苦肉の策なんでしょうが...
2004年6月29日『地方で深刻化している医師不足問題で、厚生労働省は28日、へき地での医師養成の一環として、大病院などを定年退職した医師がへき地などの地域医療に参加するための再教育プログラムを設ける案をまとめ、総務、文部科学との3省連絡会議に報告した。2005年度予算の概算要求案に盛り込むことを検討している。医師不足は、大学病院の医師が実際には勤務していない病院から報酬を受ける「名義貸し」の背景にもなっており、連絡会議でへき地での医師確保策を話し合っている。2月に開かれた連絡会議では、都道府県に対し、自治体の担当者や医師会、大学が参加して医師の確保を話し合う対策協議会を設置するよう求めたが、これまでに10道県以上が設置したことも報告された。既に設置した福島県の場合、県立医大の医学部に担当医を15人準備し、自治体などからの要請に応じて派遣する「へき地医療支援システム」の構築に取り組んでいる。』
若い医師が僻地医療を希望しないがための苦肉の策なのだろうが,大病院などを定年退職した医師が僻地医療に参加する可能性は極めて低いだろう.若い医師よりも僻地医療に情熱を傾けると思われる熟年医師はさらに少ないだろうからである.
地方で医療をやっていて思うことは自分のまわりに友人ができないということである.まじめに僻地診療に貢献すればするほどその機会は少なくなる.なぜなら医師の人手が足りないからである.仕事で24時間拘束されているに等しい環境で友人を作ることなど不可能に近い.歳をとるほどに孤独はこたえるものである.
歳をとって悠々自適の生活に入ろうという大病院を定年退職した医師が地方の医療に身を投じることなんて期待するほうが無理だろう.よほどの人格者でなければ知り合いもいない地方で情熱をもって医療に貢献するなんてことはできないだろうし,昨今の患者や家族の医療不信を考えればわざわざストレスの多い見知らぬ土地での医療にかかわりたいわけがない.
米国の脳外科医などは必要なだけ稼いだら引退することを考えているという.それほどストレスが多いのだろう.僻地医療に貢献しようと出かけていった挙句に医療事故で訴えられてはせっかくの楽しい余生が台無しになるのである.いったい誰がそんなリスクを犯したがるだろうか.
医療訴訟の際には医師の善意を信用せずに,僻地医療ではその善意を期待するというのはあまりに都合が良すぎるだろう.だからこの際,善意に期待するのではなく若い医師が僻地に行ってでも医療をしたくなるような環境の構築がなされるべきであろう.このほうがより現実的だと思うのだが...
若い医師が僻地医療を希望しないがための苦肉の策なのだろうが,大病院などを定年退職した医師が僻地医療に参加する可能性は極めて低いだろう.若い医師よりも僻地医療に情熱を傾けると思われる熟年医師はさらに少ないだろうからである.
地方で医療をやっていて思うことは自分のまわりに友人ができないということである.まじめに僻地診療に貢献すればするほどその機会は少なくなる.なぜなら医師の人手が足りないからである.仕事で24時間拘束されているに等しい環境で友人を作ることなど不可能に近い.歳をとるほどに孤独はこたえるものである.
歳をとって悠々自適の生活に入ろうという大病院を定年退職した医師が地方の医療に身を投じることなんて期待するほうが無理だろう.よほどの人格者でなければ知り合いもいない地方で情熱をもって医療に貢献するなんてことはできないだろうし,昨今の患者や家族の医療不信を考えればわざわざストレスの多い見知らぬ土地での医療にかかわりたいわけがない.
米国の脳外科医などは必要なだけ稼いだら引退することを考えているという.それほどストレスが多いのだろう.僻地医療に貢献しようと出かけていった挙句に医療事故で訴えられてはせっかくの楽しい余生が台無しになるのである.いったい誰がそんなリスクを犯したがるだろうか.
医療訴訟の際には医師の善意を信用せずに,僻地医療ではその善意を期待するというのはあまりに都合が良すぎるだろう.だからこの際,善意に期待するのではなく若い医師が僻地に行ってでも医療をしたくなるような環境の構築がなされるべきであろう.このほうがより現実的だと思うのだが...
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