運命

2004年2月3日
外来の最後に来た患者さんは脳梗塞だった。それ自体はめずらしいことではないが問診をしながら画像をチェックし動脈硬化がかなり強かったので喫煙本数を尋ねると1日30本だという。

自業自得と言ってしまえばそれまでだが、患者さんの人生を垣間見るような気がするのは今日に限ったことではない。

現在起きていることを説明することはできるのだが、未来に起きることを知る能力は人間にはない。だが、動脈硬化が進行して脳梗塞になってしまい、しかも脳の主幹動脈に高度狭窄をきたしているのが見つかった人の未来が明るくないことは脳外科医ならだれでも経験的に知っていることだ。

だが、今日の私はそれを意識して予後の話を避けた。理由は2つある。ひとつは患者本人に病識がなさそうで説明しても深刻さは伝わらないと感じたこと、もうひとつは患者の態度とは反対に娘さんとおぼしき女性の私の説明を聞く視線があまりにも真剣だったためである。

もしかすると彼女は父親の健康を普段から心配していたのであろうか。だが、残念ながら彼女を元気づけるようないい話をしてあげることはできないのだ。私は入院後の症状悪化の可能性を淡々と話し1ヶ月の入院見込みを告げて診察室を出た。

運命といえばそれまでなのだが、実際にこれからこの患者さんがどうなっていくのかはわからない。現在の状態に対して適切と思われる処置をして改善を待つほかはないのである。そこには私たちの感情が入り込む余地はないのだ。病気には待ったはない。

私はなぜ病気になるかという質問に適切に答えることはできないが、人間の持つ生物学的要因とそれをとりまく環境に原因があることは明らかだ。つまり病気になる人間はなるべくしてなったということである。これを運命というならそれでもよい。

人間は未来に起こることを知りえないからこそ幸せなのかもしれない。今頃になって自分が患者に説明しなかった部分についてどう説明するのがよかったのかを考えている。

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