教育の結果なのか?

2004年2月19日
『BSE(牛海綿状脳症)の影響で、吉野家のほとんどの店で11日に牛丼販売が休止され、直前に客が「食べおさめ」の行列をつくったことについて、日本経団連の奥田碩会長は12日、東海地方経済懇談会後の記者会見で「テレビは一部の人の動きを面白おかしく報じていたようだが、(牛丼がなくても)死ぬわけでない。日本人は右から左へ早くふれやすい、単純な国民だと感じた」と、牛丼フィーバーをチクリ。懇談会でも奥田会長は牛丼を教育上の問題点の例に挙げ、「日本人はどうしたのだろうか。やはり教育に力を入れなければならないと感じた」と語った。』

そう,『ばかの壁』を読むまでもなく,最近は物の考え方がおかしいというか,考えることができない人が目立っている.しかも,当人たちは自分は正しいものの見方をしていると信じているから話がいっこうにかみ合わないのだ.

はやりの風邪の治療ひとつとっても,熱といえば点滴で,インフルエンザといえばタミフルというような直線的な知識しかないから子供をかかえて病院へ直行したり,あげくにタミフルをよこせと騒ぐ大人が現れたりするのだろう.

牛丼ではニュースになっていたが牛丼を食べ損ねた腹いせに店員に襲いかかった者が一人ではなかったのもうなずける話である.だが,夜間救急外来ではこの手の患者や家族はまったくめずらしくないから医師にとってはニュースにもならない.

最近は大人しいという言葉もあまり聞かれなくなったが,本当に大人らしい振る舞いをできる日本人が最近極端に減っている感じがする.この場合,大人らしいというのは物静か,冷静,論理的,かつ合理的に振る舞えるということである.要するに理性を持った大人がいないということだ.

だが,これは教育の結果なのだろうか?受験勉強なんてものはある程度の記憶力と勉強時間があれば知性なんてものはいらないだろう.そのいい例が今の政治家にたくさんいる.高学歴でありながらさらに学歴を詐称してまで自分の知性を強調しているようだが,これは自らの知性の無さをさらけ出しているのである.

これからの教育に必要なのは記憶力を鍛えることではないと思う.知識の蓄積だけならコンピュータにはかなわない.本当に必要なのは状況に対して既存の知識を有効に活用し自分で考える能力を磨くことであろう.AといえばBというような短絡的発想は確かに楽であろうが,それには思考が伴わないから危険なこともあるということを認識する必要があるだろう.

脳は健康なのに脳の働きが正常でない人間を治すのは脳外科医の仕事ではないが,普通に社会生活をしている大部分の人がおかしくなってしまいそれが日常になってしまった時にはどうなるのだろうか.最近の社会現象をみてちょっと心配になっている.

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