HIVの権威の最期
2004年2月10日『薬害エイズ事件で業務上過失致死罪に問われ、一審東京地裁で無罪とされた元帝京大副学長安部英(あべ・たけし)被告(87)の控訴審で、東京高裁(河辺義正(かわべ・よしまさ)裁判長)が医師に嘱託して被告の精神鑑定を行い、「物事の善悪を判断する能力がない」とする結果が出たことが十日、分かった。
刑事訴訟法では「被告が心神喪失の状態にあるときは、公判手続きを停止しなければならない」と規定している。最終的には同高裁が判断するが、公判停止の決定をする可能性が高い。
停止すれば、安部被告の刑事責任が決まらないまま、一九九七年三月から約七年にわたった審理は事実上終結する。
弁護団によると、安部被告は昨年、持病の心臓病などで入退院を繰り返すうち、話し掛けてもほとんど反応がなくなった。専門医が「心神喪失の疑いがある」と診断したため、弁護団が同高裁に公判停止を申し立てた。
これを受けた同高裁が昨年十二月、精神鑑定の実施を決め、嘱託を受けた慶応大学病院の医師が鑑定していた。
安部被告は帝京大病院第一内科長だった八五年、部下の医師に指示しエイズウイルス(HIV)に汚染された非加熱製剤を血友病患者に投与させ、九一年にエイズで死亡させたとして起訴された。 一審の無罪判決を不服とした検察側が控訴し、二〇〇二年十一月から高裁審理が続いていたが、控訴審では被告の出廷義務はなく、安部被告は体調不良を理由に一回も出廷していなかった。』
もと厚生省HIV研究班の班長のやったことを要約しておこう.
1982年11月23日 東京の血友病患者団体の総会で,「重大な病気があるらしいことが分かってきつつある.日本の血液を材料に血液製剤を作ってもらいたい」などと講演している.
こうした認識をもちながらも厚生省エイズ研究班長に就任してからは,「3000人に注射して1人程度発病するに過ぎない。エイズの心配はわずかですから、アメリカからの輸入を止めねばならないのはちょっと思い過ごし。輸入を止めるべきと考えている人もいると聞くが、血友病をやらない医者のいうことです」と発言している.そして勲3等の叙勲をうけている.
その一方で1978年厚生省薬務局長松下廉蔵がミドリ十字に天下りさらに5人が厚生省からミドリ十字に次々と天下る.
その後,厚生省エイズ研究班長安部英の態度転換が感染の広がりを招いた.そして83年当時血液製剤のシェアの6割りを占め、非加熱製剤の在庫43億円をかかえるミドリ十字にとりわけ大きな利益をもたらした.そのミドリ十字には厚生省の天下りがつぎつぎと受け入れられた.
こうしてHIVは日本中に広まることとなった.金と権力に目がくらんだ医師と厚生省から天下った役人の利益が一致した結果がこれだ.厚生省の研究班の班長と製薬会社の癒着の温床を育んだ厚生省はどう変わったのか.
さて本当に心神喪失の状態かどうかはわからないが87歳の老人に償えるほどこの責任は軽くはないと思う.研究班にいた権威の方々はいったいどこにいて罪を償っておられるのだろうか.
この事件から学ぶべきことは権力を集中させることの危険ということである.行政は決して国民のことは考えていないとは言わないが優先順位は高くないことはこのことからもわかる.
もうひとつ記憶しておくべきことは当時の研究班でこの班長に逆らえなかった権威の医師たちが現在も要職についているであろうことである.(反対して研究班を辞めた良識ある先生もいたようだが)
間違っていると感じても自分の地位にしがみつく人たちに若い医師たちを指導する資格がないのは明らかだ.反面教師という意味では存在価値はあるかもしれないが.
受験シーズンになり医師を目指す人たちもいると思うが苦労して医師になっても権威にしばられず常に素直な目で科学的真実と人間の幸福を追究する姿勢を忘れないで欲しい.
往々にして受験勉強に苦しんで医師になった人のほうが権威主義になりやすいような印象があるので医学部に入るだけで苦しんだり,医師国家試験で苦しんでいる人は特に注意が必要ですよ.
刑事訴訟法では「被告が心神喪失の状態にあるときは、公判手続きを停止しなければならない」と規定している。最終的には同高裁が判断するが、公判停止の決定をする可能性が高い。
停止すれば、安部被告の刑事責任が決まらないまま、一九九七年三月から約七年にわたった審理は事実上終結する。
弁護団によると、安部被告は昨年、持病の心臓病などで入退院を繰り返すうち、話し掛けてもほとんど反応がなくなった。専門医が「心神喪失の疑いがある」と診断したため、弁護団が同高裁に公判停止を申し立てた。
これを受けた同高裁が昨年十二月、精神鑑定の実施を決め、嘱託を受けた慶応大学病院の医師が鑑定していた。
安部被告は帝京大病院第一内科長だった八五年、部下の医師に指示しエイズウイルス(HIV)に汚染された非加熱製剤を血友病患者に投与させ、九一年にエイズで死亡させたとして起訴された。 一審の無罪判決を不服とした検察側が控訴し、二〇〇二年十一月から高裁審理が続いていたが、控訴審では被告の出廷義務はなく、安部被告は体調不良を理由に一回も出廷していなかった。』
もと厚生省HIV研究班の班長のやったことを要約しておこう.
1982年11月23日 東京の血友病患者団体の総会で,「重大な病気があるらしいことが分かってきつつある.日本の血液を材料に血液製剤を作ってもらいたい」などと講演している.
こうした認識をもちながらも厚生省エイズ研究班長に就任してからは,「3000人に注射して1人程度発病するに過ぎない。エイズの心配はわずかですから、アメリカからの輸入を止めねばならないのはちょっと思い過ごし。輸入を止めるべきと考えている人もいると聞くが、血友病をやらない医者のいうことです」と発言している.そして勲3等の叙勲をうけている.
その一方で1978年厚生省薬務局長松下廉蔵がミドリ十字に天下りさらに5人が厚生省からミドリ十字に次々と天下る.
その後,厚生省エイズ研究班長安部英の態度転換が感染の広がりを招いた.そして83年当時血液製剤のシェアの6割りを占め、非加熱製剤の在庫43億円をかかえるミドリ十字にとりわけ大きな利益をもたらした.そのミドリ十字には厚生省の天下りがつぎつぎと受け入れられた.
こうしてHIVは日本中に広まることとなった.金と権力に目がくらんだ医師と厚生省から天下った役人の利益が一致した結果がこれだ.厚生省の研究班の班長と製薬会社の癒着の温床を育んだ厚生省はどう変わったのか.
さて本当に心神喪失の状態かどうかはわからないが87歳の老人に償えるほどこの責任は軽くはないと思う.研究班にいた権威の方々はいったいどこにいて罪を償っておられるのだろうか.
この事件から学ぶべきことは権力を集中させることの危険ということである.行政は決して国民のことは考えていないとは言わないが優先順位は高くないことはこのことからもわかる.
もうひとつ記憶しておくべきことは当時の研究班でこの班長に逆らえなかった権威の医師たちが現在も要職についているであろうことである.(反対して研究班を辞めた良識ある先生もいたようだが)
間違っていると感じても自分の地位にしがみつく人たちに若い医師たちを指導する資格がないのは明らかだ.反面教師という意味では存在価値はあるかもしれないが.
受験シーズンになり医師を目指す人たちもいると思うが苦労して医師になっても権威にしばられず常に素直な目で科学的真実と人間の幸福を追究する姿勢を忘れないで欲しい.
往々にして受験勉強に苦しんで医師になった人のほうが権威主義になりやすいような印象があるので医学部に入るだけで苦しんだり,医師国家試験で苦しんでいる人は特に注意が必要ですよ.
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