不信感
2004年2月14日『福島県須賀川市の医療法人平心会「須賀川病院」(津田達徳理事長)で肥大型心筋症の治療を受けていた同市の男性(49)が、不適切な治療で左足に障害が残ったとして同病院に約一億三千七百万円の損害賠償を求めていた訴訟の判決で、福島地裁郡山支部の宍戸充(ししど・みつる)裁判長は十二日、病院側に約九千七百万円を支払うよう命じた。
宍戸裁判長は判決理由で「循環器疾患の専門医療施設であるにもかかわらず、肥大型心筋症から発症する不整脈の治療の際に必要な、血液の凝固を抑制する療法を怠った」とした。
判決によると、男性は一九八七年八月、同病院で肥大型心筋症と診断され治療を受け始めたが、九七年八月、肥大型心筋症による不整脈となり、脳塞栓(そくせん)が起こり、左半身がまひして左足に障害が残った。』
この記事では不整脈の治療の際に必要な、血液の凝固を抑制する療法とあるが,これは塞栓症の予防に必要な抗凝固療法の誤りではないだろうか.だとすると今後は循環器内科のワルファリン投与を受けていない不整脈の患者が,結果として脳塞栓症になりどこかで抗凝固療法で予防できたなんてことを知るとこんな訴訟が続発することになるのだろうか.
確かに『5学会合同脳卒中治療ガイドライン(暫定版)2003』では脳卒中一般の危険因子の管理の項の心房細動のところに心不全を合併した非弁膜症性心房細動(NVAF)患者にはワルファリンが推奨される(グレードA)とある.だから肥大型心筋症による心不全を合併した不整脈であったならこの症例で血液の凝固を抑制する療法を怠ったとされてもしかたがないのだろうか.
だが,ワルファリンの投与にはいろいろな問題点が存在し,それが今まで循環器内科医が投与を極力避けてきた理由だと思う.そのひとつは出血合併症である.これを避けるためには少なくとも1,2ヶ月に1回程度は血液検査をしてINR値をモニターしこまめに投与量を調整する必要がある.だが,これは患者さんにも外来で忙しい医師にも苦痛であろう.また,こういった患者さんが脳出血を起こした場合はたいてい悲惨な結末が待っているのである.
ワルファリン投与をした場合の脳卒中予防効果は61%ということを考えると医師側に100%の過失があるとしてもこの判決にはあまり論理的妥当性があるとは思われないのだがどうだろう.
実際のところは当事者の医師でもないのでわからないが,こんな判決とこんな報道が続くようでは医師側に防衛医療の考え方で治療をすすめるものが現れることになんの不思議もない.報道が医療不信をつくりだす以上に医師側に患者不信をつくるほうがはるかに弊害が多いことを危惧しているのは私だけだろうか.
宍戸裁判長は判決理由で「循環器疾患の専門医療施設であるにもかかわらず、肥大型心筋症から発症する不整脈の治療の際に必要な、血液の凝固を抑制する療法を怠った」とした。
判決によると、男性は一九八七年八月、同病院で肥大型心筋症と診断され治療を受け始めたが、九七年八月、肥大型心筋症による不整脈となり、脳塞栓(そくせん)が起こり、左半身がまひして左足に障害が残った。』
この記事では不整脈の治療の際に必要な、血液の凝固を抑制する療法とあるが,これは塞栓症の予防に必要な抗凝固療法の誤りではないだろうか.だとすると今後は循環器内科のワルファリン投与を受けていない不整脈の患者が,結果として脳塞栓症になりどこかで抗凝固療法で予防できたなんてことを知るとこんな訴訟が続発することになるのだろうか.
確かに『5学会合同脳卒中治療ガイドライン(暫定版)2003』では脳卒中一般の危険因子の管理の項の心房細動のところに心不全を合併した非弁膜症性心房細動(NVAF)患者にはワルファリンが推奨される(グレードA)とある.だから肥大型心筋症による心不全を合併した不整脈であったならこの症例で血液の凝固を抑制する療法を怠ったとされてもしかたがないのだろうか.
だが,ワルファリンの投与にはいろいろな問題点が存在し,それが今まで循環器内科医が投与を極力避けてきた理由だと思う.そのひとつは出血合併症である.これを避けるためには少なくとも1,2ヶ月に1回程度は血液検査をしてINR値をモニターしこまめに投与量を調整する必要がある.だが,これは患者さんにも外来で忙しい医師にも苦痛であろう.また,こういった患者さんが脳出血を起こした場合はたいてい悲惨な結末が待っているのである.
ワルファリン投与をした場合の脳卒中予防効果は61%ということを考えると医師側に100%の過失があるとしてもこの判決にはあまり論理的妥当性があるとは思われないのだがどうだろう.
実際のところは当事者の医師でもないのでわからないが,こんな判決とこんな報道が続くようでは医師側に防衛医療の考え方で治療をすすめるものが現れることになんの不思議もない.報道が医療不信をつくりだす以上に医師側に患者不信をつくるほうがはるかに弊害が多いことを危惧しているのは私だけだろうか.
コメント