうがはるかに効率がいいことになってしまう.それはすなわち完ぺきな人間をつくろうとすることにほかならない.
これでは人類は家畜と同じである.遺伝子のエラーをなくして優良な労働者を量産すればよいだけなのだから.だが,優秀な遺伝子のコピーをいくら作っても人類の進化はないだろう.ある程度偶発的なエラーを許容していかなければ人類の遺伝子の進化はあり得ないと思うのだが.
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