本当の患者は受精卵診断で出生前に抹殺される
2004年7月14日『総合科学技術会議生命倫理専門調査会(委員21人)が正式決定したヒトクローン胚(はい)研究解禁の最終報告書について、石井美智子明治大教授ら5委員は13日夜、記者会見し、ヒトクローン胚や研究目的での受精卵(ヒト胚)の作成は認めるべきではないとする意見書を公表した。5委員は「今回の審議は拙速。人間の尊厳という理念をどう考えるかの考察が十分でなく、結論の根拠は極めて乏しい」として、意見書を近く調査会長に提出する。意見書は、研究目的の受精卵作成は原則禁止し、例外としての取り扱いの是非をあらためて決めるべきだと指摘。ヒトクローン胚については、社会の理解と納得が得られるまでは作成を認めるべきではないとした。他の4委員は、位田隆一京都大教授、勝木元也基礎生物学研究所長、島薗進東京大教授、鷲田清一大阪大副学長。』
『日本産科婦人科学会倫理委員会が13日、慶応大に実施を認めた受精卵診断の審査では、学会の指針で実施の条件としている「重篤な遺伝性疾患」の判断が最後まで焦点になった。どのような場合に実施を認めるか、より幅広い議論が必要との指摘が同学会内部からも出ている。倫理委は「成人になる前に日常生活を強く損なう症状が出たり、生存が危ぶまれたりする疾患」を重篤の基準として、デュシェンヌ型筋ジストロフィーを対象とした診断を認めた。しかし、同日の倫理委でも「重篤かどうかは、患者や家族が判断すること」「『成人』など、年齢で線引きするのは間違い」などの異論が出て、一律に決めることの難しさが浮き彫りになった。障害者団体や生命倫理専門家らの間では、受精卵診断は命の選別にあたり、優生思想につながるとの批判が根強い。同学会は、「重篤」を厳密に判断することで実施に歯止めをかけたい考え。だが、神戸市の産婦人科医が「学会の規制は、患者が幸福になる権利を侵している」として受精卵診断を行う計画を進めるなど、実施を望む患者が多いのも事実だ。』
人間の尊厳という理念をどう考えるかの考察が不十分という意見は常識的である.これは日本国民全体あるいは人類全体でとらえるべき問題であって一部の研究者や患者が決めるべき問題ではない.だから「重篤な遺伝性疾患」という基準にも異論が出て当然である.
それよりもっと問題なのは,「重篤な遺伝性疾患」を持って生まれる可能性のある人間の存在は否定されてしまうのかということだ.確かに「重篤な遺伝性疾患」を持って生まれれば患者となるわけであるが,受精卵診断は選別によりその患者を生前に抹殺することにほかならない.遺伝情報の一部に不都合があるからといってその固体の存在の可能性を否定することは優生思想にほかならない.
男女産み分けなどを目的に受精卵診断を開始した神戸市の産婦人科医が「学会の規制は、患者が幸福になる権利を侵している」として受精卵診断を行う計画を進めるなどと言っているようだが,これなどはどう聞いても患者の存在そのものを否定しているようにしか聞こえない.
受精卵はすでに人間として発生するに必要な完全な情報を持っていると考えられる.そう考えると受精卵を廃棄する自由を親に与えるということは,胎児は抹殺してもかまわないと言っているのと論理的にはちがわないと思うのだがどうだろうか.
遺伝情報に欠陥があったら廃棄すればよい.不都合なところだけ遺伝子組み換えすればよい.優秀な遺伝子のみを組み合わせてつくればよい.という方向性を人類の進歩として受け入れるという社会なら何も言うことはないが.そうなれば人類の進化はなくなるだろう.
『日本産科婦人科学会倫理委員会が13日、慶応大に実施を認めた受精卵診断の審査では、学会の指針で実施の条件としている「重篤な遺伝性疾患」の判断が最後まで焦点になった。どのような場合に実施を認めるか、より幅広い議論が必要との指摘が同学会内部からも出ている。倫理委は「成人になる前に日常生活を強く損なう症状が出たり、生存が危ぶまれたりする疾患」を重篤の基準として、デュシェンヌ型筋ジストロフィーを対象とした診断を認めた。しかし、同日の倫理委でも「重篤かどうかは、患者や家族が判断すること」「『成人』など、年齢で線引きするのは間違い」などの異論が出て、一律に決めることの難しさが浮き彫りになった。障害者団体や生命倫理専門家らの間では、受精卵診断は命の選別にあたり、優生思想につながるとの批判が根強い。同学会は、「重篤」を厳密に判断することで実施に歯止めをかけたい考え。だが、神戸市の産婦人科医が「学会の規制は、患者が幸福になる権利を侵している」として受精卵診断を行う計画を進めるなど、実施を望む患者が多いのも事実だ。』
人間の尊厳という理念をどう考えるかの考察が不十分という意見は常識的である.これは日本国民全体あるいは人類全体でとらえるべき問題であって一部の研究者や患者が決めるべき問題ではない.だから「重篤な遺伝性疾患」という基準にも異論が出て当然である.
それよりもっと問題なのは,「重篤な遺伝性疾患」を持って生まれる可能性のある人間の存在は否定されてしまうのかということだ.確かに「重篤な遺伝性疾患」を持って生まれれば患者となるわけであるが,受精卵診断は選別によりその患者を生前に抹殺することにほかならない.遺伝情報の一部に不都合があるからといってその固体の存在の可能性を否定することは優生思想にほかならない.
男女産み分けなどを目的に受精卵診断を開始した神戸市の産婦人科医が「学会の規制は、患者が幸福になる権利を侵している」として受精卵診断を行う計画を進めるなどと言っているようだが,これなどはどう聞いても患者の存在そのものを否定しているようにしか聞こえない.
受精卵はすでに人間として発生するに必要な完全な情報を持っていると考えられる.そう考えると受精卵を廃棄する自由を親に与えるということは,胎児は抹殺してもかまわないと言っているのと論理的にはちがわないと思うのだがどうだろうか.
遺伝情報に欠陥があったら廃棄すればよい.不都合なところだけ遺伝子組み換えすればよい.優秀な遺伝子のみを組み合わせてつくればよい.という方向性を人類の進歩として受け入れるという社会なら何も言うことはないが.そうなれば人類の進化はなくなるだろう.
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