脳幹の悪性腫瘍で中枢性の呼吸障害と深昏睡で人工呼吸器を装着して2ヶ月になる中年男性がいる.自発呼吸はかすかにあるが補助呼吸なしには生きられる状態にはない.

もともと家族ができるだけの治療を希望すると言っていると前医より情報提供を受けていたため呼吸が悪化し家族が到着するまでの間に呼吸器を装着せざるを得なくなった.

悪性脳腫瘍の末期で意識がなくなった場合に呼吸器をつける適応はないと思う.しかし,この場合も家族に説明し同意を得なければ問題が起きると考えられる.

だが,本当に家族の同意あるいは家族の意志にはどういう意味があるのだろうか?

本人が悪性腫瘍の予後について説明を受け自分の最期をどういうものにしたいか希望があるのならそれに従ってあげることには最期の願いを聞いてあげるという意味でやぶさかではない.

問題は本人の意思がわからない場合に家族の希望を聞くのが果たしていいのかどうかである.

意識がない状態での延命治療は本人にとっては意味がない.家族のために延命するわけである.それは場合によっては親戚が集まるための時間稼ぎであり,時には入院期間の延長による保険金目当てであることもあるだろう.

その患者の血圧が下がりはじめて大学からの当直医は患者の意志が確認できないので家族の希望で昇圧剤の投与を開始していた.この延命がなぜ家族にとって必要なのか私にはわからないし知ろうとする気も起こらない.

意識障害のある患者の最期を決定するのは患者でも医師でもなくなった.それはどうやら家族が決めることのようだ.

これが臓器移植になると本人の意志が非常に尊重される.生前の本人の同意がないと家族の意志は関係ない.もっと本人の意思があっても家族の反対にあうとやっぱりもめるようだが.

これが治療で助かる可能性がある患者の家族が治療を拒否する事態になると見殺しといった事態が起きうるのでさらに問題である.実際に親が植物状態になる可能性を話したら治療を拒否する家族もいるのだから世の中はわからない.

寝たきりになった患者を看るのも,亡くなった患者の葬儀をするのも家族だからそれでいいのかもしれない.保険金が少しでも多く出て病院の収益があがるのだから誰も困らないという考え方もあるだろう.

だが,尊厳死と言うほどではないにせよ患者の最期に対する家族の希望と医者の責任回避が一致したような感じに嫌気がしてきているのは私だけだろうか.

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